『文字通り飛び出す精霊図鑑』の注意点
体調を崩しておりました...!今週からは気持ち週一で加筆していきたいです。
リュウカとメイの二人は、黙って本を読み続けていた。いびつな展示ばかりが集められてはいたものの流石は図書館というだけあり、二人がいるフロアは静かで落ち着いた空気に満ちている。騒がしいものと言えば、他の本ばかりを読んでいるリュウカに拗ねて、机の周りをバタバタと跳ね回る緑の生きた本、グリーだけである。
そんな二人と一冊の近くに、わざとらしくカツカツと足音を鳴らす人影が近づいてきた。
その男は抹茶色のジャケットを羽織り、目のマークが描かれた帽子を被って、いくつも鍵が付いたチェーンをこれ見よがしにぶら下げている。メイよりも一回り背が高くスラッとした立ち姿だが、何より目を引くのは、皮膚がなく骸骨がむき出しになった頭部だ。
男はグリーの前で立ち止まり手袋を付けた右手を彼に向けて伸ばす。だがグリーはすぐに飛び退くと、うさぎのように机の上を跳ね回り、リュウカの頭の上にぽすん、と乗った。かすかに震えて男に威嚇してもいる。リュウカも本から視線を離すと、腕を組んで威圧的な姿勢を醸し出しているその男の存在に気付いた。
「その本を渡せ。危険文書だ」
男が低い声で命令する。簡潔で、それでいて力のこもった言い方だ。しかしながらリュウカは慌てることのない様子だった。
「変身しているのがバレバレですよ、エヌジェイ。グリーにもお見通しです」
そう言われると、エヌジェイと呼ばれた男は組んでいた腕を開き、笑い出した。
「はっはっはっは冗談さ冗談。相変わらずその本に嫌われてるようだなあ、私は」
重圧感のある低い声が軽い喋り方に変わっていく。骸骨だった頭部からは肌と髪、高い鼻、そして目玉が生えてきて、最後にはポニーテールを生やした好青年の姿に変身した。
エヌジェイは帽子を被り直すと、やけに馴れ馴れしい口調でリュウカに話しかける。
「このフロアで会うなんて珍しいじゃないか。今日も読書に精が出てるようだね?面白い本でも見つけたのかい?ん?」
リュウカは一度お辞儀をしてから返答する。
「少し探し物を。貴方こそこんなところで何をしているんですか?警備のお仕事は?」
リュウカは明らかに声のトーンを落としていた。どこか鬱陶しく思うように、本で顔を覆ってもいる。
このエヌジェイという男は図書館の警備係らしく、鍵の束をじゃらじゃらと指で回していた。その姿に『面倒そうなやつだな』と警戒しつつ、メイは、どこかで会ったような気がすると思って記憶をたどっていた。
エヌジェイはどこからともなく紙コップを取り出し、その上でひらりと手を回す。すると空っぽだったカップの中があたたかそうなコーヒーで満ちた。霊界図書館の職員というだけあり、彼も普通の人間ではないらしい。
「今日もさぼっていらっしゃるんですか?いくらロボットが巡回してるからって、警備係がそんな調子では……」
「さぼりなんかじゃない!危険人物が入館したっていう連絡があったんで見回りをしてるだけさ。ソイツが宇宙館やら水中館やらを駆けまわってる姿を警備ロボットが観測してね。何かしでかす前に理由を付けて追い出すところなのさ、あのメイ・アンデスレーってやつを……」
得意気に胸を張って話していたエヌジェイだったが、向かい側の椅子に座って本を読んでいるメイに気付くと、飲んでいたコーヒーをブバッホッと吹き出した。
しばらくは目を丸くして彼を見る状態で固まっていたが、苛立ちを覚えたメイが視線を返すと、エヌジェイはやっと口を開く。
「メイ!……いや、メイ・アンデスレー。本当にお目にかかれるとは」
名前を呼ばれたもののメイは彼を一瞥し、本へと目線を戻した。前に見たことがある気がすると一瞬思ったものの、ここで絡まれるのも鬱陶しいだけだろうと思ったからだ。実際、珍しいものでも見つけたように首を30度傾けてこちらを観察してくる彼には、つい舌打ちをしたくなるうざったさがあった。
無言の二人の間にリュウカが割って入る。
「待ってください、メイは危険人物なんかじゃありませんよ。今もただ本を探しているだけです」
「いいやどうかな。メイ・アンデスレーと言えば、ついこの間もニューヨークで霊能者コミュニティをぶっ潰したって噂だ。何が目的でここに来たのかは知らないけど、警備係として、目を光らせない理由はないね」
エヌジェイはそう言いながら、やや呆れた様子のリュウカと、もう一度本から目線を外したメイを交互に見る。その近くでは、机の上に戻ったグリーが『はやくどっか行け』と言う代わりに乱暴に跳ねている。
「お前警備係か。それならしっかり仕事をしたらどうだ?俺はさっき、この緑の本に物を取られたばかりだ」
「それはそれは失礼した。だが見ればわかる通りこの図書館は人手がどれだけあっても足りなくてね。ロボットを飛び回らせても全ての場所を監視はできないんだよ」
エヌジェイはそう言いながら腕時計型のデバイスを見せてボタンを押す。すると少し離れたところを浮遊していた警備ロボットが、二人のテーブルのすぐ近くまですっ飛んできた。
「お望みとあらばこのロボットをお供に付けてあげようか?」
「……いや、いい。落ち着かないからどこかに行かせろ」
エヌジェイがもう一度ボタンを押せば警備ロボットは回れ右して去っていった。思った通り面倒そうな野郎だと思い、メイは集中をエヌジェイから本に戻す。
しかしエヌジェイとはしつこい男だった。ねちっこい視線を浴びせつつ、やたらと質問を重ねてくるのだ。
