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第七話 浅倉綾子は見守る

 例年ならばクリスマスは普段と変わらない一日扱い。おふくろも仕事のことが多く、帰宅途中に買って来たショートケーキと骨付きチキンが気持ち程度に出るくらいだった。

 今年も今日がクリスマスということを忘れて帰宅し、「ただいま」と声をかけに台所を覗いた。おふくろと浅倉とそしてもう一人。

「浅倉妹もいるのか」

 そう小さく呟くと、

「あのさー? アタシは浅倉妹じゃなくて、浅倉綾子(あやこ)だって何回言ったらわかんの?」

 作業の手を止め、眉間に深く皺を寄せ、こちらを睨む。

 話し方やショートカットの髪、パーカーにジーパンという出で立ちだけ見ていると少年に見えなくもない。

 浅倉綾子。コイツが数週間前から、姉とともに突然やってくるようになった。

 出会った瞬間から、オレをまるで同級生のように扱う。どっちかというとおとなしい姉とは正反対の気がする。


「サエ姉ぇ~、ホントにこの人、センセーなの?」

「綾ちゃん、先生に失礼なこと言わないの」

「だってぇー」

「いや、綾子ちゃんの言う通りだよ。人の名前をちゃんと呼ばないのは失礼だからね」

「あ? 浅倉妹は浅倉妹だ」

 二人いると下の名前で呼んだ方がわかりやすいことは承知だ。だがそうなると、浅倉のことも下の名前で呼ばなければいけなくなる。もし気が緩み、うっかり学校で呼んでしまえば大事件だ。それを回避するためにも、浅倉妹には悪いがそう呼ばせてもらう。

「オマエ、中三の受験生だったよな? いいのか、ここにいて」

「言われなくても勉強ちゃんとしてるし。今は息抜きだもん」

 浅倉妹は雲のようにふんわりと泡立った生クリームを少しずつスポンジケーキの上に乗せていく。話し方は乱暴だが、丁寧に手際よく塗り付けている。

「今まで料理なんて興味全然なかったけど、サエ姉があんなに楽しそうにしてたら興味出てさー。お料理教室面白いし、先生も優しいし。本当始めて良かった」

「そう言ってくれて嬉しいよ。これからいっぱいお料理覚えていってね」

「はーい! よろしく、静江センセー!」


 フライドポテトにサラダなど、ちゃぶ台に似合わない洋風のパーティー料理たちが次々にお目見えする。こんな豪華なクリスマスは初めてだなと思いながら、ビールの缶片手に座ると、取り皿を並べていた浅倉妹が口を尖らせた。

