第十二話 屋上の幽霊
「なんでデートが実家なの?嘘つきは泥棒の始まりなんだよ」
「私が綾音様を奪ったんですから泥棒でいいです。あと私は頼まれているんですよ、あなたは愛されているから」
デートにでも行こうと誘われて着いてきたらこの有り様だ。のうのうと着いてきた私も悪いのかもしれない。後先くらい考えたほうがいい、いい加減に。
「たまには顔を出せって言ったのに帰省もしなければ正月もすっぽかして」
玄関が開くと同時に浴びせられる言葉たち。だから嫌なんだよ、この人たちは私の生活なんてものには更々興味がない。
そんなに暇じゃない、と言い返すとそれは本当にそうだと叶が口を挟んだ。口喧嘩を止めてくれる人が居るということは結構ありがたい。
叶が連れてこなければよかった話ではある。騙されなければ怒られなくて済んだのに。でも、帰省しなくていいのかと何度も問い詰められていた以上、こうなるのも自明の理か。
「距離もあるし二人とも教師だしあまり無理は言いたくないんだけど、お願いがあってね」
改まる母を見ると視線が合った。私が得意ではないことを言われるということはすぐに分かった。
「いい加減、綾音の部屋の荷物どうにかして。私たちもいつまで生きられるか分からないんだから」
予感的中。長年放置してきた実家に置いたままの荷物はほとんど要らないものではあるのだが……捨てるのも片付けるのも苦手というか面倒くさい。
状況を把握した叶は制止する前に部屋の扉を開けた。途端に振り返り、怪訝な顔を向けられる。言いたいことは分かる。分かるさ。
「まあ、そういうことだからよろしく」
足早に何処かに去っていく両親。汚部屋としか言いようがない光景に呆然と立ち尽くす叶。
地獄のような空気が流れる空間からコソコソ逃げようとしてみたが駄目だった。笑いもせず真顔で部屋に入り込む彼女に手を引かれ、仕方なく片付けを始める。
それにしてもこんなに酷い状態だったか。誰かがひっくり返したに違いない。
「よく振袖見つかりましたね、こんな部屋で」
「こんなって言うな。振袖探したときに全部ひっくり返した気もするけどここまで散らかした覚えはない」
記憶を辿るとこの部屋を作り上げたのは過去の私だったらしい。我ながらよくここまで散らかしたものだ。
いつのものだか分かるわけもない洋服に謎の紙。全部要らないといえば要らないが、一応目を通していく。一番危惧しているのは叶によからぬものが見つかること。今のうちに言い訳でも考えておいたほうがいい気がしてきた。
「昔の写真とかないんですか」
思っていた通りの問いが来た。この欲しがりは前に住んでいた家でいつだかの写真を見つけて今も隠し持っている。本当に抜け目のない奴だ、最初から。
写真、か。探せばあるかもしれない。ただ見られたくない。誰が最愛の人に醜態を晒したいのか。未だに学生時代の教科書が出てくるあたりそういうのもやはりあるはずだ。見つかる前に回収しないと。
「ウィンドチャイムですかこれ」
「ああ、なんかあったな。雑貨屋で買ったんだっけ」
こういうの好きだったんだ、と感嘆を漏らされるとなにか気恥ずかしささえ感じる。昔のことなど思い出したくもない。それでも捨てるとなれば目を通さないといけない。だから今の今まで、避けてきた。
「綾音様ってどんな学生生活送ってたんですか?」
唐突に質問を投げかけてきた叶を目だけで見ると、制服がその手にあった。捨てたものと思っていたのにまだ残っていたのか。物持ちがいいというよりはただの怠慢。
着ろとは言わないのか、となぜか寂しく思った。こんな歳が制服なんて着ようものなら即通報されてしまう。気を取り直して視線を戻し、つい冷たい口調になった。
「結構前にも言ったと思うけど」
「成績よかったって嘘ついたときのことですか。実際は悪かったっていう」
怖いくらいに覚えられていた。その通りだと答えるのに少々戸惑った。
どこかの主人公のように話を盛ったことがあった。勉強もできた、とか部活もできた、とか。幼稚にも程がある話をした。
すぐに嘘だと言ったはずなのだが、そういうこともかなり覚えられているらしい。流石の記憶力だな、と感心する。そういうことだけは覚えているのだと、よく叶は言う。
人間というのはそういう仕組みなんだろう。
「勉強したいわけなかったし。今も生徒に勉強する意味ないじゃんとか言われたら同調しそうになる」
「それはそう。興味なかったら余計に」
教師のくせして勉強は嫌いだという話になる。
どの教科も成績がいい生徒を見ると思わず感嘆を漏らしそうになると国語教師は言う。気持ちは分かる。すごいとしか平凡な私たちには言いようがない。だからといって、成績の良し悪しで人の価値を決めようとするなど言語道断だ。
そんなことをするような人を信用することなどできないし、教師としても如何なものかと思う。生徒からすれば尚更、大問題になる。
大方ゴミを分別できたところで一休み。
私の家から叶の実家へ、叶の実家から私の家へ荷物を持ってきたときも思ったが、どうも選別するのが苦手だ。なにが必要でなにが不要かもイマイチ分からない。
