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俺もアウローラとご飯が食べたくて仕方なかった、と言質を取りつつ食堂に向かうと、入り口近くで、なんだか見たことのない顔の神官が一人黙々と食べていた。……誰だっけあの人。
うーん、と悩みながらもとりあえずご飯を確保していると、ジェミニが「アウローラ」と小さく名前を呼んだ。
「あそこで食べていいか?」
そう言ってジェミニが示す先を見ると、ちょうど考えていた人物のところだった。ふむ。
「いいよ。……でも、あの人誰だっけ」
承諾ついでに聞いてみると、「そうか。アウローラは知らないよな」と呟いた後、
「新人神官だ。名前はカイン。……あまり周りと馴染めていないみたいなんだ」
「へえ?そうなんだ」
「ものは試しで、ちょっと毛色の違う人間と接したらどうかなと」
「……それって、もしかして私のこと?」
確認すると、それ以外の何が?という目で見られた。失礼な。
これはもう張り切って文句を言ってあげようと思ったけれど、せっかくの温かいご飯が冷めてしまいそうなのに気づいてやめた。
ふん。せいぜい目の前の料理に感謝するんだな!
心持ち足音を大きく鳴らしながら、カインの席を目指す。
「ねえ、ここ座っていい?」
「ーーーえ、」
まさか声をかけられるなど考えもしていなかったのだろう。びくっと肩を揺らした後、大きく目を見開いてこちらを見る。そして、ピタリと固まった。
…………あっれぇ、承諾されないぞ?
どうやら私は、彼の身体の時を止めてしまったらしい。
うーん、でもまあ、否定はされてないよね!
「じゃあ、座るね」
とりあえずの前置きをしてから、今度は返事を待つことなく座る。
「私、アウローラ。初めましてだよね?」
「……えっと…あの、はい。私は、カイン・ジーク・リセです」
「へえ。じゃあ、カインって呼んでいい?」
確認しながら、なるほど新人神官だと内心頷く。
神官同士の挨拶では、基本的に家名を言わない。もちろん、家名も名前の重要な一部であるのは確かなので、対外的に名乗ることはあるし、正式な場では家名を含めて呼ばれる。
けれど、普段であれば、神官同士の挨拶で正式な家名を告げるのは珍しい。同じ教会内の人間に対するものであれば、尚更だ。
なぜ家名は省略するかと問われれば、神官となった時点で、自らが属す場所が変わるから、……と、昔サイラス先生が言っていた。
『家』に属していた身が、『教会』に変わることで生じる現象である、とのことだったと思う。確か。大体合っていればそれでいいと思う。たぶん。
要するに、私は普段名前でしか呼ばれないし、神官たちもお互いに名前で呼び合っている事実さえ分かっていればいいのだ。
もっとも、別に家名で呼んではならないわけではない。あまり聞いたことがないだけで。
「失礼ですが、アウローラさんは神官の方ですか?その、服が神官服ではない……ですよね?」
「そうだね、私は神官ではないから」
肯定すると、では、と続けて問われる。
「アウローラさんは、なぜ神官ではないのに、神殿にいらっしゃるのですか?訪問された外部の方でもありませんよね?」
久しぶりにされる内容の質問に、回答が遅れる。その間に、ジェミニが横で口を開いた。
「サイラス様と神官長の許しを得ているからだな。アウローラは5歳から神殿にいる」
「5歳からですか?」
想定していた以上に幼かったらしく、カイルの声が大きくなる。
「そうだよ」
「そうですか。……アウローラさんは、神官にならないのですか?」
「うーん……どうだろうね?」
それは、周りから何度もされたことのある質問だ。だから私だって、全く考えたことがないわけではない。
けれど、神官になった自分の姿がどうにも上手く思い描けないというか、神官になりたいという気持ちが湧いてこないというか。
両親からは、成人するまではとりあえず自由に過ごしてよいと認めてもらっているので、それに甘えている次第である。
ちなみに、成人した後の話は特に聞いていないので、両親から何を言われるのかは知らない。
おそらく、何らかの職業に就きなさいと言われるのだろうと予想している。
成人くらいの歳になれば、結婚だの婚約だのといった話題が増えてくるらしいけれど、両親からそういった話を振られる可能性は低そうだ。
「この場にいるのであれば、神官になれる可能性は高いのではありませんか?」
……それはどうなんだろうか。
確かに、聖人の試練の中で、そもそも神殿に居続けられる人が珍しいことは知った。
けれど、神官になるためには、それ以外にも必要なことがあるだろう。
神官になるための試験?のようなものの内容を私は知らないので、可能性がどれくらいあるのか不明である。
うーん?と首を傾げていると、カインは何かを思い出すように下を向いて、
「……私は、下級貴族の家に生まれました」
うん?
