20
私の部屋なのになぜか兄が入室許可を出す。
そして、なぜかそれに疑問を持つ者が誰一人いないまま、許可を受けて「失礼します!」と神官が扉を開けた。
聖人と上位神官たちに一斉に目を向けられ、びくりと一歩後ろに下がりそうになりつつ、何とか踏みとどまった彼は、強張った顔で部屋の中へと入ってくる。
ちなみに、入ってきたのはハロルドだ。頑張れ。気を強く持つんだ。応援している。……でも、私の許可を取らずに部屋に入ったことには後で文句を言うけどね!まあ、どうせ言う前に忘れるんだけど。
「どうしましたか」
一同を代表して神官長が尋ねる。
「実は、ーーー聖獣さまの行方が分かりません」
ハロルドの言葉に、ざわりと室内の空気が揺れる。
眉を寄せた神官長が、「どういうことですか」と詳しい説明を求めた。
「ことの発端は、火の教会から連絡があったことです」
そこで一旦口を閉じ、ちらりと私を見た後に、再び口を開ける。
「火の教会では、本日から第9の試練が始まる予定だったそうです。……この部屋にはアウローラがいますが、このまま続けてもよろしいですか?」
どうやら聖人選定の試練に関係する事情があるらしい。
神官長とサイラス先生が顔を見合わせた後、サイラス先生が返事をする。
「聖獣さまが行方不明ということについては、アウローラが知っても問題ないでしょう」
「承知しました。では、続けます。ーーー火の教会から連絡を受けて程なく、水の教会からも同様の連絡がありました。現在、既に数名の神官に当神殿内を探させていますが、おそらくいらっしゃらないかと思います」
「なるほど。報告感謝します。……聖獣さまの身に何か危害が加えられたとは基本的に考えられませんが、……ないとも言い切れませんね」
周囲の神官たちが、難しい顔をしながら黙り込む。おそらく、今彼らの脳内では、様々な可能性の提起が行われているはずだ。
……それにしても、聖獣が行方不明ねえ。
初めて聞く言葉の組み合わせに首を傾げる。
もちろん、さすがの私も聖獣は知っている。言葉どおりだが、聖なる獣のことだ。各教会にそれぞれ一頭?一匹?一羽?……まあ、数え方はさほど重要ではないので、おいておこう。要するに、各属性ごとに一頭ずついる生き物のことである。
ちなみに光の神殿にいる聖獣は、虎に似ている。翼は生えているし、なんなら普通に人間の言葉で話しかけてくるけれど、翼さえなければ虎に見えるので、説明としては虎でよいだろう。多分。
名前は通称アミュリエット。私はミューちゃんと呼んでいる。
通称とされる由来は、ミューちゃんの本当の名前の音とは異なるからだ。聖獣は神界の生き物であるため、名前もこの世界の言語にはない音が含まれているらしく、本来の名前はどうしても発音できないらしい。
元々、それが理由で、聖獣のことは「聖獣さま」といった呼び方をしていたらしいが、そこから通称名を呼ぶようになったのは―――どうやら、私が原因のようだ。
確かに、教会に来たばかりの私は、正院内でくつろいでいる聖獣を見つけては、「虎さーん!!」と駆け寄っていた。そして、「虎さん、虎さん、もーふもふぅ」と歌いながら、そのもふもふの毛に引っ付いてぐーすかと寝こけた挙げ句、慌てて引き剥がしにきた神官の肩に担がれては、「ああ!私の虎さんが……」と手をバタバタと振り回しながら別れを惜しんでいた。
本来、誰からも恭しく扱われるはずの聖獣は、当時、新生物がやってきたと割と面白がっていたようで、私を邪険にすることもなく、怒ることもなく、何なら若干母性本能が刺激されたと後に語っていた。
とはいえ、ミューちゃんは聖獣である。似ているだけで虎ではない。
虎さん虎さんと呼ば続けるのはさすがに何とも言えない気持ちだったらしく、それを私に告げたところ、「じゃあ名前は?」と私が尋ねて―――この世界の言語で発音できる音を使い、限りなく本来の名前に近づけた結果、『アミュリエット』になった。
ちなみに、本来の名前も聞いたので、とりあえずそれっぽく口にしたところ、ミューちゃんは衝撃を受けていた。どうやら言えていたらしい。なぜだと問われたので、なんとなく?と答えた。
だって、私にもよく分からないんだもの。
サイラス先生や神官長からは名前を書き起こせないかと頼まれたが、なんとなくそれっぽい音を出しただけで、なんとも書き表せない音だったので、ちょっと無理ですと断った。
ついでに、なぜミューちゃんになったかについては、まったく深くない理由があるけれど、あまりに浅いので割愛したいと思う。
いいですかみなさん、大事なのは結果です。過程は……見なかったことにした方が幸せなこともあるよね!
