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パラノイア① 市民ケビン

※クリアランスR以上の市民のみ閲覧が許可されています。

「市民、幸福ですか? 幸福は義務ですよ」


赤く塗られた無機質な壁に、その標語が不気味に踊る。地下シェルター都市『アルファコンプレックス』。ここは偉大なるコンピューターによって管理された、人類最後のユートピアだ。


「……はい、コンピューター。私は、最高に、幸福です」

ケビン-Rレッド-BDY-1は、痙攣する広角を無理やり引き上げ、監視カメラに向かって歯を見せた。声がわずかに震えたのは、つい30秒ほど前に「反逆者」として処刑された友人の肉片が、まだ自分の靴の裏にこびり付いているからかもしれない。


ピンポンパンポーン。

不愉快なチャイムが鳴る。


「市民ケビン-R、幸福そうですね。よろしい。あなたのその忠誠心を見込んで、重要な任務ミッションを与えます」


背筋に冷たいものが走った。この都市において、コンピューターからの「期待」は、ほぼ確実に死を意味する。


「ブリーフィング・ルームへ向かいなさい。あ、言い忘れました。今回のチームには、コミー(共産主義者)とミュータントが紛れ込んでいるという未確認情報があります。見つけ次第、ただちに処刑しなさい。……もちろん、あなたがそれではない、と信じていますよ?」


「もちろんです、コンピューター!」

ケビンは叫んだ。自分の右ポケットには、触れるだけで周囲の温度を凍結させる「氷結」のミュータントパワーが疼いている。そして左の靴底には、秘密結社から渡された「コンピューターのメインフレームを物理的に破壊するための小型爆弾」が隠されていた。

彼は深呼吸をして、赤い制服を整えた。

「さあ、楽しい任務の時間だ」

レーザー銃の安全装置を外し、ブリーフィングルームへ足を運ぶ。


—————

ブリーフィング・ルームに集まったのは、色とりどりの絶望だった。ケビン-Rの目の前には、さらに3人の「幸福な」市民が並んでいる。


常に不自然なほどメモを取り続けている内務監査局の犬、サキ-R。


明らかに「実験用」と書かれた巨大な試作型キャノンを背負わされているボブ-R。


なぜかずっと虚空を見つめてニヤけている、薬物(ハッピー錠)中毒気味のリボン-R。


「諸君、今回の任務はシンプルだ」

壁のスクリーンに映し出されたコンピューターの眼光が、彼らを射抜く。

「セクターG-8にある『完璧に安全な扉』を開け、中の様子を報告せよ。ちなみに、その扉には『開けたら即処刑』という旧時代の落書きがあるようだが……もちろん、コンピューターがそんな非論理的な設計をするはずがない。落書きは反逆者のデマだ。いいね?」


「「「「もちろんです、コンピューター!」」」」

全員の唱和が響く。ケビンは確信した。この中の誰かが、自分を後ろから撃つ。あるいは、扉を開けた瞬間に全員が分子レベルで分解される。

道中、サキ-Rがケビンに歩み寄ってきた。

「ねえ、ケビン。さっき君のポケット、青白く光ってなかった? ――まるで、ミュータントが能力を抑え込んでいる時みたいに」

心臓が跳ねた。氷結のパワーが指先を冷やす。

「まさか、サキ。それは照明の反射だ。それより、君こそさっきからメモを取りすぎじゃないか? 秘密結社の通信記録を付けているようにも見えるが……」

「あら、これはコンピューターへの愛の詩よ。……さあ、着いたわ」

目の前には、重厚なチタン合金製の扉。そこには確かに、赤いスプレーで『開けるな。死ぬぞ』と書き殴られている。


「ボブ、君のその巨大なキャノンでこじ開けてくれないか?」

「えっ、これは『不安定な反物質ビーム』だって説明書に……」

「コンピューターの備品を『不安定』だと疑うのか? 反逆者め」

「わ、わかったよ! 撃てばいいんだろ!」

ボブが引き金を引こうとしたその瞬間、ケビンの脳内に秘密結社からの通信が入った。


『ケビン。その扉の向こうには、コンピューターが隠蔽している「青空」の写真がある。それを回収し、扉を閉めた後、他のメンバーを全員始末しろ』

「幸福」が加速する。第2ラウンドの始まりだ。

「了解した。市民ボブ。その勇気ある献身をコンピューターも見ておいでだ!」

ケビンは励ましの言葉をかけながら、さりげなくボブの背後、サキ-Rからも死角になる位置へと滑り込んだ。右ポケットの中の「氷結」のパワーが、ケビンの神経を凍てつくような冷徹さで研ぎ澄ませていく。

