第1章 やさぐれシスター(part3)
前回は幼少期のソフィリアと母親との楽しい一時。その後、彼女の母親が亡くなったことまでが明らかになりました。
今回はその続きで、彼女が母親の亡くなった経緯について語る場面から始まります。
「もう、見たからわかるかも知れないけど、あの食事の時には親父と母さんは既に離婚に近い状態だったらしい。直接言われた訳ではないから真偽は不明だが、親父がずっと返ってこなかったから別居、もしくはそれに近い状態だったと思う」
「女手一つで私を育て上げてくれた母さんは相当に苦労したと思う。お金の面もそうだ。大変なはずなのに、誕生日には、普通の家と同じように美味しい食事を作ってくれて……。本当に嬉しかったよ」
「だが、そんな生活は長くは続かなった。ある日、母さんは倒れたんだ。この机にある書類の山を見ればわかるだろう。私の面倒を見ながら朝は外で働き夜には私の食事やこの大量の資料整理。親のやっていることが何かはわからなくても、必死なことだけは小さいながらもわかったんだよ。だが、そんな生活をすると体の方にあっという間にガタが来て逝ってしまった。私は母さんの負担にしかなり得なかったんだ」
わたし達は彼女が話を終えるまで耳を傾けた。
話を終える頃には、暗い空気が辺りには流れていた。昔のことと言えば昔のことかも知れない。
だが、わたしにはそのような彼女に何て声を掛けるべきか分からなかった。
「そうだ、あんた、いやあなたは案内人だろう。母さんがどこにいるのかを教えてはくれないか?今の私は死んでいるから会っても問題はないはず。最後だからこの頼みをどうか聞いてはくれないか……」
いつになく、丁寧な物言いで降魔さんの方を見て懇願するかのように頼んでいた。
そんな彼女の瞳は当時のことを思い出したのか薄っすらと潤んでいた。
降魔さんはゆっくりと彼女の机に向かい、幼い彼女が覗いていた写真を見始めた。見た後、ボソッと「はあー」とため息が聞こえた。新任のわたしにはわからないが、きっと、降魔さんには何かがわかっているのだろう。ため息をする程には……。
「別に構いませんよ。ただし、今ここでお二人を会わせる訳にはいきませんし、確約も致しかねます」
「今は無理か……。ですが、確約できないとはどういうことです?母さんは既に亡くなっている。それなら会うこと自体には問題はないのではないと思うのですが……」
彼女は不安そうな表情を降魔さんに向けた。
降魔さんは彼女の反応に動じることなくお役所仕事のように淡々と話し出した。
「会うことができない理由は簡単です」
「一つ、あなたの母君が現送りで現世に生まれ変わっていた場合。その時は、あなたと入れ違いになるため、当然会うことはできません。ですが、生まれ変わった彼女を見る。それぐらいなら問題ないでしょう」
「そして問題の二つ目、これがあなたにとって最も酷かもですが、あなたの母君が天国であなたが仮に地獄だとしたら会うことはできません。当然、その逆も然りです」
「まあ、確約できない理由を言いましたが、その前に今のあなたは死後の行き先を決めかねている最中。行き先が決まっていない人間がいきなりこの世界の方にお会いすることはできません。ですから、先にあなた自身の問題を解決して下さい。この後の限られた時間を使ってじっくり、じっくりと……」
「そうなのか……」
まるで、不都合な返答があったかのように彼女はがっくりと肩を落とした。
無理はない。
彼女にとって母親の存在は希望そのものだ。記憶の世界で最初に映し出された。それが、すべてを物語っている。
落ち込む様子を見たわたしは彼女に優しく寄り添った。
「大丈夫ですよ。お母さんはきっと天国であなたのことを見守っていてくれているはずです。だから、希望は捨てないで早く行き先を決めるとしましょう。ねえー」
「いやいや、地獄に娘が落ちてくるのを今か今かと待っているかも知れませんよ」
降魔さんの一言は本当に余計であった。
嫌なことには直ぐに反論する彼女であったが、彼の軽口が効かない程には落ち込んだままであった。
「降魔さんは黙っていてください。ソフィリアさん今にも泣き出しそうですから」
「そうですね。それは申し訳ありません。泣かれても困るので早く続きを見るとしましょうか」
何だか彼女が不憫でならない。降魔さんは彼女に寄り添ったり絶望させたりを繰り返して楽しんでいるようにしかわたしには見えなかった。
やっぱり、降魔さんは地獄の住人だと再認識した。
わたしは落ち込んだ彼女をそのままにすることができなかったため、机にある写真立てを持ち上げて彼女に渡そうとした。
