第4章 禁煙男の手記 その1
禁煙男の手記を入手しました。
今章と次章に分けて転載します。
一体何が禁煙男を狂気へと駆り立てたのでしょうか?
「禁煙男の手記」
私は高校生の時にレオス・カラックス監督の映画「汚れた血」を見て煙草に憧れを感じました。映画の中の登場人物達が実に美味そうに格好良く煙草を吸うのです。
私が煙草を吸いはじめたのは二十歳になり社会人になってからでした。
職場の先輩に憧れたからでした。
職場の先輩達の仲間入りをしたい!と必死の思いで1mgの煙草を吸う練習を繰り返していました。
それから20年間、40歳まで毎日30本以上の煙草を吸っていました。
また煙草を吸いはじめてからはZIPPOの収集が趣味でもありました。近年はインターネットでZIPPOを検索して購入するのが大きな楽しみでした。
酒を呑まない、ギャンブルもしない、風俗に通う金もない、そんな私にとって唯一つの楽しみが煙草でした。
その煙草を止めたら一体何の為に生きているのか?とさえ思っていました。
私は煙草を愛していました。
世界中のみんなが禁煙しても、私だけは煙草を吸い続けるだろうと確信していました。
私が禁煙しようと思ったきっかけは、ある朝、勢い良く寝起きの煙草を吸っていたら、一酸化炭素中毒をおこして苦しんだからでした。生命の危険を感じたからでした。
煙草の値上げもありました。潤沢なお金があれば買い占めも出来ますが、お金のない私には1カートンさえ買い占め出来ませんでした。そしてその値上げもこの20年間で何回行われたでしょう!
駅が全面禁煙になり、喫煙コーナーがなくなりました。もう街で喫煙出来る場所はコンビニの前しかありません。見知らぬ土地では喫煙場所をさがすのに必死です。
のんびり歩きながら煙草を吸う気持ち良さは格別でしたが、今では歩き煙草は世間から最も忌み嫌われています。
私は読書が好きです。それならひとつ禁煙の本も読んでみようじゃないか!上手くいけば禁煙に成功してお小遣いが貯まるかもしれない!と軽いノリで手にしたのが、書店の会計コーナーに平積みされていたアレン・カーの名著「禁煙セラピー」でした。
私はこの本を何度も何度も読みました。私の禁煙の知識は全てこの本から得たものです。
本を読んで「よし!禁煙しよう!」と禁煙をはじめたのですが、禁煙の苦しみは大きかったです。
タオルの端をチューチューと吸って我慢しても、最大で3時間しか禁煙出来ません。
私にとって禁煙は毎日布団の中で苦しさにのたうち回る日々でした。
特に寝起きと食後と読書に煙草は欠かせませんでした。
煙草を吸わないと集中力が切れて読書すら出来ないのです。
そして読書の後の煙草の美味さは格別でした。
読書に夢中になり、一息ついた所で、余韻に浸りながら一服する!
読書と喫煙がセットにプログラミングされていました。
私にとって、
「煙草を吸って読書という充実した時間を過ごすか?」
「煙草を吸わずに布団の中で苦しさにのたうち回るか?」
と選択を迫られる日々でした。
禁煙に失敗ばかりしている私には、人の助けが必要でした。
禁煙外来の医師と看護師と薬剤師の助けが必要でした。
診察と薬(チャンピックス)が必要でした。
私は2011年10月28日に禁煙外来に駆け込みました。
チャンピックスさえ服用していれば、煙草を吸っても構いませんでした。
これには私もホッと安堵しました。
いきなり禁煙の苦しさを味わなくても済むのです。
チャンピックスを服用していると不思議な事が起こりました。
煙草を吸いたいと思わないのです!