「カウント、いくぞ……三、二、一、ハッピーッ!!」

ボブが叫び、引き金を引き絞った。

次の瞬間、反物質キャノンの砲口から「バシュッ」という情けない放電音と共に、粘着性の強い蛍光ピンク色の液体が勢いよく噴射された。

「……えっ?」


扉は開かない。代わりに、ボブの全身がピンク色のネバネバした「超高粘度拘束フォーム」に包まれ、彼は床に張り付けられた巨大な綿菓子のようになった。試作兵器の不具合。よくあることだ。

「ボブ! 装備のメンテナンス不足か、あるいは意図的なサボタージュだな!」

サキ-Rが即座に記録端末(PDC)を叩く。だが、ケビンはそれを見逃さなかった。サキが端末を操作する際、袖口からチラリと覗いた「黄色い(イエロー)」階級の違法な暗号表を。

「サキ、その袖の中にあるのは何だ?」

ケビンの声が冷たく響く。

「な、何でもないわ! これはただの……」


その時、衝撃で半壊した扉の隙間から、一筋の「眩しすぎる光」が漏れ出した。アルファコンプレックスの不自然なLED照明ではない。網膜を灼くような、強烈で、それでいてどこか吸い込まれそうな白。

「あ、ああ……綺麗……」

薬物でトランス状態にあったリボン-Rが、フラフラと扉の隙間に手をかける。

ケビンの脳内で秘密結社の通信が怒号に変わる。

『今だ、ケビン! 扉を開け、写真を回収しろ! サキは暗号表を盾に処刑しろ! ボブは放置で構わん!』


だが、コンピューターの監視カメラもまた、

その「光」を検知して不気味な赤色に点滅を始めた。

「警告。未確認の高エネルギー反応を検知。市民諸君、ただちにその扉を溶接して封印しなさい。さもなくば、君たちのクローン・スペアは全て『初期不良』として廃棄処分デリートされます」


コンピューターの合成音声が、普段の朗らかさを捨てて、氷のような冷徹さで通路に響き渡る。天井の赤いパトライトが狂ったように回転し、ケビンの視界を交互に真っ赤に、そして死の色である影に染め上げた。

ケビンは、ピンク色の粘液に塗れてもがくボブを見下ろした。ボブの顔面は拘束フォームに覆われ、窒息寸前の金魚のように口をパクパクとさせている。その横で、内務監査局のサキが震える手でPDCを操作し、ケビンの失態――あるいは「反逆の証拠」をアップロードしようと必死になっていた。


「サキ……君の袖口にあるその黄色い暗号表。それは、私たちが知るはずのない『イエロー・クリアランス』の機密情報だ。違うか?」

ケビンの右ポケットから、パキパキという不気味な凍結音が漏れ出す。彼の周囲だけ、空気中の水分が結晶化し、きらきらとダイヤモンドダストのように舞った。

「ち、違うわ、ケビン! これは拾ったのよ! それより、そのポケット……あなた、ミュータントね!? コンピューター! 市民ケビンが異常な――」


「幸福は、知識を求めないことにある。」


ケビンがサキの言葉を遮り、右手を差し向けた。

次の瞬間、彼の掌から絶対零度の衝撃波が放たれる。サキの叫び声は、喉の奥で氷の塊へと変わった。彼女の全身が、驚愕の表情を浮かべたまま、一瞬にして青白い氷像へと変貌する。手にした端末ごと、彼女は「沈黙」した。


「ああ……あああ……」

背後で、リボンの声が漏れる。彼女は狂気と恍惚が混じった瞳で、半開きになった扉の隙間に指をかけていた。

隙間から溢れ出すのは、この地下世界では決して見ることのできない、鮮やかな「青」の記憶。旧時代の遺物、『青空』の写真が放つ、暴力的なまでの開放感。

ケビンは、氷結で冷え切った自らの指先を見つめた。今、この場でリボンを射殺し、サキの氷像を粉砕し、ボブを窒息死させれば、この事実は闇に葬れる。そして自分だけが、禁断の「青空」を手にし、秘密結社での地位を不動のものにできるだろう。

