第五話 壊れる過去
自室でペットカメラを見返しながら時間を潰していると一通のメッセージが来た。
送り主の名前を確認すると同時に鼓動が早まった。縁を切ったも同然の両親からのもの。自分の目を疑ったが何度見ても同じ文字が並んでいる。
開くのをためらっているとドアがノックされ、返事をすると横に叶がすっ飛んで来た。甘えようとこちらに来たのだろうが、異様な雰囲気に顔をまじまじと見つめられる。
「なにかありましたか」
散らかった床に視線を落としながら問われる。
画面を見せると、沈黙が流れた。
先に読んでくれた叶の顔色を伺ってみると、睨みつけるような視線がそこに集中砲火を浴びせていた。どうせよからぬことだろう、と落胆しながら目を通した。
「何年も連絡をしてこないのはまだあの子と居るということでしょう。こちらも長い間考えました。好きにしたらいい、好きに人生を送ってください。ただ、一度でいい。話をしたい。こちらから連絡をすればよかった。申し訳ない」
思わず目を疑った。
今更会ってどうなるのだろう。好きにしたらいいと言っておきながら否定して追い出されるんじゃないか。会ったが最後、縁を切るつもりかもしれない。
渦巻く感情は大波のように暴れに暴れる。怒りと不安、少しの望み。
震え出したことにも気付いていない身体をそっと抱き止められた。
じわりと伝う体温に身を委ねて、安心を求める子どものように時を過ごす。
自分でもどうすればいいのか分からない。正解もきっとない。
「どれもこれも私のせいですね、あのとき付き合ってますとか言わなければよかったのに」
抱きしめられたまま、小さな声でそう言われてしまった。叶のせいではないのに、と心が痛む。
叶に着せるための成人式の振り袖を実家に取りに帰ったとき、堂々と付き合ってます!と彼女は言い放った。両親はもちろん言う気すらなかった私まで驚いた。
同時に浴びせられた言葉に冷たい目。思い出すだけで怒り同時に悲しみが入り混じる。
両親の言い分も分かるが、時代は進んでいる。女同士だからって一時の気の迷いだと決めつけるのもどうかと思うし不釣り合いだと叶に云ったことも許せない。
……許せない、そう、許せない。拳を握りしめ、腕を振りほどくようにして立ち上がる。
決意は固まった。そうだ、好きにしたらいい。というか私自身ももういい歳だ。叶が付き合っている宣言をしてくれなかったら今も永遠と結婚話を持ちかけられるところだった。
仕事のようにはいかなくとも捌いてみせる。多分。
決戦当日。
返信をするにもなにを書けばいいのかも分からず送るのも嫌で叶にやらせた。私が困っていれば何事にも全力でやってくれる。予定の調整も彼女がやってくれた。なにからなにまで申し訳ないが、今は叶の背に隠れている。
「いつ見てもでかい家ですね。二回目ですけど」
「そうだな、無駄にでかいよな。久しぶりに来たけど帰りたい」
インターホンを押そうとする叶を制すように勢いよく引き戸が開いた。
何年振りだろう、この人たちの姿を見るのは。幾分やつれたというか年を取っている。当たり前のことに戸惑っていると家の中に招き入れられた。
なにも変わらない家。物は少し減った気もするが、雰囲気も匂いも変わりはしない。
「さて、ここまで来てくれてありがとう。随分と久しぶりだな、綾音。そんな正装で来なくてもよかったんだぞ」
物腰の柔らかさに呆気にとられながら定型的な挨拶を返した。
今日は二人してスーツだ。着こなせるようになった叶に重なる学生時代の早瀬。そして彼らに侮辱されたことを思い出し身が固くなる。
「本日はどのようなお話でしょうか」
私の隣に背筋を伸ばして正座する叶が口を開いた。よく通る声で、隙を与えようともしない。
真っ直ぐな視線が注視しているのは――家族写真だった。こんな状況に居ながらも詮索することをやめないのだな、何ともこいつらしい。
「お嬢さんの名前はなんと言う?」
「早瀬叶と申します。綾音様とお付き合い……。いえ、結婚しているも同然です」
礼儀正しく挨拶をしたと思えば後先も考えずそういうことを言う。何年経とうと変わらない、叶のいいところ。
