第3話 カーラジオ
車内には沈黙が滞っていた。
二人の客は並んで座りながら、一言も発さない。窓の外では街灯の少ない峠道が延々と続き、アスファルトの黒は夜霧を吸い込みながら鈍く光っている。気まずさを含んだ空気が車内を満たしていたが、そんなものを気にしていてはタクシードライバーは務まらない。下村は表情を崩さず自らも沈黙を守った。
その時だった。
切っておいたはずのカーラジオから、砂を噛むようなざらついた雑音が走り、やがて掠れた声がにじみ出した。
「……本日深夜に発生した殺人事件……目撃情報によれば、犯人の特徴は……」
スピーカーの震えは不自然に生々しく、耳にした言葉の断片は、後部座席にいる男の姿と重なり、下村の心臓を冷ややかに締めつけた。
咄嗟に悟る。この状況で「気づいた」と思われては、自分は危ない。
下村は努めて冷静を装い、あたかも眠る赤ん坊を思いやるふりをして、ラジオの電源に手を伸ばす。
だが、何度ボタンを押しても、雑音は止まらない。スイッチの硬質な感触だけが無力に指先へ返る。押すほどに音量はかえって強まり、耳の奥を爪でひっかくようなノイズが広がった。
その刹那、女の膝に抱かれていた赤ん坊が突然泣き出した。
か細いはずの泣き声は、不気味に反響して車内を満たす。
「……!」
隣に座っていた男の顔が跳ね上がる。
その瞳に宿る驚愕は、まるで今になって赤ん坊の存在に初めて気づいたかのようだった。
下村は冷や汗に濡れた手でハンドルを握り直し、必死に平静を保とうとする。しかし異様な抵抗感が掌に伝わる。
何故か、ハンドルが効かない。
ブレーキを踏むと、ペダルは乾いた軋みを立てて沈み込むだけで、何の手応えも返してこない。
次の瞬間、エンジンが猛獣の咆哮のような音を轟かせ、タクシーは意思を持ったかのように加速した。
シートが背中を押しつけ、冷えた汗が首筋を伝う。
下村には、車そのものが何者かに支配されているように思えた。
タクシーは人間の意志を拒絶し、ただ峠道の奥へと暴走していった。