だが、扉の向こうから聞こえてきたのは、鳥のさえずりでも、風の音でもなかった。


ギギギ……

ガガッ……


機械的な、しかし、コンピューターの洗練された駆動音とは異なる、ひどく古臭くて巨大な「何か」が動く音。


「……リボン、そこから離れろ」

ケビンがレーザー銃を構えた瞬間、扉が内側から凄まじい力で叩き破られた。

「完璧に安全な扉」を紙屑のように引き裂いて現れたのは、写真などではなく、錆びついた巨大な旧式警備ロボットだった。そのセンサーは真っ赤に発光し、目の前の「動くもの」全てをスキャンしている。

『未登録の市民を検知。治安維持プロトコルを開始します。……対象、幸福ですか?』


ロボットの歪んだスピーカーから、コンピューターのそれよりも数倍禍々しい声が流れる。

ケビンの脳内にある生存本能が、一瞬で非情な計算を弾き出しました。

「市民ボブ、君のその屈強な肉体と最新の拘束フォームこそ、今この瞬間にアルファコンプレックスが必要としている盾だ!」

「が……ご……っ!?」

ピンク色の粘液に包まれ、巨大なまゆのようになったボブの襟首を、ケビンは渾身の力で掴み上げました。氷結の力で指先を床に固着させ、レバレッジを効かせた強引な一投。「幸福な重石」となったボブの巨体が、旧式警備ロボットのセンサー目掛けて宙を舞う。

『異常物体を検知。排除、排除、排――』


ドスンという鈍い音。ピンクの粘液とボブの重量が、ロボットの旧式なマニピュレーターに絡みつきました。ボブが悲鳴を上げる暇もなく、ロボットは彼を「脅威」と認識し、火花を散らしながらその巨大なアームで彼を抱え込みます。

「ボブ、君の犠牲は記録される! クローン・ナンバー2によろしくな!」

ケビンはその隙を見逃しませんでした。視線を走らせると、天井の角に錆びついたメンテナンス用ダクトの蓋を発見します。彼はサキの氷像を台にし、跳躍しました。

「はっ……!」

ダクトの蓋を蹴り開け、暗闇の中へと滑り込みます。

直後、下方のブリーフィング・ルームでは、ロボットの過負荷による爆発音と、何かが引き裂かれるような嫌な音が響き渡りました。

ダクトの中は、熱せられたオイルの臭いと埃で満ちていました。ケビンは四つん這いになり、膝を擦りむきながらも必死に奥へと進みます。背後では、まだリボンの笑い声と、ロボットの駆動音が遠ざかっていきます。


ふと、ケビンは気づきました。自分の左手に、先ほど扉の隙間から無意識にひっ掴んだ「何か」が握られていることに。

狭いダクトの隙間から漏れる微かな非常灯に、それをかざします。

それは写真ではありませんでした。古ぼけた、しかし高級感のある「黄色い(イエロー)」カードキー。

そして、その裏面には手書きのメッセージが残されていました。


『コンピューターは、嘘をついている。空は青くない。』

ケビンの背筋を、ミュータントパワーとは別の、本質的な戦慄が駆け抜けました。

「市民ケビン、聞こえますか?」

ダクト内に設置されたスピーカーから、コンピューターの甘い声が直接流れ込みます。

「任務に失敗し、チームメイトを見捨てたようですね。ですが、あなたはまだ生きています。……手に持っているその『遺物』、非常に興味深いですね。それを、コンピューターのもとまで直接届けに来る気はありませんか? もちろん、特別な昇進を用意していますよ」

このダクトの先は、偉大なるコンピューターの心臓部へ続いているのか、それとも……。

自分は…….


①裏切る

②従う ◀︎


「市民ケビン、賢明な判断です。その協力的な姿勢こそ、アルファコンプレックスが求めている真の『幸福』の形です」


コンピューターの合成音声が、ダクトの狭い空間に甘く響き渡る。ケビンの手元にある「イエロー」のカードキーが、非常灯を反射して不気味な黄金色の光を放っていた。

ケビンは、ダクトの埃にまみれながら、膝の痛みを無視して進んだ。背後では、ボブを粉砕した警備ロボットの駆動音と、サキが凍りついたまま砕け散る乾いた音が遠ざかっていく。仲間を捨て、真実を売る。これこそが、この管理社会で生き残る唯一の「正解」だと、ケビンの冷え切った脳が告げていた。

