08
第5の試練が終わった後、私が正院に戻ると、まずお兄ちゃんに会った。
開口一番、アンリに貰った腕輪を渡すように言ってきた。いわく、「お前に持たせていても碌な結果にならない」らしい。酷い言い様だと思ったけれど、もっともな話だったので抵抗せずに渡すことにした。
さすがお兄様。妹のことをよくお分かりで。
それから、心なしか軽くなった腕を意気揚々と振りながら食堂に向かい、神官長が自らお土産のお菓子を皿に並べているところに近づいていき、「神官長〜、お土産くださーい」と両手を合わせてお願いした。
「アウローラ。あなた、試練は?」
「終わりましたよ。なんか、捻挫のおじさんを治しました!」
「そうですか」
「アンリが試験官だったんですけど、他の人が終わるまで数日かかるかもですって。でも、そんなことより早くお土産ください」
ちょうど近くに座っていたジェミニが信じられないものを見るかのような顔をしているが、私は前言を撤回しない。だって、欲しいんだもん。
神官長が一見して何を考えているのか分からない顔で、お菓子を置いた皿を渡してくれる。
きらきらと美しい色合いで飾られた焼き菓子。バターの香りが漂ってきて、さてはとっても素晴らしいお菓子だなと確信する。
早く食べたいと逸る気持ちを抑え、1番近くにある椅子に座る。食べる時は椅子に座らないといけないのだ。だって、そうしないとせっかくのお菓子を取り上げられてしまう。
まずは、と焼き色が大層食欲をそそるフィナンシェから手をつける。
「ん〜!おいしい!神官長、おいしいです!」
「そうですか」
「はい!どこに出張に行ってたんですか?」
「サロエの街ですよ。教会を新たに建てましたから、その記念式典に呼ばれたのです」
サロエ、サロエ……って、どこだっけ?
どこかで聞いたことがあるような名前だけれど、それ以上の情報は全く出てこない。
首を傾げて神官長を見上げると、はあ、とため息を吐いた後、私の右頬をびよんと引っ張ってきた。
「なにふるんでしゅか」
「サロエに新しい教会を建てること自体は、以前から話していたでしょう。忘れたのですか?」
「おぼえてまへん」
正直に答えると、ビヨンビヨンとますます引っ張られた。
おかしい。正直に答えることは大切だと、誰かが言ってたのに。私はどうして怒られているのでしょう?
痛みを感じない程度に手加減はされているが、喋りにくい上にお菓子も食べれないので離していただきたい。
とはいえさすがの私も、今それを言ってはならないことくらい理解できる。伊達に怒られ慣れていないのだ。
しばらく神官長のびよん攻撃に耐えていると、満足したのか「まあいいでしょう」と解放された。頬が伸びていたら神官長のせいですよ!
「式典はどうでした?おいしいものは食べられましたか?」
「アウローラ、あなたは式典を何だと考えているのですか」
心なしか、神官長の視線がさらに冷たいものになってしまった気がする。あれ?
「食事をする機会はありましたが、普段とそう違いはありませんでしたよ。サロエの街で適当にいただきました」
「えー?せっかくですし、名物でも食べてくればよかったんじゃないですか?」
「多少はいただきましたが、何より今は次代の聖人様を選定する時でしよう。早めに戻ってくるべきだと思いまして」
責任感溢れる言葉が返ってきた。なるほど確かに、神官長らしい言葉である。
私であれば、これ幸いとサロエの街を堪能するために何日か居座ってやろうと考えるだろう。
「試練はどうですか」
「試練ですか?特に難しいこともありませんし、うーん……あ!ちゃんと毎回参加してます!」
むふー、と胸を張って主張する。褒めてくれてもいいんですよ?ついでに、追加でお菓子をくれてもいいんですよ?
