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「けれど、わたくしは……。わたくしは、アニュタルプリエステル様を忘れなければならないわ」
お嬢さんは何かを耐えるように、ぎゅ、と唇を強く噛む。
「わたくしは何としてでも聖人にならなくてはならないのよ」
「それはなぜかしら。アガセルト家の方々は、あなたに何かを強制するような方ではないと思うけれど?」
「ええ、そうよ。確かにその通りだわ。けれど、ーーーそう、わたくしが聖人になれば、」
一呼吸置き、お嬢さんは続けた。
「あなたにようやく勝てるということよ!キュリアキョアヌスタ!」
それはもう、堂々とした宣言だった。割と広いこの会場の、隅から隅まで響き渡るような声だった。会場内の誰もが、3秒程度ならお嬢さんに視線を向けてしまうくらいには大きかった。
だが、何というか……声の大きさに内容が釣り合っていない。私でさえそう思うのだから他の人が思わないはずもなく、キュリさんが残念なものを見るような顔をしてしまっている。
「聖人は勝ち負けでなるものではないわよ。それに、わたくしは既に自らを相応しくないと結論付けています」
「……っそれは、あなたが負けるのを恐れているからではなくて!?」
「呆れるわね。そのような幼稚な理由で聖人になれるとでも?」
グッと言葉に詰まったお嬢さんが、逃げるように視線を逸らし、……なんてことだ、目が合ってしまった。
「っお前はどう思って!?」
「え、超絶どうでもいい」
「なんですって!?」
しまった。つい正直に言ってしまった。
世の中には正直に言うべきことと、言うべきでないことがあると、かつて誰かに教わったのに。今はもう、誰に教わったのかも、何をきっかけに教わったのかも覚えていないけれど、確かに教わったはずなのに。
だが、言ってしまったものは仕方ない。一度外に出してしまったものは、もうどうしようもないのだ。これから私にできることといえば、どうにかしてそれっぽく誤魔化すことだけである。
とはいえ、それが問題だ。一体どう言えば誤魔化せるのだろうか。
基本的に逃げるか寝るか笑うかで何とかしてきた私には、言葉を用いての誤魔化し方が分からない。
「あの、えーと、…………そもそもですよ?テルさんのことを忘れる必要はないと思います」
「待ちなさい。テルさんって誰のこと?」
言い始めから止められてしまった。
だが、問われたところ申し訳ないことに、そもそも私は名前を覚えていない。つまり、答えようにも正解が分からない。
どうしたものかと考えていると、キュリさんが助け舟を出してくれた。
「アニュタルプリエステル殿のことよ」
「なぜあなたは理解できたの!?」
「アニュタルイエルスタス様を、彼女が『タルさん』と呼んでいたからかしら。ちなみに、彼女はわたくしのことを『キュリさん』と呼んでいるわ」
物凄く何かを言いたそうであったが、「キュリアキョアヌスタが認めたのに、わたくしが認めなければ器が小さいと思われるなもしれないわ……っ」と苦汁を飲まされたような顔で、お嬢さんが私に先を促す。
ごめん、多分あと100回くらい聞いたら忘れないと思う。まあ、それも3日聞かなかったらどうせ忘れるだろうけど。
「私は、あなたの心をどうでもいいと言ったわけではありません」
まあ嘘だけど。
「私が言いたかったのは、あなたがキュリさんに勝っていることは、既にあるのではないかということです」
全くもって嘘だけど。
「あなたには、テルさんを愛する思いと、聖人になりたいと望む思いがある。それらの思いは、キュリさんよりも強いのではありませんか?」
嘘過ぎて、もはや何を言っているのか分からないけど。
「思いがあってもどうしようもない。そうあなたは言うかもしれません。ですが、先ほどあなたは、キュリさんのタルさんへの愛を聴き、『立派なことだ』と言いましたよね?それはつまり、何かを、誰かを強く思うことが素晴らしいと、あなたは既に理解しているということではありませんか?」
うーん、私は本当に何を言っているんだろうね?
