第四話 夏と愛
「やっぱり綾音様はかわいいですね」
「はいはい」
茹だるような蒸し暑さの中、久しぶりに花火大会へと足を伸ばした。
暑さに弱い叶は子どものようにはしゃいでいる。念の為に持ってきたスポーツドリンクがからっぽになるときは案外すぐにやってくるだろう。
もう何回着たか分からない浴衣。新しいものを買ってもいいと言ってあるが買い替える気など更々ない様子。付加価値がつくとどうも手放すことができない。それは私も一緒である。
相変わらずだな、と毎度のごとく言うといつも通りに怒られた。どんな姿でも叶はかわいいし、私の誇りだ。自分もかなり親バカのような人間になってしまった、と思う。バカップルだとどこかの誰かにも言われた。
この浴衣を持って帰省から戻った数年前、異世界かのように家が荒れ果てていて唖然とした記憶がある。
なぜか床には画鋲が散らばってどこから湧いたのかも分からないゴミが散乱し、よくないことをしていた痕跡も残されていた。「切ると波が引くみたいに、心が静かになる」何日か経ったあとに云われた。
叶が家を空ける日は私も同じようにゴミ屋敷を繰り広げたりする。どうも一人というものは変な行動をさせるらしい。
実家にももう何年帰っていないだろう。連絡すら取らなくなった今、私に残っているのは叶しか居ない。
認めてくれるとは思っていなかった。認めてほしかった。否定だけはしないでほしかった。愛する人のことだけは、特に。
今、もう一度話したら分かってくれるのかもしれない。だとしても話すのは怖い。また否定されたら?また行き場のない憤りを感じるのなら。この疎遠の状態を続けて、二人でひっそりと暮らして、この命を果たすほうが幸せだろう。
「まばたきせずに綾音様を見つめます」
「花火を見なさい」
すぐに暑さにやられた叶。スポーツドリンクを飲みながら本当にやりそうな冗談を云う。
花火に照らされる横顔とか絶対に綺麗ではないか、とのこと。くだらない話が何気に思い出になるもの。きっと何年経とうと色褪せず思い出せる。
何度も共に夏の景色を見ることができているが、これもいつまで続くか分からないもので。当たり前のことが当たり前でなくなったとき。考えながら握りしめた彼女の指には珍しく指輪が光っていた。
「だから花火を見なさい」
「綺麗ですよ、あなたが」
打ち上がると同時にこちらを向く彼女。いたずらっぽく笑ったと思えば夜空に視線を直した。
心の深くで色を変えながら散っていく花。そよ風に吹かれる少し伸びた髪。この時間が終わらなければいいと、らしくないことを思った。
叶が気持ちを言葉にしてくれるということもあってなんだか似てきてしまう。彼女もまた、ずっと続けばいいと口にした。
近くのコンビニでお酒を買い、公園のベンチで休憩することにした。
つい最近まで中学生だった気がする叶はもうお酒を飲める年齢になっていた。時の流れには身震いする。そりゃ年を取るわけだな、と老いすら感じる。
私が見ているときだけなら飲んでもいいけどそれ以外は駄目だと常々言ってある。目を離したら倒れるまで溺れるように飲んでしまいそうだと危機感を覚えての制限。
たまに破られることもあるが、その度に説教されることも分かってはいるので頻度は一応少ない。
数年前までいわゆる自傷行為を繰り返していた人間を野放しにしておくわけにはいかないし、死なれたら困る。というよりは私の命まで消えてしまう。
「相変わらず心配性」
「心配させてるのはどこのどいつだ」
知らないと言わんばかりにきょとんとして魅せるものだからとりあえず目を離した。見続けていたら暑さでどうにかなりそうだ。酔いが回るのが先か、愛しく見えるのが先か。答えはすでに決まっている。
「大好きですよ」
耳元で囁かれたと同時につま先から頭の天辺まで身体が熱くなっていった。あぁ、本当に。どうしようもないくらいに大好きだ。
唇をそっと重ね合わせて舌を交わらせる。さっきまで飲んでいたお酒の味を纏いながら。
そのままホテルに向かった。家に帰る時間すらもったいない。いち早く彼女を抱きしめたい。着替えも念の為用意しておいて正解だった。朝から浴衣で家に帰るわけにもいかない。
用意周到とはこのことだとはにかみながら云われた。
「好きだよ、私も」
長いようで短い夏の夜を明かし、また二人で次の夏を迎えられることを願った。
