03
「聖人候補の皆様、お初にお目にかかります。私の自己紹介はとりあえず置いておきまして、ただ今より、第1の試練を始めます」
突然の開始宣言に、広間中がざわりと揺れる。まさか着いてすぐに始まるとは思っていなかったのだろう。もちろん、私もその1人だけれど。というか何なんだ、自己紹介は置いておくって。言えよ。勿体ぶるほどじゃないでしょ。
そんな私の心境をよそに、前に立つ神官は説明を続ける。名前はジェミニ。つい1週間前に中位神官になった、昇進ほやほや君である。今度何か奢ってもらおう。
「とはいえご安心ください。第1の試練は既に始まっており、そして終わっております」
予想外の終了宣言。候補者たちがざわめきを取り戻す。
「まずは、皆様がお持ちのこちら―――通称『招待状』をお出し下さい。そして名前が刻まれた部分を指でなぞり、一言『守れ』と言葉を発していただければ結構です。では、一斉にしていただきましょう。……10、9、8、」
教会内に入るために、候補者たちは招待状を手に持っている。一部、懐に入れていた人もいるようで、慌てて取り出している姿が見えるけれど、それほど時間はかからないだろう。
だが、考える暇を与えずに制限時間を設けてしまえば、とにかく従うしかないと思うのが普通の思考。ジェミニは『一斉に』と言ったが、果たして一斉にすることに意義があるのか、それを考えるにも時間がない。もし一斉にしなければ、試練に落ちる可能性が残されている以上、1人だけ動かないわけにもいかないし。
とりあえず私も自分の名前を親指でそっとなぞる。
そして、ジェミニのカウントとともに、「『守れ』」と呟く。
瞬間、強い光がどこからか発せられ、私は反射的に目を瞑った。
「―――はい、お疲れ様でした。これで第一の試練は終了です」
その言葉に目を開けた時、周りにいた人数が約半数に減っていることに気づく。
「この場に残っている皆様が、第1の試練の通過者です。残念ながら通過できなかった方々は、教会の外へと送られただけですので、ご心配なく。では、さっそく第2の試練に移りましょうか。こちらも何も難しいことはございません」
なるほど。『守れ』と言うことで、通過者たちは自分の身の回りに結界を張ることができ、通過できなかった者たちは転移魔法か何かで扉の向こうへ送られたのだろう。
そう考えると、あの強い光は、通過者たちの結界の光だと思われる。元の半分とはいえ、約500人がこの狭い空間で結界を張ったのだ。あそこまで眩しかったのも頷ける。
「第2の試練では、皆様に鍵を作っていたきます。この鍵は、皆様にこれから過ごしていただく部屋のものです。先程申し上げたとおり、作り方は難しくありません。まずは、この『招待状』を手に取っていただいて」
ジェミニが招待状を上に掲げる。
「『形成』。……以上です」
ジェミニが呪文を唱えると、招待状がぐにゃりと形を変えて、鍵へと変化した。ところで、この呪文についてだが、呪文とはつまり魔法語のことである。私たちが普段使う言語とは異なり、魔法を使う時のみ使用する言語だ。
ただし、周囲で当たり前のように使われるので、覚え方というか、そういうのはない。普段使う言語と同じく、いつの間にか自然と覚えていた。
そんな呪文だが、簡単な魔法は単語を唱えるだけで発動されるし、複雑なものや大規模なものは文章を組み立てて発動する。ーーーと、教本には書いているが、使い慣れた魔法や自分の適性に合った魔法なら、呪文を唱えずとも発動できることが多い。
ちなみに、単語の意味自体は割とそのままだ。なので、さっきの『守れ』は、『守護』と言っても同じ魔法が発動される。要は、意味が合っており、頭の中でしっかりと想像を固めておければ、単語に多少の違いがあっても許されるし、魔法も発動するということだ。
それにしても、この招待状、色々と術を埋め込み過ぎではなかろうか。神官たちがヒイヒイ言いながら作っていた理由が分かった気がする。
「できた方から、私のところまで来てください。案内役の神官をお付けしますので、その者に従って移動願います。では、どうぞ」
あっさりと始まった第2の試練。戸惑いつつ、周囲が「『形成』」と唱え始めるも、実際に鍵を作れたのは一部のみ。どうやら、全員が作れるわけではないらしい。とはいえ、2回目や3回目で作れた人もいるので、どういう仕組みかはよく分からないけれど。
……さて、私も鍵を作ろうと思うが……。そもそも、私は既に、この光の教会内に自分の部屋を持っている。だから、別に改めて部屋をもらう必要はない。かと言って、元々鍵があるからと試練を通過できる訳でもないだろう。
うーむ、と私は少し悩む。その間、約10秒ほど。それ以上は悩まない。だって面倒だし。
「『形成』」
とりあえず鍵を作ってみる。……あ、できた。
できたのは、よく見る形の鍵。私が元々持っている鍵と少し色が違うけれど、まあ多分これでいいんだろう。
テクテクと歩いてジェミニの元へ行く。私が目の前に現れた瞬間、一瞬だが笑顔を引き攣らせたほやほや中位神官に、失礼なと内心思う。
「……鍵を」
手を差し出されたので、無言で鍵を載せる。ジェミニは鍵を握ったり小さく呪文を唱えたりして、恐らく鍵の真偽を確かめていた。
「おめでとうございます。あなたは168番目に通過いたしました。こちらの神官に従い移動を始めてください」
ジェミニが招き寄せた神官を見上げる。……あれ?
