赤毛のあの子との遭遇
茨城県水戸市。
近い!首都から近いとは聞いていたが、ここまで早く来られるなんてと、メイは思った。東京を出発して電車で2時間足らずである。
都会からさほど遠くないものの、水戸とは随分と奇抜な街であるようだった。
駅近くにはビルや商業施設が並んでいるが、バスで少し移動すれば、青空を鏡のように写す壮大な湖や、木々に囲まれ、古屋が静かにたたずむ古い庭園がある。車が行き交う道路の反対側には、江戸時代の名残を残す城の跡が広がる通りもあった。市街地の中にどこか神聖な自然・古跡が生えてきたような街の造りには、旅慣れたメイも興味を引かれる。
11月という季節もあり、訪れた人を見下ろすのは赤く染まってきたもみじの雲だ。それが寒さを覚え始めた風に吹かれてカサカサと揺れるのが、何とも言えず心地よかった。
ただ少し気がかりなのは、水戸の地に降り立った途端、どこか普通と違う霊の気配が、霧のように広がっていることだった。
「もし、観光で来た方ですかな。ちょっとお尋ねしたいんですが、この辺りのどこかに帽子が落ちてなかったかい?真っ黒で、こう……まん丸なハットなんだがね」
一通り街を歩いた末に駅の方向まで戻ってきたメイは、杖をついた老人に話しかけられた。だが誰かと関わるのも厄介だと思い、首を横に振るだけで、積極的には言葉を返さない。
「そうですかそうですか。まあ、もう少し探してみようかな。どうもねえ」
老人はニコッと笑うと、別の方向に歩いていった。
冷たくしてしまったかとも思ったが、そもそも彼は観光に来たわけでもないのだ。彼が水戸まで来た目的は、あくまでも「禁術白書」を探し出すことにほかならなかった。
思っていたよりも広い街だな……どこから探す?本がありそうな場所と言えばどこだ?
そんなことを考えながら、メイは立ち寄った梅園のそばにあったベンチに腰を下ろした。
目の前には、巨大で威厳のある城門がそびえ立っている。重厚な木の扉は、その先に見えるはずのビル群を覆い隠してしまえるほどには大きい。しかし門の奥で来訪者を待っているのはかつて存在した城の跡地で、聞いたところによると、今では城跡の上に学校が建てられているらしい。
学生たちは毎朝10メートルはある門を通っていくわけである。これ以上壮観な通学路はほかにないだろう。つくづく水戸とは奇抜な街だ。
……おいおいおい、何を気を散らしていやがる。しっかりしろ。旅行するなら役目を全部終えてからだろうが。
自分にそう言い聞かせつつ、メイは情報や予言で耳にしたことをまとめたノートを取り出す。タブレットでも使いたいところだったが、指紋のない彼には難しいところだ。
しらみつぶしに”いわく”がありそうな場所を全部回ってみようかと思い、ノートと一緒に持ってきたファイルも出す。しかしその途端横っ風が吹いて、一枚の紙をさらっていってしまった。
風に乗るやいなや、紙はバサバサと舞い上がり、先へ先へと飛んでいく。飛ばされたのは、白書と関連があると思われる本をまとめたリストだった。
「誰かに拾われて見られるのも面倒だな」
そうつぶやいてメイは紙を追った。
しかしながら、数歩だけ歩いて足を止めることになる。紙は木の枝に引っかかって止まってくれた。だがその木の下で、三つの首を持ったカラスが、小柄な子の髪を爪でつかんで暴れていたからだ。
ただのカラスじゃない。妖怪、いや霊獣か!
