~"打ち方始め"~
M市は坂本課長の故郷であり、旧家で行われた葬儀は盛大なものであった。主力販売店の殆どの経営者が参列し、別れを惜しんだ。三課のメンバーは総務とともに受付等の応対に追われた、
「美咲さん、今日はありがとうございました、主人は三課の皆さんのことを亡くなるまで気にしていました、これは主人からの手紙です、死期を悟っていたんでしょうね、少しづつ書いていたようです、自分が死んだら美咲さんに渡してくれって言ってました、」
坂本課長の奥さんは憔悴しきった表情で大きめの封筒をさしだした、
「確かに受け取りました・・」
「美咲君、お疲れ様でした、」
「部長こそ大変お疲れ様でした、」
「いや総務なんてね、こういう時しか活躍できないからね、しかし盛大な葬儀だったね、」
「ええ・・」
葬儀が終了した後、総務部長に誘われて小さな居酒屋に腰を降ろしていた、
「実は坂本課長は首都圏地区本部長に昇進するところだったんだが、ある事件が起きてね、」
「ある事件・・」
「うん、部下が自殺したんだよ、」
「自殺?・・」
「木村君って言ってね、坂本君が目をかけて育てていた優秀な営業担当がいたんだがね、ある日自宅で睡眠薬を飲んで自殺してしまったんだよ、」
「木村・・あっ、覚えていますよ、確か16期連続達成をしていた人ですよね、営業部門表彰の時に紹介されていました、自殺なんて・・まさか・・」
「うん、このことは不問にされていてね、自殺の確たる原因は不明だったし、マスコミ等に漏れるとやっかいな事になるからね、」
「原因は判明したんですか?」
「いや、いまだに分からない、ただ家族には仕事に疲れたと漏らしていたそうだ・・」
「坂本課長は余程ショックを受けた様でね、しばらくは休職し、その後辞表を提出したんだがね受理されずに、その替わりに療養も兼ねて故郷であるこのM市に転勤させられたと言う訳なんだ、」
「そうだったんですか・・」
(そう言えば、時々遠くを見るような寂しげな表情をしていたな・・)
マンションの部屋で大きな封筒を開いている、中には6通の手紙が入っていた、三課のメンバー1人1人と、三課全員に宛てた手紙である。美咲は自分宛ての手紙を開いている、
『美咲君、私はある事件があってね、美生堂を退職するつもりだったんだが、辞表が受理されず、この故郷であるM市に転勤してきました。三課の各販売店は不良在庫のかたまりだったね、君と二人でずいぶん苦労しましたね。私はね、自分で言うのもなんだけれど、若い頃から優秀な社員だった。常に達成し、表彰された。販売店も美容社員も自分の為にあると過信していた。でもね、仕事と言うものは自分の為ではなく、誰かの為にあると、三課に来てそう思うようになったんだ。私は三課に救われたんだね。君と初めて会った時、暗い目をしていましたね、三課のメンバーも最初は君を避けていましたね、ところが私が提案した美咲塾を初めてから少しづつ君は変わっていきましたね、三課のメンバーも君の持っている様々なノウハウに魅了され、少しづつ心を開いていったね。君は感性の豊かな優しい男です、いつまでも過去に拘っていてはいけない。ああ、私はもう少し生きたかった、君と一緒に反撃の狼煙をあげたかった。美咲君、三課を頼みます、三課の皆んなを頼みます。彼等はクズではない、廻りがそう仕向け、自分達もそう思い込んでいるだけです。
三課を頼みます、皆んなを頼みます、美咲君、反撃開始だ、"打ち方始め"だ、私は天国でしっかりと君と三課を見守ります、最後に美咲君、ありがとう、君に会えてよかったよ。"打ち方始め" 怒涛の三課頼みます。』
病苦の中、必死に書いたであろう筆跡は、ところどころ乱れ、涙で滲んでいた、
(坂本課長・・坂本さん・・・)
美咲は子供の様に声をあげて泣いていた、
「美咲君、昨日はお疲れさんだったね、総務部長から聞いたが盛大な葬儀だったそうだね、私は接待ゴルフで行けずに失礼したね、」
「あ、いえ・・」
(何が接待ゴルフだ、経費の無駄遣いしやがって・・)
朝礼後、すぐに黒狸に応接室に呼ばれていた、
「いやね、君にして欲しい事があってね、」
「はい・・」
「人事考課を修正して欲しいんだ、」
黒狸は美生堂の大きな社封筒から二通の考課表を取りだした、
「小山と山木の人事考課をこの点数で修正して欲しいんだよ、坂本君が亡くなったからね、君が三課の責任者として修正して欲しいんだ、」
「えっ、部長これは・・」
「うんD評価にね、」
「D評価って解雇の評価では?・・」
