メイ・アンデスレーの物語
某国某州某市。
雨はまだまだ止む気配を見せない。
真っ黒に塗られた廃ビルの中がじめついた空気に満ちる。打ち付けられた雨の音がバチバチと響き、時折、遠くで落ちたらしい雷が窓ガラスを光らせた。
外でクラクションが鳴り、大型バスが水しぶきをあげながら通り過ぎれば、騒音と雨音が合わさって夜の静けさをかき消してしまう。だがしかし、ビルの中でギラギラと目を光らせる男たちは、そんな外の世界の様子など気にしていられなかった。
一際背の高いスキンヘッドの男が、ふかしていたタバコを床に捨てて踏み潰す。
「本当に奴が来るんだろうな」
そう言って男は、鎖を模したタトゥーが入った後頭部をさする。近くにいた側近らしき男は、ぺこぺこと頭を下げながら1階へと続く大階段を指さした。
「ええ、ええ。間違いございません。あえて情報を流し、ここまでおびき寄せましたから。そろそろボスは避難なされた方が……」
側近に忠告されれば、ボスと呼ばれたスキンヘッドの男は、細くつり上がった目を見せる。
「ヘッドである俺にしっぽ巻いて逃げろ、だと?ジョークなら面白いが提案としちゃあゴミ以下だな。奴の頭に銃弾をプレゼントしてやるまで帰る気はねえ」
「ええ、ええ。お気持ちは存じておりますが……彼は危険人物の中の危険人物でございます。ここは我々に任せて、身の安全を確保した方がよろしいのでは」
心配そうに話す側近の言葉にはまったく効き目がないようで、ボスは大階段を睨み続ける。下には昔オフィスビルの顔として使われていたロビーがあるが、建物が閉鎖されてからは誰にも管理されることなく放置されており、蜘蛛の巣だらけで人の気配はない。
しかし2階には、ボスと側近を含めて、屈強なスーツの男たちが集まっている。20人はいるだろうか。皆々が目を光らせ肩をコキコキと鳴らす様は、さながら岩陰で獲物を待つライオンの群れのようであった。
ボスは咳払いをして側近を引かせると、部屋にズラっと並んだ部下たちに声をかける。
「ネズミがチーズに食いついてくれるなら結構なことだ。テメーら、武器を準備しろ」
指示されるが部下たちは動かない。というより、改めて準備をする必要がなかったと言える。血の気の多い彼らは、すでにボスが調達した武器を手にしていたからだ。
数人が手にしているのは錆び付いた短刀。もう何人かは青黒く変色した刀やナタを握っている。中には、古びた斧や銛を手にする者もいた。
準備は判断です、ノコノコやってきた野郎をどう料理してやりましょうか、リンチにするかミンチにするか、ええいともかく影も形も残らないほど痛めつけてやりましょう、と言わんばかりの部下たちの殺気を見て、ボスは不敵に笑う。そして内ポケットに忍ばせた『それ』をポンと叩くと、「こいつもありゃあ百人力だ」と自信を口にした。
「ボス、足音ですぜ。奴が上がってきてるみたいです」
1人の部下がそう言えば、血に飢えた男たちはピタリと武者震いを止めた。そして大階段へと視線を移し、熱線を放つような強い目付きを作る。
ボスも同じく目力を強めるが、口元には余裕そうな笑みが残っていた。
そんな怪物たちの喉元に、ゆっくりと、それでいて迷いのないテンポを持った足音が、一歩ずつ一歩ずつ迫り来る。
階段から姿を現したのは、スラッとした体をボアのコートで覆った青年だった。
フードで隠れて顔はよく見えない。だが、そのただずまいが不自然なほど『静』であることはわかった。恐怖や緊張による震えはもちろんのこと、肩のわずかな上下さえ見られない。青年は、およそ息をしている生物とは思えないほど、微動だにしない立ち姿をしていた。
とはいえボスは、待ち構えていた獲物が細身な若造と見るなり、小馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「本当にコイツが、かの有名なメイ・アンデスレーか?どんな大男かと思ってたが……これじゃまるで、俺たちが弱いものいじめをしに来たみたいじゃねえか」
確かに、一見何の武器も持っていない1人の青年を、暴力的なオーラを抑えきれない刃物や鈍器を持った男たちが待ち構えているのは、いささかアンフェアに見えなくもなかった。
