02
私の朝は、小鳥の可愛らしい鳴き声から始まる。
…………なんてことは、もちろんない。
「起きろおぉぉっ」
今日も元気に、エドアルド王子の怒鳴り声が部屋に響く。
ついでカーテンの開けられる音と、寝起きの目に衝撃を与える朝の光。
音と光から逃れるために、もぞもぞと掛け布団に身体を埋め出したところで、「いい加減にしろっ」と掛け布団を巻き上げられる。
当然、ごろごろとベッドの上を転がる私の身体。
……うーむ、起きようかなあ。でもまだ寝たいんだよなぁ。ああでも、エドが来たなら結局起こされるんだよねえ。
重力に負けたがる瞼を辛うじて持ち上げ、むくりと身体を起こす。
「おはよ、エド」
「おはよう、アウローラ。……なんて呑気に挨拶してる場合か⁉︎聖人候補の集合時間まであと15分だぞこの馬鹿っ」
言うが早いか服を投げつけてくる。白を基調とした可愛らしいワンピースだ。既に外してある前ボタンを見て、さすがエドだと感心する。今の私なら、このボタンを外すのに3分はかかこと間違いなしだ。
ぺっと寝間着を脱いで、バッとワンピースを被る。もちろんエドは後ろを向いてこちらを見ていない。別に見られても構わないのだが、紳士たるもの女性の着替えを見てはならぬらしい。以前、同じ部屋にいて今更じゃ、と言ったら頭を叩かれた。みんな私の頭をポンポン叩きすぎではないだろうか?
着たことを告げると、右の懐から「これを食べろ」とサンドイッチを取り出し、左の懐から櫛とリボンを取り出す。私がもきゅもきゅとサンドイッチを食べている間に、エドが髪を結ってくれるのだ。両耳の横の髪を編み込んでいって、後ろでリボンを結ぶ。今日の髪型はハーフアップらしい。……ん?王子様にこんなことさせるなって?ええまあ、世界中探しても私くらいなものだと思います。でもやってくれるから、つい。
「化粧は……日焼け止めくらいでいいか。ほら、瞼にも塗るから目を閉じろ」
「はーい」
王子様に化粧をしてもらう私。彼が女性の化粧に詳しくなったのは私のおかげです、はい。せいじゃありません。分かりますよね。ね?
10割ほどエドに身支度をしてもらった後は、2人並んで集合場所の教会入り口へと急ぐ。1人で行けると言ったのに、エドは俺も一緒に行くと譲らなかった。理由は、私1人で行くと絶対に厨房に寄るから、らしい。やだ、私たちって以心伝心ね!
「お前は馬鹿か?いや馬鹿だな。なんでお前が聖人候補なんだ?」
「なんでだろうねぇ」
「いいか、お前は一応上位神官の娘なんだからな。きっと、いや確実に途中で試練に落ちるだろうが、これから先も教会に出入りするんだから奇抜な行動は控えろよ。ところ構わず座り込むのも、野生動物のように穴を見つけたら潜ってみるのも、空が見たいと木に登るのも、お腹空いたと厨房に忍び込むのも、お菓子食べたいと外へ抜け出すのも、眠くなったと草むらに寝転がるのも、全部駄目だからな」
「分かった。とりあえず、空が見たくなったら壁を登るわ」
「だからその思考が駄目だって言ってるんだこの野生児!」
「失礼ね!こんなに清楚な美少女じゃない!」
「だからその認識を壊すなと言ってるんだ!」
「だいたいこんなに走って行ったら結局目立つわよ!」
「だから途中であそこの抜け穴を使うんだよ!」
「早速約束破って穴を使うんじゃない!」
「だからお前のためだ!」
「それはどうもありがとう⁉︎」
「どういたしまして⁉︎」
息を切らしながら教会内を走り抜ける私たちに、神官たちが生温い目を向ける。昨日のうちに私が『招待状』を受け取ったことは知れ渡っており、全会一致で私の本日の起床係をエドに押しつけていた皆様である。
聖人も参加する朝の礼に、ありがたくもなぜか、神官でもない私が毎朝参加を認められてしまったことで生まれた『アウローラの起床係』。
