ヘルシンガー家が滅んだ日
ヘルシンガーの名に恥じぬ生き様を見せろ。
よく父さんは俺たちにそんなことを言った。先祖をたどれば、じいさんは悪霊と相打ちになって一族の務めを果たしたし、ひいばあさんは天変地異を食い止めるために禁断の魔術に手を染めて力尽きた。その先祖も、そのまた先祖も、悪しき者と戦い、一族の宿命とは何たるかを、その身を以て示して散っていったらしい。
一族の務めとは、何の力も持たない人々の平和を、呪いやたたりの類から守ることだった。一族の人間は皆がゴーストハンターだ。特に父さん.....スティーブン・ヘルシンガーは当主にして世紀にただ一人と呼ばれるほどの霊能者。俺も、弟のジューンも、父さんから霊能の力とゴーストハントを学んだ。
『お前たちもいずれは一族を背負って闘え。人の平和を霊から守るんだ。それが、散っていった先祖たちへの報いになる』
父さんの言葉だ。俺たちを仕事に連れて行って怨霊と戦わせたこともある。幼いながらに呪い殺されそうになったこともあった。だが俺からすれば父さんたちは誇りだったし、ゴーストハンターとして成長していた俺たちを、父さんも誇りに思ってくれていたと思う。
『兄さんは凄いよ。強いゴーストも一人で退治できるし、体力もあって、父さんたちにも認められてる』
弟のジューンは、よく俺にそうぼやいていた。
『お前には頭脳があるだろ。今日もチェスで俺を負かした』
『それだけじゃダメさ。こんな体じゃ一族のお荷物だよ。口に出さないだけで、きっと皆もそう思ってる』
弟は生まれつき体が弱かった。特に7歳を過ぎた頃から体力が衰え、ひどく咳こんだり、息をすることも辛そうになったり、ベッドから降りられなくなることもあった。ただの病気ではなく、おそらくは一族を恨んだゴーストたちの呪いが蓄積してしまったようだった。
俺は背が伸びるほどゴーストハンターとして認められるようになったが、ジューンはやつれていってしまっていた。一族と悪霊たちとの闘争が激しくなるうちに、
『一族をこれから率いるのは君しかいない』『いずれは君が当主の座を継ぐんだ』
と、一族の人間たちは俺に告げた。母さんも、
『メイソン。貴方が強くなって弟を守るのよ。愛する者を守るには、力がないといけないの』
と言った。俺自身も、父さんの後を継ぐこと、そしてジューンを守ることが、俺が授けられた宿命だと思っていた。
だがこれも全て、10年前のクリスマスに、全てが変わってしまう前の話。
あの夜は凍り付いたように寒かった。聖夜には一族の人間が父さんの屋敷に集まる。皆々が一堂に会するパーティーが終わった後、俺はジューンがいる寝室に戻って、うとうとするうちに眠りについてしまっていた。
暖炉のあたたかな空気に包まれていれば、朝まで目を覚ますことはほとんどなかった。だがあの夜だけは、突然暖炉の火が消えたらしく、眠りから引き戻された。
『火が消えたのか?寒くなったわけだ』
そう声をかけてみたが、ジューンの返事はない。声どころか、ベッドで寝ていたはずの彼の姿すらなかった。代わりに横になっていたのは、ちょうど彼が持つ痣とよく似た模様が目の下に入った、一体の人形だった。
『......ジューン?』
再び声をかけてみるが、当然なことに返事はない。
血の気が引いた。冷たい空気に満ちた部屋が、さらに冷たくなったようだった。得体の知れない何かに胸が押しつぶされて、猛烈に嫌な予感が全身を駆け巡った。
気づいたときには、俺は部屋から飛び出していた。
屋敷の中は不自然なほど静かだ。時計の針はまだ12時を指している。パーティーは続いているはずなのに。
ただ時折、何かが落ちて割れる音と、苦痛の満ちたうめきのような声なら、廊下の方に響いてきていた。
異常事態だ。おそらくは、何者かの襲撃を受けている!俺はすぐに悟った。
ヘルシンガーの屋敷には特異な結界が張り巡らされており、一族の者でなければ、ネズミ一匹として入ることができないはずだった。だが屋敷を包むドロドロとした霊の気配は、底知れない敵意と不安を俺に抱かせた。
『待ってくれ。そこにいるのはメイソンか?』
廊下で不意に名前を呼ばれる。見ると、壁に寄りかかって浅く息をしている叔父の姿があった。
