第19話:魔術師と剣士
これがホントの1章ラストです(;´Д`A ```
目の前にふわふわと一通の手紙がやってきた。
手紙の封につけられた紋様からヴィクからのものである事が分かった。といっても、こんな風に手紙を飛ばしてくるのはこの国でヴィクしかいないのだけれども。
シュゼは以前ヴィクに尋ねたことがある。
『これ、他のやつにとられたらどうするんだ?』
誰かに見られて困るような内容をヴィクが安易に危険にさらすわけがないと分かっていても、魔法に疎いシュゼには、仕組みがわからなくとも安心できる言葉がほしかった。
『馬鹿言わないでください。僕の魔法は超一流ですよ?この国でこの手紙を無理やり見ることができるのは、ゼラさんくらいです』
欲しかった言葉ではあったが、人を小馬鹿にした態度に腹が立ったので子供みたいにやわらかい頬をつねってやった。仮にもシュゼは先輩なのだから。
それでも二年前、ここへやってきたときのヴィクと比べればそんな態度も喜べるくらいだ。
当時のヴィクはシュゼ達に、いや、全てのものにたいして心を閉ざしていた。
人を馬鹿にしたように笑う事だってできなかった。
唯一日課のようにこなすのは、その幼い容姿に不相応な魔法だけ。
一心に術を繰り出すその姿にシュゼは空寒さを覚えた事もあった。
それほどまでにヴィクの瞳は、本当に何も映していなかった。
いつまでたってもその手の中に自分を収めてくれないということを機敏にかんじとった手紙はシュゼの額に体当たりし始めた。
三度目でタイミングよく引っ剥がしたシュゼの手に、すでにぐしゃりとなった手紙がようやく収まった。
「ヴィク、から…?」
はぁ、はぁと激しく息切れしているゼラがふっと崩れ落ちそうになりながら尋ねる。
「あぁ、行こう」
短く返事をし、ゼラの体を支え、体重を自分のほうへとかけさせるようにした。
本当はおぶって行こうかと思ったが、プライドの高いゼラがそんな事を許してくれるはずがない。それに、現時点ではシュゼのほうが侍女のゼラより立場が上だが、あと二時間もすればころっと一転するのだ。
「大丈夫か?……」
ルノなんかに本気になるなよ。
そういおうとして口をつぐんだ。今、わざわざ怒らせるような事を言わない方がいい。
「まぁまぁだわ…。ただ、明日からしばらくは、無理、かもしれない、わ」
切れ切れに言葉を発するゼラの額には汗の滴がまた、ぽつぽつと浮き上がってきた。
レオールの力では足りないところがあるのだろう。そもそも今日のゼラはちょっとおかしかった。入り口の庭でキシャーラとはぐれたり、ルノに過敏になったり……こんなの……
「シュゼ?」
「え?あ、何?」
自分の中で固まっていた意識をゼラに戻す。
「キシャーラ様に変な事したら、許さないわよ」
「ばっ!んな事するか!」
「キスしておいてよく言えたものだわ」
「あれは、ちょっと…おもしろそうだと思って…つい」
「そうやって後先考えないから駄目なんですわ」
「人のことボロクソにしたのは――」
「キシャーラ様に害成す者は赦さないわ。だから、変な事はしないようにしてほしいわね」
「変な事って……まだ子供だろ」
「やだ、なに考えているの?副隊長様?」
「くっ…」
いたずらっぽくゼラが笑う。
依然、額には汗の滴が浮き出ているのに笑みはたやさない。
その笑みが、急に消えた。
「……殿下は信用できないわ」
「は?」
急に落とされた声のトーンに驚くと同時にゼラの言っている意味が理解できなかった。
レオールは、俺らが守るべき対象でもあるのに。
「キシャーラ様に嘘、ついていたわ」
ぽつり、とつぶやくように言ったのは自分でも理不尽な事を言っていると分かっているからだろうか。
「でも、それは……わかっているだろ?」
「……二年前の事に触れないため、だと思っているなら…多分違うと思うわ」
「…!?」
一体どういうことだ?