しかし青年は一言も返すことなく、フードを取って顔を見せる。隠されていた風貌が明らかになると、ボスの顔から笑みが消えた。
メイと名前を呼ばれた青年。彼の姿もまた異様だったのである。
まず、彼の肌には木目が浮かんでいた。窓からの雷光を不気味に反射する、ニスで塗られたような光沢もかすかにある。関節には切り込みや裂け目が入っており、一歩でも歩けば、カタン、という軽い音が鳴った。
さらに、ギョロリとした右目には奇妙と言えるほど輝きがなく、反対に左目は、ガラスを溶かして流し入れたのではと思ってしまうほど青白く透き通っていた。髪の毛は遠目に見れば気品のあるブロンドだが、よく見ると一本一本が毛糸ほど太く、青年は鬱陶しそうに前髪をかき分けている。
「何だ、作り物みたいな野郎だな。まさかロボットじゃねえだろうな」
ボスは思わずそんな言葉を漏らす。言うならば彼の風貌は、まるで人の背丈にまで成長した木の人形のようだったのだ。
青年の形相が醸し出す異質さに、武器を持つ部下たちも気づいたようだ。ほんの少しのざわめきが部屋を支配する。
ボスは舌打ちをすると、部下たちに喝を入れる意味も含めて、あえて大きい声をメイにぶつけた。
「よお!ウチのビジネスを邪魔してくれやがったことを謝りに来たのか?それなら安心しろ。寛大に謝罪を受け入れて、蜂の巣にしてやるからよ」
ボスの言葉にハッとなり、部下たちは武器を握り直した。目の前の青年こそが彼らが取り仕切っていたとある商談を台無しにしたことを思い出し、怒りで己らを震え立たせている。
「テメーがブツを全部駄目にしやがったおかげで、俺たちゃ商売上がったりだ。いずれ償わせてやるつもりだったが、まさかテメーの方からやって来るたあ、今日は久々のハッピーデイになりそうだぜ」
ボスはそう言うと拳銃を取り出し、青年の頭に向ける。ただの銃ではなく、赤いインクで何かヒンディー語の呪文のような文字列が描かれたリボルバーだ。
メイは何かを確かめるように部屋を見回す。そしてようやく、閉ざしていた口を開き、ボスの方に真っ直ぐ指先を向けた。
「お前か?本を持っているのは」
ボスがまくし立てた脅しなど耳に入っていなかったのか、メイの言葉には何の躊躇も恐怖も見られない。男たちの報復については耳を貸す気もないと言わんばかりの落ち着きようである。
同時にその態度は、ボスの逆鱗に触れるには十分すぎるほど、彼らを舐め腐ったものであるように見えた。
「舐めやがって……この阿呆を殺しまくれ!」
ボスがそう怒鳴れば、待ってましたと言わんばかりに、男たちが武器を構えてメイに襲いかかった。
静まり返っていたビルの中にドタドタとした足音が響き渡る。男たちは、目の前の青年をずた袋にせんとばかりに雄叫びを上げながら、手にした刃をメイに向けた。
しかしながらメイは彼らの誰よりも素早かった。
目前に迫った刀をかわし、長い腕を男の襟首に伸ばす。そのまま体を反転させながら投げ飛ばすと、ナイフを構えていた別の男たちも一緒に、ボーリングのピンようになぎ倒した。
またすぐに違う男が、ナタを握ってメイに迫る。
「舐めた真似をするのも大概にしてもらわねえとな!」
ナタ男はそう言いながら、錆び付いて灰色に染まったナタを振り回している。メイを背後で武器を構えていた他の男の腕をつかむと、変わり身にするように、刃の前に引きずり出した。
「えっ」と戸惑う男の頬をナタがかすめる。すると、かすり傷に過ぎないはずの斬り口から、紫色の煙がモクモクと溢れ始めた。
その異変を見たメイは、男を壁に蹴り飛ばして遠ざける。
「ぐゃぎうあああ!」
男はぐああともぎゃああとも聞き取れない叫びを漏らしながら、傷口を抑えてのたうち回った。皮膚には深いシワが浮かび上がってきており、ものの数秒で、干からびたミイラのように変貌してしまう。
全身が青白く塗りつぶされる頃には、男の体はもがくような仰向けのまま、ピクリとも動かなくなってしまった。
「やはりか」とメイはつぶやき、今度はナタを持った男の方に自ら近づく。
「かかって来やがれ、ミンチにしてやるよ!」
ナタ男は味方を切ってしまったことなど気にもしていない様子である。メイを血走った目で睨みつけると、風を切りながら右へ左へとナタをスイングする。