「本を探してると言ってたね。一流のゴーストハンター様が、はるばる日本、それも水戸まで来て一体何をお探しなんだ?」
「お前に話してどうなる」
「力になれるさ!警備係の私の知恵があればどんな本だってすぐ見つかるだろう」
「知恵ならもう結構だ。本の虫が手を貸してくれてるからな」
「そう言わず本の名前だけでも教えてみなよ」
「おいしつこいぞ。さっさと消え……」
「禁術白書を探してます」
「おい、リュウカ!」
メイはあれこれと聞かれるのを避けたがっていたが、リュウカの方が正直に話してしまった。メイは元より警戒心が強い。白書と呪縛師を追う中で敵も増えていったのだから今では尚更だった。しかしリュウカは不機嫌そうな目を作る彼を見てきょとんとしている。
一方、本の名前を聞いたエヌジェイは、空っぽになったコーヒーのカップを潰し、机に身を乗り出した。
「禁出白書!それって例の、『全ての呪いを解く本』のことかい?これはまたもや驚きだ、メイ・アンデスレーともあろう方が、実在するかもわからない幻の本を求めて、はるばる茨城の地まで来ているだなんて」
メイは立ち上がり、尖った指先をジェイエヌに向けた。
「いい加減そのスズムシみたいにうるさい口を閉じろ。警備の仕事に戻ったらどうなんだ」
「まあまあまあそんなこと言わないで。私にも手伝わせてくれよ。面白そうじゃないか」
そんなことを言われれば、メイはライターに火を付けたような大きな舌打ちをして、腕を組みはっきりと『失せろ』と態度で示す。リュウカの方もエヌジェイに絡まれるのには慣れているのか、いつの間にか読書に戻っていた。
エヌジェイは肩をすくめて、机に置かれていたうちの一冊に手を伸ばす。
「まったく連れないなあ。まあまだ探し始めたばかりってとこだろうし、好きに頑張りなよ。私だって暇じゃないんだからね」
そうぼやきながらも、エヌジェイは見回りに戻ることもせず、手にした『文字通り飛び出す精霊図鑑』を開く。すると、封という文字が書かれたしおりのような札が、はらりと机に落ちた。
それを見たリュウカが「あっ、それは」と言いかける。しかしその言葉をかき消すように、大きな翼を広げた不死鳥型の精霊が、文字通り本から飛び出してきた。
「うわあ!?何だこいつわっばっご」
腹に正面からの突進を受けたエヌジェイは言葉にならない声を漏らしながら吹き飛ばされ、何回か空中でスピンした挙句、別の机に突っ込んでドンガラガッチャンと音を立てる。何事だと思ったメイが顔を上げると、天井に向けて、全長2メートルはあるであろう不死鳥の精霊が優雅に飛んでいった。
精霊図鑑から出てきたのは不死鳥だけではない。床に落ちた図鑑はさらにピクピクと震えて、少し青い光を放ったかと思えば、大蛇型、シカ型、獅子型、ビーバー型、ミーアキャット型……とにかく、動物園顔負けの数に渡る動物の姿をした精霊たちを、次々と吐き出していく。
メイの顔にはムササビ型がダイブしてきて、一瞬視界を覆われた。精霊といっても触れることができるらしく、何とかムササビを剥がした頃には、フロアの中は数十匹の精霊たちにメチャクチャにされていた。
シカや馬は我先にと広い通路へと駆け出していき、獅子は本棚に昇って雄叫びを上げ、セイウチは長机の上にごろ寝する。一台しかいない警備ロボットは不死鳥を追いかけるので大忙しだ。ケンタウロスの来観者が偶然フロアの中に入ってきたが、ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングルといった中の様子を見ると立ち止まり、「俺はお呼びじゃないねこりゃ」と言ってすぐさま出て行った。
メイは慌てて本を拾い上げて閉じる。猿の手がはみ出してもがいていたが、無理やり中に押し込んで事なきを得た。
「何なんだこれは!何で図書館がゆかいな仲間たちのアニマルパークになった!?」
「『文字通り飛び出す』精霊の図鑑ですから。封印していたしおりが取れてしまったようです」
リュウカはそう言うと本を受け取り、メイの頬にしがみついたままだったムササビにページを開いて近づける。するとムササビは、掃除機で吸われたように本の中に戻された。メイはひっかき傷だらけになった顔をかきむしる。
「これは実に好ましくないことですよ。図鑑の中身を遠くに飛び出させてしまったら元に戻すのがマナーです。何とかしないと」
そう説明している間にも、ペガサスの精霊が奥へ奥へと走っていたらしく、談話室がある方向から「ぎゃあ何だ何事だ」「ごめんなさい馬刺しの料理本なんか読んで!」という悲鳴混じりの叫びが聞こえてきた。
「冗談じゃないやってられるか!おい、警備係!お前が何とか……」
メイは振り返ったが、エヌジェイはそそくさと消えてしまっていた。
「ああダメです!それは食事じゃありません!」
リュウカは本をかじろうとしているヤギの精霊を止めるので精いっぱいなようだ。周りを見ると、ビーバーの精霊たちが本棚をせわしなく歯で削り始めている。本たちに傷をつけるのも時間の問題だろう。
リュウカは救援を渋るメイに目で語る。嗚呼可哀そうな本たち。このままでは逃げも隠れもできず、精霊たちのおやつにされてしまいます。どうか助けてください、とでも言いたげに、ビーバーを図巻に吸い込みながらメイを見上げている。
メイは「ああ畜生」と漏らしながらも、一度白書探しを止めて、精霊たちの声がする方に走っていった。