霊界図書館へようこそ
プロローグでございます。
「ここは本当に図書館なのか」
青年は、呆気に取られたと表すに全く申し分ないほど、呆気に取られていた。
数え切れないほど多くの本棚と、その中で眠るこれまた数え切れないほど多くの本たちに見下ろされる中、思わず顔を上げざるを得なくなる。彼の隣ではリュウカが、
「ええ、図書館ですよ。本当に」
と言って、どこか得意げに微笑みを浮かべた。
図書館が本でいっぱいなのは至極当然なことである。しかし2人が立つその場所は、図書館と言うより「無数の本の巣」だとか、「本で作られた要塞」と言った方がふさわしそうな雰囲気だった。大聖堂を思わせる高い高い天井近くまで伸びる本の塔に囲まれ、どの方向に目をやっても、視界には大小様々な書物が飛び込んでくる。
「ある学者は、図書館とは『本の森』であるべきと言いました。訪れる人は、知識と言う果物を探してさまよう……ですが世界のどこを探しても、これ程森と呼ぶに相応しい図書館はないでしょう」
小さい腕で6冊もの本を抱えるリュウカが、本棚を見上げたままの青年の横で語る。青年はやっと視線を下ろすと、思わず呆然となってしまったのを誤魔化すように咳払いした。
「……森と言うより、海だな。まるで」
「そうです!ふさわしい言い方ですね。まさにここは本の海、というわけです」
何やら嬉しそうに話すリュウカを横目に、青年は棚と棚の間に敷かれた絨毯を歩き始める。
海と形容できるだけあり、この図書館には「端」が見当たらなかった。横に見渡そうと、背伸びして奥を覗こうと、一番奥に在るであろう壁も柱も見えることがないのだ。モザイクアートのような柄をした壁面らしきものは見える。しかしそれもまた無数の本が詰められた本棚であり、その奥にも、そのさらに奥にも、次の棚が仁王立ちしている。
巨大な本棚1つを見るだけでも、この図書館の異質さを申し分なく感じられるだろう。当たり前に見る本棚より一回り、二回り……いやもはや十数回りほど大きい。一台に収められる冊数だけで、小さな図書室を埋め尽くせるだけの量はありそうだ。
どれも木造で、横幅もバス1台が入りそうなほど長い。全ての列に腹いっぱいに本を詰め込み、わずかなほこりも寄せ付けずに、次に読む者をどっしりと待っている。
「何百万冊集めればこんなことになるんだ。あまりに、その……デカすぎる」
上の段に敷き詰められた本は、もはや手を伸ばして取ろうとすることさえ無粋に思える。登って取ろうにもレスキュー隊が使うはしご車が必要そうだ。青年は、『1番上の棚に用事があったらどうすればいいんだ』と、普段は固く動かない眉をひそめてしまう。
「ただ大きいだけじゃありません。ここはE-99番『料理に関する本』の棚ですね。世界のキッチンで使われているあらゆるレシピを、ここの本たちは知っているんです」
リュウカは目の前の本棚を指さして、一冊適当なものを抜き取って青年に渡す。アルファベットのような文字が表紙に書かれた分厚い料理本だ。
「どこかで見た言語だ。どこの国の本だ?」
青年に問われると、リュウカはパラパラとページを巡る。
「ベトナムの料理本ですね。それも全部、カタツムリを使ったレシピです」
「何だと?」
「これなんて美味しいそうじゃないですか。『カタツムリのフライ。衣を多めにして揚げて、チリソースに付けて食べる』。どうですか、何かの縁と思って読んでみては」
青年はわざとらしくため息を付くと、元あった棚に押し込んで戻した。
「俺はレシピなんかを探しに来たわけじゃない」
そう言って青年が歩くスピードを速めると、リュウカは少し遅れて彼に着いていく。言わずもがな図書館で走ることは厳禁なため早歩きだ。
「待ってください。そっちも料理に関する本の棚です。こっちのS-15番の棚なら……あ!」
リュウカは足を止める。抱えていた数冊をせっせと鞄に詰めこんだかと思えば、一冊新しい本を棚から取り出してパラパラと読み始めた。
「何だ。何か見つけたのか!」
少し先を行っていた青年も戻ってきて本を覗く。だが表紙に『文字通り飛び出す精霊図鑑』と書かれていたのを見ると、眉とまぶたを40度ほど動かしてしかめっ面を作り、リュウカに向けた。
