第六話 これからも
年が明けた。叶と年を越すのはこれで何回目だろう。
書き初めをしようとせっせと準備を進める姿を眺めながら毛布に包まる。叶にあげたはずの毛布だが、私も寒いのは苦手だ。二人で温まればそれでいい。何ならそのほうがいい。幸せも倍になる。
年明け前、ずっと叶はなにか思い悩むようにソファにうつ伏せになっていた。どうしたのか訊いてみると、「今年も死に損なったな、って」と返された。でも死のうとはしてないし生きてますから、と身体を起き上がらせて云われた。
なにも言えなかった。「綾音様と居られるから幸せです」と付け加えられたが、どう受け止めるべきか分からずにまた年は明けた。
生きているのだから、それでいい。そう自分に言い聞かせて始まった一年。
「なにを書きましょう」
「書かなくてもいいじゃん」
せっかく準備をしたのにそれはない、と軽く怒られてしまった。やらなくてもいいことをやろうとするのは何故なのか。思い出を増やすため、か。叶が行動してくれるから私も思い出が増える。
感心しながら様子を眺めて、嫌な予感を感じつつ書き終えるのを待つ。生きているから、思い出を増やせる。覚えていられる。
「書けました!」
半紙にこれでもかと大きく書かれた「綾音様」の文字。呆気にとられながらも笑った。年が明けて早々に大笑いをする。一人であったら無で過ごすところだった。
誘導されながら筆を持たされ、背後からの熱い視線を感じながら文字を連ねる。なにを書くかも決めていなかったが、手は私が一番愛する人の名前を連ねた。ほぼ無意識だった。
「お互いにお互いの名前ですか、一緒に居ると似るんですね」
「もう一心同体でしょ」
壁に書き初めを飾ってみた。不格好な文字が嫌だと叶は言うがそれもまた趣深い。あと普通にどこが不格好なのか分からない。私への当てつけか?と思っていると違う、と否定された。まだなにも言っていないのに。
静かな部屋に身体を寄せ合って暖を取る。家が広くなっても使われる場所は限られていた。それを承知の上で選んだのだが。
広くなった分、物が分散されて散らかっていないように錯覚しそうだが物の多さは変わるどころか増えている。思い出はそれ以上に増え続ける。
「ずっとこうしていたいです」
「そうだね」
毛布に包まったままテレビを見つめる。横から伝わる体温が、身体の芯から心まで温めていくようだ。
意味もなく起きていたせいで二人してソファで寝落ちてしまった。冷え切った身体を寄せ合いながら朝風呂に入る。こういう正月もいいものだ。
恒例のお雑煮を食べながらたまった録画を消費していく。そこまでドラマにもアニメにも興味はないが、一度見かけたものに食いつく習性がある。たまたま流れていたものに食いつく、そんな私と一緒に観てくれる人がいることは当たり前ではない。「綾音様が観るなら私も」と隣にてくてく近付いてくる。
冬場の部屋着は叶の好きなもふもふとしたもの。大体それを着ていれば抱きついてくるのだ。
「もふもふですね」
「もふもふと私どっちが好きなの」
……自分は何と張り合っているのだろう。つい口から出た言葉を恥じる。食いつくようにして叶は答えた。
「綾音様に決まってます」
だよね、と思いながら目を逸らす。変なことを訊いたものだな、答えは最初から知っていたはずなのに。信じるもなにも、叶はいつも言葉と行動で伝えてくれている。冷えた手と手を重ね合わせて同じ時間を過ごす。
「たまにねこみたいな感じがします」
「うん?」
見た感じはかっこいい黒猫のように思えるのに話すとかわいい猫のように見えてくるのだと答えられた。なんと反応すればいいものか。ただ、悪い気はしない。
「綾音様がねこなら、私は蟻より小さいのでは……?」
冷水をかけられたような顔をしながらまたよく分からないことを口走る、一見するとまだ幼い少女。
なぜ蟻と同列に自分を置いてしまうのか。もう少し自信を持てばいいものを。
動物に例えると叶はなにが一番しっくり来るだろう。子犬が一番似合うだろうか。
「叶は子犬に似てるよ。それでいい。虫に例えるのはやめよう、虫は嫌いだ」
