ハロウィンの夜に「真実の愛」を叫んだ愚息が追放されたので、悪役令息が国を救って次期国王になりました
王都の夜空に、紫色の魔導花火が咲いた。
石畳の広場には、無数のジャック・オー・ランタンが並んでいる。貴族も平民も仮装を楽しみ、秋の実りを祝うはずのハロウィン大夜会。けれど今夜、広場を埋め尽くした人々の顔に笑みはなかった。
凶作が続き、物価は上がり、税は重くなるばかり。王都の壁には「パンを寄越せ」と書かれた落書きが絶えず、軍や憲兵隊の中にも不満が広がっている。広場に漂うのは祝祭の熱気ではなく、火花ひとつで爆ぜかねない緊張だった。
人々がここへ来たのは、王宮が配る酒と菓子を口にするため。そして、せめて今夜だけでも、飢えを忘れるためだった。
そのとき、大階段の上のバルコニーで、黄金の獅子の仮面を投げ捨てた男が魔導拡声器に顔を寄せた。
第一王子、カイルである。
「皆の者、聞くがいい! 俺はこの偽りの夜を終わらせる! 公爵令息ジュリアン・ロシュフォール! 冷酷非道で、民の心も解さぬ貴様との婚約を、今この場で破棄する!」
広場から歓声は上がらなかった。誰もが口を閉ざし、次の言葉を待っている。
カイルの腕には、妖精の仮装をした男爵令嬢マリアが寄り添っていた。彼女は怯えたように肩をすくめ、カイルの胸元へ身を寄せる。
「俺はようやく見つけたのだ! 身分にも政治にも縛られず、ただ一人の人間として心を通わせ合える相手を! このマリアこそ、俺の『真実の愛』だ!」
広場の最前列で、石工の男が手にしていたカボチャの焼き菓子を握り潰した。
「……は?」
隣にいた老婆が、耳を疑うように呟く。
「今、あの王子……なんつった?」
人々の間に広がったのは、恋物語への感動ではない。腹の底から煮えたぎる怒りだった。
明日のパンさえあるか分からない者たちの前で、王子は浮気を「真実の愛」と言い換え、国を揺るがす婚約を一方的に破棄しようとしている。しかも、王都が飢えに苦しむこの夜に。
「ふざけるな! その金ピカの服は誰の税金で作ったんだ!」
「真実の愛だと? こっちは真実の飢えで死にそうなんだよ!」
「パンを寄越せ! 城を開けろ!」
怒号が広場を揺らした。衛兵たちは青ざめて槍を構えるが、民衆の勢いは止まりそうにない。誰かが一人でも石を投げれば、暴動が始まる。
大階段の中ほどで、黒鴉の仮面を外した青年がいた。
ジュリアン・ロシュフォール公爵令息。社交界では「冷酷無比な悪役令息」と呼ばれ、誰からも恐れられている男である。
漆黒の髪に、氷のように澄んだ青い瞳。彼はカイルを見ようともせず、玉座の国王へ深く礼をした。
王の顔は、怒りと羞恥で青黒く染まっていた。
「控えよ、カイル!」
国王の怒号が魔導拡声器を通じ、広場の隅々に響き渡る。
「国王陛下!」カイルは胸を張った。「我が愛は天に誓って真実です! いかなる処罰も受ける覚悟でおります!」
「処罰を受ける覚悟だと? 貴様は、この国がどれほど追い詰められているかも分からぬのか! 民が何に怒っているのかも見えておらぬのか!」
国王は立ち上がり、カイルとマリアを指さした。
「カイル、そしてマリア。二人の身分と特権を剥奪する。真実の愛とやらを証明したいのなら、北の流刑地『嘆きの谷』へ行くがよい。草木も凍てつく地で、二人きりの暮らしを生涯続けてみせよ。今すぐ城から連れ出せ!」
「父上、なぜですか……? 俺の愛を祝福してくださらないのですか?」
近衛兵たちがカイルを取り押さえ、金糸の刺繍が施されたマントを剥ぎ取る。マリアは「こんなの聞いていませんわ!」と悲鳴を上げたが、二人はそのまま裏門へと連れていかれた。
王子の追放に、群衆は一瞬だけ静まった。
だが、飢えは消えていない。今日のパンはどこにあるのか。この冬をどう越せばいいのか。王子一人を追放したところで、現実は何も変わらない。
そのとき、ジュリアンが一歩前へ出た。
人々は身構えた。貴族の傲慢さの象徴と見なされていた彼が、怒り狂う民衆を嘲笑うのではないか。あるいは、衛兵に命じて押さえつけるのではないか。
