招かれざる来訪者
その夜、村は深い眠りに包まれていた。遠くで虫が鳴き、薪の燃える匂いが漂う。穏やかな日常が続いているように思えた。だが、リーンは妙な胸騒ぎで目を覚ました。縁側に出ると、エレインが抱く剣が淡く光を放ち、夜気に揺れていた。
「エレイン……?」
彼女は真剣な面持ちで剣を抱き締めていた。「夜になると、どうしても光が強まってしまうの。湖にあった頃からそうだったわ。精霊の力が月明かりを映してしまうのかもしれない」
リーンは剣の光に目を凝らす。静かな光のはずなのに、どこか胸をざわつかせるものがあった。まるで、この光を狙う者がいると告げているかのように。
その不安は間もなく現実となった。森の向こうから足音が近づき、ざわめきが村を包む。数人の人影が現れた。彼らは一見すれば旅人のようだったが、瞳には常人とは異なる光が宿っていた。闇の中に浮かぶその気配は、ただの人ではないと告げていた。
「剣を渡せ。精霊の力は我らが主のもとにこそふさわしい」
低く響く声。村人たちが起き出し、広場に集まる。しかし彼らの目にはただ、宙に浮かぶように輝く剣が見えているだけだった。エレインの姿は見えず、女神の使徒たちの異様さにも気づいていない。
「剣が呼ばれているんだ……」と誰かが囁いた。「きっと神話のように、新しい物語が始まるんだ」
だがリーンには分かっていた。これは物語ではなく、脅威だと。彼は一歩前に出て剣を握るエレインを守るように立ちはだかった。
「この剣は渡さない。彼女のものだ」
女神の使徒たちは笑みを浮かべた。「ならば力で奪うまで」
その瞬間、空気が震え、広場は戦場と化した。剣を持つ者は次々と操られ、互いに斬り結び始めた。村人たちは恐れず、ただ「不思議な夢を見ているのだ」と受け止めていたが、現実には血が流れていた。
リーンは剣を受け取ると、重さに驚いた。だが同時に、温もりのようなものが彼の腕に広がった。エレインの声が心に響く。「リーン、あなたならきっと扱える。私と一緒に戦って」
刹那、剣が光を増し、リーンの動きは鋭くなった。振り下ろした一撃が、迫る使徒の刃を弾き返す。彼自身も驚いた。今まで薪を割る程度の力しかなかった自分が、今は確かに“戦える”と感じていたからだ。
一方で、シアンもまた動いていた。手にした木剣を振るう姿は、まるで長年の鍛錬を積んだ剣士のようだった。無駄のない足運び、鋭い斬撃。彼の記憶にはないはずの技が、自然と体を通じて甦っていた。しかしシアンはそのことを口にはしなかった。彼の中にある“かつての世界の記憶”を、ここで明かしてはならないと本能で理解していたからだ。
戦いは激しく続いた。女神の使徒は人の心を揺さぶり、互いを疑わせ、争わせる。その姿は人でありながら異形であり、夜の闇に溶けては現れ、決して倒れぬように見えた。エレインは必死に祈り、リーンを支え、シアンは黙々と剣を振るい続けた。
やがて、村は炎に包まれた。木造の家々が燃え上がり、夜空を赤く染める。人々はそれでも恐れず、「これは新しい時代の兆しだ」と口にする者さえいた。だがリーンには、それが狂気にしか思えなかった。
「もうここにはいられない……」リーンは息を切らしながら呟いた。「村を守れなかった。けれど、これ以上の犠牲を出すわけにはいかない」
シアンが頷いた。「行こう。ここから遠くへ」
エレインは涙を滲ませながら剣を抱き締めた。「ごめんなさい。私のせいで……」
「違うよ」リーンは首を振った。「君がいたから、僕は戦えたんだ。これからも一緒に生きよう」
三人は燃え落ちる村を後にし、夜道を駆けた。背後で家々が崩れ、火の粉が舞う。その光景は、彼らが大切にした日常の終わりを告げていた。
やがて近くの町に辿り着いたとき、旅人から真実を聞かされる。「最近、人や魔族を操り、力で奪う者がいる。奴らは女神の使徒と呼ばれている」
リーンは拳を握り締めた。「そうか……。 エレイン、君に頼みたいことがある。 君の剣を、僕も使えるようにしてほしい」
エレインは驚いた顔をした。「でも、これは聖剣。簡単には……」
「分かってる。でも、君一人に戦わせたくない。僕も戦えるようになりたいんだ」
シアンも静かに加わった。「リーンの願いは正しい。僕も力を貸そう」
エレインはしばし迷ったが、やがて小さく頷いた。「分かった。なら……私が訓練をつけるわ」
こうして、三人の新しい日々が始まった。村を失った彼らは、剣の修練を通じて強さを求め、女神の使徒に立ち向かう決意を固めていった。しかしその裏で、シアンの記憶は少しずつ甦りつつあった。彼は決して口にしなかったが、体に刻まれた“勇者の剣技”が確かに戻りつつあったのである。