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第6話 岸谷

北川は前沢を伴い、岸谷と同棲していた部屋のドアを押し開けた。

部屋に入ると、冷えた空気とわずかな食卓の匂いが鼻をかすめる。帰宅していた岸谷の視線が、暗がりのリビングで二人を射た。空気が鋭く張りつめ、静寂の中にかすかな時計の針の音が響く。岸谷は前沢に目をやり、低く吐き捨てるように問いかけた。

「……お前は、何者だ?」


北川は声を震わせながらも答えた。

「アルバイト先の同僚よ。」


岸谷の口元に、薄く小馬鹿にしたような笑みが浮かぶ。冷たい笑いが部屋の空気を切り裂き、北川の背筋にぞくりとした感覚が走った。背中に貼り付くワンピースの布地がひんやりと肌に触れる。


北川は手を握りしめ、震える声で岸谷に向き直った。

「暴力を振るったこと、謝ってよ!」


前沢はその隣で静かに、しかし決然と告げる。

「もし結婚する気がないのなら、今すぐ別れてください。北川さんの身体に取り返しのつかない傷を負わせたことに対する慰謝料も払ってもらいます。応じないなら、刑事事件として訴えます」


その言葉に、岸谷の表情がねじれた。怒りが瞳を炎のように焼き、血の気が顔を満たす。

「なんだと、ふざけるな!!」

叫び声とともに、岸谷はキッチンへ駆け抜け、ナイフを手にした。ステンレスの刃が薄暗い光を反射し、冷たく鋭い存在感を放つ。手にした瞬間、彼の指先から微かに汗がにじみ、握り締めた感触が刃先に伝わる。


前沢は即座に間合いを詰め、岸谷の動きを抑えようと体をぶつける。刃が行き交う間に、二人の体がぶつかり合う音、家具にぶつかる軋み、足元のカーペットが擦れるざらつき、荒い呼吸が室内に充満する。金属と木がぶつかる音が鋭く耳に刺さる。


そして瞬間、前沢の手が岸谷の胸にかかり、刃が誤って前沢の掌から滑り、岸谷の身体に突き刺さった。冷たい鋼の感触が、掌と胸に突き刺さる痛みとともに残る。岸谷の動きがぴたりと止まり、静寂が一気に部屋を覆った。


血の匂いが鼻腔を突き、赤黒い液体が床に広がる。北川は言葉を失い、床の冷たさと血の温かさを足先で感じながら、震えている。前沢は深く呼吸を整え、まだ脈打つ血の温もりと、背中に貼り付くジャケットの重みを感じながら、倒れた岸谷を見下ろした。


その時、前沢の耳には赤ん坊の泣き声が聞こえた。空耳かと思い北川を見やる。そして、北川の表情を見て泣き声は自分の空耳だと思った。


部屋の空気は静まり返り、時計の針が重く響く。冷たい床、革張りのソファの冷え、ナイフの金属の冷たさ、そして血の匂い。すべてが、胸の奥でくすぶっていた怒りと悲しみを、より鮮明に刻みつけた。

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