結婚しているも同然だと言い切られては両親もなにも言えない。
「そうか、早瀬さん。初対面のときは悪かったね、二人とも。あんなことを言ってしまって、それも君は初対面だったというのに。今になって急に話などと言うのもおかしなことかもしれない。綾音のことが、心配だった。私たちも老いる一方だし、この状態のままというわけにもいかない」
親というのはいつまで経っても子どもはかわいい子どものままなのだろうか。
私の家庭は裕福といえばそうなのだと思う。叶が育った環境とは正反対に、不自由なく生きてきた。
彼女はなにを思うのか。生い立ちまでここで打ち明けてしまうのか。
片手を手繰り寄せ、握りしめる。なにを言われようと後戻りはできない。
「私は、勉強ができるわけでもなく、特別なにかが優れているわけでもなくて。半人前にもなれない一生徒でした。なんで今瀬先生は、私を気にかけてくれたのか、疑問だったんです。でもどんどん好きになっていって、先生に会うために生きるようになって。手の届かない存在。叶うこともない。分かってました、ずっと。否定されるのが当たり前だと、私も思います」
並べられていく言葉に吸い寄せられる。それはほか二人も同じようだった。返す言葉がないのもまた事実。
両親も既に叶が私よりも遥かに年下なのは分かっている、というのは話してあったにせよ初っ端からそういうことを言ってしまえる神経がよくも悪くもすごいと思う。
振り袖を取りに行った時点で、おおよその察しはついていたはずだ。両親がなにを思っているのか、想像することもできない。娘が好きになった相手が相手なのだから、受け入れることに時間がかかるのも当然とさえ思えてくる。
どこか他人事のように見えてくる空間。現実に引き戻すように一瞬の沈黙を挟み、言葉が続く。
「私には家族が居ません。幼い頃から、一人で。ずっと一人で生きていくんだと思っていました。高校に入って、綾音様とばったり会って。別れ際、そこでなにを思うでもなく告白して――恋人になったのはその三年後です。見ての通り、年の差に同性であること、立場に。全部問題があるのは百も承知です。私は綾音様を愛しています。命をかけて守ると決めています」
そうか、と頷きながら母と父は目を合わせる。それがなにを意味するのかは推し量れないが、どちらに転ぼうと関係ない。もう縁を切ったも同然だと思っていたのに、今更なにを言う。
叶から私に視線を移された。次は私の番か。今すぐここから逃げ出したい。でもそうはいかない。
足の痺れを感じながら目を合わせた。シワの増えた、優しい顔。
「綾音。お前はこの子にとって大切な人なんだ。それを忘れてはならない。……あんなに恋愛なんてできないと言っていたのにな」
「叶だから、好きになった。ただそれだけ。親代わりを経て……。立場は今一緒だよ、叶も教師になったんだ。追い出されても縁を切られても、私は彼女と一緒に居る。なにがあっても一生、そう決めてる」
何度も訪れる沈黙。話し合いには慣れていない。会議とはまた違う。まして恋人を連れて来る、なんていうこともこれまで一切なかったのだ。なにを話せばいいのかも分からない。なにを思っているのかも分からない。
「否定のしようがないでしょう。この先ずっと孤独に生きていくわけにはいかない。私たちもあなたたちもね。それに、結婚指輪をつけてこられたらなにも言えないわ」
「前もつけてたけどね」
母からの言葉ということもあり、つい反射的に口を出してしまった。
前もつけていた。結婚指輪も、リングホルダーに通した婚約指輪も。
今思うと十六歳相手に渡したのも、恋人になったときに渡したのも変な話だ。恋人イコール結婚かよ、とも思う。
叶を誰かに渡すわけにもいかなかったし、何より彼女自身を守るためだった。今は恋人にはなれない、でも時が来れば必ずなる。間接的な約束が伝わったかどうかは知らないが、なくてもそう思い込んでくれたはずだ。
「でも早瀬さん、本当に大丈夫?この子、なにもできないけど」
「ちょっと母さん、なに言って」
「大丈夫ですよ、心配は要りません。。綾音様は存在してくれるだけで私の生きる意味になるんです」