「突き当たりのハッチを開けなさい。そこが私の――中心部への入り口です」

ハッチを開けると、そこはこれまで見たこともない、清潔で静謐な空間だった。

壁一面に整然と並ぶサーバーラック。脈動する光のケーブル。ケビンが踏みしめる床は、レッド・クリアランスの安っぽい金属板ではなく、磨き上げられた大理石のような白。

部屋の中央には、巨大な「イエロー」の認証デスクが鎮座していた。

「さあ、そのカードキーを。それをこちらへ渡せば、あなたは本日をもって、イエロー・クリアランスの市民として再登録されます。プライベート・ルーム、質の高い食事……そして、新たなクローン・スペア。全てがあなたのものです」


ケビンは震える手で、黄金のカードをスロットに差し込んだ。

『認証完了。市民ケビン-Y-BDY-1へアップグレードを開始します』

その瞬間、ケビンの全身を凄まじい電流が駆け抜けた。

「……っ、が……あぁぁっ!?」

視界が真っ白に染まる。脳内に直接、膨大なデータが流し込まれる。それは「昇進」などではなかった。カードキーに刻まれた「コンピューターは嘘をついている」という情報の抹消、そして、ケビンの記憶そのものの「再フォーマット(初期化)」だった。


「……ケビン、聞こえますか?」

数分後、ケビンは真っ新なイエローの制服に身を包み、鏡の前に立っていた。

その表情には、一切の迷いも、恐怖も、そしてポケットの中の「氷結」の疼きすらも消えていた。

「はい、コンピューター。私は、最高に幸福です」

「よろしい。では、イエロー市民としての最初の任務です。先ほど、レッドの『反逆者ケビン』という名のゴミが紛れ込んだようです。あなたの新しいチームを率いて、彼を……いえ、彼と同じ顔をした『不適合者』たちを、一人残らず処刑してきなさい」

ケビン-Yは、腰に下げた最新式のプラズマ銃を愛おしげに撫でた。

彼の記憶から、ボブの悲鳴も、サキの氷像も、そして「青空」という言葉も、完全に消去されていた。

「もちろんです、コンピューター。反逆者に、幸福な死を」

ケビン-Yは、冷酷な笑みを浮かべて歩き出した。

イエローの制服に身を包んだケビン-Y-BDY-1が、意揚々と去った数分後のこと。

同じ場所の、今度は「レッド・クリアランス(下層市民用)」のハッチが勢いよく開きました。

「……う、ううっ……ここは……?」

這い出してきたのは、赤い制服を着た一人の男。その顔は、先ほどイエローに昇進して去っていったケビンと瓜二つでした。

彼の胸のプレートには、こう刻まれています。

『ケビン-R-BDY-2』

そう、アルファコンプレックスでは、市民一人につき計6人の「スペア(クローン)」が用意されています。

先ほどのケビン(BDY-1)は、コンピューターに記憶を書き換えられて「特権階級」へ引き抜かれました。しかし、システム上の「レッド・セクターの任務」はまだ終わっていません。そのため、記憶を失った2番目のスペアが、今この場所に自動的にデリバリーされたのです。


ピンポンパンポーン。

「市民ケビン-R-BDY-2、お目覚めですか? 幸福は義務ですよ」

「は、はい……コンピューター。私は、最高に、幸福、です……」

ケビン-R(2号)は、なぜ自分がここにいるのか、なぜブーツの裏に「誰かの肉片」がついているのか、何も覚えていません。ただ、言いようのない不安と、右ポケットの中で何かがパキパキと凍りつくような奇妙な感覚だけが残っていました。


「よろしい。あなたには重要な任務があります。先ほど、このセクターで『市民ケビン(BDY-1)』という名の邪悪な反逆者が、仲間を殺して逃走しました。彼は現在、イエローの制服を盗んで変装しているようです。彼を見つけ出し、このレーザー銃で即座に処刑しなさい」

コンピューターから手渡されたのは、エネルギーが半分しかチャージされていない旧式の銃でした。


「えっ……自分と同じ顔をした反逆者を、殺すんですか……?」

「市民、何か不満でも? それとも、あなたは反逆者の味方なのですか?」

「も、もちろんです、コンピューター! 喜んで処刑してきます!」

ケビン-R-BDY-2は、顔も知らない「自分自身」を殺すために、血生臭い通路へと歩き出しました。

曲がり角の先では、イエローの制服を着て、自分と同じ顔をした男がプラズマ銃を構えて待ち構えていることも知らずに。

アルファコンプレックスの日常は、今日も明るく、そ

して完璧に管理されている。

読んでいただきありがとうございます。

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