第三話 元同僚と彼女と
懐かしい夢を見た。叶と偶然出会ったあの夜のことを。
もらった手紙を読んだとき、ただの向けられた恋でも想いでもないということはよく分かった。漠然とした憧れでも、尊敬の眼差しでもない。まるで神様かのように思われていた。
私のことを面白いくらいに愛してくれていたことに気付いたのは、その後だった。
自分としても叶のことは好きだった。一生徒としてであったのか、一人の人間としてであったのかは分からない。
「いやいや、あんたも大概あの子のこと好きだったでしょ」
「なんで言い切れる」
久しぶりに会った元同僚に笑われた。アイスコーヒーをひたすらかき混ぜながら動揺を隠そうと足掻く。そして余計に笑われる。
こいつに会うとろくなことがない。それでも会ったのは叶との関係を唯一知っている人物だからだ。言ってもいないのに何故かこの人にはバレていた。怖い。
ただ、早瀬をちゃんと見ていた一人でもある。好奇の目とも言い難い、どこか蔑むような目を向けられることも多かった私の彼女。案外ちゃんと見ていたのがこの元同僚だった。
「わざわざ二人組作らせて余った早瀬と組んでたの、まさか無自覚でやってたわけじゃないよね?意図的じゃないの?」
「それは、早瀬が……」
にやにやしながら言葉を選ぶ私を見つめる嫌な人間。職員室から見てた、と今更になって言われても困る。
好きだったから、なんて理由でわざと組んでいたわけがない。
本当にそうか?そうでもないような気もする。なにも考えていなかった、ノコノコと家に行ったように。ただもし本当にそうだとすれば、わざわざ余らせたことを叶は怒っているのではないか。そんな不安が身の内に巻く。
他の生徒と無理矢理組ませても好転することはなかった、とその考えを押し込める自分まで現れる。なにがどうあれ、時すでに遅し。
「本当に無自覚なのか。でも、らしいや。あんたも早瀬も、二人で居るときすごく楽しそうだったしね。あと今瀬先生に関しては誰も近付くなってオーラ出してた」
「それは多分今も出している」
だろうね、と先程よりも笑って返す元同僚。
関係を責めるでもなく応援するでもなく見守ってくれている人間だ。一応大切にしておくべきなのかもしれない。
「早瀬が居なかったら私にもチャンスあった?」
「なにを言っている。有り得ない」
そう答えると引きつったような笑顔を向けられ、そうだよね、と端的に答えられた。
どういう意味なのか話をしながら考えてみたが一向に分からない。チャンスもなにも、なにかをこいつに与えることなどない。
叶が居なかったら恋というものも人を愛するということも知ることができなかった。
今までに他の人を好きになることは一切なかった。胸を張って言い切れるくらいには恋愛をする、ということに無縁であった。
周りが彼氏をつくり、結婚していく姿を見ながら私はこのまま一人で生きていくんだろう、と漠然と思う日々は見事に覆され叶という愛しい人と生きている。
普通に考えて、常識的に言ってしまうと教師と生徒が付き合いでもすれば問題になる。教師と生徒の関係が邪魔をして、それが適切な距離であって。
それでも叶の家に行ったのは、やはりなにも考えていなかったから、かもしれない。まさか一緒に住むことになるとは微塵も思っていなかったし、疲れ切った頭ではそんな予想などできなかった。
枠から外れることもなく連絡先を交換することもなく穏便に終わらせることもできたにはできた。卒業前の叶はそうしてくれた。それでも、今に至っている以上過去が変わることもなければ今が終わることもない。
とりあえず叶を推しておこう。罪滅ぼしも兼ねて。
「早瀬は天才だよ。お前が知らないだけでな」
「なに、マウント取られてるの。数学の点数は破茶滅茶に悪かったけどな。……そういうことじゃないんだろうけどさ」
「保体も壊滅的だったよ。でも自分のペースを守って、そして誰かに認められさえすれば案外なんでもできる子だ」
うちの叶は天才だと思う。誇張抜きで。勉強は目標さえ立ててしまえれば無双し始める。
家事にしても、親に教えられたこともないのにやり方を網羅している。ネットで調べてやったらできたのだと前に聞いた。彼女より何年も生きている私は未だに苦手だ。
