図書館での見上げすぎにはお気を付けください
装飾の多かったロビー周りと比べると、次のフロアであった「中央本館」は、いささか無機質であった。
逆に言えば、飾りを置くスペースもないほどの本の大群に埋めつくされている。時折天使の絵が入った額縁を目にすることもあるが、360度、どこを見ても本、本、本である。
リュウカは道中で手にとった『文字通り飛び出す精霊図鑑』の表紙をチラチラ見ながら、奥へ奥へと歩いていく。
「どうでしょう。何か見つかりそうですか?」
そう問われるメイの方は、書名を聞いたことしかなかったレアな書物が、あたかも普通な顔をして本棚の端っこに並べられているのを見ては、度々歩くペースを遅くしていた。
「確かに、調べようと思っていた本はもう何冊か見つけた。だがどれも本命じゃない。まずは例のS-107281の棚を確かめたい」
「S-10”9”281の棚ですよ。S-10”7”281はスパゲティモンスターに関する本の棚です」
何でそんな棚があるんだ!といちいち言い返すこともせず、メイは途中で取った本をパラパラとめくる。今更何を言われても驚くことはなかった。
彼が読む本には一枚の絵画が載っていた。『長き暗夢の暮れ』と題された油絵で、燃え盛り山を焼く大火、身を寄せ合って逃げる人々、そして冠を被った男の姿が、べったりとした絵の具で描かれている。
「この絵なら、前に実物を見たことがある」
「それはうらやましい。巨大な火の呪いを、とある本が持つ力が止めたという伝説を描いた絵でしたね?本が呪いを退治したという伝承は他にもありましたよ。確か......」
そう話しながらリュウカは、本棚の隙間に飾ってあった天使の絵に右手で触れる。
すると、リュウカの体はパッと光り、あっという間にメイの前から消えてしまった。
本を開いたまま戸惑ったメイだったが、リュウカの真似をして、天使の絵に腕を伸ばす。そしてタッチすると、やはり同じように体が白い光に包まれた。
そして一度まばたきをすれば、彼は別のフロアに立っていた。テレポーテーションというやつらしい。どうやら天使の絵は館と館をつなぐドアの役割を果たしているようだ。
「おい、何も言わずにいなくなるな!」
そう声をかけられれば、すぐ近くで待っていたリュウカは「すみません」と返した。だが目はメイではなく、天井から伸びてきたドラゴンの彫刻と、その口が咥える巻物の方に向いていた。
ドラゴンの像は一頭だけではない。細長く、髭を生やした東洋の竜が何十頭も上から垂れ下がってきており、その全てが、巻物や所が入った筒を咥えている。
また竜たちの反対側には、黄金色に輝く石板や、ヒエログリフが書かれた3メートル級の壺、文字を掘った亀の甲羅までもが置かれており、まるで博物館だ。本のビッグウォールが立ち並んでいた中央本館とは打って変わり、朝方の山の中のような気品のある空気が満ちている。
どうやら、ありとあらゆる形の本を貯蔵しているフロアなようだ。「本の殿堂館」と書かれた案内を見ながら、メイはリュウカのそばに寄った。
「ほら、これを見せたかったんです」
そう言うリュウカが見せてきた巻物にも、呪いを解く本に関する絵が描かれていた。四角い何かを掲げた男が、真っ黒な大蛇に立ち向かっている。『...惨寺という男が読み上げた言葉に、蛇のたたりは苦しみおののいた』とあった。
メイは巻物から目を離し、〇と✕や、ダンスをする棒人間にしか見えない文字が書かれた石板に触れる。
「何でもあるな。これも図書だって言うのか?」
リュウカは巻物を綺麗に巻きなおしながら答えた。
「ええそうですよ。石板も、文字が書かれた壺も、紙がない時代の人にとってはある種の本だったわけですから」
メイは改めて展示されている品々を眺めていく。そして、一際不可解な雰囲気を放つ、体中に文字の入れ墨を彫り込まれた男の像を見ると、「何だ?」と言って視線を留めた。
巻物を戻したリュウカもそのとなりに並ぶ。
「これも本、ですよ。今では考えられないですが」
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インターユニバーシャル・ページピープル......紀元前、書物の存在が一般的でなかった時代、選ばれた者が自分の体に入れ墨で文字を残し、町から町を渡り歩いてシャーマンの言葉を人々に伝えた。言わば本人間、生きて動く「本」となったわけである。