「今は写真のお母さんにしか会えませんが、終われば本物のお母さんに会えるからあと少し頑張りましょう」
わたしは今現在、出来得る限りで最も彼女を喜ばそうとした。
彼女は空になったティラミスのお皿を机に置き、写真を受け取り胸に当てながら「ありがとう」といってくれた。
そして、降魔さんの方を見るや啖呵をきった。
「もう、お前に敬語で喋ることはないからな。もしも、私が地獄なら覚悟しておけ。必ず報復してやる」
「いいでしょう。地獄の最下層で報復を受けるのをお待ちしております」
降魔さんはニヒルな笑みを彼女に向けた。
彼が笑みを向けた直後、再び記憶の世界の景色が変わった。
今度は先程、食事していたリビングであった。リビングには一人の男性と大量の酒瓶があり、この男性は昼間から酒を浴びるように大量に消費していた。
もしかして、この酒浸りな方がお父さんなのだろうか……。わたしはこの酒浸りな男性に嫌悪感を抱かざるを得なかった。
「親父……」
このお酒におぼれている男性はどうやらソフィリアさんの父親みたいだ。
彼女は母親を見たときとは異なり軽蔑の眼差しを彼に向けていた。
わたしは母親と父親でこうも差があるものかと、他人ながら子どもが可愛そうでならなかった。
どうして、どうして、こうなってしまったのか……。最初は二人でも笑顔が溢れていたのに、わたしの心は得体の知れないものに押し潰されそうになっていた。何とも言えない気持ちになっていると、突然彼女の父親が声を上げた。
「おーーい、ソフィリア!ソフィリア!!!」
彼は大きな声で怒鳴るように叫んだ。叫び声が聞こえた刹那、彼女は走って父親のところに向かった。
「ご、ごめんなさい。洗濯物をしていて……ど、どうしたのパパ?」
父親に呼ばれて現れた彼女は、以前と比べてやせ細っている?いや、やつれているという表現の方が正しいのか、とにかく、以前とはマイナスの意味で見違えていた。母親の写真を見ていた頃と比べて身長が伸びているにも関わらずだ。
そんな彼女の身長の伸びから察するに数年は経過しているようだった。あの素直な少女がこうも怯えたような返事をしているということに、わたし自身、驚きを隠せなかった。
「呼んだら、すぐに来いといつも言ってるだろう。この屑がー」
彼は酒瓶を彼女の居る方目掛けて、投げ出した。幸いなことに彼女に酒瓶は当たりはしなかったが床に落ちた瓶は形を留めることはなかった。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
彼女は必死に父親に謝罪していた。父親はその様子をみて満足したのか、さっさと割れた瓶を片付けるように彼女に命令した後、その部屋を後にした。
謝りながら片付けている彼女の姿はあまりにも見ていて痛ましく、無関係なわたしが手を出したいほどに……。
「不快な記憶ですね」
珍しく降魔さんが彼女をおちょくらなかったと思う。それに、まともなことを言っている。
この発言にはわたし自身としても激しく賛同する。
「はいはい、お気遣い感謝します」
先程のことがあってか、彼女の反応はとても適当であった。
この惨状に幼少期の記憶とは違う意味で取り乱すと思っていただけに不気味な冷静さがあった。
「見ての通りこの頃の私には生きるための拠り所がなくなっていた。家には屑な親父と酒しかない。お金もほとんどないような貧しい状態だった。こんな家にいる私には一人で自立することもできなかった。まあ、それは私が子供ということもあるが、どんなに屑で嫌でもこの生活から抜け出すという選択肢がなかった。いや、正確にはできたかも知れないが、私にはやり方がわからなかった」
「それでも、他に頼れる大人はいなかったの?お母さんの方の実家に行くとか」
失言だった。
わたしの問は小さな子どもに対して平然と大人の正論で攻撃しているような発言だった。
「芽郁さんの言いたいことはわかる。わかるけど、親父がそれを頑なに拒否した。だから、この生活から抜け出せなかった」
「ご、ごめんなさい。変なことを訊いて……。それより、わたしのことを名前呼びしてくれるの!とても嬉しいわ。わたし友達が居ないから嬉しくて、嬉しくてー。でも、さん呼び何て堅苦しいから、呼び捨てで良いよ」
名前で呼ばれたことが嬉しいというのも事実だが、私は話をはぐらかそうという気持ちも少なからずあった。
やはり、わたしも悪い大人の手本だ。
実際、わたしには友達がいない。いない原因はあるが、やはり、案内人調査官になるため、日々そのことしか考えていなかったのが主な原因だろう。
毎日、毎日寝る間も惜しむほどには……。まあ、死者に睡眠の必要はないが、わたしはどうしても生きていた時の習慣が抜き切れていない。もとから、寝るのも好きだから構わないが、その点において時間を無駄に浪費していることは否めない。