しかしメイは焦りすら見せない。コートのボタンを引きちぎると、中指と親指の間で強く挟み込む。そしてピンッと指を弾けば、金のボタンがライフル弾の如きスピードで空中を駆け、ナタ男の首に命中した。
「ぐえっ!」
衝撃でぐらついたのを見れば、メイは素早く距離をつめて握り拳をぶつける。下顎を砕かれたナタ男は一発でノックアウトとなった。
またたく間に数人が倒されれば男たちはたじろぐ。だが今更引くこともできず、鈍器や刃物を掲げてメイに突撃した。
拳についた血しぶきをハンカチで拭ったメイは、迫撃を迎え撃つべく、自分の右手に左の手のひらを添えた。
そして軽く引っ張っただけで、彼の右手は手首からキュポンと外れてしまった。切り離された右手はひとりでに浮き上がると、螺旋を描きながら、先頭にいた男の頬へと突っ込んでいく。
大きさは人の手とさほど変わらないがそのパワーは凄まじく、身長2メートルはある男の体は180度回り、近くのソファまで吹き飛ばされた。
「や、やっぱり人間じゃねえな、テメー!この怪物が!」
「俺ごときが怪物呼ばわりか?恐縮だな」
そのままメイの右手は部屋の中を旋回する。刀を持った一人の男は必死に目で追いかけ、一太刀を浴びせようと長い刀を振り続ける。
しかし右手の飛行はその動きを遥かにしのぎ、突然方向を変えては男の顔面に直撃した。通常決して鳴ってはならない、何かがバキャリと折れる音が鳴ったかと思えば、男は勢いで飛ばされ、カーペットに顔をめり込ませた。
「何をバタバタやっていやがる!プロレスじゃねえんだぞ!さっさと殺すか死なせるかしねえか!」
ボスに一括されると、残りの男たちは怯みながらもメイに飛びかかっていく。だが一人、また一人、ときには2人同時になぎ倒されていき、床には敗者たちの血の池と呻き声が広がった。
またたく間にぶちのめされた部下たちを目にして、ボスは何も指示できなくなってしまう。
「……ち、畜生。こんな怪物に目付けられるなんて、今年は牛に跳ねられた14の年以来のワーストイヤーだ……」
彼もメイ・アンデスレーの話を聞いてはいた。悪霊怨霊デーモン、どんな依頼も電話一本、瞬く間に片付けてしまう凄腕のゴーストハンターだという噂だ。しかしながら、ものの数分でこれ程に追い詰められてしまうことになろうとは、想像だにしていなかった。
「ボス、私の後ろに!この命に変えてもお守りします!」と言って傍に使えていたはずの側近は、とっくのとうに逃げ出してしまっている。ボスは覚悟を決めるように息をつくと、リボルバーの先をもう一度メイに向けた。
メイは動じない。床に転がっていた短刀を手に取り、何かを調べるように眺めている。
「やめておけ。武器に術をかけているようだが……俺には無力だ。銃を捨てて本を渡すか、ただでさえ長くない寿命を縮めるか、どっちが賢明かよく考えろ」
ボスは額にはち切れそうな血管を浮かべ、高ぶった感情をグッと指に込める。そして、「ああよく考えてやるぜ。テメーの頭を吹っ飛ばした後でな!」
と叫ぶと、重たい引き金を引いた。
毒々しい紫煙を吐きながら銃弾が飛び、メイの額を撃ち抜く。バキャッという木が砕けた音が鳴ったかと思えば、ぐらついたメイは壁の方に倒れた。
ようやくボスの口元に笑みが戻る。銃を持つ手はまだガタガタと震えているが、確実に頭部に命中したのを見れば、勝利を確信し笑った。
「やった、やったぜ!化け物が!俺たちに舐めた真似をしたらどうなるか……」
高らかに勝ちを宣言しようとしたボスだったが、メイが不意に体を起こしたのを見ると、「うっ」と言葉を詰まらせる。メイは額を抑えながらも、ヨロヨロと立ち上がって壁に手をついた。
銃弾がめり込んだ額。ヒビ割れた顔面。こぼれ落ちそうになったガラスの目玉。それでも血の一滴すら吹き出すことはなく、ぎょろん、と動いた瞳が、銃を持ったまま唖然となるボスの姿を捕らえた。
「……満足したか?」
そう聞かれればボスは銃を捨てた。両手を高く上げ、膝をついてひれ伏した。これ以上ない、完全降伏の証である。
その姿を見たメイもそれ以上は何もせず、体の方に戻ってきた右手をキャッチして手首に差し込み、乱れたコートを羽織り直した。顔に入ったヒビは次第に修復されていき、目玉をグイッと押して戻せば、ものの10秒で無傷の状態に戻ってしまった。
