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  作者: 紀ノ川
第5部 黒ニキビ男
36/37

黒ニキビ男(耳かき男外伝)

【序】


 男は父親から「お前は失敗作だ!」と言われました。

 男は母親から「お前の存在が迷惑だ!」と言われました。

 男は姉から「お前は怠け者だ!」と言われました。

 男は先生から「お前は学校に来なくていいぞ!」と言われました。

 男は幼稚園の頃の同園生から「お前は友達がいないのか?」と嘲笑されました。

 男は幼馴染の女の子から「貴方は過去に囚われている」と諭されました。


 失敗作・迷惑・怠け者・不要・孤独・後悔、

 それらの文字が男の額に書き記され、巨大な黒ニキビになりました。

 黒ニキビは押し出しても押し出しても、毛穴の奥深くから次から次へと吹き出してきます。

 男はいつしか黒ニキビ男と言われるようになりました。


 黒ニキビ男は職場の鬼軍曹から、

「お前は大仏か?!」

 と言われました。

 職場の鬼軍曹は鼻高々、

「俺は黒ニキビ男に「お前は大仏か?!」と言ってやったぞ!ほら見ろ、黒ニキビ男が泣いているぞ!」

 と職場のみんなの前で吹聴しました。


 黒ニキビ男は職場の上司から、

「君は犯罪にだけは手を染めるなよ!君のその顔は一目見たら忘れられない顔だぞ!」

 と言われました。

 職場の上司は増上慢、

「(どや?!今の一言はきつかったろ!今の一言はこたえたろ!)」

 と得意満面・意気揚々・自信満々でした。


 黒ニキビ男は、

「職場の鬼軍曹と上司は、小中高校で「道徳」の授業を受けなかったのだろうか?」

 と思いました。

 黒ニキビ男は道徳の授業で、

「人の容姿の悪口だけは言っては駄目です!」

 と教え込まれていたのでした。

 道徳の授業は所詮、現実社会では通用せぬ美辞麗句だったのでしょうか?