聖人が認めたのなら必ず参加させねばなるまいと、幾人もの神官があの手この手で起こそうとしてくれたのだが、なかなか目が覚めないアウローラさん。聖人と神官長と両親と兄とエドが高確率で起床を成功させた結果、確実に起こさねばならない時には、なんだかんだでエドに起床係が押し付けられるようになった。
理由はよく知らない。多分1番押しつけやすかったんだと思う。王子だけど。王子なのに。
無事にエドの言っていた抜け穴へとたどり着き、さあ行くぞと身をかがめてから、少し後ろを振り返って片手を上げる。
「じゃ、エド。行ってくるね」
「行ってこい。くれぐれも奇抜な行動はするなよ!」
「へいへーい」
「返事は『はい』だ!」
学校の先生のような言葉を背中に受けつつ、今度こそ穴の向こうへと身体を動かす。
すると、期待どおり、人混みから少し離れた『ちょうど目立たない』場所に出た。周囲にとっては突然人が現れた状況だというのに、誰も反応していない。どうやら、うまく場に溶け込めたらしい。
周囲を軽く見回したところ、家族や友人、恋人、その他諸々と一緒にいる人の方が多い。私のように1人で立っているのは、どちらかといえば少数派である。招待状が送られてきてからたった1日しか経っていないというのに、家族総出で見送るとは、なんともまあ時間とお金があるもんだ。
確かに、聖人に選ばれ場合、ほぼほぼ強制的に一生教会に住むことになるので、気持ちは分からないでもないが。……ま、聖人になるのはたった1人だけだから、今日涙の別れをしても明日には帰ってくる可能性も十分あるけれどね!
複数人に見送られている人たちとは少し距離を置いて、1人で来たらしい人たちが集まっている場所へと向かう。どうやら自然とおひとり様が集まっている場所のようだ。そうなる気持ちは分かる。
そうしておひとり様集団に仲間入りしたところで、まるで見計らっていたかのように「時間となりました」と声が響き渡った。魔法で拡声されたそれに、辺りの緊張感が一気に高まる。
「ただいまより、第1の試練を始めます。聖人候補者の皆様は、どうぞ教会の中へとお進みください。お近くの方から、どうぞお入りください」
その言葉で、集まっていた聖人候補者が前の方から続々と教会内に入っていく。教会により近くにいたのは、私たちおひとり様ではなく見送られ集団の方であった、というのがなんとも言えないところではあるけれど、それは仕方ないだろう。
「それじゃあ…、みんな……っ。行ってくるね……!」
「……っ、行ってらっしゃい!」
涙の別れをしている家族。
……お嬢さん、もしかしたら今日帰ってくるかもですよ?
「いい?ママがいなくても夜更かししなくてちゃんと寝るのよ?パパも、この子に栄養のあるご飯を作ってあげなさいね。それと、」
今度は小さい子供のいるお母さんらしい。
ママ。その息子きっと夜更かししますぜ。
「分かってるの⁉︎絶対に聖人に選ばれてくるのよ!」
10歳くらいの女の子の両肩に手を置き、必死の形相で言い聞かせる姉らしき人物。
でもねお姉様。なれない時はなれませんよ。
「わたくしが選ばれるに決まってますわ!」
「その通りです、お嬢様!」
ほーほっほ、なんて現実で言ってる人っているのねえ。ところであの使用人さん、お嬢様が選ばれなかった時は何て言うのかな。
一頻り別れの言葉があちこちで行き交い、しばらくしてようやく私たちおひとり様集団の出番である。エドの言いつけどおりに、目立たないようひっそりと歩いていく。
教会の入り口に立っていたのが知っている人物だったので、とりあえずウインクしておいた。すると、いいから前を向けと目で注意された。教会の人間って器用である。
仕方ないので今度こそ何もせずに人の流れに合わせて進み、教会内の広間的なところで足を止める。どうやらここで待機らしい。
ざっと見たところ、候補者は千人といったところか。多いような少ないような、そんな感じの数である。
最後の1人が広間に入ったのを見計らって、後方の扉が閉められた。