すぐに異変を察知したメイは右手を外し、三首カラスに向けて発射する。ミサイルばりのスピードで飛んだ右手はカラスの翼をつかんで付き飛ばしたが、鳥の姿とはいえ力持ちらしく、簡単に振り払われてしまう。
メイに気づいた三首カラスだったがすぐには飛び去ろうとせず、小柄な子の方に舞い戻っては、ひっかいたり、ガアガアと威嚇するように鳴いたり、くちばしでつつこうとさえする。しかし襲われている子は逃げようとせず、膝をついてうずくまり、何かを腕の中で守っているようだった。
メイは左腕を前に突き出し、右と同じように発射する。二つの手で頭と足を捕らえた。
そして念じれば、両手が青白く発光し、バチバチとした電流が三首カラスを包んだ。ゴーストの類にも効く特殊な生体電流である。さすがの三首カラスもこたえたらしく、少しばかり痙攣したかと思えば、逃げるように飛び去っていった。
「まったく、気が休まらないな。おい大丈夫か?」
メイは両手を手首に戻して手袋をし、襲われていた子に近づく。
その子は顔を上げるとしばらく観察するようにメイを見上げていたが、助けれくれたことに気が付くと、膝をついたまま深々とお辞儀をした。
「ありがとうございます、ありがとうございます。どうなることかと思いました」
メイはひとまず、自分の手が外れたところを見られていなかったらしいと思い安堵する。そして顔を隠すようにフードを被った。
「別に大したことはしてない」
「いいえそんなことありません。命の恩人です!おかげで傷一つつかずに済みました」
そう言っているものの、あちこちにひっかき傷がついている。「怪我したみたいだな」とメイに聞かれると、その子は立ち上がり、ずっと大事そうに守っていたそれを見せてきた。
「いえ無傷ですよ。ほら」
それは一冊だった。古い本だが、どうにもその子には大事なものだったらしく、嬉しそうに表紙を指でなぞっている。あんな怪物に襲われても逃げようとせず本を抱きかかえるなんてと、メイは怪訝に思った。
そしてなにより、ほのかに漂ってくる霊気から、目の前にいる子も普通の人間ではないことを察してもいた。実際この子は、三つの首のカラスなどというモンスターに襲われても、ケロッとした様子をしているのだから。
「あ、そうだ。これあなたのですよね?」
その子は枝に引っかかっていたリストの方に歩き、背伸びをして手にした。メイは言われてみれば風に飛ばされたリストを追ってその子の元に来たことを思い出し、「そうだ」と返した。
その子は、リストに書かれた本の名をじっと読んでいる。シーザー暗号を使ったため一目では何が書かれているかさえわからないはずだったが、興味を引かれたのか、それとも何も読み取れないからなのか、目を細めながら本のリストとにらめっこしているようだ。
「悪いんだが、返してくれないか」
「ごめんなさい。あと少しだけ」
思いもよらずそう返答されると、何が『あと少しだけ』なんだと、メイは作り物のまぶたをカチッと動かして目を丸くする。
……何だ、コイツ?まさか暗号を読んでるのか?それによく見てみれば、何か妙な気品があるやつだ。
リストを眺め続ける彼……いや、彼女だろうか。小柄な体にサファイアを思わせる丸い瞳で、可憐な姿は、少年のようにも少女のようにも見える。カールがかかった髪は赤く、綿毛のようにゆらゆら揺れていた。
何より目を引くのは、肩にかけたカバンにこれでもかと詰め込まれた本の数々だ。辞典ほど分厚いものもあれば、幼い子が読みそうな絵本もある。小さな肩からは、山ほど本が入ったカバンを下げて歩く姿など想像もできない。
「おい。何をじっと睨んでるんだ。いい加減にしろ」
メイはそう言うと、腕を伸ばしてリストを取り上げてしまった。赤毛の子は、紙を掴んだときと同じ手の形のまま、しばらくまばたきする。
しかし木の近くにあったベンチに座ると、本が無事かどうか改めて確認することに戻ってしまった。先ほどまでは怪我を心配していたメイも、多分まともなガキじゃないなと思うと、ここで足止めを喰らうのも面倒だと感じた。
また、何かを詳しく聞かれるのも、メイからすれば億劫だった。