そんな感じで聖獣との思い出に浸っているうちにも、話は着実に進んでいたらしい。部屋の中にいるみんなが、相変わらず難しい顔でなんかそれっぽい結論を出していた。
「今から他の教会と連絡を取り合い、正式な結論を出します。ただし、どちらにせよ、聖人選定の試練は延期することができない以上、明日の試練の担当神官がすべき役割は変わりません。―――具体的には、結論が出次第、神官たちを集めて伝えます。それまでは、現時点で聖獣さまのご不在を知っている者のみで神殿内を探すように。余計な混乱を避けるため、知らぬ者には改めて伝えることのないように」
神官長の指示に、部屋にいた神官たちが頷き、了承する。
それを確認してから、神官長とサイラス先生が部屋を出て行こうとして、
「ーーーアウローラ」
今までの話題が神官向けのものだったから、まさか自分の名前が呼ばれるとは思っておらず、予想外のことに「はい?」と首を傾げる。
「これから正院内は騒がしくなりますが、あなたは明日から始まる試練に備えるように。部屋で……この部屋は使えないので、別の部屋で大人しく過ごしなさい」
さすがの私もこんな緊急事態に騒ぎを起こすつもりはない。というかそもそも、騒ぎを起こそうと思って起こしたことはほとんどない。ほとんど。うん、ほとんど。
なので、神官長へ素直に「分かりました」と言ったにもかかわらず、なぜか胡散臭いものを見るような目で見られた。……ええ、なんで?
疑問の残るまま神官長たちを見送った後、母たちも動き始める。
それを見ながら、私はゆっくりと思考を回す。
さて、私はどこの部屋に行こうか。……考えるの面倒だし、多少狭くなったけどこの部屋で過ごそうかなあ、でも別の部屋って言われたよなあ……と考えていたところ、兄から肩を叩かれた。うん?
「緊急事態なんだから、今日は神官長の言うとおり、大人しく過ごすように」
「……はぁい。でも、別の部屋って、どこの部屋がいいかな?」
「俺の……いや、エドの部屋で過ごしたらいい」
「おいちょっと待て。なんで俺を巻き込んだ?」
移動しようとしていたエドが慌てて振り返る。
「それはほら、エドの部屋の方が日当たりがいいから」
「それは確かに」
同意すると、「納得するな」とエドが異議を唱えた。
「そもそも、ルイの部屋だって日当たりはいいだろう。俺の隣なんだから大して変わらないはずだ」
「いや、違う。いいかエド。よく考えるんだ。その小さな違いが大きな違いを生み出しているだろう?」
「この小さな違いは、間違いなく小さな違いしか生み出していない」
2人が言い争っているのを黙って聞く。
まあ正直なところ、私としてはどちらの部屋でもよいのだ。
確かに、どちらかといえばエドの部屋の方がわずかにだが日当たりがよい。とはいえ、エドの言うように、そこに大した違いはない。
じゃあなぜエドの部屋にばかり突撃するかといえば、なんだかんだ兄よりエドの方が部屋に入れてくれやすいからだ。……まあ、そんなことを本人に言ったら怒られそうなので、黙っておくけれど。
つまり、繰り返すが、私にとってはどちらの部屋でも構わない。2人の間で結論を出してくれればそれに従うまでである。
そんな感じでぼーっと立っていると、どうやら2人の話し合いが終わったらしい。
見事押しつけ……ではなく、議論における勝利を飾ったのは兄であった。
大変清々しく晴れやかな顔をしている兄の隣で、大層不本意な顔をしているエドから、「さっさと移動するぞ」と言われる。わお、すっごい不本意そう。
「俺もついて行こうか?」
他人事になった途端に爽やかな雰囲気で申し出る兄を、エドが「うるさい」と一言で切り捨てた。
……うーん、エドも教会の外では口論で負けなしなはずなんだけどな。
それこそ王城では、老獪な者たちを相手に連勝で帰ってくるのがエドである。絶対に外せない交渉を持ちかける時は、エドを連れていけと言われるくらいには口が回る。
そこに、彼が多少別枠とはいえ王族であるという事実は関係ない。いやまあもちろん、全く関係ないかは正直なところ私には分からないけれど、他の神官たちが口を揃えて「エドアルト神官とは絶対に敵対したくない。敵対するくらいなら逃げる」と言っているのを見ると、純粋に口が強いのだろう。
それなのに、そんなエドによくわからない理屈をこねくり回して勝利した兄は一体……と思わないでもないが、そのあたりは突っ込んで聞いても良いことはないので、黙っていようと思う。
ちなみに、そんな兄やエドを以てしても、私を上手く動かすことができないと言っていた。と、誰かから聞いた。
……やだなあ、そんなことないよ。簡単にころころ転がされていますって。
「―――いいか、アウローラ」
部屋の前に辿り着くと、エドは扉に背を向けて私と向かい合う。
「俺は今から神官として動く必要がある」
「うん」
「つまり、この部屋の中にいるのは、お前だけになるということだ」
「うん」
「絶対に余計なことはするなよ」
「善処する」
こくりと頷くと、「違う。約束だ。いいな?」と念押しされた。
どうも信頼されていない様子に、私は心外だと口を尖らせる。
「今回のシュアのことだって、私は別に、何か問題を起こそうとしてしたわけではないよ」
結果的に多少大変なことになっただけで、と付け加えると「多少……?」と頭が痛いといった表情を向けられた。
「……まあ、認識の違いについては、今度じっくり話すとしよう。とりあえず、俺の部屋では大人しく過ごすんだ。アウローラ基準の大人しくではないぞ。世間一般の大人しく、だ」
「うんうん、分かった」
大人しく了承の意を示したにもかかわらず、エドの視線は厳しくなる一方であった。
なぜだ。何が悪かったというのだ。私はただ、首振り人形の気持ちになって頷いただけなのに。
え?まさかそれが悪かった?
そのまましばらく無言で視線を交わしていたが、緊急事態の今、先に折れたのはエドだった。
いいか絶対に大人しく部屋にいろ、ともう一度言い含めるように告げた後、エドは鍵を開けて私を中に押し込むと、速やかに去っていった。
しっかりと閉まった扉を見届けて、私はくるりと踵を返しーーーとりあえず寝た。