だが俺は何と声をかけるべきかわからなかった。叔父は何かの呪いにかけられており、体はマッチ棒で作った人形のように変貌し、その首元もパキパキと音を立てながら木に変わりつつあったからだ。
叔父は苦しそうに歯を食いしばりながら、かろうじて意識を保ち俺に話しかけ続けた。
『私はもう駄目だ。メアリーも、ラッシュも、アイミールも、もはや助からないだろう』
そう言う叔父の視線の先には三体の人形が転がっている。一体は足がねじ曲がっており、もう一体は腹から綿が飛び出し、さらにもう一体は頭部がもげてしまっていた。
俺はすぐにその三体が、つい数時間前までパーティーで話していた一族の面々であることを察し、ふらつきそうになった。
『な、何があったんですか!?』
俺はうろたえながら叔父に近寄ったが、もはや俺の力ではどうすることもできないことは明白だった。
『奴だ。呪縛師が来た!どう屋敷に入ったかは知らないが、今夜我々を皆殺しにするつもりらしい』
『呪縛師?』
『君のお父さんが長く追っていた霊能者だ。教団を率いて凶悪な呪いやたたりを採取し、それらを闇の者たちに売ってもいる。我々と長く敵対してきた凶悪な存在だ』
叔父はそう話しながらも下顎までが木目に包まれていく。俺はただ戸惑うばかりだ。
それでも何とか呪いを外そうと試みたが、叔父は『離れなさい!』と告げた。
『私ももう手遅れだ。それより、早くお父さんを見つけて、守ってもらいなさい!せめて、せめて君だけでも生き延びねば……』
言い終わるよりも早く、叔父は完全に人形と化して息をすることすらなくなってしまった。
その亡骸を前に、俺は生きた心地がしなくなった。
皆、呪い殺されてしまったのか?ジューンも二度と動くことのない人形のままなのか?俺はどうすればいい!父さんと母さんは!?
心臓が暴れて破裂するんじゃないかと思った。目の前も暗く染まる。それでも倒れ込みそうになりながら、俺はパーティーが開かれていた大広間へと急いだ。
そしてようやくたどり着いたドアを開けたとき、俺の目には、その異形の姿が飛び込んできた。
クリスマスツリーよりも背の高い真っ黒な影。肩からはイバラのような触手が何本も生えており、そのうちの一本は、父さんの胸をつらぬいていた。
『これが、呪縛師…』
考えられる最悪が全て現実となったようだった。
父さんの体はすぐに木に変わっていった。ソファに放り捨てられれば、細い木の足がたやすく折れる。床に手を突いて息をするのがやっとであり、百戦錬磨のゴーストハンターをもってしても、呪縛師と呼ばれた敵に太刀打ちできないようだった。
『父さん!やめろお前何をしている!』
俺はそう言って、恐怖に飲まれそうになる体を震えたたせながら走り出した。
すぐに父さんは『メイ!来るな!』と叫んだ。だが同時に、俺に気付いた呪縛師が、一本の触手をレーザービームがごとき素早さで伸ばした。
咄嗟に横に飛んだ俺に直撃はしなかったが、肩を触手がかすめれば、すぐに俺も人形化が始まってしまう。体の内側にコンクリートを流し込まれているような奇妙な感覚が広がり、肌は木に、骨も木に、さらには脳さえも無機質な木の塊に変わっていくのがわかった。
パニックと呼ぶに相応しい狂乱に陥った俺は体のあちこちをかきむしって人形を止めようとする。だが無駄だ。叫んでも暴れても、呪いは消えていかない。
『メイ!私だ!私の方を見るんだ!』
父さんの声にハッとなって顔を上げる。父さんは広間の絵の裏に隠していたらしい小瓶を取り出し、掲げていた。
その瓶は一族が有するゴーストハントの道具の一つであり、中の薬品は外の空気に触れると、霊体を木っ端みじんに破壊する爆発的エネルギーを放出する。ただし瓶を開けた者もその反動で大きな負傷を受けるため、木偶の坊と化しつつあった父さんがそれに耐えられないことは明白だった。
『メイ。一族の意思はお前が継ぐんだ。お前が皆の仇を打つんだ!私は少し先に行くが、後のことはお前に託す。後のことは頼んだ!』
親父はそう言うと呪縛師に飛び掛かりながら瓶を開けた。俺は『待って!』と叫んだが、その声が届くよりも早く、まばゆい閃光が目の前を塗りつぶし、俺は何もわからなくなった。
......俺が覚えているのはここまでだ。