「俺はもう行く。あんなのが飛んでくるところをうろつくな」
「あ、待ってください。お礼をしたいんです。本をお探しなんですよね?」
そう聞かれれば去ろうとしていたメイは振り返る。赤毛の子は本を抱えながら、うっすらと青い目をメイに向けていた。
まさか暗号を読めたのか?と不審に思うも、メイは答える。
「まあ、ある本を探してはいる」
「図書館ならあちらの建物ですよ。道路を回っていけばすぐです」
赤毛の子は、幼いとさえ感じる背丈に似合わないほど丁寧に話す。そんな様子を奇妙に思いながらも、メイは指をさされた方向を見た。確かに白くて四角い建物があり、立派な図書館なようだ。
「それはどうも。その本もそこで借りたのか?」
赤毛の子は本を両手で持ち直し、裏表紙にも目を通している。メイの問いには「この本は違います」と返した。
よほどの本好きか、変わり者だなと思いつつ、メイはリストをファイルの中に戻した。これ以上話して、彼の顔にまで浮かんだ木目に触れられるわけにもいかず、一言だけ礼を言って去ろうとする。
「そうか。まあ俺はあそこに行ってみるとする。他に行くところもないしな。じゃあ……あ?」
立ち去ろうとしたメイだったが、赤毛の子が持つ本の表紙を見ると、思わず固まった。
随分大事にされていたものの、その本の革はすでにひどく傷だらけで、紙もくすみ、くたびれているのが遠目にもわかるほどだった。爽やかな夕空の下で読むには不釣り合いなほど古びた書物だ。
しかし、背表紙に書かれた著者の名前と、いくつもの目が螺旋状に並べられたいびつな表紙に、メイは驚かざるを得なくなった。
「……ヴ、ヴォロホスの写本だと!?」
戸惑いながらも、赤毛の子が持つ本にずいっと近づく。
メイが声に出した本のタイトルに反応した赤毛の子は、視線を裏表紙から外し、メイに問いかけた。
「知っているんですか?この本のことを」
メイからすれば、知っているどころの騒ぎではなかった。
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ヴォロホスの写本……20世紀前半、ヴォロホス・ラブストレンジ著。ドイツの著名な奇人にして超自然科学研究家であったヴォロホス・ラブストレンジが、悪魔と交信するという実験の末に書き上げた書物。本人は「悪魔が教えてくれた知識を書き写したのだ」と語った。しかし同氏がその後謎の疾走を遂げたために、読めば悪魔に魂を取られるという都市伝説が流れ、出版社はほとんどの本を焼いてしまった。
尚、書かれている内容は空想上の動物の話や物語がほとんどで、その上半分以上のページは、ヴォロホス氏が発狂しながら書いたとされる幽霊の絵ばかりである。
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「本物なのか!?どこで手に入れた!?何でこんな静かな木陰で、そんな物騒な本を読んでいやがるんだ!」
そうまくし立てるメイが手を伸ばしてきたので、赤毛の子は咄嗟に腕を引いて遠ざけ、抱えるようにして本を守る。悪魔の本と呼ばれているとは思えない扱われ方である。
「違います。物騒なんかじゃありませんよ。読めば魂を取られる、なんて話はただの迷信。それがなければ、過去に何百冊もが焼き払われてしまうこともなかった」
赤毛の子は随分と淡々としているが、写本の方からは、おどろおどろしい霊気が溢れ出てきている。メイは驚きおののいたまま声を大きくする。
「ああそうだ、その本はほとんど全て焼かれた!だから写本は世界に3冊とない。俺はそ
一冊を読むために、ロンドンの美術館に10万ドル払った!何でお前はそんな本を持っていやがるんだ!」
メイもまた、現存するヴォロホスの写本のうち一冊を、大金を払って読んだことがある。とはいえ、邪気を払う聖水を体にかけた上で、1ページ1ページをピンセットでめくりながら、1ヶ月かけて読むしかなかった。
それはともかく、写本を読んだと聞いた赤毛の子は、何故か嬉しそうに口元をほころばせている。
「えっ、読んだんですか。いかがでしたか?なかなか面白い本ですよね。私のお気に入りは猫の幽霊が100匹描かれてるところで……」