意外にもわたしの様に生前の習慣が抜ききれない者は多いとか、少ないとか……。
「辻屋さん。嬉しい気持ちはわかりますが、今は案内中です。少し落ち着いて下さい」
興奮したわたしを降魔さんは宥めた。その言葉で我に返ったわたしは「申し訳ありません」と一言謝罪した。
「まあ、こんな親父のお陰と言うのは変だが、人生では良いことも、悪いこともある。それを知るきっかけにはなったな。親父が家に帰らなくなっても母さんと一緒の時には寂しい気持ちはあれど、自分が不幸だなんて一切思わなかった。きっと、母さんが相当、私に気を遣って献身的に育ててくれたからなんだろうな。その反面不本意ながら親父と二人きりになって初めて幸不幸な感情を理解できた。本当に皮肉なことにな……」
わたしを庇うように彼女は話し出した。
「確かに、普通に暮らせているときには自分が幸せかどうかなんてわからない。いや、考えもしない。これが普通で考えないで生きられた方が幸せなことなのだろう。だが、不幸は違う。不幸は心が痛む。この痛みに人は敏感だ。そのため、幸せとは異なり不幸の認識はハッキリとわかる。残酷な程にな」
彼女の達観した考えを聞いたら、やっぱり彼女はシスターなんだと思えた。
これには、珍しく降魔さんも頷きながら同調していた。
「そうですね。わかります、わかります。良い環境に身を置くと幸せに疎くなりますからね。これは嫌味ではなく、実際に天国に行くと向上心がなくなる方が意外と多いんですよ。天国に行くのを目的とし、そこで何を行うのか、何を行いたいのかが判然としないみたいなんですよ。まったく、嘆かわしいことですよ、ねえー」
彼はなぜかわたしの方に視線を向けながら問い掛けていた。なんでだろう。まるで、わたしには向上心がないような、そんなことを言われているようなそんな気がした。
デザート目当てということを除いたとしても、案内人補佐官になろうとする天国の住人は限りなく少ないことからも、自身の評価としては向上心の塊だと思うのだが……。
きっと、何かが違うのだろう。
そう考える他なかった。
「もう、この場面はいいだろう。私としては胸糞悪いから、そろそろ次に進めてくれないか?」
ソフィリアさんは急かすように降魔さんに訊いたが応えは一瞬だった。
「それは承知致しかねます」
「どうしてだよ。もういいだろう。あんたは惨めな私を見て楽しむようなそんな、倒錯的思考を持ち合わせている訳ではないだろう」
倒錯的思考。なかなか、責めたもの言いだ。流石の降魔さんも凄く嫌そうな表情をしていた。
「そんな訳ないでしょう。この記憶の世界の景色が変わらないと言うことは、まだ何かしらあなたの人生おいて重要な見過ごしがあるということです」
「見過ごし⁉見過ごしなんてあるわけない。この時の私は親父に八つ当たりにされる生活がとにかく辛く惨めだったということを覚えている。私にとって二つの不幸。母親の死。父親への絶望―。だから、見落としなんて……」
「確かにあなた自身に見落としはないでしょう。あなた自身にはね……」
含みのある言い方だった。
「では、そろそろこの部屋を後にするとしましょう。最初に私の説明したことを覚えています。この世界はあなたの記憶にないものであっても、同様の時を刻んでいる。ここまで言えばわかりますよね、芽郁さん」
いきなり、わたしに話題を振って来た。学校の先生に指名されたような居心地の悪さに近いような感情があった。
わたしは必死に少し前の会話を思い出そうとした……。
「ええと……確かー、そうです。同様の時を刻んでいるということは、ソフィリアさん本人にだけに注目する必要はないと言うことですよね。ソフィリアさんの人生に影響を与えた人に着目する。つまり、本人の知りえない情報をここで本人に認識させる。そういったことも必要ということなんでしょうかね?」
今日一、頭を回転させたと思う。わたしは降魔さんの顔色を覗き込み反応を伺った。
「失礼ながら驚きましたね。おっしゃる通りです。本人以外の情報もここでは知れる。では、行きましょうか」
「行くって、まさか?」
「そうです。ソフィリアさんのお父さんのところにです」
ご読了ありがとうございました!
今回も前回に引き続きソフィリアの子ども時代、特に彼女と父親との関係性がわかるお話だったと思います。彼女の幼少期の出来事が今後どのような物語へと発展するか、引き続き見守って頂けるとありがたいです。
次回は、ソフィリアの父親が彼女に対してどのようなことを行っていたのかが明らかになりますので、乞うご期待下さい。