今、この瞬間までシュゼは今ゼラが言った言葉が答えだと思っていた。
「二年前の事を話したくなければ、あんな滅茶苦茶な説明…しなければいいのだもの…。何かあるわ…絶対…」
「何かって何だよ」
エメラルドの瞳はまっすぐ前を向いていた。
「…まだ、自分の言葉に自信がないわ。だから、これ以上は聞かないで」
いつもより低い声音が耳に届いたとき、また閉め出されたんだ、と分かった。
いつも、あと一歩で追いつけるってところで、道を塞ぐんだ。
レオもゼラも。
けど
ギリっと唇をかみしめ、口を開いた。
「あぁ…」
そう、こたえるしかないだろう?
息の荒いゼラをベッドに寝かせ、あとは第二部隊の隊員にまかせてきた。
一週間も安静にしていれば、ゼラの事だ、すぐによくなるだろう。
ヴィクからの手紙をゆっくり読むために訪れた騎士舎の談話室だったが、人が多かったので図書室に移動した。
国民にも開放されているこの図書館はとてつもなく大きい。
そして、『何時如何なる時も知識は求むる者に与えられん』という宣言のもとに始終開かれているこの図書館内では、もう夜も深いというのにそこそこの人影を目にすることができる。
そんな図書館内の誰もいないひっそりとした一角に腰を下ろしたシュゼは、ヴィクからの手紙を開けた。
二つ折にされた紙は―――白紙だった。
「遅いですよ」
背後から掛けられた声に振り返ることなくこたえる。
「これ、意味あるのか?差出人がこうやって来るなら意味無いだろ」
「そんな事ないですよ。相手が手紙を開けるのは相手が忙しくないときですから、絶対ゆっくりと話ができるじゃないですか」
トットッと軽い足取りでシュゼの真向かいに自分も座ったヴィクは得意げに笑みをもらした。
「で、なんだ今日は」
「キシャーラさんのことですよ」
「……」
「黙りこんだってだめですよ、ちゃんと答えてくださいね」
「…何が聞きたいんだ」
シュゼの瞳の奥を探るように見つめてくるヴィクに低くこたえた声で軽く牽制したつもりだったが、そんな事は気にしていない様子でヴィクは言葉を紡いだ。
「単刀直入に訊きますが……キシャーラさんって女性……ですよね?」
「なんでそう思うんだよ」
「今、シュゼさんが『なんで』と言ったから……女性ではないのなら、馬鹿か、とでも言えばいいのに」
「…………」
「答えないつもりですか。…別に鎌をかけたわけではないですよ。お昼にみた“気”から女性だって事はわかってるんです。今のは、一応の確認です」
「…魔法は、すごいな」
「正確には魔法ではないんですけどね」
魔法のセンスが皆無のシュゼにとっては、魔力も魔法も、気ですら未知のものであり、違いなんてさっぱりわからない。
そんなシュゼにでもわかる程度、つまりなんとなく、という事だがヴィクの機嫌が悪い気がする。
「…お前、なにがそんなに気に入らないんだよ」
「あ、わかります?だって僕、剣より魔法派ですし。気が合わなくてもおかしくはないですよね」
「そうじゃないだろ」
「そうですね、ゼラさんに何したんですか」
あっさりと認めるヴィクの声がつんけんしたものになっている。
きっと、どこかからゼラが倒れた事を聞きつけたのだろう。
「キシャーラさんが女性だろうと、それを皆さんで隠そうとしていようが、どうでもいいです。けど、それが原因でゼラさんを苦しめる事はしないでください」
喉の奥から絞り出すように話すヴィクはなんとも悲痛そうだった。
「本人が望んでやっている事なんだけどな」
「たとえ、そうだったとしても…止めさせてくださいよ」
「けど、ゼラは強いから…」
「大丈夫じゃないんです!!」
「!?」
「……すみません」
声を荒らげた事に対し、口先だけで謝られる。
いま、ヴィクの中にはゼラの事しかないのが感じられる。
「でも…大丈夫なんかじゃありません……ゼラさんは強いです。それは、ものすごく。けど、その強さは……あまりにも危うい。落ちてしまったらすぐに壊れてしまうガラスと同じです。一度壊れたら
……もう、元にはもどせないんですよ?」