「そんなことはどうだっていい!」
メイはいてもたってもいられず、赤毛の子の肩を掴んで揺さぶった。
「俺が聞きたいのは、お前がどこでそれを手に入れたのかってことだ!この街にあったのか?どこかから持ってきたのか?」
赤毛の子はしばらくメイの目を見つめるだけだったが、本をパタン、と閉ざすと、やっと彼の問いに答え始める。
「これは私のものではありません。借りたんです」
その答えに、メイは歯ぎしりを起こしそうになる。悪魔の本とまで呼ばれている一冊をどこの誰に頼めば借りられるんだ、生意気なガキめ、からかってるのか、とさえ思った。
「借りただと?ふざけたことを言うな。じゃあ一体どこの誰から借りたんだ」
「人から借りたわけではありません。図書館で借りたんです」
「ハッ、尚更ふざけてるな。こんな街中の図書館が、悪魔の本を貸し出してるってのか?」
メイはいよいよ吹き出してしまう。ますます冗談に付き合わされてるのかと思いつつも、先の図書館を指さして問い詰める。
赤毛の子はあくまでも落ち着いたままで、首を左右に振った。そしてそっとメイの手を払って肩から離させる。
「いえ、あそこではありません。確かに、あの図書館も素敵なところではありますが……別の場所から借りてきたんです」
「だからそれはどこだと聞いている!」
「霊界図書館ですよ。この本も、カバンに入っている本も、霊界図書館から借りてきたものです」
赤毛の子の口から飛び出した聞きなれない言葉に、メイの肩から力が抜けた。
やはり何かの作り話かと疑ってしまいそうにはなったが、じっとこちらの瞳を覗き込む目からは、嘘やジョークを言っている様子は見られない。何より、すぐ目の前で感じられる冷たい霊気からして、ヴォロホスの写本が本物であることに違いはないのだ。
「霊界、図書館?」
思わず聞き返してしまう。リュウカはヴォロホスの写本を持ち上げて見せながら、その奇妙な図書館について語り始めた。
「そうです。この世のありとあらゆる本が集められた場所。国も、言葉も、時代も問わず、この世の全ての本が眠っています。当然、この写本も」
当然ながらにわかには信じがたく、メイは一歩下がって、赤毛の子をまじまじと見下ろす。
「……この世の全ての本だと?馬鹿を言うのに休みがないようだな。それが本当なら、どれだけデカい図書館になるんだ。それに、世界最大の図書館は確か……」
「ワシントンDCのアメリカ議会図書館ですね。私も一度行ってみたいです。ただそこは、こちらの世界の世界一でしょう?」
意味ありげに話す赤毛の子はようやく本をしまうと、ベンチから降りる。
「この世で最も大きい図書館と言えば、水戸の霊界図書館に他なりません。よろしければご案内しますよ。守ってくれたお礼をさせてください」
思いもよらない誘いに、メイは木製の眉間を寄せる。そして悪魔の本もといヴォロホスの写本がしまわれたカバンをじっと見た。
思い返してみれば、噂程度なら聞いたことはあった。どこかに、ゴーストや怪異たちのために建てられた、限りなく大きな図書館があると。そこには世界中の書物が集い、さながら本の海と呼べるほどに巨大な施設になっているという噂だ。
しかしながらそんな図書館が実在し、それも日本の水戸などという場所にあるだなんて聞いたことはなく、簡単に信じることはできない。
とはいえ、まばたきすらせずに彼を見つめ返してくる赤毛の子の口ぶりには、どこかついて行きたくなるような説得力があった。
「そんな場所が本当にあるなら……」
「ありますよ。本のことで嘘は言いません。ああそれと、私の名前はリュウカです」
リュウカと名乗った赤毛の子はそう言うと手を前に出す。握手を求めているらしい。メイは少し躊躇ったが、グローブで覆った手で答えた。
「俺はメイだ」
握手をするとギシッという音が鳴る。幸いにも、リュウカには気づかれなかったようだった。
「よろしくお願いします、メイ。早速向かいましょうか。霊界図書館に」
本編に登場する城門は、水戸城 大手門を参考にしています。
https://mitokoumon.com/facility/historic/otemon/