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第三話 浅倉紗子は接触する

 彼女の微笑みの答えは初夏に入った頃、わかることとなる。その日の昼間は雲がない分、日差しが強く、気温はぐんぐんと上がった。日が暮れて少し気温が下がり、やっと過ごしやすいと感じれた、そんな一日だった。車をガレージに停め、すりガラスの戸を引いて中に入る。

「ただいまー……ん?」

 三和土に見覚えのない女性もののサンダル。眩しいオレンジ色の合皮で出来た、今流行りの底が厚いものだ。こんな若いヤツが履いているようなデザインをおふくろが買う訳がない。こないだも「あんな厚底じゃまともに歩けないわよー」なんて苦い顔していたところだ。

 一体誰のものなんだ……? キッチンから聞こえるおふくろと、若い女性の笑い声。聞き覚えがある。背中にじんわりイヤな汗を滲ませながら、台所に顔を出す。

仁志(ひとし)、おかえり」

 短い白銀の髪を所々ヘアピンで留め、オレが小さい頃からずっと着ている小豆色の割烹着姿のおふくろ。そして、

「先生、おかえりなさい」

 晴れた空のような水色のストライプ柄が入った半袖ワンピースに、生成りのエプロンをつけた浅倉が並んでコンロの前に立っていた。

 おふくろはそんなに身長が高くないから、平均的な身長の浅倉がやけに高く感じる。その様子は、まるで祖母と孫……ほどでもないな。かといって、親子にしては違和感がある。こんなこと言いたくないが、なんというか……嫁と姑がしっくりきてしまう。

「浅倉、オマエ、家まで押しかけてくるとは……どういうことだ? しっかり説明してもらおうか」

「なぁに言ってるの? ワタシがお招きしたんだよ」

「はぁ⁉ だって、おふくろは浅倉のこと知らないはず……」

 と言うと、おふくろは手に持っていた菜箸を勢いよくまな板の上に置いた。

「アンタ、また人の話聞いてなかったね⁉ あのねぇ、紗子ちゃんはウチの生徒さんだよ!」

「ウチのって……料理教室か⁉」

「それ以外何があんの」

「聞いてねぇ! いつそんな……」

「ゴールデンウィークにはもう話してたわよ。アンタの学校の生徒さんが入って来てくれたってね。はぁ~あ。まーた右耳から左耳に流して。人の話はちゃんと聞きなさいっていつも言ってるのに」

 浅倉に視線を向けると、ニッコリと笑う。

「そういうことです」

「そういうことですってなんだよ! オレが納得するような説明を……」

「今料理中なんだから邪魔しないでくれる? お風呂沸いてるから、さっさと汗流してきなさい!」


 風呂から上がり、着古したTシャツとジャージに着替えても、理解は追い付かないままだった。これは夢じゃないのか。オレは職員室で居眠りしてしまっているだけで……。と思ったが、何度頬を叩いても痛いだけだった。

 普段は台所のダイニングテーブルで食べるのだが、今日は畳敷きの居間のちゃぶ台に皿がずらっと並んでいる。白飯、みそ汁、ポテトサラダ。湯気と香りが広がるからあげがたっぷりと大皿に乗せられている。それはまるで岩石、壮大な山をなしていた。

「なんだこの量は」

「紗子ちゃんに教えてたら多くなっちゃったわ」

「多くなっちゃった、じゃねえだろ。食いきれるのかよ」

「別に残ったからあげはお弁当に入れてもいいでしょ。みそ汁はいつも通り明日の朝ごはんにも飲むし」

 よく見ると、小皿や箸、コップが三膳分置かれている。

「浅倉も一緒に食うのか?」

「はい、ご一緒させていただきます」

「そりゃそうでしょ。料理教えてサヨナラなんてあんまりじゃない」

「いや、まあ、そうかもしれんが……ご家族に連絡は?」

「もちろんしました。了解はもらっています」

「この時間だったら晩ご飯出来てたんじゃないのか」

 そう言うと、一瞬浅倉はどこか寂しそうな表情を見せた。すぐにいつもの笑顔に戻る。

「うちは共働き、妹も今日は塾行ってますので。あ、でも、お母さんが作ってくれた晩ご飯は明日食べるので無駄にはしませんよ」

 許可があるならそれ以上確認することはない。


 煎餅のように薄く硬い座布団に胡坐をかく。

 すると、向かいに座った浅倉が興味深そうにオレを眺めている。

「なんだよ。ジロジロ見やがって」

「先生の私服ってそんな感じなんだーと」

「そんな感じってなんだよ」

「その……」と言ったあと、苦々しく笑うだけ。

「ごめんなさいね。この子、全然オシャレに興味がなくて」

「あ? 別に家と学校の往復だけなんだから服なんてなんでもいいだろ。それにこれは寝間着。これで出かけたりしねぇからな」

「外出する時とたいして変わんないわよ」

「そうなんですか? 先生カッコいいのに、もったいない……」

「は、はぁ⁉」

「あらまぁ~、カッコいいですって。でも、なんだろね……。やっぱり若さが足りないのよ、若さが。紗子ちゃんに最近の流行りでも教えてもらって、もう少し垢抜けないかしらね」