ヴィクが、目で、声で、言葉で、全身でシュゼにすがってくる。
それは、シュゼがゼラの幼友達だからか。それとも―――
「僕には……できない…」
ここが夜の、周辺に自分たち以外に誰もいない図書館の一角でなかったならば、その掠れた小さな声はシュゼの耳にはいらなかっただろう。
けど、聞こえてしまった。
「俺にとってゼラは、大切な人だ。それはお前とは違う理由だと思うが、大切な人だという事には変わりない。けど……ゼラを止める事は出来ない」
「どうしてですか。キシャーラさんのためですか?」
「違う」
「じゃあ、なぜ!?」
ヴィクが荒々しくなる声を必死に抑えているのが手に取るようにわかる。そして、シュゼがこれ以上拒むのならば…と考えているのもわかる。魔法ならともかく、こういう意味での気ならシュゼにだって感じる事ができる。
「…似てるんだ…キシャーラが」
「誰に、ですか?」
「リル」
「リル?」
「ゼラの…双子の妹だ」
「ゼラさんに…妹…さんが……?」
「知らなかったのか」
「はい……聞いた事もありません」
目に見えてヴィクがオロオロとし始める。
身内の死は心を深くえぐるという事をヴィクも知っている。
「そうか。二年前亡くなった。お前がここに来る少し前だ。…………ゼラは、お前と出会った頃のゼラは、もう壊れていた」
「…………」
そう。ヴィクの言う「壊れている」という考え方をするのならば、ゼラは既に壊れている。そんな事、とっくに知っている。
「でも、でもゼラさんは――…」
「なんだ?」
「……いえ、すみませんでした。」
何かを自分の中で納得したのだろう。いや、しぶしぶといった感じだが。
でも、そっちの方がいい。俺は、ゼラに何もできないから、ヴィクみたいな奴が何かしようとしてくれた方が、ゼラにとってはいいのかもしれない。
「けどさぁ…」
何かを思案している様子のヴィクに声をかける。
「はい?」
「キシャーラを引き合いに出されたら正直困るんだけど」
キシャーラが女だという事をゼラとの事にだされるのはあんまりにもひどい。なんてったって、キシャーラの面倒をみろと言ったのはレオなのだから。それを無視して、ゼラにキシャーラの世話をやめろなんてシュゼが言えるわけがないのだ。
「してませんよ?」
「えっ!?だってさっき、キシャーラのためかって訊いてきたし、お前、キシャーラの事嫌いだろ?」
「僕がいつそんな事言いました!?嫌いだなんてそんな事絶対に言ってませんよ!!」
「ゼラの事とられて嫉妬してるんじゃないのかよ。今だって、その事で呼び出したんだろ?」
「違いますよ!だって、キシャーラさん女性だし…男装してるのゼラさんも知ってるみたいですし…あれ?……っ!…ま、まさか、キシャーラさんが男装してるのって、そういう人っ……」
「絶対に違うから安心しろ」
くだらない心配に、さっきまでのピリピリとした空気はどこへいったのか不思議に思えてくる。
「ならいいですけど……僕が訊きたかったのは、さっきの事となんでゼラさんが倒れたのか気になったんですよ!」
「あぁ、それ……ん?」
「どうかしましたか?」
どうかしたかもなにも、まさか…ヴィク…
「なぁ…お前の手紙が俺のところに来たのって確かゼラが倒れてからそんなに経ってないよな?」
「そうでしょうね」
「…そうでしょうねって……誰から聞いたんだよ」
じろっと睨んだ先でヴィクが笑ってごまかしているのが見える。
「おい、変態。魔法の使い方間違ってないか?」
「へ、変態ってなんですか!?ひどいですよ!別にいつもゼラさんの様子を見てるわけじゃないですから!!」
「見てんのかよ!!」
「だから、見てませんってば!」
どっからどう見ても、これは黒だろう。
後で、ゼラに注意しておこう。
「……なんでこの国の騎士団の上層部は、団長といい、変な奴が多いんだよ」
「言っときますけど、シュゼさんも十分面倒な性格してますからね」
「それは…ありがたいことだな」
頬がひきつっているのを感じつつそう述べた。
「で、結局ゼラさんが倒れたのは何が原因なんですか?」
