プロローグ
短編で投稿した能力者の連載バージョンです。手直ししてみました。
靴の底が化け物の巣窟、汚れきった大地を踏みしめ土を巻き上げる。体は只々前へ前へと進み、心臓が早鐘を鳴らす。息は切れるも知ったことじゃないと、まるで逃げるように走った。いや事実逃げているのだ。満天の星空の下、満月には早いやや欠けた月が架かっていた雲から顔を出した。月の光が夜の闇の中、大地を照らし出す。巨大な岩が乱雑に転がっていた。いや、岩ではない。測ったかのように真直ぐに切り取られた跡があちらこちらにあった。化け物に食い荒らされた、窓の金属部分やガラスの部分が無くなっており、基礎の鉄筋の後の穴も開いている。元は団地の様な密集した建物群だったのだろう。今は崩れて岩としか言い様が無いが。
そんな場所を大きめなジャンパーを着て、そのジャンパーに付いているフードを目深に被り、走り抜ける者がいた。身長が高く、身体つきが男性特有の筋肉質ながっしりした体形をしていることから男だろう。心底焦るように、何かから逃げるように走る男の顔は恐怖に染まっていた。
その男は乱雑に並んだ崩れた建物の間をすり抜けるように走っていた。いや、実際にすり抜けている。ではこの建物が偽物なのだろうか。いや、崩れて落ちた欠片は重さを伴って、地面を抉った。本物である。では男が幽霊か何かなのだろうか。いや、地面を踏めば、男の履いている靴の跡がつく。『任意の物質をすり抜ける。』それが、この男の能力だった。建物はすり抜けられても空を飛んでいる訳でも無い為地面を蹴って走らなければならないし、地面をすり抜けようにも、そんなことをすれば能力を食い物にする化け物にただ食われるだけだ。それでも、こんな障害物が多い場所では重宝する能力だった。
「…いぎっ…。」
逃げ切れる!そう思っていた男の足に突然、灼熱に焼かれる様な痛みが走る。足首の少し上に穴が空き、其処から真っ赤な血が流れ出す。走っていた勢いを殺せずゴロゴロと無様に転がり、建物にぶつかって止まった。地面に両手をつき、這って物陰に隠れる。壁に背を張り付け、懐から黒光りする物体を取り出した。一般的に拳銃と呼ばれるものだった。カタカタ震える両手で持ち、胸に抱きこむ。男がそっと壁から顔だけを出し、後方を覗く。その時、パシュッという音と共に何かが男の指ごと拳銃を弾き飛ばした。
「は、はぎっ…。」
恐怖で押し出された空気が咽を震わし、声にならない声を出す。その出した声にもならない声すら、音を立てるのが恐怖と、無理やり押し殺した。
「は、は、は…。」
声を無理やり押し殺しても、吐く息までは押し殺せない。心臓を酷使した代償に空気を求めて肺が激しく動く。それでも恐怖から逃れようと、足を動かす。しかし、片足だけで動こうとした為、転ぶ。何とか這い蹲るように、窓枠だったものの中に転がり込むように逃げる。
すぐそばからコツコツと、硬いものが踏みしめる音が聞こえた。男は窓枠正面の壁を背にズリズリと崩れ落ちた。逃げてきた窓枠の外を凝視する。コツコツと音が徐々に近づいてくる。恐怖に染まった頭では逃げる為の方法は思いつかない。
「…一撫で。たった一撫で、撫でてやる。無様に生きたいのなら耐えて見せろ。」
月がまた雲に隠れたのだろう。暗闇の中から、そう声がした。声がしたと思ったら、ヒュッと音がし次の瞬間、男の肉体は横に三等分されていた。
「げっ、げべ…。」
能力者故の高い生命力で、男は自分の胴体から頭が落ちるのを見る。頭は一回転して、窓枠の方を向いた。窓枠の外のその闇の中から、髪が腰ぐらいまである肩幅の広い男が出てきた。 男の顔は、いつの間にか雲から顔を出した月の光によって逆光となり見えない。
「…無事?ってあんたに聞くことでもないか。」
そう声が聞こえた。若い女の声だ。男の隣に、スタイルのいい女の影が映りこむ。手には、この時代軍事警察部の主流となっているM2230B4スナイパーライフルが握られている。少し先のまだ崩れていない四階建ての屋上部分からそれで狙い打ったようだ。
「蟲?」
女が唐突に尋ねる。だがそれは、疑問というより確認だった。《蟲》能力者じゃなくても、このナノマシンを飲むことで能力者となることができるもので、何処の誰が初めに作ったのかは謎に包まれており、またこの《蟲》は凶悪な性質を持っている。体内にて、一定の大きさまで成長し、その一定の大きさを超えると、脳内を食い荒らし元の人を意のままに操るというものだ。
「…ああ。」
男はギチギチと嫌悪感を催す様な八本足のサソリのようなものが、頭部の空洞になっている本来目の部分から抜け出してきたのを見下ろしながら、簡潔に答える。
「対能力者用の特殊金属弾じゃなかったらヤバかったわね。」
「…そうだな。」
男と女は世間話のように話をしながら三分割された男に近づく。左手を開き、人差し指と中指をピッタリくっつけ、死体に向かって振り下ろした。青い炎が何も無いところから噴出し、死体を焼いてゆく。腐った肉が焼ける匂いを無視し、死体が焼けるのを見ていた二人だったが、炎の中で《蟲》が蠢き、崩れていくのを見ると、また月の隠れた夜闇の中に消えていった。