第二話
初めて彼女を見たのは、何となく入ろうと思ったバーの店内だった。
思えば、この時から既に、毒は、麻薬は散布されていたのかもしれない。
普段は気にならないバーの中も、柔らかな暖色の光が、棚に並ぶ酒瓶やちらほらいる客たちを優しく照らしていた。
その中で、壁際のカウンター席の一席だけが、ひときわ眩しく光っていた。
眩しいと言っても、燦々と降り注ぐ太陽の光のような眩さではない。
夜の星々が静かに煌めくような、真夜中の海の波が揺らめくような、
静かで、暗さをまとった眩さだった。
そこには、艶のあるロングの髪を持ち、病的とも思えるほど透き通った白い肌の女が、静かに座っていた。
ふと気づけば、足は止まっていた。
壁際のその一席に座る女は、何もしていない。
ただグラスを手に、静かに木目調のテーブルを眺めているだけなのに、胸の奥の感覚がぎゅっと締め付けられた。
触れてはいけない。近づいてはいけない――
本能が俺にそう訴えかけている。
それでも、視線を外すことはできない。
その奇妙な感覚が、静かに、確実に、体の奥に広がっていくのを感じた。
店員の席案内の言葉は、今の俺には届かなかった。
俺は無意識に、彼女の空いている隣の席の方へと進み、
「ここ、空いてますか」
と彼女に問いかけた。
その瞬間、伏せていた彼女の目線がゆっくりと俺に向き、両方の口角を上げながら軽く首を傾けて、
「空いてますよ。どうぞ」
と、ガラスに音が反響するような、美しい声と、ゆったりとした口調で告げた。
グラスを手にした指先、揺れる髪、伏せていた目がほんの一瞬で俺を捉えた、その瞳――
何もしていない。ただ座って、声を発しただけなのに、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
触れてはいけない。近づいてはいけない――
何度も何度も、頭の中で警告音が鳴り響く。分かっている。理性は必死に抵抗している。
それでも、体は勝手に、自然に、彼女の隣の席へと着いていた。
座った瞬間、空気がわずかに変わった気がした。
息を吸うたび、体の奥がじわじわと熱くなる。
理性が少しずつ、確実に、侵食されていくのが分かる。
――毒だ。
――いや、これは麻薬だ。
胸の高鳴りが、まだ酒を飲んでいないはずなのに、揺れる視界と共に心の奥底まで染み渡る。
まだ何も起きていない。
ただ座っただけなのに、俺はもう、彼女に捕らわれていた。
これから先、どこまで理性が持つのか――その答えを、俺は知っていた。
そして、確かなのはひとつ。
この夜から、俺の夜は、彼女なしではもう始まらない--ということだけだった。
そして、隣に座る彼女のわずかな仕草、かすかに漂う香り、そして触れられそうな距離の肌――
これから俺の理性をどこまで蝕むのか――
その先の答えだけは、まだ誰にもわからなかった。