私の思いが通じたのか、神官長がクッキーを1枚追加してくれる。そうそう、アウローラちゃんは褒めて育ててくださいね。
「他の候補者との間に問題は起こしてませんね?」
「起こしてませんよ。みんなが口を揃えて黙っておくよう言ってくるので、そもそも会話自体あんまりしてないですし」
聖人になりそうな人がいれば、今後のことも考えて話しかけようかとも思うけれど、今のところ「この人だ!」という人は見つかっていない。それに、聖人選定の試練は、神殿にとっての一大イベントであり、神官にとっての生涯にわたる上司選定の機会なのだから、さすがに私だって、神官たちの言うことを聞いてあげようと思うのだ。
「でも、候補者にもいろいろな人がいるなって思いました」
「色々な人、ですか」
「聖人だって性格がばらばらなので、それも当たり前だとは思うんですけど、なんというか、本人のやる気とか、周りのやる気とか、いろいろだなって」
聖人に選ばれるのに、本人や周囲の思いの強さが決め手になるわけではない。けれど、その事実があるとしても、人々の心を駆り立てるものが、手に入れたいと願うものが、聖人という存在にはあるのだろう。
「……まあ、そうですね。私たちとしては、聖人として光の神殿を第一に考えてくださる方がよいのですが」
「サイラス先生みたいな人がいいってことですか?」
「願うならば、ですよ。もちろん、どのような方が選ばれるとしても、その方は光の神がお選びになった方です。私たちが誠心誠意お仕えすることは変わりません」
きっぱりと言い切った神官長にさすがだな、と思う。神官長の言葉のとおり、誰が聖人になったとしても、神官たちは真面目に、尊敬の念を持って接するのだろう。それが神殿に仕える彼ら彼女らの、神官としての矜持なのだ。
誰が聖人に選ばれるのかは分からない。今、候補者として神殿にいる人から選ばれることは確実だが、結果は最後まで分からないのだ。けれど願わくば、聖人として尊敬できるような人であればよいとーーーそう思うけれど、段々考えるのが面倒になってきた。よく考えずとも、私が考えようが考えまいが結果は変わらないのだ。それなら、私が考える必要もない。
思考を切り替えて、目の前のお菓子に集中する。
こんなに素敵なお菓子があるのだ。小難しい話など、このお菓子に相応しくないに決まっている。さっさとやめてしまうのが吉だ。
追加してもらったクッキーを両手に持って、もぐもぐと口を動かしていると、神官長が「ところで、アウローラ。あなたに聞きたいことがあるのですが」と前置きしてきた。
その瞬間、私の頭に危険信号が走る。神官長がこういう前置きをする時は大体良くないことを持ちかけられる時である。大変真面目な神官長は、面倒ごとの時ほどきちんと前置きをしてくるのだ。
「あー忙しいなあ」
「アウローラ」
「忙しい。本当に忙しい」
「アウローラ」
「お土産おいしかったです。……じゃ、また今度―!!」
言い捨てて、私は走り出す。途中、皿を所定の場所に戻すことももちろん忘れない。そうしないと、今度お菓子をもらえなくなるからね!
けれど、さすがそこは神官長。約10年の付き合い。私の行動への対応は慣れたものである。
「待ちなさい、アウローラ」
声を荒げることなく、後ろから追いかけてくる。全力疾走で廊下を駆け抜ける私に対して、神官長は脇目も振らず全力で追いかけてくる……こともなく、廊下にいた神官たちに的確な指示を出しながら冷静に追いかけてくる。
「ハロルド、そこを右に曲がりなさい」
「はい?ってアウローラ!?」
「シーナ、後ろを振り返って確保です」
「はい!…………失敗しました、神官長」
「キャロル、左横に二歩ずれなさい」
「は、はい!」
「ジェミニ、真正面から捕まえなさい」
「承知しました!ーーーうわっ」
時に右からすり抜け、時に道を変え、時に肩に手を置いて跳躍しつつ、私は足を動かし続けた。
さすが神官長。今までの経験を基に私の逃げ道を着実に塞ごうとしてくる。
だが、こちらもまた、今までの積み重ねがある。そう簡単に捕まっては名が廃るというものだ。……え?なんの名だって?そんなの私も知らない。
目指すはサイラス先生の部屋。神官長が一番遠慮という言葉を思い出す人の部屋である。
「サイラス先生!」
たどり着いた先で、思い切りよく扉を開く。ついでにノックも忘れない。ノックをしてから扉を開けるまでに1秒と満たないが、まあ、サイラス先生の部屋は、廊下と区切る扉の先に、もう一枚扉があるので、そこを開ける時にもう一度ノックすればいいだろう。たぶん。
それにそもそも、この扉にはサイラス先生の魔法がかけられていて、ノックをしようがしまいが、本来なら先生の許可がなければ開けられない。許可は逐一取る必要があり、許可の方法は魔法をかけた本人が決める。つまり、サイラス先生は、その方法を、他人の部屋の扉を開ける時の礼儀に則って決めたということだ。
じゃあ、どうして私がサイラス先生の許可を取る前に開けられたかというと、おそらく一種の事前パスのようなものが与えられているからだろう。サイラス先生は、基本的に自分の部屋を訪れてきた神官たちを拒否しない。ほとんど全ての場合において、入室の伺いを立てれば許可してくれる。
私も最初は、サイラス先生の許可が出てからしか扉を開けられなかったけれど、そのやりとりを何回……いや、何十回……何百回?と繰り返した結果、ノックをすれば開くようになった。詳しい理由は不明である。サイラス先生も、神官長も両親も兄もエドも、みんな首を傾げていた。だが、結局のところ、「アウローラだから」と遠い目をして、みんなの疑問はうやむやになった。さすがアウローラちゃん。アウローラだから、で大抵のことはうやむやにされてきた素敵な名前である。