しかしジュリアンは、広場へ向かって深く頭を下げた。
「王都に暮らす皆様。愚かな茶番で、皆様の大切な夜を汚したことを、国政を預かる公爵家の一員としてお詫び申し上げます」
貴族が平民に頭を下げる。広場に、戸惑いが走った。
「謝罪で腹が膨れるか!」群衆の一人が叫ぶ。「俺たちはパンが欲しいんだ!」
「仰る通りです」
ジュリアンは顔を上げた。その瞳にあったのは、傲慢さでも、怯えでもない。
「私は財務卿代理として、長く王国の財政を預かってきました。予算を切り詰め、不正を追及したことで、冷酷な悪役と呼ばれてきました。ですが、国庫を食い物にする者たちを放置すれば、この国は立ちゆかなくなる。私はその証拠を集め、陛下の裁可を得て、今夜の事態に備えてきました」
ジュリアンは懐から、王家の印章と財務府の割印が押された書類を取り出した。
「王太子の廃嫡により、緊急執政令の発令要件は満たされました。憲兵隊は、食糧を売り惜しみ、王子の後ろ盾となって私腹を肥やしていた貴族たちの屋敷をすでに包囲しています。陛下の命令が下り次第、捜査と財産の差し押さえを始めます」
国王が短く頷いた。
「命令を下す。直ちに実行せよ」
ジュリアンは書類を掲げ、広場に告げた。
「我がロシュフォール公爵家が備蓄してきた穀物三万石を、今夜より開放します。差し押さえた金貨と物資は、王都の人々への冬越し支援に充てます。まずは今夜、王宮の厨房を広場へ開きましょう。大鍋を運び、備蓄の肉と野菜で温かなスープを作ってください。パンも酒も、今夜の宴の費用も、すべて我が家が負担します!」
静寂が訪れた。
「穀物三万石……?」
「本当に、俺たちに配ってくれるのか?」
「冬越しの支援まで……?」
ジュリアンは、ランタンの明かりを背にして声を張った。
「今夜はハロウィンです。悪霊を払い、実りを分かち合う夜です。苦しむ人々を見捨てるための祝祭ではありません。今夜の食事を、どうか皆で囲んでください!」
誰かが歓声を上げた。
それを合図にしたように、広場が揺れた。
「うおおおおっ!」
「ジュリアン様!」
「パンを持ってこい! 大鍋を運べ!」
怒りと殺気に満ちていた人々の声が、歓喜へと変わっていく。王宮の厨房から大鍋が運び出され、広場のあちこちで火が起こる。憲兵隊は差し押さえに向かい、騎士たちは穀物庫を開けるために走り出した。
火薬庫のようだった広場は、湯気と笑い声に包まれていった。
国王は階段を下り、ジュリアンの前に立った。
「財政再建も、不正貴族の調査も、ここまで進めていたとはな。お前には重い役目を負わせた。これまで泥をかぶらせてきたこと、詫びよう」
「恐れ入ります。私はただ、この国と、ここで暮らす人々を守りたかったのです」
国王はジュリアンの肩に手を置いた。
「王太子の廃嫡により、王位継承の道筋は改めて定めねばならぬ。だが、王家の血を引くロシュフォール家には、継承権がある。何より今、民はお前を求めている。ジュリアンよ、余の養子となり、この国の次の王として立ってくれぬか」
広場から「ジュリアン様、万歳!」の声が上がる。
ジュリアンはしばらくその声を聞き、やがて胸に手を当てて跪いた。
「畏まりました。この命、国と民のために捧げます」
その頃、北へ向かう護送馬車の中では、吹きつける雪風が窓の隙間から入り込んでいた。
元王子カイルは震える腕でマリアの肩を抱く。
「だ、大丈夫だ、マリア……。俺たちの真実の愛があれば、どんな試練も乗り越えられる……」
「……カイル様」
「なんだい、愛しい人?」
「お腹が空きました。温かいスープはいつ届くんですか?」
カイルは答えられなかった。
「それに、愛だけじゃお腹は膨れません。宝石のドレスも、暖炉のある部屋もないなんて……。こんな暮らし、聞いていませんわ!」
凍てつく闇に、マリアの声が響く。
「え……? 真実の愛は……?」
馬車の車輪が軋み、二人を乗せた馬車は、二度と戻れぬ荒野の闇へと消えていった。