「な、何なんだ、テメーは。俺たちは何の恨みがあるんだ!武器庫をメチャクチャにした挙句、皆殺しにしようってのか!この畜生めが!」
メイはコツコツと革靴を鳴らしながら、放心状態にあるボスに近づく。
「お前たちの武器庫を吹っ飛ばしたのは、そういう仕事を頼まれたからってだけだ。特に恨みや敵対心はない。大人しく本をよこせば、これ以上何をする気もない」
メイは着崩れしたコートを正しつつ、ひざまづいて動けないボスに1歩ずつ近づく。先程までは大男と呼ぶに十分な風貌だったが、今の彼は小鹿のように縮こまってしまったように見えた。
ボスは片手を挙げたまま、服の内ポケットに手を入れる。取り出されたのは、傷だらけになった一冊の本だった。
手帳ほどの大きさをした古い本であり、皮の部分はボロボロに崩れ、ページをめくれば破けてしまうのではないかと思うほどのくたびれ具合だ。表紙には1つ目をした骸骨の絵が描かれており、うっすらと赤い染みが滲んでいるようにも見える。
「こ、これだろう?『呪縛師式三百径怪術録』……闇のルートで手に入れた代物だ」
メイは本を手に取ると、慎重にめくりながら中を確かめる。
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呪縛師式三百径怪術録……19世紀末、呪縛師(本名不詳)著。「不死の呪い」や「消えざる大火の呪い」といった数々の秘術を作り出したとされる伝説の霊能者、通称『呪縛師』が記した書物である。使うことはおろか知ることさえ許されざる禁術が300あまり記録されており、書かれている術を唱えれば寿命が削られてしまうという言われもある。
尚、現代でも呪縛師を至高の霊能者と称え崇拝している者たちがおり、インターネット上では、この術録の一部とされるものが一ページ数万ドル単位で取引されることもあるらしい。
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「笑えるぜ。プライベートジェットを買えるだけの金で手に入れたのがその小せえ本だってのに、それすら奪われちまうなんてな。これで晴れて文無しってわけだ」
ボスはヤケ気味でそんな言葉を漏らす。悔しさを通りこすと笑えてくるものである。だがメイはそんな男に慈悲をかける素振りも見せず、本を床に放り捨ててしまった。
「偽物だ」
その言葉に耳を疑ったボスは「なにっ!?」と聞き返して顎を外しそうになった。
「本物なら、触れただけで精気を吸い取られる。書いてあることもメチャクチャだ。ギフトショップで売ってるレプリカの方がまだ価値があるかもな」
メイはそう話しつつ、返すぜと言うように足で蹴って本をボスに差し出す。これ以上ないほどの悲哀に満ちたため息をついたボスは、本を拾う気力もなく、がっくりと肩を落とした。
メイはあわれむこともせず、床に刺さっていたナイフを手に取りクルクルと回す。
「これだけなのか?他に何か持っているなら全て出せ」
「な、何も持っちゃいねえよ!俺たちが握ってた本の類は、本当にこの一冊だけだ!今となっちゃ、ただの紙くずだがな……」
そう返されても、メイは不愉快そうに目を細めている。
「気の毒だが、こっちも骨折り損で帰るのは困る。情報でもいい。特に『本』についてだ。何か知ってることはないか?何でもいいから残さず教えろ」
ボスは憤る。一夜で全てを失わせておいて、その張本人に骨折り損などと言われれば、怒りが体中を巡るのも無理はない。畜生、『気の毒だ』なんてどの口が言いやがるんだと、茹で上がったそら豆ような顔にならずにはいられなかった。
しかしながら、術をかけたナイフの先を向けられれば、何とか反抗的な言葉を喉元でこらえるしかない。
「……だから何も持ってねえし知らねえと言ってるだろうが!武器だって、俺たちはただ仕入れただけだ。詳しいことは何も知らねえ!本のことなんて尚更……ああ、でもそう言やあ、噂程度のことなら……」
「話せ」
メイは少し前屈みになって命令する。余計なことを口走ったと思いつつ、ボスは話を始めた。