突然始まった自分語りに、首を傾げる。
「領民との距離も近く、私には平民の幼馴染もいました。家は裕福ではありませんでしたが、彼女は非常に努力家で、私よりも優秀な成績を常に修めているような人でした。私たちは共に神官を目指していて、ーーーけれど彼女は神官になれなかった」
ふつふつと、奥底から湧いてくる何かを堪えるように、彼は続けた。
「理由は単純です。彼女は、この神殿に在り続けられなかった。必死に留まっていましたが、とうとう最後まで耐えられなかった。私よりも余程優秀で、努力家で、神官になるにふさわしかった彼女が、なぜか神官になれなかったのです」
仕方ない、と。才能がなかった、と。
そう言われたとしても否定しようもない、ただただそれが事実なだけの、どうしようもない結果だったのだろうと思う。
何もしていない私が偉そうに言えることではないけれど、これは、何もしない私でも知っていることである。
それでも、カインは許せなかった。認められなかった。だから、消えない怒りを抱えた。
けれど、その怒りは、自分勝手に周囲に向けていいものではないと、きっと彼も自覚していた。
おそらく、その葛藤が、カインと周囲に隔たりを作り、『馴染めていない』という状況を生み出したのだろう。
そして今、必死に押さえていたはずの怒りが心から漏れ出てきた。その理由こそが、私の存在なのだと思う。
とはいえ、私は私で、理不尽に八つ当たりされる理由もない。
私が神殿にいようがいまいが、神官になろうがなるまいが、カインの幼馴染が神官になれなかったこととは一切関係がないからだ。
私に言えることといえば、幼馴染さんの分まで頑張って立派な神官になったらいいよ、くらいだが、私が言っても火に油を注ぐだけの気がする。
……ふーむ、どうしたものか。なかなか面倒、いや、ややこしい相手に会わせてくれたな。
ジェミニを若干恨みがましく見れば、気まずそうに視線を逸らされた。
ちょっとそこ!責任もって対処して!
「もう一度聞かせてください。どうして、」
答えが見つからないまま、再び問われそうになったときだった。
ふと、後ろに誰かが立つ気配がする。
「どうかしたか?」
「あ、エド」
ジェミニが助かったと言わんばかりにホッと息を吐く。
そして簡単に事情を説明すると、「ああ、なるほど」と頷いてから、エドがカイルに向き合う。
「ジェミニの言ったとおり、アウローラが神殿にいるのは、サイラス様と神官長に許しを得ているからだ。そして、その許しには、将来アウローラを神官にさせるため、といった条件もなかった。だから、アウローラが今なお神官でないことに何の問題もない」
淡々とエドが言う。
「……ですが、アウローラさんは神官になる素質があります。神官になりたくてもなれない人が大勢いるのに、どうして神官になれて、けれどならずにいる彼女が、神殿にいて許されるのかが、私には理解できません」
抗うようにカイルが反論する。
だが、エドの表情は何も変わらない。「そうだな」と思考を回すように少し間をとって、
「ーーーまあ正直、俺もよく分からない」
……うん?