尚、現代使われるメディアという言葉は、霊的な存在と人をつなぐという意味での媒介が由来となったという定説があるが、インターユニバーシャル・ページピープルもまた、当時の人たちに教えを伝道するメディアであり、その役目を全うすることは大変な名誉とされた。
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「ここに置かれているのはあくまでも像ですがね。それに、白書に関連しそうなものなら......あれ?」
指を立てて解説を入れていたリュウカだったが、ふと通路に目をやると、ベンチに置いていたはずの自分のカバンがなくなっていることに気が付いた。
さらにメイの方も、何かの気配がパタパタと音を立てながら、彼ら二人の周囲を動いていることに気付く。小さいシルエットが、右へ左へ、ときには上へと飛び回っているようだ。
メイは警戒を強め、ベンチの方に行こうとしたリュウカの肩をつかむ。
「じっとしていろ。何かいるみたいだな?お前のカバンをひったくったやつが」
「そんな、この図書館で盗みなんて......ああっ!」
突然、リュウカが上を向いて声を大きくした。一度消えたカバンが、中に入っていた本をばらまきながら、上方から降ってきたからだ。
メイの制止も聞かずにリュウカは、石畳に叩きつけられる寸前だった本たちを、腕を伸ばして全身で受け止める。ただし革のカバンは、可哀そうなことに床に激突してしまった。
「おいじっとしてろと言っているだろ!何か妙な気がする」
「ダメです。一冊足りません」
そう返した直後、すぐさま最後の一冊が、回転しながら降ってきた。リュウカからは遠く、メイはやむを得ず、本をキャッチしようと走った。
だがしかし彼が落下点に着くより早く、宙を舞っていた本が、空中でピタッと静止した。
ビデオの停止ボタンを押したように本の落下が止まれば、メイは振り返る。見ると、本に向けてまっすぐ腕を伸ばすリュウカの姿があった。何か不思議な力で本を止めたようである。
「お前今度は何をした。念力でも使えるのか?」
「そんなところです」
リュウカはそうとだけ返して腕を引く。すると本はリュウカに手繰り寄せられ、見事にその胸元に収まった。
メイは何かを言おうと口を開くが、考えてみれば、霊界図書館のヘビーユーザーらしいリュウカが普通の子であるはずがなかった。何より細かく質問をしている余裕もないため、「また後で聞く」と言ってリュウカに近寄り、辺りを警戒する。
「伏せてろ。何が何だか知らないが、ゴーストなら相手をしてやる」
「図書館での戦闘はご法度ですよ」
そう言って止められようと、メイは手袋を外し、武器を仕込んである右手を出す。目を光らせる彼には、何が飛び掛かってきても返り討ちにしてやるという気迫があった。
リュウカは「本の殿堂館」をあちこち飛び交うシルエットを目で追いかける。そして、迫りくる何かの正体に勘付くと、「まさか」と声をもらして立ち上がった。
それを見たメイは伏せるように目で指示する。しかしリュウカは何故か肩をすくめており、もう警戒さえしていない様子だった。
「もう大丈夫です。正体がわかりました」
リュウカはそう告げると咳払いをして声の通りを整え、手のひらで筒を作ってメガホン代わりにする。そして、
「グリー!いい加減にしなさい!戻ってきなさい!」
と呼びかけた。
すると小さな影が、竜の像の隙間を縫って飛びながら、二人の方に迫ってきた。バッサバッサと翼か何かを羽ばたかせる音も聞こえる。その大きさは、一冊の本とさほど変わりないようだ。
「知ってるやつなのか?コイツは何だ。鳥か、コウモリか?」
「いいえ。彼もまた、本ですよ」
「......何と?」
グリーと名を呼ばれた何かが、ようやく姿を見せる。リュウカの言うことに嘘は一切なかった。それはまさしく、緑色のカバーに覆われた、一冊の本だったのである。そりゃ当然本くらいの大きさに見えるわけだ。
羽のように開いたページを上下させて飛ぶグリーを前に、メイは、これ以上ないほど怪訝な目をした。