家に行ったときも手料理を振る舞ってもらったが、それもかなり久しぶりに料理をしたとのことらしい。どれも輝いて見えたのに。まあ、コンビニ弁当ばかり食らっていたせいもあるが。よく褒めていると上達するスピードも早くなっていった。料理においても、人生においても。
何度かお邪魔して、共に住むという選択をしたのは私自身。それを叶が受け入れてくれたから、今が実現した。あの夜に出会えてよかったと心から思う。今の自分があるのは紛れもなく叶のおかげだ。
「あーやねさま!」
事前に呼び出しておいた叶が上機嫌な様子で姿を現した。
目の前でイチャつきやがって、という表情をする元同僚を放っておいて隣の椅子に座らせる。
「でもなんでここなんですか?普通にびっくりしたんですけど。あ、お久しぶりです」
「なに、ここ。訳あり?」
眉をひそめる元同僚とただ単に疑問を浮かべる叶の顔を見比べていると店の主が音もなく目の前に立ちはだかった。
長らく訪れることのできなかった喫茶店。叶の元バイト先。そして私にとっての憩いの場。
「彼女は元々うちのバイトでね。なんだ、元気そうじゃないか。どうだ学校の先生は」
「おかげさまで。大変なことも多いですけど楽しくやってます」
会話を弾ませている横で怪訝な顔をしたまま尋ねられた。なんでこの場所を選んだのか、と。
話がしたいと言うから静かな場所で、長時間居てもいいところを選んだだけなのだが元同僚は居心地が悪そうに顔を歪める。
そんな様子を見た店主は口を開いた。客だろうが誰にしようが口数の少ない寡黙な人だということは私も元バイトも知っている。だからこそ耳を澄ませた。好奇心のようなものが沸き立つような感覚がした。
「そんなに息苦しいかい、幸せそうな二人に挟まされて。君も一途なものだね、似た者同士仲良くしたらいい。大切になさい、彼女たちを」
図星を指されたような表情を浮かべる元同僚と見覚えのあるやわらかい笑顔を見せる年老いた店主。
今日はありがとう、と振り返りもせずお金を机に置いて去っていく彼女をただ呆然と見送った。
よく分からない人だ。最初出会ったときはあんな人ではなかった気がするのに。人というものは難しい。
そう思っていると、叶と店主は顔を見合わせて苦笑を浮かべていた。これもまたすぐに謎へと変わる。人というのはなぜこうも難しいのか。
「ただ今瀬先生は鈍感というか。早瀬さんに教えられたほうがいいかもしれないね」
なにが鈍感と言うのか、なぜこの人たちは一生苦笑いを浮かべているのか。
「いいじゃないですか。綾音様は私一筋ですもんね?」
「そりゃそうだよ、叶しか眼中にない」
事実だけを告げた。嘘偽りのない、真正な思いを。
すると叶に抱きつかれ、店主もまた穏やかな表情をしながら見守ってくれた。
「五百歳まで生きてください、いやそれ以上。一光年くらいは」
「いや無理だから」
家に帰ると真面目な顔をして言われた。
色々と無理がある。だが嫌な気はしない。それほどまでに愛されてしまっているのだから幸せ者でしかない。
叶の頭をぽんぽんと撫でて微笑む。好きです、と彼女もまた笑った。息を吐くように好きだと言ってくれる彼女を持つ私は世界中の誰よりも愛されていると思う。
「願い事たくさん書きましたよ」
そう云って見せられた短冊の束。読んでいくうちに口角が緩む。
綾音様が幸せに過ごせますように。綾音様が元気に過ごせますように。綾音様が日々を楽しく過ごせますように。綾音様が五百歳以上生きてくれますように。
「ずっと綾音様の隣に居られますように」
願わなくても、ずっと一緒に居るのに。こうして紙に書いて可視化してくれるのも、これもまた愛であろう。
叶が居なかったらこれほどまでに幸せを感じることもなかった。仕事に追われるだけの生活が続いていたはずだ。
「じゃあ叶も五百歳以上生きないとね」
「え、無理です。百歳でも嫌なのに」
「それなら私も無理だよ。叶なしでどうやって生きろと」
叶の居ない生活なんてもう想像もすることができない。人生の一部になっている人が居なくなったら、私も叶が感じているように生きていけない。
人生は絶望に変わり、真っ暗な闇が広がる世界に変わる。色のない、鮮やかな朝日も夜空に散る花もない。そんな世界に。