見知った顔に、口を開こうとするけれど、「移動、してください」と繰り返し言われたので、一旦口を閉じなおした。ジェミニの視線に妙な圧力を感じたことも理由の1つだ。けれど、その圧力は目の前の人物ほどはない。「いくぞ」と声なく口の動きだけで告げられて、静々と従うことに決めた。
広間を出てしばらく歩き、上へ上へと階段を上り、いくつもの部屋を通り過ぎ、最上階の1番端で神官はようやく止まった。
そして、なぜか神官に預けられ、私には返されなかった鍵で扉を開け、中へと入っていく。
部屋の中には、机とベッドといった必要最低限の家具が置かれていた。それを横目に、なぜか一向に止まることなく部屋を横断していく神官についていくと、バスルームらしき部屋に転移陣が敷かれているのを見つけた。
「手を」
出された手に、自分の手を重ねる。グイッと引き寄せられと思った次の瞬間、目の前の風景が変わっていた。転移の先は、いつもの私の部屋である。
……よし、そろそろいいかな。
「なんでお兄ちゃんがいるの?」
「なんで、とはお言葉だな。俺も神官なのだから居て当然だろう」
「それはそうだけど。でもお兄ちゃんは、仮にも2級神官でしょう?中位神官を監督官にして、上位神官を案内役にするなんて、流石にありえない話だって、私にも分かるよ」
神官の級は1から10まであり、1から3までが上位神官、4から6までが中位神官、7から9までを下位神官、10を見習い神官としている。上の級に上がるには、知能やら魔力やらの試験を受けなければならないため、年齢関係なく実力のある人しか上がっていけない仕組みだ。
上位神官となるのは教会内でも一握りの者であり、事実、現在光の教会の上位神官は10人いるかといったところだ。17歳で上位神官の仲間入りを果たし、19歳の今は2級神官にまで上り詰めている兄は、若手神官にとっては憧れの存在とも言える。
ちなみにエドは、現在3級神官。立派な上位神官の一員である。
「確かに、普通はありえないな。つまり、お前は特別だ」
翡翠色の瞳を少し細めて、どこかあきれたように、けれど淡々と兄が告げる。
……特別?
こてん、と首を傾げて分からないと意思表示すると、
「お前を正しく制御できる人間が限られている、という意味での特別だ。滞りなく聖人選定の試練を進めるために、俺に出動が命じられた」
「誰から?」
「聖人、サイラス様からだ」
……それはまたなんというか。てっきり最高でも神官長あたりから命じられたのかと思ったら、まさか聖人ご本人から直々に命じられていたとは。信頼が厚いというか、ねえ?
神官長からは1日に1回は必ずお小言を言われているが、サイラス先生からは3日に1回くらいの頻度でしか言われていないのだけれど。まあ、聖人が直々に勉強を教えてくれる講義の回数が、3日に1回だからその頻度なのであって、というよりエドに言わせてみれば、サイラス様からお小言って相当だぞ、らしい。いやでも、サイラス先生って結構細かいよ?
「失礼な。私、別に何もしないよ」
「しないよう常に心がけろ。しないつもりだったけど、も却下だぞ」
どうやら、相当信頼が厚いらしい。続けて「しないようにするために、俺はここに来た」とも言われた。おかしい、私が何をしたって言うんだ。日頃ちょっとだけヤンチャしているくらいの話だろう。
ぷく、と頬を膨らませて抗議してみせると、呆れた目を再び向けられた。
「まあ、いい。とりあえず、お前の部屋は通常どおりここだ。一応、他の候補者は本院にいて正院にはいないから、お前が正院にいることは黙っていなさい」
別に本院で過ごしても構わなかったけれど、せっかくいつもの自分の部屋にいていいと言われているのだ。余計なことは言わず、ありがたく気持ちを受け取っておこう。
本院と正院の違いは、簡単に言えば、一般用参拝施設が本院、神殿関係者用参拝施設が正院である。かつては本院を表、正院を奥と言っていたが、対外的には表やら奥やらとは言いにくい。そこで、なんかそれっぽい名前をつけたのである。神官長が昔もう少し詳しく、もう少し厳かな感じで話してくれたような気もするけれど、正直いまいち覚えていない。でも多分、だいたい合っているはずだ。
ちなみに、別に表と奥のどちらかを軽んじているわけではないので、その辺りは注意して欲しい。最低限そこさえ覚えておけば、とりあえずもういいと神官長が言っていた。
「ここは、お前に割り当てられた本院の部屋と転移陣で繋げている。用事のある時や次の試練に参加する時は、これを使って本院に行け」
「……指輪?」
「ああ。この指輪が鍵の役目を果たしている。失くさないように首から下げていなさい」
そう言って、お兄ちゃんは指輪に細い鎖を通して、私の首にかける。薄い黄色の石が中央に埋め込まれた、可愛いらしい一品だ。普通に指に嵌めたらさぞ可愛いだろうと思われる。
「じゃあ、俺はそろそろ行くから、お前は大人しくしているんだぞ。くれぐれも本院には迷惑をかけるな。分かるか?」
「はあい」
「返事をしたな?」
「へい」
「よし。じゃあな」
「ほーい」
繰り返し念を押して、兄が扉の奥へと消えていく。それを見送りつつ、ベッドにボフッと勢いよく座る。
さて、兄は『本院には』迷惑をかけるなと言った。つまり、正院のことは言っていない。言い忘れた、などと可愛らしい性格をしていないので、言っていないのは故意だろう。つまり、そういうことだ。
とはいえ、私は迷惑をかけようと思って動いたことなどほとんどない。結果的にちょっと面倒なことになっただけで、自分からそうなるように動いていたわけではないので、そこら辺は誤解しないでいただけると幸いである。
今は、お昼ごはんもまだの時間だ。今日という1日が始まったばかりという事実に、何をしようかと少しだけ悩む。……うーん、とりあえず東の庭園に遊びに行こうっと。
なんとなくそう決めて、私は部屋の扉をえいと開けた。