「アウローラには才能がある。それは間違いない事実だと思う。アウローラが神官になりたいと望めば、その望みは難なく叶えられることだろう。それほどまでに向いているものがあるのだから、俺だったらすぐに神官になるはずだ」
エドがちらりと私を見る。
「とはいえ、それは俺の価値観や考え方であって、アウローラに押し付けるべきものではない。それはもちろん、こちらが廊下を急いで渡っているときに呑気に庭園の木の果物を食べていたら無性に苛立たしいし、書類に忙殺されているときに外を見たら屋根で寝ていたら腹立たしいし、光玉に魔力を供給した疲れで倒れそうになっているときに後ろから「暇だよ遊ぼう」と言われたらこいつ叩いてやろうかと思う」
あっれ、エドアルドさん?
「だが、アウローラは悪くないんだ。たとえ、普通もう少し気を遣うだろ?と思うことが多々あり過ぎたとしても、あくまで気を遣えと要求しているのはこちらであって、アウローラがその感情を考慮する義務があるかと問われれば、そういったことはないんだ。分かるか?」
流れるようにつらつらと語られ、カイルが勢いに呑まれるように「は、はい」と頷いた。
「君の持つそれは、君にとっての価値観や理屈だ。自身の内側にある分は、自由に持っていいものだ。けれど、それを自身の内側に留めるだけでなく、外側に対して放つ、あるいは誰かに求めるのであれば、その理屈に正当性を必要とする。自身のみの正しさではいけない。他者へ求める以上、客観的な視点の正しさがなければならない。ーーーさて、今回の件、君の発言に客観的な正しさはあったか?繰り返すが、アウローラは神殿滞在にあたり、正しく許可を得ている。そこに神官という条件はない」
数十秒後、カイルがゆっくりと口を開いた。
「……申し訳ありません。私の八つ当たりでした」
頭を下げたカイルの肩に、エドが手を置く。
そして微かに唇に笑みを湛えると、
「自らの過ちを認められる者は、とても強く、素晴らしい人間だ。君はきっと、立派な神官になれるだろう」
「ありがとうございます……!」
エドの勢いで、何となく場が収まりそうな雰囲気になってきた。
だが、私はどうしても一言物申したい。
すすす、とエドの側に近づき、小声で問いかける。
「ねえちょっと、本当に私を擁護してた?」
「これが俺にできる最大限の擁護だ」
きっぱりと言い切られた。
あまりもの言い切り様に、取りつく島もないとはこのことかと思った。
「……そっかあ」
物申したかったはずの心がしおしおと萎んでいくのを感じる。これは言うだけ無駄だろう。そうであれば、流すことに頭を切り替えた方がよい気がする。
……まあ、擁護してくれていたらしいし、別にいいか。うん。なんか段々と問題ない気がしてきた。
そもそも私は考えることが好きではないのだ。エドがいい感じでまとめてくれたのだから何も問題ないだろう。
よーし、ご飯食べよ!
意気揚々と目の前のおかずに手を伸ばしたところで、ガシッと腕を掴まれた。
え?何?まだ食べたらいけないの?
「アウローラ。あそこにルイがいる」
「……うん?そうだね?」
「あそこで食べてくるように」
「え、なんで?」
ちなみに、ルイは私の兄の名前だ。
「俺は今から、この2人と神殿の未来についてじっくり語り合おうと思うんだ。興味あるか?」
「ううん全然興味ない」
素早く答えて私は席を立った。
なんだか脈絡もない理由な気がするけれど、エドが私を追い払おうとしていることは分かる。
エドがこういった言い方をするときは、私がその場にいる必要がない、または、むしろいない方が良いときである。
「俺も行こうかな〜」
「ジェミニは俺と語り合うよな?」
「はい勿論喜んで」
何かを察知したらしいジェミニが逃げようと企むが、嘘くさいくらいに爽やかに笑ったエドに阻止されていた。立ち上がりかけた腰を止めて、無駄に姿勢良く座り直している。
「じゃ、またね」
小さく手を振りながら、私はててっと兄のところに向かった。
私の登場に怪訝な顔をした兄に経緯を伝えると、「へえ」と理解したがどうでもよい、といった顔で頷かれた。
ちなみに、3時間後、カイルと廊下ですれ違ったとき、「今日も素敵な笑顔ですねアウローラさん!」と声をかけられた。
ねえ、神殿の未来について何を話したらそうなったの……?




