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第十四話 桂仁志は認める

「出来ました」

 ちゃぶ台に並んでいく。つやつやと輝く白飯。深皿いっぱいに盛られた肉じゃが。茹でられて色鮮やかになったブロッコリーともやし。ねぎとおあげが浮かぶみそ汁。

「静江先生の分を除いても量が多くなってしまいました」

「食べてもいいか?」

「ぜひ温かいうちに」

「それじゃあ、いただきます」

 肉じゃがに箸を入れようとして手が止まる。

「どうしました?」

「これ、牛肉か?」

「ええ、そうです。静江先生が教えてくれた肉じゃがのお肉は薄切りの牛肉だったのでその通りに……」

「そうか」

 小さく一口サイズに割ったじゃがいもと一緒に肉も口に含む。しっかり噛みしめ、飲み込んで、左手に持った茶碗から白飯をかっ込む。

 黙って箸を動かし続ける。舌が喜び、「うまい」という言葉だけが何度も脳内を駆け巡る。オレの食べたかったものばかりが目の前に並んで、それを食べている。夢のような至福の時間だった。

「ごちそーさん」

「おいしかったですか?」

「訊かなくてもわかるだろ? ……うまかった、めちゃくちゃうまかった……」


 声が詰まる。目頭を押さえても、涙が止まらなかった。

 亡くなった日も、葬式も、一人で生活したこの何週間も、涙など出なかったのに。腹が満たされて、ようやく真正面から現実と向き合っているような、そんな気がした。浅倉がいるのに、いや、浅倉の前だから安心できるのかもしれない。

 大人げなく、声を上げて。

 浅倉はそんなオレを黙って見守っていた。そして、オレの涙が枯れるのを待って、彼女は口を開いた。

「静江先生には絶対肉じゃが食べてもらおうって決めてたんです。教室に通い始めて最初に習ったのが肉じゃがだったから」

「……そうだったのか。はぁ……オマエすごいな。おふくろの味そのまま出してくるとは」


 おふくろが元々西の方の人だから、オレの家は昔から肉じゃがの肉といえば牛肉だった。

 豚肉の方がサッパリしてて、値段も安いはずだ。それでも、おふくろは牛肉を選んでいた。

 きっとおふくろの思い出の味だったんだろう。そして、それは知らぬ間にオレにも思い出の味として受け継がれていたのか。垂れてくる鼻水をティッシュで乱暴にかむ。


「あの短期間でちゃんとおふくろから学んだのがよくわかった」

「ありがとうございます。本当は……もっと教えてもらいたかったな……」

 それはきっとおふくろも無念だったろう。たくさんの生徒に出会って、いろんな料理を教えて、一緒に食べたかったはずだ。特に浅倉姉妹にはやってあげたいことがきっと残っていたと思う。

「さっき、オマエはここに来るのは最後だと言ったな」

「そうですね」

「これで満足したか?」

「そう……ですね。約束は……果たしたので」

「妹と一緒に、線香ぐらいあげに来たらいい。その方がおふくろも喜ぶ」

「ありがとうございます」

 数秒、間を開け、浅倉は再び言葉を紡ぐ。

「先生は少し元気になりましたか?」

「え?」

「私、先生のことが心配でした。日に日に痩せていってる気がするし、ぼーっとしてること多くなったし」

「それは……」

「頼る相手、私じゃ、ダメですか?」

 俯くオレに静かに浅倉がつぶやく。

「私なら静江先生に教えてもらったレシピ、まだまだ作れるし、それ以外も自分で勉強して作れるように練習してます。他の家事だって頑張ります」


 顔を上げても何も言わないオレに不安を覚えているのが伝わる。それでも、浅倉は息を整えて続ける。


「先生と私は十歳も年が離れてるのはもうどうしようもないことわかってます。でも――そんなことで先生のこと諦められない。もし同い年だったとしても、健康じゃなかったら本末転倒です。それなら私がちゃんと栄養考えてご飯作って、健康で過ごせるように生活する方が先生も私も幸せじゃないですか?」


 浅倉はオレの手を取り、両手で優しく包み込んだ。この部屋は暑いのに、この手の温かさだけは話したくないとそう思った。


「先生は世界で一番優しくて熱い先生で、素敵な男性です。私は先生に何度も救われました。だからこそ、先生にはいつまでも元気な姿で教壇に立ってほしい。これからも先生の言葉や行動で、考えもしなかった新しい道に進める生徒がきっといるはずです。私はそんな先生をサポートして、一緒に生きていきたいです。恋人じゃなくてもいい、家政婦でもなんだって。私をそばに置いてくれませんか?」


 オレを見る目はまっすぐで、澄みきっている。桜吹雪が舞っていたあの日も、廊下で並んで座った体育祭も、縁側でスイカを片手に話した夏の日も、いつだって彼女は本気でオレに気持ちを伝え続けていた。


「ホント、物好きだなオマエは」

「物好きじゃないです。というか、先生はもっと自信もってください。生徒内でも人気ありますよ?」

「そうかぁ……? からかわれてるだけだと思うが」

「好きだからみんなかまってほしいんですよ」

「そんなもんなのか?」

 女心は本当にわからん。空いてる手でこめかみを掻く。

「さて、飯も食わせてもらったし、ちょっと支度するかな」

「支度? 先生、このあと用事あるんですか?」

「何言ってんだ。浅倉家にオマエを送って行かねぇと。あと、ご両親には葬式手伝ってもらったからな。その時のお礼を改めて伝えたいのと、その……オレとオマエの今後の話もだな」

「今後?」

「あ、家政婦としてとかじゃねぇからな。オレはオマエのこと……ちゃんと責任をもってというか……なんつーか」


 自分で自分の頬を叩く。気合を入れなおし、浅倉の前で正座をし、彼女の瞳を強く見つめる。彼女が今までそうしてきたように。


「好きなんだよ。一緒に過ごすうちに存在が大きくなりすぎて、これ以上理由つけて諦めるなんてもう出来そうにねぇよ……。だから、そばにいてくれ。オマエを人生の一部にさせてくれないか」

「先生……」

「だけど、オマエに頼ることばかりになるぞ? 金を稼いでくることは出来るが、家のことは本当にサッパリだ。それでもいいのか?」

「それなら私が家事を教える先生になります。一緒に頑張ればいいだけです。それでどうですか?」

 オレは大きく頷き、立ち上がる。

「じゃあ、用意すっから」

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