4-凍った少女に火が灯る
ベガとこの世界の勉強を始めて数日後。
ある程度の歴史を知り、自分達の身に、かつての地球に何が起こったのかを理解した陽葵は、気晴らしに街に出ていた。
もちろん、この時代のすべてを覚えるには足りなかったが、それでも大枠は知ることができており、十分大変な作業だ。
そのため今回の外出は、この時代のことを知るというような目的はない。ただ、1人で、無計画に、ぶらぶらと楽しむためのものである。いや、そういったものであったのだが……
「おっ!!」
「……?」
陽葵がアトラの家から出て、首都バースを適当にぶらぶらと回っていると、ショーウィンドウを眺めていた彼女の背後から妙に大きな声が聞こえてくる。
いきなりなんだろう……? と陽葵が振り返ってみると、そこにいたのはゴツいジャケットを着た赤髪の男だった。
陽葵はつい先日目覚めたばかりなので、もちろん彼に見覚えはない。
しかし、男は一方的に陽葵のことを知っているのか、彼女を見ながらニカッと笑うと、元気よく話しかけてくる。
「おーおー! あんた、白雪陽葵だな!!
コールドスリープで科学文明からやってきた子!!」
「そ、そうですけど……あなたは?」
「あっはっは、まぁ覚えてねーよな!! 余裕なかっただろうし。けど、一応俺もあの場にいたんだぜ! アトラの同僚……とは違ぇけど、そんな感じだ!!」
「はぁ……」
男は警戒心をあらわにする陽葵を気にすることもなく、彼女の質問に答えて自分の立場を明らかにした。
陽葵の詳しい事情を知っているということは、その場にいたことは確実だ。
だが、依然陽葵にとってはよく知らない人であるため、男が豪快に笑っていても戸惑いを隠せない。
しばらく困り顔でいた彼女は、結局名前を教えてもらえていないことに気がつくと、改めて問いかける。
「それで同僚さん、お名前は?」
「ああ。セドリックだ、よろしく!」
「よろしくお願いします」
よく知らないが、アトラの同僚ではあるセドリックさん。
陽葵の認識はようやくそこまで辿り着き、挨拶を終えた彼女は頭を上げると、この場を去ろうとセドリックに背を向ける。
「では失礼しま‥」
「あ、ちょーっと待った!」
しかし、セドリックがまたしても大きな声を出したことで、陽葵の動きはピタリと止まる。
アトラという共通の知人がいようとも、陽葵にとってはほとんど初対面であることに変わりはない。
彼の呼び止める声を聞いて素直に振り返った陽葵だったが、その表情は怪訝そうなものだった。
とはいえ、当然セドリックが気にすることはなく、晴れやかな笑顔で言葉を続ける。
「あんた、まだこの街慣れてねぇだろ?
よければ案内するぜ」
「えっと……そう、ですね。よろしくお願いします」
セドリックの提案を聞いた陽葵は、少し考えたあと、微笑みながらそれを受け入れる。
その様子を見たセドリックも、もとから眩しかった笑顔をさらに輝かせ、要望を確認し始めた。
「おう。で、どこ行きたいとかあるか?」
「うーん……今日は気分転換に出てきただけなので、ただ歩いてるだけでも十分なんですよね……行きたいとこ、かぁ……」
「なさそうなら、お勧め行くか?