目覚めたときには、一族と縁のあったゴーストハンターたちに助け出された後だった。あの夜屋敷に集まっていた一族の皆は消え、その代わりに、むくろと何ら変わらない人形たちだけが屋根の下に残っていた。両親も、ジューンもだ。 だが俺だけは人形になっても意識を失わずに済んだ。おそらくは呪縛師の触手が直撃せず、すぐに父さんの自爆のおかげで完全に術に飲まれることもなかったことで、不完全な呪いに終わったらしい。
だが俺は、かけられた呪い以上に、あの夜のことを呪った。一夜にしてヘルシンガー家は滅び、俺は全てを失った。残ったものと言えば、涙を流すことさえできない、木の人形の体だけだった。
「......だが全ての元凶は.......呪縛師は、まだ生きている」
メイはスティーブン・ヘルシンガーの書をめくりながら話す。
「絶命した跡が屋敷にはなかった。父さんの反撃を生き延びて逃げたらしい。何故か俺はトドメを指されなかった」
本の山を前にするリュウカは、手を止めて、黙って話を聞いていた。想像を絶するメイの過去に、言葉を失ってしまったのだ。
2人が座っているのはとあるフロアに置かれていた長机。机の上には目を付けた本が山積みになっている。リュウカは少し自分の髪をいじってから、やっと口を開いた。
「そんなことが......辛かったでしょう。何と言ったら良いか......」
リュウカはすぐに言葉をつまらせてしまうが、メイはフッと笑って首を横に振る。
「同情は要らない。哀れんでくれるなら、白書探しに手を貸してくれ。俺一人でこの図書館を調べつくすのは厳しそうでな」
「もちろん手を貸しましょう。霊界図書館のことなら、私が一番博識です」
リュウカはそう言いながら古書を読み直す。本の中には、全ての呪いを解く本......もとい禁術白書のことも書かれている。正確な本の名前がわからない以上、今はひたすら情報を集めるほかなかった。
メイも本を漁りながら話を続ける。
「一族が滅んだ今、呪縛師に復讐できるのは俺だけだ。だがこの体があまりに重たい枷になってる。呪いを解いて初めて、俺の復讐が始まる」
そう言って頭を小突けばコンコン、という軽い音が鳴る。人形の体であっても、魂が残っている故に、感覚や感情はある。だがこのざらついた肌と木の感触だけは、いつでも彼に嫌悪感を抱かせていた。
リュウカは本の一説で視線を止め、言いづらそうにしながらも口を開く。
「白書を探す理由についてはよくわかりました。呪縛師という霊能者を追っている理由も。ですが......危険なのではないですか?」
そう言うリュウカが読む本には「歴史上最も危険な霊能者の一人」として、呪縛師の名が記されていた。本自体は200年は前に書かれたものだが、霊能者が数世紀に渡って生きていることは珍しいことではなかった。
メイはリュウカの心配を一笑する。
「危険なんてたっぷり味わってきたさ。白書探しと、呪縛師の配下を追う中でな。それに、お前にとっては妙なことを言うかもしれないが......」
メイはリュウカに見せられた本のページを読みながら、何かを思い返しているようだった。リュウカは少し首をかしげる。
「......あの夜のことは悔しい。だが一族の人間にとっては毎日が邪悪との闘いだった。だから俺は、奇妙に聞こえるだろうが、その闘いの中で散っていった父さんたちを尊敬しているし、誇っている」
無意識に力がこもってしまい、思わずページにしわを残しそうになる。声もかすかに震えていた。
「だがジューンは......俺の弟は、戦うことも許されない体で魂を奪われた。それが何より許せない!一族の仇を討ち、ジューンの誇りを取り戻す!それまで俺が止まることはない」
言葉に宿った強い決意を見たリュウカは、「よくわかりました」と言ってうなずき、また別の本に手を伸ばす。メイも高ぶっていた感情に蓋をすると、椅子に深く座り直して深呼吸した。
遠い。あまりに遠い道のりである。彼の魂が報われるには、超えるべき障壁が多すぎた。だが逆に言えば、偶然にも霊界図書館を訪れることができたのは、彼にとって大きな一歩でもあった。
目の前のリュウカを助けたことにも何か奇妙な縁を感じながら、メイも別の一冊を手に取り、じっくりと読み始めた。