叶が居れば特に問題はないとは思っている。それでも手元にあふれる物たちは一体なんだろうか。
「叶はどんな学校生活してた?」
顔を出した床に寝転びながら訊いてみる。掃除機をかけてから寝転べと叱られたがもう遅い。埃にまみれた。
忙しない日々のおかげで一緒に居られる時間が限られていた以上、私の知らない面はたくさんあるはずだ。
懐かしささえ感じる木の天井を眺めながら、返答を待ってみる。
「綾音様が一番知っていると思いますけど。まあ、あなたが知らなさそうなことといえば。叶うわけない恋をして、何百回と諦めようとしたこととか。叶わないほうがいいって、思い込もうとして。無理でしたけど、初めて心から好きになった人ですし」
知りたいのは正直それではなかった。あと普通に知っている。なんて言えば怒られるに違いない。
叶に視線を浴びせて次の答えを催促してみると、苦笑いを浮かべられた。身の上を語ることは彼女にとっては苦痛そのものらしい。
「学校生活はひたすらにぼっちでしたし陰キャ通り越してもう空気。知ってますね、それは。あー、そう、今瀬先生の前で死にたいとか思ってました」
何の揺らぎもない表情でこっちが驚く言葉を発する叶。そんな様子を見てのことなのか、それともこの話を続けるにはこうするしかなかったのか背後から抱きしめられた。
「いくら好きだからって、最悪ですが。純粋に見えて歪んでて、よく分からない恋だなーって思います。家も一人だし、今瀬先生のそばしか居場所はなかった」
背後にかかる言葉を推し量ることはできない。一息つき、言葉は紡がれていく。
「親はあんなのだし、自分も自分で、だし。自分から孤独を選んだ。周りから見ても、私ってどうも普通じゃないみたいで。誰も話しかけようとはしなかった。でもあなたは違った。私の学生生活は、綾音様のおかげで一転したんです」
片付けを再開しながら様子を伺う。彼女の自虐には慣れたが、私の前で死にたかったと言われるとたじろぐ。本当に、そんなことが起こったとしたら。どうなってしまうだろう。
今でもたまに試されている。反応を楽しんでいる、というよりは不安を消そうとするとそんな言動に出るらしい。
何年経とうと癒えることのない傷。上書きをするにも限界がある。
叶は口を開くたびに私を持ち上げるが、彼女にとって私は一体何なのだろう。命の恩人だとか恩師だとか。恋人だとか。簡単に形容できることでもないとは思うが、やはり疑問に残る。
どこからか発掘されたトランプで遊びながら、時間は流れていく。
「中学も高校も屋上って禁止だった気がしなくもないけど、よく登ってたな」
「え、登ってたの。じゃあたまに屋上に誰か居るって言われたのって」
「それ私かもしれません。幽霊だ!とか騒がれてたやつ」
ここまで来て屋上に登っていた犯人が叶だったことが分かった。
誰か居る、と報告を受けたとき、もちろん見回りにも行った。それでも鍵を開けられた痕跡がなければ空が広がる屋上にも誰も居なかったのを覚えている。学校の七不思議だと生徒たちが噂を広めたりもした。その要因がこいつとは。
「あんた、どうやって」
「どうもこうも鍵ですよ。たまたま屋上までの階段登ってたらささってたんです。それで」
思わず頭を抱えた。時既に時効といえばそうなる。だが私からすれば時効というものがなければ犯人が目の前に居る。
「屋上好きだね、随分と」
「そんなこともないですよ、高いし。でも自由になりたかった」
私と偶然出会ったあの夜も、屋上に行こうとしていたのだと言っていた。次の日も帰るのが遅かったのはそこに居たからだと言っていた。でも好きで行っていたわけではなかったと言う。
叶の勝利で決着がついたとき、喜びではない言葉が紡がれた。
「……私の学生生活は。しんどいこともたくさんあったし、周りと比べても出来損ないだし適応するにも難しい。華の学校生活なんてものは夢小説にしか存在しない。でも頑張る理由ができた。落ちこぼれだったのに這い上がれた。綾音様のおかげで」
結局片付けが終わったのは夜だった。ほとんどは処分、手元に残すものは持ち帰る。増えた荷物を抱えながら実家を後にした。
ほぼ空っぽと言っていい部屋に、また足を踏み入れることはあるのだろうか。次来るときには叶の家がそうであったようにもぬけの殻になっていそうでどこか恐怖さえ感じられた。
居場所がなくなるということは辛い。どんな状況にあったとしても。
助けてほしかったんだと思う、と帰り道で言われた。教師という立場と生徒という立場。それを越えることができなかったから、と。どこまでもまっすぐな考えを彼女は持っている。
人を救うということは大きな責任がつきまとう。それを重荷だとは思わない。少なくとも叶に対しては。
ただ、私の力だけでは叶の命は救えなかった。叶がそれに応えて、生きてくれたからこそ成り立つ論理。奇跡、軌跡、キセキ。どれかが欠ければ生まれ得ないもの。
私の生きがいは紛れもなく、彼女の命にある。