あらあら、と言いながらほほえみを漏らす母と諦観したような父。そして真剣な面持ちのまま愛を語る叶。
「受け止めるには十分の時間があった。顔を上げなさい、二人とも。世間から見ればおかしな話かもしれない。だが、それを成し遂げているのは紛れもなく二人だ。よければ、だが。たまには帰ってこい。いつまでも親がいるわけじゃないんだ」
「そうよ、二人とも。……特に綾音。一人で抱え込めるほど強くもなにもないんだから。あなたを守ってくれる人が他にも居ることを忘れないで」
何年も恨みに近い感情を持っていた両親に優しくされた。安心と、張り詰めていたなにかが決壊したように心がゆらぐ。
叶を見てみるとあたたかな視線を向けられた。「よかった」そう呟いたように見えた。
その後多少の会話をして、実家を出た。
認められた、ということでいいのだろうか。縁を切られる腹づもりで挑んだこの勝負。一気に肩の荷が下りた。高揚ともつかない感情が全身を満たしていく。
「ねぇ、叶。なんで気にかけてくれたのか、って言ってたけどさ」
家に帰り、速攻でシャワーを浴びた。疲れも高揚も不安も、すべて流したかった。一日で、随分と状況が変わったことに体も考えも追いついてくれない。
癒やしを求めるようにソファでくつろぎながら、話を持ちかける。私が彼女を気にかけてきた理由を。
「別に特別扱いしたわけじゃないし、他の先生たちと同じように接したつもりだったけど。でも、叶はなんていうか。私にとって救いだったんだよ。心地よかったんだ、一緒に居ると。あとは何だ、その目か。君の目は色々と物を語るけど、笑うととても優しさに満ちるし」
「私にとっても綾音様は大切な人で救いですよ。一生徒として、恋人として」
互いに救われてきたのなら、それは幸せと呼ぶしかない。救い、救われ。生かされ、生かして。その繰り返しで今ここに生きている。
「なんかふと、思ったんです。あの視線、もしかして親的な目線だったのかなとか。なんか守らないといけない人間に対しての目線だったのかなとか。なんでもいいんですけどね、愛されてたから」
いたずら好きな視線をたっぷりと浴びせた後、ため息混じりに短く息を吐かれた。電球の映る瞳を天井に向けるのを見て無意識のうちに視線は上っていく。
どの瞬間のことを指されたのかは分からない。確かに、そんなことを思っていたときもあった。
「はぁー、緊張しました。三者面談するのとは当たり前に違いますもん。家族も居ない私が、本当に綾音様の実家にまた行ってもいいんですか」
「いいんだよ。あの人たちは案外情に厚いから。言ってたでしょ、私の家事能力を上げさせるから連れてきてくれって。それは建前としておきたいけど、叶はちゃんと家族なんだよ」
多少の会話の中には私の家事能力を問うものもあった。叶が誤魔化してくれたが、当たり前に彼らは私の親だ。一瞬で見破られた。そんな嘘を吐くくらい酷いのかと呆れられた。
家族の居ない叶はなにを感じたのだろう。壊れかけた家庭が修復されていく姿を見て、なにを思っただろう。
家を失くし、家族すら消え。孤独そのものを目にしてきた叶。壊れた家庭が戻ることはなかった。残ったのは全身の傷だけ。
寂しくないのか、という疑問が気泡のように浮かび上がった。私が居るから大丈夫だと言ってくれるのだろうが、寂しいとはまた異質のものが叶にはあるはずだ。私の知らないものを、彼女は感じている。
私の場合は最終的に家庭が壊れることはなかった。そこは、本当に良かったと思う。もうこれで結婚はどうするんだとか言われることもない。そして隠す必要もない。
恵まれている。私たちのことを認めてくれる人たちが居る。否定されるのが当たり前なはずなのに、受け止めてくれた。
「ていうか結婚の挨拶みたいだったような気がするんですけど」
「え、今更?結婚しているも同然だって言ったくせに」
もっとしっかりするべきだったと泣きわめかれる。大丈夫だと何度言っても意味もない自責を始めてしまった。
一番否定していたのは自分自身であったのだろうか、と不意に思った。
そうだったとしても、今起きている全てが当たり前のことなどではない。




