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叶って叶えて叶わない  作者: 雨宮雨霧


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第十三話 誇るべきもの

 長い籠城戦が始まった。一度自室に入ると何時間も籠もって作業を進める叶だが、今回は違う。喧嘩でもない、ただ今までの人生が彼女を揺るがしていた。

 いつもより静かだと思いながら観察していると案の定急に立ち上がって飛び出そうとした。そうなることは予想がついていた、だから玄関の前に立ち塞がった。

「どこ行くつもり?」

 言葉を詰まらせながら俯く姿を見つめる。目を離してはいけない。

 硬直したまま五分ほど経った頃、叶は自室に閉じ籠もった。勢いよく扉を閉めたと思えば鍵も掛けられた。ずるずるとそこに座り込んだのが扉越しに分かる。

 自分でもどうしようもできない「なにか」が、彼女を支配していた。

 最近様子がおかしいと思っていた。振る舞い方が、ついこの前までとは違う。なにかに怯え、笑顔は消え失せ。無理に作っていることはすぐに分かった。口数も極端に減り、中学生だった頃の彼女の姿と重なった。

 何年経とうと傷は癒えない。十年以上ともに暮らしてきた、叶はそれをずっと抱えていた。一見問題に見える行動全て、過去の記憶を振り払おうとしていたものだった。

「叶、おいで。大丈夫だから」

 扉越しに声をかける。物音一つしない空間が薄気味悪く感じられた。冷蔵庫の稼働音が聞こえるリビングは静寂そのもの。

 向こう側でなにを考え、なにに苦しんでいるのか。私には分からない。今になって記憶が蘇ってきた、というわけではなく抱えきれなくなってしまったのだろう。

 子どもで居られなかった少女。大人になってもそれに蝕まれるのなら、それは。地獄としか言いようがない。

 刻々と過ぎていく時間。持ち帰った仕事をしながら、出てきてくれるのを待つ。十円玉でも使えば鍵は開けられるが、今踏み入ってはいけない。タイミングを間違えれば命の保証さえできなくなる。

 夜中。鍵が開く音とともに青白い顔をした彼女が床に倒れ伏した。

「叶!」そう叫んでいた。テーブルでうたた寝をしていたことも忘れ、介抱する。早瀬の家で一夜を過ごした翌朝もこんな感じだったな、と懐かしいものを感じたがそんなものもすぐに心配に変わる。

 幼い子どものように泣きじゃくる彼女を抱きしめ、大丈夫だと繰り返し呟く。なにも大丈夫じゃないことも分かっている。それ以外にかける言葉が見つからない。

「生きる力を、生きる意味を、理由を。綾音様はたくさんくれたのに」

 途切れ途切れに話す叶はなんとも弱々しかった。手にペーパーナイフが固く握りしめられているのを見たとき、大波に襲われるような感覚がした。長袖をめくってみたが、傷つけた跡はない。

 やるわけない、と作り笑いを浮かべられた。思えばやらないと決めたのは叶自身。一度決めたことは貫き通す信念を持つ強い子だ。

 この時間まで一人、自分自身と戦っていたのか。行き場のない感情を、どこにやれると言うのだろう。過去の叶が繰り返してきた自傷の意味が分かった気がした。

 私との思い出は全部覚えていると言えると彼女は云う。そして、それなのに最近は過去に見てきたものをどの瞬間であろうと思い出してしまうのだと云った。

 計り知れない苦しみを一人で耐え、私と暮らすまで孤独に生きてきた彼女。上書きしてきた記憶がまた息を吹き返すように叶を蝕む。

「あなたが、私を止めてくれる。大事なストッパーですね、ほんとに」

 抱きしめた身体は余計に細く感じられた。ぬくもりの少なさに、叶ではなく私が震えてしまった。

「大丈夫、ずっとそばに居るから。なにも考えなくていい」

「ありがとう。綾音様」

 寝室まで彼女を運ぶと、すでに抱かれたまま寝息を立てていた。布団に潜り、抱きしめ直す。叶のためになにができるだろう。

 やわらかい髪を撫でながら私も眠りについた。

 朝を迎えられることもまた当たり前ではない。ほんの数時間の間に少しでも癒えていればいいのだけれど。


「どう、体調は」

「大分マシになりました。心配かけてごめんなさい」

 心の傷を振り切ろうと仕事に没頭した叶は当たり前に体調を崩した。それでも仕事をする姿はどこかの誰かに似ている、とどこかの誰かが口にした。

 もう心配をかけない、と叶は何度も豪語しているがそれを達成した試しはない。大体心配をかけまいと無理をして、心配する羽目になる。らしいといえばそうなのだが。

 でも流石に何日も飲まず食わずで仕事をして、夜遅くに帰ってきていた数日間は私も疲弊した。どこかで倒れているのではないか、とひたすら位置情報を見つめていた。決して監視しているわけではない。彼女はリードもしていない犬のようだから。ただそれだけのこと。