「驚きだな。こんなものが俺が探してた答えだなんて。図鑑で呪いが解けるとは思いもしなかった」
しばらく図鑑に夢中になっていたリュウカだが、皮肉交じりな言葉をかけれると、「失礼しました」と言って本を閉じる。
「ああごめんなさい。この本、ずっと昔に途中まで読んでからそれっきりだったので……」
頭を下げつつ、図鑑を鞄にしまい込む。青年はそんなリュウカの様子に再びため息をつきながら、S-15と書かれた本棚を見渡した。精霊と伝えられる動物や、伝説上の怪物に関する本が並んでいるらしい。
置かれているのは『茨城に眠りし巨人とその恐るべき生体』やら『絶対後悔させない!魔神への願い方マニュアル』といった、めっぽう変わった本ばかりだ。確かに聞いたこともないものがいくつも並んでいるが、けったいなタイトルと文字の羅列は、かえって青年に疑わしい思いを抱かせる。
「ここが馬鹿みたいに大きいのはよくわかった。だが……本当にあるのか?俺の探している本が。何度でも言うが、料理本だとか図鑑だとかを漁ってる余裕は俺にはないんだ!」
そう言われるとリュウカは、本がずっしりと詰まってデコボコな形に膨らんだ鞄を肩にかけながら、よろよろと立ち上がる。青年は何度目かわからないため息をついて、鞄を代わりに持ってやった。
「ありがとうございます」と言って、リュウカは別の方向に指を指す。
「心配には及びません。呪いやたたりに関する本は、ちゃんと別の本棚にありますから。番号までしっかり覚えています」
「それが本当ならいいが……何番の棚なんだ。15が精霊の棚なら、S-20辺りにあってくれると助かるんだがな」
「S-109281番です」
とてつもなく数字が増えた答えが返ってくると、青年は思わず後ろに倒れ込みそうになった。
「さ、さっきまで二桁だったろうが!どれだけ本があるんだ、ここには!」
嘘偽りなく気が遠くなるような気になった青年が思わず怒鳴る。竜花は気にしないと言った様子で表情を変えることさえしない。
「仕方がありません。ここは霊界図書館ですよ?この世のありとあらゆる本が集まる場所です。カタツムリのレシピ本も、精霊の図鑑だって置かれています」
リュウカは果てしなく続く本の群れの下で腕を広げながら、確信を持った口振りで話す。
「そしてお探しの……『全ての呪いを解く本』も、この図書館に必ずあります」
呪いを解く本、と聞けば、青年は表情をいっそう険しくした。この図書館に連れてこられたときも、妙な本ばかりが並ぶ棚を見た今でも、半信半疑であることには変わりない。
しかしながら、リュウカの自信に満ちた言葉と、彼らを囲む無限の本たちに、一か八か賭けてみるかという気にもなった。
リュウカは本棚に書かれた番号を調べながら、「こっちですね」と言って、目指すべきS-109281の棚に向けて歩みを進める。
「私は長い年月をここで過ごしてきました。ですが、見つけようとして見つからなかった本は、今まで一冊としてありません」
「ガキのくせに随分なことを言いやがる。Sのナントカカントカの棚にもなかったらどうするつもりだ」
「大丈夫ですよ。こちらが心から呼べば、本の方からやって来てくれるんです。ここはそういう場所なんです。騙されたと思ってついてきてください」
青年は鞄を背負い直し、リュウカの後に続く。本棚の番号を目で追うが、まだ34番と書かれており、一体どれだけのフロアを経由するのかは検討つかないが、とにかく途方もなく先にはなりそうだった。
それでも彼には、何としてもあの本を手に入れねばならない理由があった。カツカツと足音を鳴らし、ガラス玉の瞳に本の並びを写しながら、青年はリュウカとともに歩みを進める。
まずは、彼がこの図書館に来るに至ったいきさつを語らねばなるまい。
次からのエピソードは不定期ですがほぼ週一で更新していく予定です。よろしくお願いいたします。
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