「うるせぇ。オレはこれでいいんだよ」

「頑固者は置いといて、冷めないうちに早く食べましょ」

 オレ、おふくろ、浅倉。三角形に机を囲み、食べ始める。来客自体が滅多にないから、一人食卓に増えるだけでも違和感がある。

静江(しずえ)先生、とってもおいしいです」

「うまく出汁取れたわね」

「煮干し出汁のお味噌汁、今日初めて飲んだんですけど、とても好きになりました」

「よかったわぁ。下処理面倒だと思うけど、また作ってみてね」

「はい! もちろんです」

「あ、紗子ちゃん、ずっと正座はしんどいでしょ。足崩して楽にね」

「ありがとうございます。やっぱり初めてのお家は緊張しちゃいますね」

「確かにワタシもそうかも。だけど、自分の家だと思って気楽に過ごしてちょうだい。ちょっと古い家で使い勝手悪くて申し訳ないけど……」

「いえ、そんな! 私の家はマンションなので、立派なお家が羨ましくって。お庭も広くて、縁側もあって素敵です」

「褒めてくれてありがとうね。あーあ、天国のお父さんにも聞かせてあげたかったわね」


 思った以上に溶け込んでいやがる。

 会話と会話の隙間を突いて、「おい、浅倉」と割り込む。

「どうやっておふくろが料理教室やってることを知った? 生徒におふくろの職業の話はしたことないし、桂なんて名字は日本に山ほどいる。それなのにオマエはおふくろのいる料理教室に入会してる。おかしいだろ」

「あ、それは山田先生が話してました。『桂先生のお弁当はいつ見てもとっても美味しそうなんだよ。お母様が隣駅で料理教室されてるくらいだから』って」

「何ぃ⁉」

「あらやだ。その山田先生って人、褒めてくださってるの」

「一度食べてみたいって言ってました」

「そうなの? 是非食べに来てほしいわね」

「絶対呼ばないからな」

 くそ。あまり自分のことは話さないようにしていたのに。山田先生から筒抜けだったとは。

「そのおかげで、静江先生に出会って、料理は楽しいんだって気づけました。毎週金曜日の夕方、教室に通うのが楽しみなんです」

「嬉しいこと言ってくれるわねぇ。紗子ちゃん、最初は包丁の持ち方から危なかったけど、この数か月で本当に上達したのがわかるわ」

「ありがとうございます! 家でも練習した甲斐がありました」

「うんうん、反復練習は大切。紗子ちゃんは本当に熱心に取り組んでくれて教えがいがあるよ。また教室終わったあと、こうしてご飯食べれるかしら?」

「もちろんです! お願いします!」

「待て待て!」

 思わず声を上げる。

「コイツはオレの高校に通う生徒でもあるんだぞ。教師の家に出入りしてるって誰かに知られてみろ。お互い学校にいられなくなる。おふくろだって教師だったんだからそのあたりの危険さはわかるはずだ」

 浅倉はうつむき、縮こまっている。可哀想だが、問題になってからでは遅い。焦るオレとは反対に、おふくろはどこ吹く風といった様子で、からあげを頬張る。

「しっかりしてることは褒めてあげるけどね。ワタシのお呼びしたお客さんなら話は違うでしょ」

「そんなへりくつ」

「ワタシはね、料理教室の先生になって数年経ったけど、紗子ちゃんほど真面目に取り組んでくれてる生徒さんは初めてなんだよ。今受け持ってるワタシのクラスは初心者向けじゃないから、ある程度料理が出来る人が通いに来てる。だから教えていても、どうしても各々長年のクセが出てしまう。せっかちな人は勝手に次の工程に進んじゃうこともあってね。でも、紗子ちゃんはまだまっさら。ワタシがしっかり教えてあげさえすれば、ぐんぐん成長してくれると思ってる。だからこそもっとお話ししたいし、教えてあげたいんだよ。で、アンタはたまたま同席してる息子。それでいいじゃない」

「だけどよぉ……」

「せっかく来てくれてるのにギャーギャーうるさいよ。何かあったら、ワタシが先陣切って説明してやろうじゃない。紗子ちゃんはワタシの大切な生徒だってね。誰かに口出しされるのはキライだよ」

 おふくろの圧には負ける。

「勝手にしろよ……」

 不貞腐れながら、食事を続けた。


 浅倉はおふくろに招待されて、我が家に来ることが増えた。週に一回は必ず来る。金曜日の夜と、加えてたまに土日や祝日にも。二人とも料理教室で何品も作ったあとのはずなのに、楽し気に晩ご飯を作っている。

「アンタは台所に来んでいい。勉強してなさい」

 そう言われてオレは育った。オヤジがいない我が家でおふくろはこの家の主。主の命令は絶対。別にオレも料理に興味がなかったし、台所に長居することはなかった

 それなのに、他人である浅倉はあっさりと台所に立てるのは少し不服だった。

 しかし月を跨ぐごとに、浅倉は桂家にどんどんと馴染んでいき、そんな感情は消えた。まるで昔からそうしていたかのような錯覚さえするくらい。元々、暗い家庭ではない。だが浅倉が一人いるだけで、なぜか照明を取り換えたわけでもないのに二人の時よりも食卓が明るくなった。おふくろがあんなに楽しそうに過ごす姿も初めて見ているかもしれない。


 一番危惧していた学校内で浅倉が言いふらすのではという点に置いては、そんな素振り一つ見せない。自慢したところでなんのメリットもないからだろう。オレが山田先生だったなら、話は違っていたと思うが。とにかく心配要素はなくなり安心した。

 浅倉が来る日には冷蔵庫に食材で溢れかえり、おかずの量が二倍に増えるのが当たり前になった。「今日も多いな」と言いつつも、平らげてしまうオレもまだまだ胃が元気な証拠だ。毎度空になった皿を嬉しそうに見つめたあと、浅倉は、

「先生、美味しかったですか?」

 と訊ねてくる。

「おふくろのレシピだからな。いつも食ってるのと変わらん」

「可愛げがない返答だね」

「オレに可愛さを求めんな」

「おいしいって素直に言えないもんかね」

 そんなオレたちを見て、浅倉は笑うのだった。

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