「まぁ、普通はありえない評価だな、なにか事件か犯罪でも犯さないかぎりはつかない評価だよ。君、秋山から聞いたよ、小山は国道4号線を止め、山木は店の商品を勝手に持ち出したそうじゃないか、これはね犯罪行為に近いよ、何故報告しなかったんだね、」
「あっ、いえ・・部長・・坂本課長が入院中でしたので、部長の耳に入れてしまうと部長にまで責任が及ぶと考えまして、あえてご報告を控えさせていただきました・・」
美咲はとっさの言い訳をしている、
「ああ、そうかね、うん・・まぁそう言うことなら仕方ないな、私も煩わしい処理に巻きこまれずに助かったよ、」
佐々木はコーヒーを口に運びながら、浅黒い表情で微笑んでいる、
「彼等は組合員だからね、解雇はできない、ただこれでビューティー関連事業部に移動させる理由付けができる、いやね、2課制の話しが大詰にさしかかったところで支社長が二人を移動させる理由がないと言いだしてね、まっ、この件を報告すれば支社長も納得するだろうからね、急ぐんでね、今日提出できるかね?」
「部長、すみません・・実印を持ってきていなくて・・」
「うん・・しかたないね、まぁ私も今から出張なんで、明後日の朝一番に提出してくれたまえ、いいね、」
「はい・・」
応接室から出てきた美咲は三課全員をミーティングルームに集めた、
「皆んな、昨日はお疲れ様でした。昨日、坂本課長の奥さんから手紙を預かってね、課長からの手紙だ、それぞれに一通づつと、三課全員に宛てた分が一通ある、」
美咲は一人一人に坂本からの手紙を手渡した、
「じゃ、代表して三課全員宛の手紙を読むので聞いてくれ、」
美咲は白い封筒を開くと読み始めた、
『三課の諸君、元気でやってますか、私の命はそろそろ残り少なくなってきたようです。短い間でしたが、皆んなと会えて良かったよ、ずいぶん辛い思いばかりさせてきたね、申し訳なく思っています。私は君達と出会えて本当に大切なことを学ぶことができました。販売店さんや美容社員の皆さん、なによりエンドユーザーであるお客様に感謝の気持ちを持って仕事に励んでください、私達はね、単に化粧品を売っているんじゃないんだよ、お客様に"美"と言う幸せを提供しているんだ、本当の誇りとはそうしたものです。
さて、各店の不良在庫は一掃されました、君達も美咲塾や商品勉強会で力をつけているはずです、さぁこれからだ、反撃の狼煙を上げるんだ、うずくまっているだけの人生はつまらない、自信をもちなさい、君達は自分が思っているより遥かに優秀な人達です。顔をあげて、笑顔で戦うんだ。"打ち方始め"だ、怒涛の三課が私の夢でした、あぁ、もう少し生きて皆んなと一緒に仕事がしたかった、これからは天に帰って必ず君達を守ります、怒涛の三課頼みます。
さようなら、そしてありがとう。"打ち方始め"、反撃開始だ!』
読みながら美咲は溢れる涙を止めることができなかった、全員が泣いている小山が山木が秋山が、松木さんが、そして広田さんは激しく肩を震わせながら泣いていた。坂本課長から一人一人に贈られた手紙は、彼等の宝物となったのである。
「ゆうちゃん、どうしたの?」
幸子がけげんな表情で顔を覗きこんでいる、顔が近すぎる、
「あ・・いや、ちょっと・・」
「係長は寂しいんですよ、坂本課長がお亡くなりになったから、」
いやにエプロン姿が似合う松木が心配そうに告げている、すっかりこの店が気にいった彼は毎日夕食に訪れ、ついには幸子の手伝いを始めるようになっていた、仲の良い親子という感じである、
「松木さん・・ちょっと相談したいことがあるんですが、後で私の部屋に来ていただけませんか?」
「相談? 光栄ですね、係長が相談なんて、今から大丈夫ですよ、」
「ははっ、典型的な独身男性の部屋ですね、」
松木はとっ散らかった美咲の部屋を嬉しそうに眺めている、
「すみません、自炊とかはしないので変なばい菌はいないと思うので・・」
実は一週間前、幸子に急襲され片づけさせられたのであるが、また元に戻りつつあった、
美咲は佐々木部長との一件を手短に話した、
「そうですか・・係長にとっては良い話しです、秋山さんも1課に行ける訳だし、広田さんも商品開発に行けるんですよね、問題は小山さんと山木さんですね・・」
「はい・・そして何より三課が無くなれば、坂本課長の夢も無くなるんです、」
「そうですね、坂本課長の意思を継げるのは美咲係長と三課の皆さんだけだからですね、本音で係長のお気持ちはどうなんですか?」
「本音を言えば2課長になりたいです、サラリーマンですからね、出世したいです。でも、どうしても心が落ち着かないんですよ、苦しいと言うか・・」