最高の気分転換ができることを約束するぜ!」
「あ、じゃあお願いします」
そもそも陽葵にとっては、この街どころかこの国、この時代自体が初めてだ。行きたいところという問いかけには当然困ってしまい、すぐにセドリックの助け舟に乗ることになる。
やはり陽葵からは目的地がはっきりしないが、案内役を得た彼女は笑顔で迷いなく街を進み始めた。
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「初めまして。今ツアーのガイドを押し付けられた、ソン・ストリンガーだ。よろしく」
迷いなく進むセドリックに連れられてやってきた陽葵の目の前でそう淡々と話しているのは、緑のコートに長い茶色のマフラーを巻いた、一言で言えば狩人のような出で立ちの人物――ソン・ストリンガーだった。
そして、彼の前には陽葵とセドリックの他にも、10人以上の人が並んでいる。ここは、雪の降りしきる森……の形を作っている仮想現実。首都バースにある店で案内された、仮想世界だ。
この時代はよく知らないとはいえ、陽葵は科学文明の生き残りであるため仮想現実については履修済み。
勢いに流されるままにやってきたため、未だに何をするのかは聞かされていないのだが、知っている技術に加え、見るからに何かの説明をしてくれそうな知り合いが現れ、ホッとしていた。しかし……
「……ところで、仮想空間というのはなんだ? 誰かセドリックくんか白雪陽葵さんに教えてほしい」
参加者の前で自己紹介をしたソンは、ガイドという立場でありながら真っ先にそんなことを言い始める。
押し付けられたとの言葉もあり、案内する側でありながら、なぜここにいるのかをわかっているのかすら危うい。
参加者たちの間には、早くも暗雲が漂っていた。
そして極一部の参加者にとっては、さらに心を揺さぶられる内容だ。急に話を振られたセドリックは、目をまんまるにしながら大声を上げる。
「うおぃ!? なんて限定的なんだ!? っつか、俺は科学者じゃねぇから詳しいことは知らねーぞ!?」
「えぇ!? セドリックさん科学者じゃないんですか!?
さっきアトラさんの同僚だって‥」
「いや、同僚とは違うっての!! 俺は被験者的なやつだ。
昔、やべー科学者に実験体にされたことがあってな。
その縁で今は研究塔でお世話になってんだ。だから知り合いではある! 同僚じゃねーけど、近しい何かだ!!」
「な、なるほど……?」
しかも、ソンから生まれた揺らぎは、続けてセドリックからも連鎖的に発生し、陽葵にまで伝播する。
すぐに彼女は納得するが、研究塔所属でありながら科学者ではないというよくわからない立場に、混乱を隠せずにいた。
とはいえ、アトラの知り合いであることには変わりがないのだから、本来ならここで落ち着きを取り戻せただろう。
そうだったのかと理解して騒ぎが収まれば、さっさとソンの質問に答えてツアー開始だ。
問題は、すべての発端となったソンが、自分のした質問も目の前で起こった問答も気にしていなかったことだった。
「では、案内を開始する」
「ちょっ、教えてって言ってたのに始めるんですか!?」
「……? 今は取り込み中なんじゃないのか?」
「いや、えっと……特に気にならなければいいですけど……」
何事もなかったかのようにツアーを開始したソンに、陽葵は泡を食ったように声を上げた。
しかし、当のソン本人は本当になんとも思っていないのか、不思議そうに眉をひそめている。
「気にならなければ……ふむ、私はこのことが気になっているのだろうか? 君達はどう思う?」
「いや、私達に聞かれても……」
「森に仮想現実などない。やはり必要ないな。
土産話にはなるだろうが……あの女を喜ばせるつもりもない」
「は、はぁ……」
「では、案内を開始する」
陽葵の言葉に少し考え込んだソンだったが、彼女に自分がどう思っているか聞いたかと思えば、すぐに自分で答えを出してしまう。
先程と同じように低くゆったりとした声でそう宣言すると、呆然とする陽葵を気にすることなく、ツアーを開始した。
押し付けられたという割には、ソンは真面目に森を案内する。仮想空間ではあるが、森はこの国に実在している場所のようで詳しいらしい。
先頭に立って歩く彼は、ただ道案内をするというだけではなく何かを見つけるたびに立ち止まって、解説をしていた。
「これはクリスタルピルツ。雪国でも繁殖するのだろうか……と、私がミョル=ヴィドから持ち込んだものだ。とても硬いが、所詮はきのこ。生えているだけでは害はない」