 黒ニキビ男は職場の窓際に座っている、定年退職間近の老兵に教えて貰いました。

 職場の鬼軍曹と上司は同期入社だったそうです。鬼軍曹は地元の高卒。上司は名門の大卒。

 職場の鬼軍曹と上司は同期の女性と、それぞれ付き合いはじめたそうです。

 鬼軍曹は背の高い短髪の女性と。

 上司は背の低い長髪の女性と。

 数年後、職場の鬼軍曹と上司は何を思ったか、女性を交換して結婚したそうです。


 定年退職間近の老兵は黒ニキビ男の入れた緑茶を美味そうに飲みながら話を続けました。


 女の股間を舐めるのが大の得意な職場の鬼軍曹と上司は4人で乱交パーティを繰り返し楽しんだ結果、

 穴の締まり具合が最高だからと、

 口の使い方が抜群に上手いからと、

 体の相性で判断し、女性を交換して結婚したそうです。


 定年退職間近の老兵は、

「まぁ、男は穴があったら入りたい生き物だからねぇ」

 と笑いながら冗談を言い、黒ニキビ男の入れた緑茶で盛大にむせ返っていました。

「ゲホッゲホッ、グヘッグヘッ!」


 職場の鬼軍曹は教官でありながら、毎年新入社員の女の子を妊娠・中絶させています。一体何を教えているのやら。

 職場の上司は子供を6人もうけながら、アラフォーのシングルマザーとお楽しみです。リストラのカードをチラつかせたか。


 定年退職間近の老兵は、

「緑茶をご馳走になったお礼にトップシークレットを教えてあげるよ。あのふたりは愛し合っているんだよ。衆道、今風に言えばBLなんだよ」


【破】


 黒ニキビ男は同期の月下美人子さんとチームを組み、仕事をする事になりました。

 月下美人子さんは同期の出世頭で、あの月下財閥の唯一人の跡取り娘です。

 月下美人子さんの座右の銘は「井の中の蛙大海を知らず」

 月下美人子さんは明るく元気に笑顔で、

「よろしくね!」

 黒ニキビ男は小さな声で、

「よろしく」


 その夜、月下美人子さんは醤油を2リットル飲み、豆腐の角に頭をぶつけて自殺しました。

 遺書には、

「黒ニキビ男とチームを組むのは絶対にイヤ!死んだ方がマシ!」


「娘を返して!美人子を生き返らせて!」

 お葬式で月下美人子のお母さんは、泣き叫びながら黒ニキビ男の腕を掴んで離しませんでした。

 月下美人子のお父さんと祖父は御屋敷の一番奥の部屋で、職場の上司と長い時間、話をしていました。


 翌日、職場の上司は、

「みなさん、よく聞いて下さい!黒ニキビ男が月下美人子さんを殺したのです!」

 と言いました。更に、

「検死の結果、月下美人子さんの額には小さな黒ニキビが出来ていたそうです!」

 職場のみんなが戦慄しその視線が黒ニキビ男に注がれました。

「え?!」

 一番ショックを受けたのは黒ニキビ男でした。


 黒ニキビ男は職場のみんなの前に真っ青な顔でふらふらと歩み出ると、震える小さな声で、

「どうも、すいません」

 と頭を下げました。

「聞こえないぞ!」

 と職場の鬼軍曹がニヤニヤ笑いながら怒鳴りました。

「どうも、すいませんでした!」

 黒ニキビ男は大声で叫びました。黒ニキビ男の足元に涙が零れ落ちました。

「それがお前の誠心誠意か?!謝れば済むと思っているのか?!」

 と職場の鬼軍曹が突然、真顔になって怒鳴りました。

「お前の誠心誠意を見せろ!」

 職場の鬼軍曹は黒ニキビ男に詰め寄ると大声で怒鳴り付けました。

 黒ニキビ男は土下座して、

「すいませんでした!すいません、すいませんでした……す、」

 と床に額をこすりつけながら、言葉にならない謝罪を繰り返しました。

「ペっ!」

 職場の鬼軍曹は土下座している黒ニキビ男につばを吐きかけました。


 醜貌は床にこすりつけられた額の黒ニキビ。

 それは見るも凄惨な奇形。


 黒ニキビ男は職場でいじめられました。

 黒ニキビ男の額のニキビはどんどん大きくなりました。

 それ故に黒ニキビ男は更に職場でいじめられ、精神病者扱いの末、解雇されました。勿論、退職金は無し、送別会も無し、「お疲れ様でした」の一言も無し。

 黒ニキビ男は潰されたのです。もう二度と芽は出ません。完膚無きまでに徹底的に潰されたのです。

 黒ニキビ男がもう二度と芽は出ない事を自覚したのは、残念ながらずっと後の事ですが……


 職場の鬼軍曹と上司は目配せしてニヤリと笑いました。

 職場の鬼軍曹と上司の手元には、一体どこからか金と女と権力が転がり込みました。

 穴兄弟は知らなかったのです。金と女と権力がどれほどの恐怖をもたらすかを。

 のちに鬼軍曹は女に狂い、妻子をあやめて、刑務所に収監されました。

 鬼軍曹は刑務所で叫びました。

「全部、黒ニキビ男が悪いんだ!」

 後に上司は権力に狂い、会社を倒産させて、路頭に迷いました。

 上司は路頭でつぶやきました。

「全て、黒ニキビ男が悪いんだ……」

 

 人を呪わば穴二つ。


【急】


 黒ニキビ男は実家から職場に通っていました。

 実家には年齢としの離れた姉の娘が預けられていました。

 姉の身に離婚騒動が持ち上がったので、姉は小学6年生になる娘を実家に預けたのです。

 姉の娘は祖父と祖母が大好きでした。勿論、祖父と祖母も孫を愚息・黒ニキビ男より愛していました。


 祖父と祖母は黒ニキビ男が精神病者扱いの末、職場を解雇され、これからどうするかという話を台所の大きなテーブルでしました。

 黒ニキビ男は職場の上司から退職金の代わりにと、病院の紹介所を握らされていました。

 それは脳神経外科でロボトミー手術を受ける為の紹介状でした。

 祖父と祖母が悲嘆の涙を流しながら話をするその場所は孫が宿題や読書をする場所でもありました。

 祖父と祖母は小学6年生の孫には大人の話はわからないだろうと思っていたのです。けれども孫は世界中の小学6年生の女の子がみんなそうであるように、人生の中で一番鋭敏な感受性を持ち合わせていました。孫は大好きな祖父と祖母を苦しめている叔父・黒ニキビ男を何とかしなければと思いました。