もっと特別な色を纏って、特別な景色を見たい。いつもと違う夜景を眺め、朝日に照らされる街を見ながら思った。
「あやねさまー!」
ホテルから帰り、仮眠を取り珍しく本を読んでいると後ろから飛びつかれた。思わずよろけて横に倒れる。不可抗力。
いつになく無邪気で元気が有り余っている様子。ないはずの尻尾がぶんぶん揺れて見える。
まだ若いから疲れ知らずなのか。そんなこともなさそうなのは見て分かった。目がとろんとして眠そうだ。
「どうした叶、随分甘えん坊だけど」
「甘えるので甘えてくれていいんですよ」
本を閉じて叶を愛でる。一緒に居られる時間くらい読書はやめて戯れるとするか。
私から見てもかなりしっかりしたと思えるくらいに努力を重ね続けていく早瀬。だがまだ中身は子どもであり、大人のフリをしているだけにも思える。
私は叶のどこに惹かれたのだろう、と今更ながら考える。
最初は細くて暗くて彼女の周りだけ暗雲が立ち込めているような空気が漂っていた。
話しかけると怯えた子犬のように震え上がり、しどろもどろに受け答えをしてくれた。その姿がどこか愛おしく、大丈夫かとも心配になったが守らねばという思いを駆り立てた。
シワの寄ったブラウスに折れ曲がったリボンを直すよう伝えると無理矢理に口角を上げて「はい」と言った。なぜか胸が絞まる思いがした。
彼女は人間を嫌う割に、しっかり人を見ていた。教師という立場である私に「無理はしないでくださいね」とよく微笑みかけてくれた。それだけで何度も報われたような気がしていた。
教師とはいえ一人の人間である以上、悩みも不安も絶えない。その立場に居るからこそ、緊張感が絶えない。張り詰めた気をほぐすように笑ってくれたのが、今までやめずに居られた理由である。
何者でもないなんてありえない生徒たち。一人ひとりに人生があるのだと、常々実感させられる職。
叶を見つめてみると、顔を赤く染めて目を逸らされた。頬に触れると一層それが増す。愛しい。目が合っては逸らされ、そっぽを向かれる。後ろから抱きしめてみると勢いよく向き直された。
正面から抱くのが正解らしい。伝う体温はやわらかく、身体に染み込んでいく。幸せ。
「あやねさま、大好きです」
「私も好きだよ」
あまり私は彼女に好きだと言うことがない。叶はいつも思い出したように言ってくれるが。たまに好きだと言うと、顔を赤らめて照れてくれる。それがいい。どれだけ嫌なことがあろうと、ストレスが溜まっていようと全てが吹っ飛んでいく。
「……大好き」
「私今日で死ねます」
「なんでそうなる」
死ねるくらいに幸せなのだと笑って答えてくれるが死なれたら困る。気持ちは分かる、私もそう思う。
生かして生かされて、今を生きている叶と私。
目の前に広がっている積み重なった書類やら授業の資料やらは見なかったことにしておきたい。お掃除ロボットが散乱した物にぶつかっているのを目撃したが無視を決める。
まだ抱いていたい、しばらくは。無条件に叶を愛していたい、愛されていたい。
「浴衣、綾音様が買ってきてくれたとき。私めっちゃ家散らかしてましたよね」
「そうだったな。びっくりしたよ、空気は淀んでるし画鋲に紛れて市販薬が落ちてたのも覚えてる」
薬が落ちていた、というのは覚えていないようで動きが止まった。
「それほんとですか。薬の隠し場所をひたすら当てられてたことは覚えてますが」
「まず画鋲が散らばってたこと自体おかしいし。薬が落ちてた、ってことはそういうことでしょう」
流石の観察力、と褒められた。褒められても反応に困る。観察力以前の問題だ。誰が見ても後退りする。
私も必死だったのだ。親代わりを務める以上、というよりはただ目の前から命が消えるのが怖かった。この子すら守れないのなら、存在している意味もない。生きてとも安易に言えない。見放すことはもっとできない。
「恋人未満だったのに。結構愛してくれてましたね」
「そりゃそうだよ。叶、私を何だと思ってるの」
当たり前じゃないことを当たり前のようにしてくれる神様みたいな人。そう言われた。
神になれたら、よかったかもしれない。そうすれば叶が波乱の人生を送ることもなかっただろう。
重くなってきた空気を切り替えるように押し倒され、腕を枕にされてしまった。床で寝るには腰が痛い。ほんの少しだけなら、と天井を仰ぐ。まだ夏は続いていくのだと思い知った。




