星と灰
リオニア国首都クースから北方_____。
雪に囲まれた大地にわたしは立ちすくんでいる。
何時間この場にいたのだろう、冷たい冷気に晒され肌は、冷え切り青ざめている。
家に帰りたいと泣き喚いたのも最初だけ、今ではこの場から逃げられないとでもいうように周囲にそびえ立つ真っ白な雪山をただ茫然と眺めるのが日課になってしまった。
「まこと、寒くないの?」
後ろから声をかけられて頬に何か暖かいものが触れる。振り向くと青年がにこりと嬉しそうに微笑んでいた。彼の手が頬に触れていたのだと頭がやっと働き認識する。
「ずっと見てたろ、イクタ。寒い、もっと早く声かけてくれー」
ぶわりと涙が零れ落ちる。何故か、わたしの体は彼に声をかけてもらわなければ動かない。
学校の帰り道。すべって転んであら不思議、気が付いたら異世界に来てしまっていた。
寒いのが苦手だからって、見知らぬ辺境に来てしまったからってこの世界に来て早一年。
帰る方法を探したり・・・そろそろ、何か始めなければいけない気がする。
リオニアでは珍しく一年ずっと雪に閉ざされており作物があまり育たないこの土地で細々と暮らす青年イクタにわたしは助けられた。
「うー、温まる」
わたしは、身体をさすりながら獣のように唸った。赤々と燃える煉瓦造りの暖炉には、翼獅子の紋章。ふと考えるイクタは家族がいないんだろうか。
麓に降りれば住みやすい町があるだろうに。何故一人でこんな場所に?
辺りは暗くなってきている。夜になると彼は外へ出かける準備をする。厚手の服とマントを羽織り、大きな長めの筒と皮のバッグ。いつもどこへ行くんだろう?
彼を目で追い、わたしは唖然とした。今まで一緒に住んできて恩人である彼のことをわたしは何も知らないのだ。
いくら、異世界に来てショックだったとはいえそれはないだろう。わたしは、慌てて立ち上がった。勢いがあり過ぎて椅子が大きな音をたて倒れた。
ぱちりと暖炉の火が爆ぜ、イクタが驚いて鳶色の瞳が大きく見開かれる。
「あー・・・・・イクタ、どこいくの?」
言いたいことはそんなことではないのに。とにかく、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちを表したかったのに言葉が出ない。
わたしの問いにイクタがゆっくりと考え込むように手に顎を乗せた。
「知りたい?」
「しりた・・・・い」
夜の雪山は、風はないが気温は昼間よりずっと下がっていた。イクタより着込んできたはずだが外にでた瞬間、歯ががちがちとなりっぱなしだ。しかも、夜で辺りは何も見えない。ランプの微かな光と、どこかから伸びるロープだけが私たちの便りだ。
恐怖と寒さで怯えるわたしにイクタは手を握って引いてくれた。
「大丈夫、行こう。まこと___勇気をだして」
イクタの声がなければわたしの体は動かない。彼の声は不思議だ。魔法の力が宿っているんだろうか。
険しい雪道をわたしたちは登って行った。挫けそうになったが、歩きながらいろんなことをわたしは考えていた。苦しかったが、いつものように弱音を吐かなかった。
「着いたよ、まこと」
どうやら、山の頂上まで来たようだ。彼は、嬉しそうに笑うと荷を解き始めた。
「あ・・・・・」
空を見上げると何億もの星々が煌めいていた。
赤、青、黄色___色とりどりの不思議な星々。もちろん、月はない____だって、ここは異世界だから。
「すっごい・・・・きれー」
口をぽっかりと開け驚いていたわたしは、イクタがこちらを見ていることに気が付いた。慌てて口を閉じるわたしに彼は、優しく目を細める。
感動に震えて早くなった心臓が何故かもっと早くなった。身体も急に暖かくなる。
彼が背負っていたのは望遠鏡。彼は、夜中ここに来て星を見ていたんだ。
「僕の師がここで見た星の話をしてくれて、見てみたいと思った。親はもちろん反対したし、僕だって考えたけど駄目だった・・・師が亡くなった後この星を見る装置と山小屋を貰って、気が付いたらここにいた」
彼のことを聞くのは初めてだった。わたしたちは、いろんなことを話した。
「イクタ、わたしね。山を降りようと思うんだ」
ふと、会話が途切れた時わたしは考えていたことを伝えた。
わたしは、まだたくさん話したかったのに__彼は急に話さなくなると黙って星空を見上げていた。
イクタ、わたしはあなたの声がないと動けないんだよ。
何も答えない彼に涙が出そうになり___わたしは、動かない体を無理やり動かし一人で歩きだしその場を離れた。
いつまでも甘えてちゃ駄目だ、彼に散々迷惑をかけてきたじゃないか。いつの間にか息は絶え絶えになり胸が苦しくなる。身体が石のように重くなる。
ふと見ると小屋の傍に誰かが立っていた。
男のようだ。暗闇の中で持つ炎が男を、映し出し鎧を纏っていることだけはわかった。
「や_めて!」
わたしは、走った。だって、男は小屋に炎を投げ込んだから。
なんてことだ、小屋が燃えていく______男が、わたしを見て何か言っている。
この山小屋は、イクタの宝物なのに。頭の中が完全に止まってしまっていたわたしの頬に何か強い衝撃が訪れた。男が、わたしの頬を殴ったのだ。
「______娘、答えろ。お前は何者だ?」
男がわたしに問う___でも、わたしは答えられなかった。目を開けていたいのに開けていられない。暗闇の中に落ちる瞬間____わたしは彼の声を聞いた気がした。
「お前は何者だ?」
漆黒の髪、瞳。
王子を魅了した師と同じ一族の者。
男は騎士だった。彼も師の一人であり、イクタを幼い時から指導し教えてきた。
異世界人の男のせいでイクタは、自分の身分を忘れ王宮から消えた。
王が心配なさっておいでだ。帰ってきてほしいと男はイクタに懇願する。
目覚めた時、小屋は灰になっていた。
泣きじゃくるわたしにイクタは、先生はまことと同じ異世界人だよと話してくれた。伝承によると何人もの異世界人がこの世界に来ているそうだ。でも、彼らが故郷に帰れたとはどの伝承にはないのだという。
あなたの声が__違う・・・・あなたがいないとダメなんだ。
小屋が燃えた日、わたしははっきりと彼にそう告げた。
夜は明け、空は白み始めていて、イクタの銀色の髪がきらきらと雪のように輝いている。
彼は、また優しく目を細めるだけで・・・・答えのないイクタにわたしは目を伏せた。
わたしたちは、山を降りた。
びっくりする話だけど、異世界人はこの世界で待遇がいいらしい。
なんと王宮で暮らすことが出来、イクタから離れずに済んだ。ひとまずわたしはこの世界のことを勉強することにした。
彼とはまた星を見る約束をした。
後に小屋を燃やした男__騎士クハルが、わたしをさらに怖い顔で睨みつけ初めて王宮に住みにくくなるのはのちの話である。