「どこから話せばいいか……俺たちがこの術録と同じくらい欲しいと思ってたもんなんだが、『禁術白書』ってのを聞いたことはあるか?」
本の名を聞けば、メイは回していたナイフをピタッと止める。
ボス曰く、幻の本と呼ばれるほど正体不明の書物ではあるものの、全ての呪いを解く方法が書かれている本がどこかに存在するという。呪いの火で焼かれようと、石にされようと、殺されてしまおうと、その本さえあれば何もかもを元通りにできる。言うなれば、「全ての呪いを解く本」というわけである。
「禁術白書、か。名前まで聞いたのは初めてだな 」
メイは興味を引かれたように首元をさする。何を隠そう、彼もまた、全ての呪いを解く本の噂を聞いて旅をしている最中だったのだ。
誰によって書かれたのか、いつどの時代に作られたのか、当然ながら、今どこに在るのかも不明である。しかしながらルネサンス期の古書から近代の予言書に至るまで、「この世のありとあらゆる呪いと、それを解呪する方法が記された本」の存在が、確かなものとして語られている。
「それが実在するなら、世界中の金持ちが喉から手出して欲しがるだろうよ。俺たちだってそうだ。いくらの値でも売り飛ばせる」
「だが噂は噂だろう。それより本題に入れ。噂は要らない。必要なのは情報だ」
何度も刃先を向けられれば、ボスは「わかったからそんなもん下ろしてくれ」と言って震え上がる。
ボスが語るところによると、彼が率いる組織には百発百中の予言ができるという霊能者がいるらしい。そして、「全ての呪いを解く本」こと禁術白書の在処を偶然見つけ出したのだという。
組織もその予言を当てに、雇い入れた何人かに本を探しに行かせているということだ。もっとも、今となっては組織を畳んで泣き寝入りをするしかない状況ではあったのだが。
「確かなのか?白書はどこにあると予言に出たんだ」
ボスは少しはもったいぶろうとしたが、どの道脅されて吐かされるだろうと思い、記憶を辿って噂の地を語った。
「予言によると、白書は日本にある」
メイは片方の眉を上げた。
「日本だと?日本のどこだ。トーキョーか?キョウトか?日本のどこに白書があるんだ」
「日本の……イバラキだ」
「イ、イバラキだと!?」
ビシャアアンという雷鳴とともに雷が落ちる。その地名を耳にしたメイは、声を大にして立ち上がった。
だがすぐに言葉につまり、小さく首を傾げながらまばたきする。
「……悪い。それはどこだ」
ボスは咳払いして話を続ける。
「イバラキは日本の〜」
「いい所そうだな」
「ああ、いい所だ」
ボスの話を聞いたメイは、過去に訪れた場所を思い返す。だがやはり聞いたことのない地名であり、目の前の男の話に信ぴょう性があるかは定かではないが、まだ手をつけたことがない土地であることに違いはないようだった。
「イバラキ、か。聞いたこともないな。だが、これも何かの因果か?」
そうつぶやきながら、ヒビの入った窓ガラスに写った自分の顔を見る。
銃弾で負った傷はとっくに治ったが、木と糸でできた顔色からは、相変わらず生気を感じられない。少しでも体をゆすればキィキィと音がなり、それが耳を刺してくるのが気持ち悪い。
だがどれだけ悔しさを吐き出そうと、怒りを胸の内で燃やそうと、ガラスの目には涙がにじむことさえないのだ。
彼の背後でボスはこっそりとナイフに手を伸ばすが、「やめておけ」と言われると、慌てて手を引っ込めた。
「な、なあアンタ、何で本を探してるんだ。金のためじゃねえんだろ?やっぱりその木の体を何とかしたいのか?それなら、俺が手を貸して……」
「お前ごときに力を借りることなんて、何もない」
メイはそう切り捨てるとようやく窓から視線を逸らし、ポツンと残されていたソファに座った。
「その予言について教えろ。イバラキってところのどこに白書があるのか、詳しく話してくれ」
力借りてんじゃん!と内心狼狽えながらも、ボスは引き下がって従うしかなかった。
……日本…考えたこともなかったが……まあ今は行ってみるしかないか。どうせ、どこ向かうべきかもわからないんだ。
そんなことを思いながらメイはボスを立たせ、建物の奥へと歩かせる。その後に続いて、床が散らばったままの2階を後にした。
外では、変わらずに振り続ける雷の音が、はるか遠くまでこだましていた。