一日の終わりに「今日は5本しか吸っていない!」と驚く事がよくありました。
今までの私は一日に30本以上煙草を吸っていたのですから。
そして3時間禁煙するのでさえやっとでした。
チャンピックスの助けで順調に減煙に成功した私はある日、
「今日で完全に禁煙しよう!」
と決心しました。
大きな書店の漫画コーナーに貼られていた「万引きは犯罪です!」というポスターを見たのがきっかけでした。
私には喫煙は万引きと同じ反社会的な行為ではないかと思われたのです。
私には「万引きのスリルを味わいたい!」という誘惑を押さえ付ける強い力が必要でした。その強い力を応用する事が完全に禁煙する為に必要でした。
禁煙は3ヶ月目まで順調に進みました。
ところが4ヶ月目から煙草を吸いたいという強い欲求にひどく悩まされました。
4ヶ月目といえば、体からニコチンは完全に抜けています。禁煙外来への通院も終わっています。チャンピックスの服用も終わっています。だのに何故煙草を吸いたくなるのでしょうか?
私の愛読書のひとつにヘルマン・ヘッセの「車輪の下」があります。
主人公は過度の勉強が遠因で車輪の下敷きになってしまいます。
私はのんびりゆっくり生きてゆきたいと思っていました。煙草を一服しながら、のんびりゆっくり生きてゆきたいと思っていました。
ところが禁煙はこの私の生き方と矛盾するのです。相反するのです。
「禁煙なんか止めて煙草を一服しようぜ!禁煙なんかしたら車輪の下敷きになるだけだぜ!」
と過去の私がささやきます。
私はこの洗脳に悩まされました。
禁煙5ヶ月目のある日、心療内科の先生に「煙草を吸いたくて堪らない!」と訴えました。先生はいつもと同じように黙って深く私の話を聴くだけで、何のアドバイスも下さりませんでした。
心療内科からの帰り道、私は悲嘆に暮れていました。このままでは煙草を吸うのも時間の問題だと思われました。自嘲が私を襲いました。人間なるようにしかならない。また煙草を吸ってもそれが運命だと諦めるしかないと思われました。
ここでラッキーな事が起こりました。
朝日が差し込むようにある考えが私の頭に浮かんだのです。
私の洗脳は一瞬で解かれました。
私はのんびりゆっくり生きてゆきたいと思っていました。煙草を一服しながら、のんびりゆっくり生きてゆきたいと思っていました。
ちがったのです。
煙草を一服する行為は、のんびりゆっくり生きてゆく行為とは正反対だと気付いたのです。
煙草を一服する行為は、どんなに急いた忙しい行為か!
煙草は煙草を吸うから煙草が吸いたくなるのです。それがどんなに急いた忙しい行為か!
煙草を吸わない行為こそが、のんびりゆっくり生きてゆく行為だったのです。
私の洗脳は一瞬で解かれました。
私は生まれ変わった気持ちを味わいました。だからこそ私はこの駄文を書こうと思ったのです。
私はラッキーだったとしか言えません。
私は2011年11月19日から煙草を吸っていません。
禁煙しています。
現在2012年4月13日です。
禁煙してから、今まで眠っていたパワーが目覚めました!
禁煙してから、毎日明るく楽しく元気に生活しています!
禁煙は最高です!
煙草を吸うぐらいなら肺ガンで死んだ方がマシです!
・・・・・・と書き結びたいのですが・・・・・・
煙草を吸いたくて堪らない!と思う日がまだまだあります。
のどに違和感・異物感を感じ、気持ちをそらす為にポテトチップスばかり食べています。口の中は油でギトギトベタベタ!体重も大きく増えました。
私は母に「煙草を吸いたくて堪らない!」と訴えました。
もう老齢の母は「ここが勝負所や!」と私を一喝しました。
古今東西、親の説教ほど有り難いものはありません。
私は「ここが勝負所や!」と念仏を唱えるようになりました。
これから先どうなるかはわかりませんが、共に苦しむ者として、私の禁煙体験を書き記しました。
(つづく 最終更新日14年12月13日)