「迷うと言うことは係長の本音は、三課の存続を願っていると言うことじゃないでしょうか、係長の人生ですから、係長が決めることです、」
「松木さんならどうします?」
「私ですか、私だったら博打を打ちます、」
「博打?」
「例えば・・佐々木部長に三課存続の為の条件をだします、そう例えば・・今期を達成したら三課を存続させて欲しいとか・・」
「今期の達成・・松木さん三課は私が赴任して以来、月度達成したこともないんですよ、しかも今期も僅か二ヶ月で300万の未達です、今期達成なんて・・大博打ですよ、大博打・・」
「だからですよ係長、その大博打に勝てば三課は存続できるかも知れません、ただ、係長の昇進も無くなる恐れがあります・・」
時は雨の季節を迎えようとしていた、
肩の凝るつまらない幹部会議が終了した、朝からの雨がようやくやんでいる、
「おい、秋山、まだ店に行かないのか?」
三課のデスクにただ一人、秋山が座っている、
「係長・・お話しがあるんですが・・」
「うん、なんだい?」
様子が変である、
「屋上に行こうか、煙草でも吸いながら聞くよ、」
缶コーヒーを片手に屋上のベンチに並んで腰かけている、空に薄い虹がかかっている、
「係長、実は僕・・佐々木部長に小山さんと山木さんのことを話してしまったんです・・」
「知ってるよ、部長から聞いた、」
「すみません、そんなつもりではなかったんです、突然飲みに誘われて・・部長の尋問に乗せられて・・僕だけ1課に移動させてくれると言うもんですから、全てを話してしまいました、本当にすみません・・」
「いいさ、秋山は嘘を言った訳ではないだろう、事実を言っただけだ、俺だって同じ立場ならそうするさ、自分が大事だもんな、」
「僕、ビューティ関連事業部に移動願いを出します、希望すれば誰でも行けるって聞きました、小山さんや山木さんと一緒に頑張ります、自分だけ1課に行けても仕方ないです、きっと後悔すると思うんです・・」
「そうか、秋山は勇気があるな、正直に話してくれた、でもどうだい、三課が存続すれば全てが解決するぜ、俺達は坂本課長の意思を継ぐ義務がある、いや権利があるんだ、」
「三課の存続ってそんなこと出来るんですか?」
「さあな・・まっ、やってみようと考えている、全く俺も変わったよ、坂本課長と出会って随分不器用な人間になってしまったらしい、三課なんか存続してもなんの得にもならないのにな、」
「係長は2課長に昇進するんでしょう、もっぱらの評判ですよ、部長は内示を取ったって言ってましたよ、」
「うん、もういいんだ、今さら課長になってもな、同期の連中の尻を追っかけるだけだよ・・もういいんだ・・秋山、佐々木部長との件は誰にも言うんじゃないぞ、お前は正直に話してくれた、これで終わりだ、全て忘れるんだいいな、」
「はい・・・」
「ああ、美咲君探していたんだよ、例の人事考課表をすぐに提出してくれ、支社長の印鑑をいただいてすぐに本社に郵送しないと間に合わないんだ、」
佐々木部長は少し焦った様子で三課のデスクにやってきた、
「部長、お話しがあります、」
「うん、なんだね、」
「三課を三課を存続させてください、この通りです、」
美咲は椅子から立ち上がるとフロアで土下座をしている、
「君・・美咲君何をしているんだね、坂本課長の真似かね、やめたまえみっともない、」
「女子事務員達が驚いてその光景を見つめている、」
「部長、ただではとは申しません、今期、今期・・達成できたら三課を残してください、存続させてください、もし駄目だったら私もビューティ関連事業部に行きます、小山や山木、秋山と一緒に、ですから最後に一度だけチャンスをください、お願いします、」
「君、美咲君、馬鹿かね君は、2課長の内示はもう取ってあるんだ、なにが悲しくてクズ三課の存続を願うんだね、君の人生になんの得もないことだよ、」
「いえ、大切なことなんです、大切なことなんです、何卒チャンスをください、」
「まったく困ったことだ、分かったよチャンスをやろう、三課の今期達成なんて不可能なことだからね、それが分かって言っているんだったらチャンスをやろう、ただ駄目だったら君の2課長の話しはなしだ、それでいいね、本当にビューティ関連事業部に行ってもらうことになるよ、いいんだね、」
「はい、かまいません、」
佐々木は美咲から未修正の人事考課表を受け取ると呆れたように部長席に戻って行った。
また雨が降り始めた、何もかも洗い流すようにただ降っている、