「それとも、あなたの思うその対象は、キュリさんにとってのタルさんよりも軽い存在だと?……はい、そうですよね。違いますよね。分かります」
一体何が分かったのか、私は私が分からない。
「そう、だから私は言ったのです。『どうでもいい』と。だって、そうでしょう。誰かが誰かを、何かを愛する思いに、どうして優劣などつけられましょうか。そこに思いがある。そこに愛がある。それだけです。それだけでいいのです。それだけが素晴らしいのです。
だから、私は何度でも言います。『どうでもいい』のです。『どうでもいい』のですよ―――……」
……さあて、やれるだけやった。
見本は兄だ。何かよく分からない理屈で何かよく分からない結論を出し、何かよく分からないが反論を生まない兄の姿を思い浮かべながら語り切った。これが私の精一杯である。
さて彼女の反応はいかに、と視線を上げた私に、
「……そうね。あなたの言うとおりだわ。あなた、深いことを言うわね」
嘘だ本気で思ってる?
想定外の台詞に、私は上げそうになった驚きを、ベシッと手を唇に叩きつけることで何とか飲み込む。
けれど、心の混乱は飲み込めない。
なぜだ。彼女はどこで納得してしまった?自分で言うのも何だけど、私の話に納得する要素なんてなかったと思う。
ちなみにお嬢さん。私の発言に深い意味などない。全くない。そこにあるのはただひたすらに薄っぺらい単語の羅列だけだ。深い意味どころか、むしろ何も考えてない。
まさか、新手のからかいか?と疑いを持つけれど、目の前にあるのは曇りなき感嘆の瞳。あまりにも真っ直ぐ過ぎて、さすがに気まずくなった私はそっと視線を逸らした。
……だが、私が目標にしていたものは、なぜか達成している。大変謎ではあるけれど、上手く誤魔化せたところをわざわざ壊すのも勿体ない。
「わたくし、たとえ聖人になれずとも、アニュタルプリエステル様を愛し続けるわ。我が家の者たちも、わたくしのこの熱い思いを理解し、応援することでしょう」
堂々と胸を張り、宣言するようにお嬢さんは言った。
キュリさんが「素晴らしいわ」と拍手するのにつられて、私もぱちぱちと手を叩く。その反応に満足したお嬢さんは、私に視線を向けると、
「あなた、名前は?」
「えーと、アウローラです」
「そう。アウローラは帝国出身かしら?」
「いえ、違います」
「では、もし帝国に来ることがあれば、わたくしに知らせなさい。我がアガゼルト家の威信にかけて、あなたに便宜を図るよう各所に申し伝えるわ」
そんなことをしてもらえるようなことは、これっぽっちもしていないんだけどなあ、と思うけれど、とりあえず「ありがとうございます」とお礼を言っておく。
「我がアガゼルト家は、『誇り』を重視するわ。たとえどんなものであれ、わたくしが気づかなかった『誇り』を気づかせた以上、我が家があなたに報いるのは当然の話よ」
何だろう、なんとも気まずい。感謝されればされるほど、自分の言葉の浅さに気まずくなる。
いっそ、さっきの話は適当に作ったものなので忘れてくださいと白状してしまおうか。いやでも、当初のお嬢さんの勢いを振り返ってみれば、あの勢いで怒られるのは遠慮したい。
うーん、ごめんお嬢さん、私にお嬢さんの言うような立派な考えは1つもなかったんだけど、…………でも今さら言い出しにくいので、申し訳ないけど黙っておこうっと!
「それと、あなたにアニュタルプリエステル様の素晴らしさを理解させるために、今度本を贈ろうと思うのだけれど、どうかしら」
「あ、結構です」
ちなみに、お嬢さんの名前はミュリアショアヌスタと言うらしい。
……なんか、家の名前といい、キュリさんと響きが似てる……と正直思うけれど、直接言ったら怒られそうなので、これも黙っておこう!
平和を守ることは大事だと自分に言い聞かせ、私は私を納得させることに成功した。