変態呼ばわりしたのが気に入らないのかムスッとした表情のままヴィクがぶつぶつと言った。
「ルノが来たんだよ」
「あの人が?珍しいですね、最近来てなかったのに。前に来た時は…確か、人手が足りないとか言ってませんでしたか?」
「それだよ。それにキシャーラをひっぱっていこうとして」
――恥ずかしい間違いをした――という事は黙っておこう。
「そういえば、ゼラさんあの人の事苦手ですよね。よく知らないんですけど」
「苦手というか、大嫌いだろ」
「まぁ、なら納得できます。無愛想なあの人の事だから、説明もなしに連れて行こうとしたんでしょうね」
「するどいな。レオが許可したらしいけど、俺もゼラも知らなかったから大変な事になった」
「でもそれって、キシャーラさん本人も知らなかったんじゃないですか?」
「みたいだな、驚いてたし。きっと今頃レオが弁解してるんじゃないか?また、適当な事言って」
「本当、適当ですよね最近。いくら王子でも、信用なくしちゃいますよね」
ははっとヴィクが冗談めかして笑う。
「……信用?」
なんだろう。何かがひっかかる。確か――そうだ、ゼラだ。ゼラもそんな事いっていた。
継承第一位の王子が信用をなくすような行為をするなんてレオらしくないだろ、とはさっきちらっと思った事だ。
「あ、そういえば、キシャーラさんの事僕に話しちゃってもいいんですか?」
「え?…あ、あぁ。ヴィクだし、もうバレてるんだ。今さらいったって遅いだろ。……団長も気づいてるよな」
「いえ、まだ気がついてないと思いますよ。僕だって‘気’をみたからわかっただけで、団長もシュゼさんと同じで……魔法センス無いというかマイナスですから。怪我したときの治療とか全然効かなくて困りますよ。」
『シュゼさんと同じで』のところでこれみよがしにため息をつくなんて性格の悪さがでていると思う。
「魔法より剣の方がかっこいいだろうが」
「かっこよさなんて知りません。それより、団長に教えた方がいいですか?」
「いや、いいよ。必要ならレオが言うだろうし、女だと言ったらめんどくさそうだ」
「まぁ、それはそうですけど……あと、その……キシャーラさん、次いつ騎士団来ます?」
「なんで?」
「ちょっと…キシャーラさんの体が気になって……第二部隊で検査したいなー…って」
「それは、つまり…キシャーラの事をお前が調べるってそういう……だ、ダメだろ!!」
背が小さいのをいい事に上目遣いに小首をかしげてくる。
こういうのがキシャーラや城の侍女たちは好きなのかもしれないけど、この良さが男の俺にはわからない。それよりも、こいつは何を言ってるんだ!?
「機械を使うし、痛くしませんから」
「痛いとか、そういうんじゃ…」
「キシャーラさん、明日予定でもあるんですか?」
「ない…と思うけど…」
「じゃあ、連れてきてくださいよ!キシャーラさんを置いていくのが心配ならシュゼさんも残って一緒に手伝ってくれればいいじゃないですか。僕、こういうの実ははじめてで…」
「け、経験なんて関係ないだろ!というより、なんで俺が……」
「いいじゃないですか!ちょっと魔力量とかを調べるだけなんですよ!?」
「ま、魔力量?」
「はい」
「…………」
「シュゼさん?」
「……それだけなら…」
「それだけって、キシャーラさんの保護者じゃないんですから」
はぁ?というような目でシュゼを見ながらヴィクが言う。
「……もういい、子供と話すのは疲れる。寝る!」
噛み合っていなかった会話で今日の分の疲れがどっと肩にのしかかってきた。
思えば今日はなんとも忙しい日だったのだから。
「ちょ!?シュゼさん!?明日、明日の朝でいいですから絶対にキシャーラさんを連れてきてくださいよ!?」
さっきよりも人の少なくなった図書館の二人しかいない一角で、そんな大きな声をださなくてもいいのに、既に席を立って出口に向かい始めたシュゼの背中にヴィクがそう言い放つ。
それを受けてシュゼも背を向けたままこたえる。
「一週間の内には行くかもな」
そんな…というヴィクの声を後ろに聞いてからシュゼはひっそりと口に出した。
――変な誤解させるな、阿呆――