言葉を聞くが早いか飛びつかれて首筋に顔を埋められた。やはり無邪気な子犬のようだな、と思う。前世はきっと天真爛漫な犬だったのだろう。
幸せなひとときが一生続けばいい、凍りつくような寒さから逃れるように抱きしめた。
「やっぱり今年は自分を見失わない年にしたいな。あと綾音様を愛す年に」
後者はいつもと同じだ。前者は私もそうしないといけない。どんな言葉を投げられても、否定されても自分を見失わない。それができたら苦労しないが。
叶が居てくれるから、自分を見失わないで済む。自分として生きていける。
地球最後の日、私ならどう過ごすだろう。こんなことを考えているのは単なるネットの記事を読んだからという浅はかなもの。滅多にない丸一日中の休みを堪能するのは難しいもので、長い時間ぼーっとパソコンを見ていた。
どう過ごすか、と問われると「叶と一緒に居る」と答えるであろう。最後だからといってなにか特別なことをしたいとも思わない。当たり前が特別なのだから、当たり前である日常を送りたい。
「叶ならどう過ごす?」
新年最初の洗濯物を共に畳みながら話題を振った。急に何だという顔をしながら静かに悩んでいる。
叶は明日のことも考えられないような環境で生き延びてきた。こんなことを訊くのもおかしなことかもしれない。
だからこそ聞きたいとも思う。曝け出されることのない本音を、本心を。
「綾音様と過ごす以外ないですね。一人のままだったら先に死ぬとでも答えますけど」
先に死ぬ。
叶の言葉は重い。ずっと一人で生きてきたのだから、最後も一人でいい、一人がいい。特別なことはなにも要らないといったところだろうか。
それでもこの私と居ることを望んでくれる。真っ直ぐな愛を平気でくれるものだから私はいつも振り回されてしまう。
目がバチッと合うとなにかを物語る表情を向けられ、思わず目を逸らした。最後なんて要らない、ただ叶とずっと居られる世界が欲しい。
「そういえば同じようなこと前に生徒に聞かれましたよ」
「へえ、なんて答えた」
「大切な人と過ごす、って。その子はお菓子いっぱい食べるらしいです、かわいいですね」
中学生と同じことを訊いてしまったことを恥じる。それにしても叶もちゃんと先生をしているのだな。同じ教師という立場になった元生徒。叶は一生私の特別な教え子だ。
叶も生徒にとって特別な存在になってしまうのか。私が彼女に愛されたように、愛されてしまうのか。誇らしい気持ちにはとてもではないがなれない。駄目だそんなの、許さない。
「綾音様、どうしたんですか」
床に押し倒したまま輪郭をなぞるようにして髪に触れる。黒い髪はサラサラと引っかかることも知らずに指を通り抜けていく。
光のゆれる瞳を覆い被せるようにして頭を撫でる。
私には君しか居ないんだよ、叶。ちゃんと分かってくれているのか不安にさえなれるくらいに。
両手首を掴んだまま、口づけをした。唇を離したあともやわらかな感触が残る。
「大丈夫ですよ、綾音様。分かってますから」
私の心を読むことももはやお手のもののようだ。
大丈夫という言葉は便利だな、叶が言うと説得力がなくなる。
分かっていると言っておきながら勝手に飛び出して、分かっていると口にしながら一人で抱え。一番の理解者で居られているのか不安になる。一番近くで、誰よりも長く人生を歩んでいるというのに。
地球が終わるとしても、この恋に終わりはない。終わっても終わらない。叶の思考が脳裏にまとわりつく。
「大切な人を置いて行くようなことはしません。約束です」
床に手をついてゆっくり起き上がった叶が差し出した小指。「嘘ついたら腕立て伏せ百回な」冗談を言って小指を無理矢理交わすと引きつった顔を向けられた。まじか、と言わんばかりの顔は面白かった。
既に数え切れないほど置いて行かれたことがある以上、それを鵜呑みにすることはない。本心では一応そう思っていてくれるなら、なにがあっても受け止めるしかできないとも思う。
人生に終わりがなければいいと、改めて思った。終わりがなければどれほどいいだろうか。いつまでこうして居られるだろう。