「わっ! センセー、お酒飲んでる」

「いいだろ、とっくに成人してるんだから。オマエらにはジュースあんだろ? それでも飲んどけ」

「ねぇねぇ、センセーも毎日飲む人?」

「オレはたまにしか飲まねぇ。そんなに強くないし」

「そうなんだ? じゃあ、ウチのお父さんには勝てないね」

「なにがだよ」

「ウチのお父さん、めちゃくちゃお酒好きで、しかも超~強いの。だから、サエ姉のお婿さんになるなら、もっとお酒強くならないと」

 思わず、酒を吹き出しそうになる。おふくろと一緒にオーブンの前でチキンが焼き終わるのを待っている浅倉の方を睨む。

「アイツ、妹にも変なこと吹き込んでんのか」

「その言い方ひどーい。サエ姉が初めて好きな人出来たって聞いてさ、どんな人かと思えばこんな……はぁ……」

「こんなってなんだ……」

「全然思い描いてたようなカッコイイセンセーじゃなかったってこと。サエ姉持ち上げすぎなんだよねぇ」

「失礼な奴だな。ったく、四方八方塞ぎやがって、アイツめ……」

 なんて言い合ってると、浅倉が何食わぬ顔でチキンを持って来た。

「もうすぐお食事全て出来るので、綾ちゃんも先生も仲良く待っててくださいね」


 人生で一番多い人数で過ごすクリスマスの夜。おふくろもいつも以上に張り切ったのがよくわかる。

「そういえば、綾子ちゃんはどこの高校受けるんだい?」

「サエ姉と同じとこ」

「ってことは、オレの……!」

「そだよ~。合格したら毎日顔合わすことになるからよろしく」

「なにがよろしくだ。さらに気まずいじゃねぇか」

「遠回しに落ちろって言ってんの?」

「そこまで言ってねぇ」

「もう受験生はナイーブなんだから、言葉選びには気をつけてね」

「はいはい、すまんかった」

「サエ姉の校則緩いって聞いたし、知らない人ばっかより、サエ姉と桂センセーがいる方が心強いもん」

「こんな息子だけど、先生としてはそれなりに頑張ってるから、仲良くしてやってよ」

「はーい!」

「先生、もし綾ちゃんが入学した際には何卒よろしくお願いしますね」


 そして、四月。帰りのホームルームを終え、教室を出た。

 もう何回も四月を迎えてるいるというのに、新しいクラスと言うのは生徒だった頃も教師になってからも緊張するものだ。今年の顔ぶれも騒がしそうな……さすがこの学校の毛色というかなんというか。ちゃんと手綱を掴まねぇといけねぇなと改めて心に誓う。


「桂センセー」

 聞き覚えしかない声。振り向いた先に立っているのは浅倉妹だ。まだ着慣れていないであろう制服は、少し大きめのサイズを着ていることもあってぶかぶかだ。

 今よくCMに出ている年の近い女優・広末涼子とやらが好きで、彼女を真似て出会った頃より髪が短くなっている。

「何ニヤけてんだよ」

「まさかセンセーのクラスに入れるなんて思わなかった」

「はぁ~……。こっちからしたら面倒なことになっちまったとしか」

「やっぱりサエ姉がいる三年の担任がよかった?」

「あ?」

「サエ姉、落ち込んでたよ。最後までセンセーのクラスに入れなかったって」

「むしろオマエでよかったよ。アイツの担任になったら、進路指導困るからな」

「そぉ?」

「どうせ将来どうしたいかって訊いたら『先生のお嫁さんです』って真顔で言って来やがるに決まってる」

「えー、いいじゃん! 美人だし、料理だって出来るんだよ? 掃除や片付けは……ちょっと雑だなって思うけど。でも、オシャレにも詳しいし。それに、センセーみたいなオジさん相手にあんなに熱烈にアタックしてるのに」

 話をしていると、頭が痛くなる。

「とにかく、くれぐれも学校内で料理教室の話はするなよ」

「わかってるって。サエ姉にキツく言われてるから」

「ホントかよ」

「ああ見えて怒らせたら怖いもん」

 歩きだすと浅倉妹も同じ方向に歩きだす。

「まだ話したりないのか」

「違うし。この渡り廊下渡って、そっちの棟通って購買部行くの」

「じゃあ、もっと離れて歩けよ」

「あー、女は散歩後ろを歩けとかいうやつ? 堅苦しー」

「違う。入学早々、教師と仲良くしてるの変に思われるだろ」

「それはこっちのセリフ。こんなとこサエ姉に見られたら嫉妬されちゃう……って話をすれば、そこにいるじゃん」


 足を止め、渡り廊下の窓からのぞく。

 正門の前に浅倉が立っている。校則で長い髪はまとめなければいけない。ゆえにポニーテールにしている生徒は多い。それなのにどうしてか後ろ姿でも判別出来るようになってきた。

 彼女の前には詰襟の男子生徒。制服からして近所にある男子校のヤツだろう。顔までは見えないが、背が高く、彼女を見下ろす形で対峙している。その男子生徒が何か話すと、浅倉は首を横に振って、頭を下げる。男子生徒はわかりやすく肩を落とし、去っていく。