 ある真夜中、少女は電動ノコギリを手に黒ニキビ男の部屋に忍びこみました。

「(くさい!)」

 その部屋は例えるならニキビの詰まった強烈な臭いがしました。

 黒ニキビ男は万年床でぐっすりと眠っていました。

 枕元のCDラジオが小さな音で音楽を奏でていました。子守歌代わりにCDをリピート再生しているのでしょう。CDラジオが発している小さな青い光は孤独そのものでした。


 孫はいったん部屋を出ると清潔な空気を求めて大きく深呼吸しました。暗闇は空気を浄化しているかのようでした。

 孫は電動ノコギリをじっと見つめました。どれほどの時間が経ったでしょう。孫は意を決すると黒ニキビ男の部屋に飛び込みました。


 孫は部屋の電気を点け、電動ノコギリを作動させると大きく振りかぶりました!

 するとどうでしょう?

 切り刻むべき黒ニキビ男がいないのです。

 孫は慌てて部屋中を捜しました。

 布団の中。

 押入れの中。

 タンスの中。

 机の中。

 鞄の中。

 窓から逃げたのか?

 天井に張り付いているのか?

 秘密のドアが存在しているのか?

 黒ニキビ男は部屋のどこにも居ませんでした。


 黒ニキビ男の枕元のCDラジオからピンク・フロイドの「狂気」が鳴り響き、布団の中をいつの間にどこから現れたのかムカデが這いずり回っていました。

 孫はその時、自分が手にしている電動ノコギリの重量にはじめて気付きました。

 それはとても小学6年生の女の子に振り回せる軽物ではありませんでした。彼女の両手の平に血が滲んでいました。


 黒ニキビ男はある噂を信じて旅に出ました。

 その噂は、

「南には幸福の楽園がある」


 黒ニキビ男は長い旅の果てに、南へと辿り着きました。

 黒ニキビ男は南で美しい娘に出会いました。

 黒ニキビ男は美しい娘に、これ以上ないまで顔を近付けると、失敗作・迷惑・怠け者・不要・孤独・後悔・大仏・犯罪者・人殺し・精神病・ロボトミー手術と刻み込まれた額の巨大な黒ニキビを見せました。

 黒ニキビ男は美しい娘がビックリ仰天し、走って逃げ出すと思っていました。

 ところが美しい娘は顔を近づけても驚きません。それどころか黒ニキビ男が顔を近付けてくれた事を喜んでいるようでした。


 美しい娘は黒ニキビ男に一目惚れしていたのでした。

 美しい娘は黒ニキビ男を一目見て、子供の頃、死んだ父親に似ていると思ったのでした。

 美しい娘の父親はニキビ男と呼ばれていました。


 美しい娘は黒ニキビ男にもっと近付きたいと願っていたのです。

 美しい娘は黒ニキビ男とひとつに結ばれたいと願っていたのです。

 美しい娘は黒ニキビ男と家庭を築きたいと願っていたのです。


 黒ニキビ男は美しい娘の目と全身から、

「他者に受け入れてもらうとは、こういう事か」

 と感じました。


「ハクション!」


 くしゃみ男がそこに現れました。

 くしゃみ男は鼻毛をチョンと引っ張るだけでくしゃみが出るのでした。そして1日中、鼻毛をチョンと引っ張ってはくしゃみをしているのでした。


 くしゃみ男は、

「あんた、噂を信じてこの土地まで流れて来たんだってな?ハクション!」

 黒ニキビ男は、

「はい」

「あんた、噂は本当だったかい?ハクション!」

「はい」黒ニキビ男の隣には美しい娘が立っています。「噂は本当でした」黒ニキビ男は美しい娘と見つめ合いながら答えました。


「ハクション、ハクション、ハクション!」

 くしゃみ男がくしゃみを連発しました。

 それはくしゃみ男が、黒ニキビ男と美しい娘を祝福しているかのようでした。


 黒ニキビ男はこれまで歩んできた道を振り返ると、じっと物思いに耽りました。

 舗装されていないその道を、乾いた土埃が中空まで舞っていました。


(最終更新日 23年07月20日)

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