「……お前のせいでなんかその、そういう以降のこととかできてないな」

「綾音様。そうですね、ずっと心配かけて、それなのになにも返せてなくて」

 視線を泳がせながら言葉を選ぼうとする叶に口をつけた。別にそういうこと、をしたかったわけでもない。ただ本当に遠くに行ってしまいそうで。心配するのも、叶が好きだからだ。謝る必要なんてないんだよ。

 舌を交わらせながら自分自身の想いを確かめていた。全てを尽くすと言わんばかり、私に尽くしてきた叶。脳裏に浮かぶあの夜の言葉。一回りは離れている歳。想いは幾重にも積み上がっていく。

「久しぶりに散歩でも行こうか」

 はい、と微笑んだ叶の手を握りしめ、秋の寂しさを感じる外に出た。薄手の長袖でも肌寒い気もしたが、歩いているとそうでもなくなる。

 やはり私は外に出るのが好きだ。家ばかりだと息苦しい。ただその逆を行く人がすぐ近くに居る。互いにそこは長年、意味が分からないとでも言うような顔をしている。

「たまにはいいでしょ、家から出るのも。教室駆け回っても職員室に閉じ籠もる時間のほうが長いんでしょ?身体固まるし動きな」

「運動不足は感じますけど動きたくないです」

 生粋の運動音痴とはいえ、散歩くらいはしてもらいたいと思いながら街灯の下をくぐり抜けていく。

 散歩でも、と言ったのはいいが何の目的もなく歩いていていいのだろうか。沈黙の続く道、虫の音ばかりが耳に飛び込む。

「今瀬先生はやっぱり、私が一生徒のままであったとして。死にたいとかほざいたら――」

 歩みを止め、叶の言葉を遮った。「なにがあっても止める」そう言うと、またもや笑みを返された。暗がりの中で。

 返される言葉は分かっていた。それを彼女は訊いた。なにを考えているのかは百パーセントとは言い切ることはできないが、どの言葉を欲しているのかは分かる。自分に言い聞かせるよりも、人から言われたほうが心に残るのだ。

「消えはしませんよ、死んだって。死者が存在しなくとも、魂は残る」顔を見合わせて、微笑まれた。「分かっていますか、今瀬先生。あなたは特別なことをしたなんて一切思ってないでしょうけど。あなたが誇るべきなのは、あなた自身です」

 この瞬間、何のことかと疑問に思った。分かるもなにも、誇るべきものもなにもない。そう思った。

「知ってます?永遠の別れって永訣って言うんですよ」

「だからなんだ。なんでそんなことを言う。なんで、君はそんな……」

 気付けば両肩を掴み、揺さぶっていた。どこを見ているのかも分からない視線が、真っ直ぐに伸びている。

 手を離し、そっぽを向いた。こいつの韜晦には慣れるどころか毎度のごとく心を締め付けられる。だからといって怒鳴るわけにもいかない。そんなことをすれば願いと逆の方向へ行ってしまう。

 結局あなたも同じじゃないですか。なんて言われてしまったら立ち直ることも、彼女の目の前に立つこともできなくなる。

「来年も、見れたらいいな。この先もずっと」

 振り向くと同時に色づいた葉を拾い上げ、目の先でくるくると茎を回しながら呟いたのが静寂な秋に響き渡る。

 明日のことすら不透明なこの世界。この先、二人で生きているかも分からない。それでも叶は希望を見出そうとしている。確かに生きようとしていた。

 シャワーを浴びながら、ベランダで風に当たっていたときに「誇ってください」と言われたことを思い出した。誇るべきなのは、自分。誇るのは、自分。

 叶の持つ言葉の強さと隠された弱さに打ちひしがれながら、涙を流した。

 私はなにも分かってなどいなかった。長い時を経て、その意味を知った。特別な「こと」が指すものも分かった。

 心に刺さった言葉が溶けていくような感覚に襲われながら、冷たさを温水で打ち消そうと浴び続ける。冷たさが妙に気持ち悪く感じられた。

 ただ、その「こと」が実現したのは紛れもなく叶が生きてきたからだ。必死にもがいて、今を生きている叶自身を私は誇りたい。一生徒を生かしたというのは事実であるにせよ、それだけでは薄っぺらい紙にもなり得ない。

 叶の人生があるからこそ、それは一つの物語になる。


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