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第十話 桂仁志は隠す

 この夏が終わり、秋を過ぎて、冬を越したら、次の春には朝倉はもうここには来ないのだろうか。

 そりゃあ、新しい生活が始まるのだ。バイトだってするだろう。ここに遊びに来ている場合じゃない。

 だが、浅倉がいなくなるのが想像できない。来年もこうして縁側でスイカ食べているようなそんな気がするのに。来年は、オレとおふくろだけ。もしかしたら浅倉妹は来るかもしれないが。

――だけど、浅倉がいないのは寂しくなる。

 ふとそう思ってしまった。頭を横に振り、一心不乱にスイカにかぶりつく。教師になって何度も、何百人と、生徒を送り出してきた。たった一人の生徒がいなくなるのが寂しいとか何言ってんだろう。ばかばかしい。浅倉といると、どうしてもそんなことを考えてしまう。どうあがいても彼女は卒業していく。学校からも、オレからも。

「あっ、先生。動かないで」

「え?」

 彼女の柔らかい小さな手がオレの頬に触れた。その瞬間にスローモーションになる。それなのに動けなかった。彼女と目が合う。告白された時、じっとオレを見つめていたあの美しい瞳がそこにある。

「種ついてましたよ」

「そ、そうか……」

 

 残りのスイカを食べきり、口の周りの汁を乱暴に手首で拭き取って立ち上がる。

「ごちそーさん」

 浅倉を置き去りに台所へ向かう。シンクの端に両手を置き、ぼーっと立つ。胸が痛いくらいに激しく高鳴っている。

 いやいや、異性に触られるなんて、もう何度も経験しているのに。なのに、なんでこんなに苦しいんだ。

「アンタ、もう食べたの」

 後ろからやってきたおふくろの声にビックリして身体が跳ねる。おふくろは「ちょっと洗い物するから」とスポンジをくしゅくしゅと握り泡立てると、コップを洗いはじめる。

「仁志、アンタ、紗子ちゃんに浴衣の感想言ったかい?」

「言う訳ないだろう」

「バカだね。ちゃんと一言言ってあげな」

「言わないって言ってんだろ。アイツは、彼女でも嫁でもない。ただの生徒なんだから」

「ただの生徒にだったら言ってあげても良いんじゃないの?」

「はぁ⁉」

 おふくろはオレの顔を見ることなく、淡々と食器を洗い、洗い物かごに置いていく。

「仁志は紗子ちゃんのこと本当はどう思ってんの」

「なんだよいきなり」

「どう思ってるのって訊いてんだ」

 オレが黙り込むと、おふくろは小さくため息を吐いた。

「アンタは家族にも本音を言わないね」

「……言ってる」

「いいや。お母さんだって、アンタの気持ちがわからなくなることたくさんあったよ。アンタは何も言わない。事が大きくなって初めて知るなんてことばかりだった。クラスの子を殴っちゃった時だって……」

「あれは向こうが悪い」


 小学生の時、休み時間にオレは一人、本を読んでいた。その様子を見た担任が「桂くんは毎日たくさん本を読んでえらいね」と褒めてくれた。

 それがどうやら気に食わなかったらしい。

 ある日の昼休み、男子数名が急にオレを殴って来た。最初は身体を丸め、どれだけ殴られようが蹴られようが我慢していた。

 そのうちの一人が、床に落ちたオレの本を手に取ると、ゲラゲラ笑いながらページを破り始めた。殴られるのは構わなかった。

 だけど、本を、オヤジの本を破られたことが許せず、そのあと、オレはその本を破った奴を集中的に攻撃した。泣いて許しを乞うてきても、怒りにまかせて拳を振り上げ続けた。


 もちろん、保護者呼び出しとなり、

「なんてことしたの!」

 職場から飛んできたおふくろは泣きながらオレを叱った。理由を言わず、ただただおふくろが泣き叫ぶのを黙って見ていた。のちに、その場に居合わせた同級生が担任にオレが殴りかかった理由を話してくれたらしく、おふくろにも伝えられた。

「なんで殴った理由言わなかったの……」

 その時もおふくろは泣いていた。

 本当の理由を告げたところで、殴った事実は変わりないし、オヤジの大切な本が一冊なくなってしまったことも申し訳なくて言いたくなかったのだ。オレにはオレの考えがあってのころだったが、それがおふくろは未だに気にしていたのか。


「そんな昔のこと言われても……」

「もっと素直になれんの」

 おふくろは眉間に皺を寄せ、オレに詰め寄る。

「確かに紗子ちゃんは年下だし、今は学生さんだ。でも、お父さん譲りの頑固者のアンタを、あんなに好きでいてくれる子いないよ?」

「おふくろが気に入ってるからだろ」

「それはあるよ。けど、アンタは一人じゃ生きてけないでしょ。料理も掃除もなんも出来ないし」

「おふくろが『オマエは家のことなにもしなくていい』って……」

「だから、心配してんだ。家庭科の教師だったってのに、アタシはアンタに生活のいろはを何も教えなかったから……後悔してる。アタシだっていつまでこの世に入れるかわからない。早く伴侶を見つけてほしいのよ」

「そんなの……勝手すぎるぜ。オレの世話を浅倉に押し付けんなよ。浅倉には未来があるんだよ。将来の夢もあるって言うのに。あんな若さでオレと結婚したら、後悔するに決まってる」

 さすがのおふくろもそれ以上何も言わなかった。

「……寝る」

 低い声で小さく呟き、自室に入り、敷きっぱなしの布団に沈み込む。

「後悔しない選択をして、幸せに生きてほしい」と全生徒に思っている。

 だけど、なんだかんだ交流が深くなってしまった浅倉、そして浅倉妹にはそれ以上に思っている。アイツらが悲しむ姿は見たくない。浅倉の笑顔が浮かぶ。アイツが笑う未来が見たい、ただそれだけなのに。うまくいかないものだ。今は何も考えたくない。目を閉じて朝を待った。

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