 何を言ってるのか聞こえなくても、これがなんのやりとりだったかはわかる。


「サエ姉、モテるんだよね」

「だろうな」

「だろうなってことは、サエ姉のこと美人だとは思ってんだ?」

「……」

 浅倉は後ろから来た友達数名と合流すると、駅の方角へと消えて行った。

「センセーさぁ、さっきの見ても何も思わないの?」

「何って?」

「そりゃあ、オレの紗子に手を出すなっ! とかさ」

「思わねえよ。もしトラブルに巻き込まれそうになったら助けに行かないととは思ったが」

「センセーって、ホントにサエ姉のこと、一人の生徒としか見てないの?」

「しつけぇな。そうとしか思ってない」

「じゃあ、お姉ちゃんが他の男と歩いてても何も思わない?」

「ああ、思わないね。アイツが幸せと思ってんならそれでいいだろ」

「はぁーあ、もったいな」

 大きなため息を吐く。ため息つきたいのはこっちも同じなのだが。

「だけどさ、センセーがお姉ちゃんの恋心に火ぃ点けたのは変わりないんだから、責任は取ったほうがいいよ」

「あ? 何言ってんだ。勝手にアイツが……」

「アタシ、あんなサエ姉、アタシ初めて見るんだよねー」

 浅倉妹は窓の外を見たまま、独り言のように言った。

「自分から何かしたいって言わないし、飽きっぽくて、いつも長続きしないお姉ちゃんがさ、突然いろんなこと挑戦し始めて。家族みんなビックリしてんだから」

「それは、オレがいなくたって……」

「ホーント、センセーって変なの。わかってるくせにウソついてさ」

「教師をウソつき扱いすんじゃねぇ」

「ウソつきだよ。サエ姉にはセンセーが必要だったし、センセーだってサエ姉が好きって言ってくること、まんざらでもないって思ってるくせに」

「オマエになにがわかる」

「あーあ、やだやだ。アタシ、こういうオトナにはならないようにしよっ!」

 そう言うと、べーっと舌を出して走っていった。

「ウソつき、ねぇ……」

 浅倉妹の言葉を反芻する。大人には大人の事情ってモンがあるのに、好き勝手いいやがる。


「もう仲良しな生徒出来たの?」

 いつの間にか隣に立っていたのは山田先生だ。持っていた書類の束を危うく落としかけた。

「急に話しかけないでください!」

「ごめんごめん。驚かすつもりはなかったんだけど」

「とりあえず、名前呼びかけてからにしてくださいね」

「わかったわかった。これからはそうする」

 渡り廊下を渡って、職員室の方へ向かう。今日は半ドンで、部活も基本休み。美術室や家庭科室などがあるこの棟には生徒はほぼいない。

「桂先生って生徒とすっごく距離置いてるけど、たまには仲良く話す子がいるんだね」

「そう見えますか? 生徒には平等に接しているつもりですが」

「あ、ウソついた」と脳内の浅倉妹が言う。うるせぇ。

「ウチの高校はみんな人懐っこくて可愛い子ばかりだから、話してて楽しくない?」

「まだまだ子供すぎるんですよ」

「アハハ、桂先生は厳しいな。その中でも三年生に浅倉さんって子いるでしょ? あの子は大人びてるよね。真面目で落ち着いてて、なんというか高嶺の花って感じで」

「そう……ですかね」

 山田先生の口から浅倉の話をされると、もやもやとした言葉にし難い感情が胸に渦巻く。

「こないだも校門前に待ち構えていた他校の男子から告白されてるの見たんだよ。まあ、断ってたけど。あれだけ美人ならもう彼氏がいてもおかしくないよね。きっと浅倉さんの隣に立っても負けないくらいの美少年……」

「やめましょう」

 その一言が、口を突いて出ていた。

「え?」

「生徒のプライバシーに踏み込むような話はやめたほうがいいです。オレたちは彼女たちに一番近いとはいえ、教師なんですから」

 早口でまくしたててしまった。山田先生は慌てた様子で、

「そうだね。ちょっと調子に乗ったよ。ごめん」

 と頭を下げた。こういう時どう返答したらいいのかわからず、

「それなら大丈夫っす」

 なんて、先輩に偉そうに返してしまった。

 他の生徒だったとしても、言っていた、はずだ。だが、浅倉だから、浅倉は……と思っている自分がいた。

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