一行の目の前にあるのは、透き通って鋭い角のあるきのこ。
ソンの解説によれば、これは元々ミョル=ヴィドにあったものらしい。
しかし、クリスタルと冠しているだけに輝いており、雪の結晶と並んでも全く違和感がなかった。
その宝石のような輝きに、参加者たちは感嘆の声を漏らす。
もちろん陽葵も例に洩れず、クリスタルの如き輝きに釘付けになっている。ただ、唯一セドリックだけはソンにジト目を向けており、何かを促すように口を開く。
「だぁけぇどぉ?」
「……まぁ、巨人の武器に使われているな」
「まったく、ふざけた野郎だぜ」
「えぇー……!?」
裏側を知った陽葵は、あ然とした表情でソンを見つめる。
しかし、やはりソンが気にすることはなく、何事もなかったかのように案内を再開した。
「これはドラゴンムント。マントか何かに種がくっついていたらしく、いつの間にかこの国でも繁殖していた。
同じくミョル=ヴィドからの外来ではあるが……まぁ、草だ」
それから何度目かの解説で、彼はまたしても疑わしげな説明をする。一行の目の前にあるのは、妙に大きく、平べったい葉っぱが放射状に広がっている植物だ。
一見ただの巨大な葉っぱで、害はないように見えるのだが、やはりセドリックはジト目で彼に追加説明を促した。
「ああ、草だな。で? どんな草だ?」
「……竜すら食らう、凶暴な食獣植物だな。人型生物ならば、この国のわずかに巨大化した大人でも丸飲みだ」
「あーあー、こんなに杜撰でよく許可取れてんなぁ。
入る規制より出る規制しろや、円卓の」
「している。ノーグは常に閉じており、出入り不可能だ。
死の森ブロセリアンも、基本的に生きて出られないだろう。
規制というよりは、禁制だが」
「じゃあなんでテメェいんだよ?」
「許可があれば、ノーグは通行可能だ。
……外から来た者には、ほとんど出されないが」
「入る禁制より出る禁制しろや!!」
「……人は、自らの細胞一つ一つに目など向けない。
森も同じだ。大した問題ではない。君も人から外れているのだろう? 細かいことは気にするな。老けるぞ、改造人間」
「老けねーよ、改造されてんだから」
「あはは……」
参加者たちが懸念していた通り、彼がセドリックに促されて白状した内容はとんでもないものだった。
いつから、どれくらい、どこまでの範囲に繁殖しているのかは謎だが、明らかにガルズェンスの生態系を崩している。
もはや神秘の森ミョル=ヴィド――神獣の国アヴァロンからもたらされた生物兵器だ。ソンに悪意がないのが恐ろしい。
セドリックが入るよりも出ることを止めろと言うのにも納得である。
陽葵も含めたこの場のほとんどは、ソンとセドリックの言い合いに呆れながらも、「あれ、これヤバいこと聞いた……?」と戦慄していた。
ガイド付きで森を巡るこのツアーの目玉は、安全に巨人を見ることができるというものだ。思いがけずソンがガイドになったとしても、それは変わらない。
違うのは、戦うか観察だけして終わるかくらいである。
その後も森を巡り、様々な解説を聞いた後、参加者たちはそびえ立つような巨人たちの群れと遭遇した。
「ひっ……で、デカい……!!」
「安全だとわかっていても、やっぱり怖いものね……」
彼らと対面した参加者たちは、及び腰になりながら口々に怯えた声を出す。自分達とは3倍、4倍もの身長差があるのだから当然だろう。
おまけに、彼らの持つ槍の先端には先程のクリスタルピルツが輝いていた。
「悪かったなぁ、陽葵。まさかあいつがガイドやってるとは思ってなかった。てか、来てたのも知らなかった」
「あはは、大丈夫ですよ。色々驚きはしましたけど、むしろ知り合いがガイドでよかったです」
その傍らでは、頭をかくセドリックと陽葵が笑い合っている。他の参加者たちとは違って、集団の先頭で戦闘準備をしているソンを眺めながら、余裕の見物だ。
「知り合いとは思ってなかったが、まぁあいつは強いからな。やってることはともかく、同行に安心感はある」
彼らが笑っているうちに、ソンも肩に掛けていた筒状の鞄からハープボウを取り出し戦闘準備を終えた。
相変わらず表情の薄い顔で集団を見ると、たった今思い出したように彼らに声をかける。
「あぁ、グロいものが苦手な人は、ここまでにしておいた方がいい。私のやり方は、仲間内でも少々不評だ。それでも大丈夫ならば、見ていくといい。迫力は……あるらしい」
ソンがそう言うと、ツアーの参加者たちのうち大部分がその場から忽然と姿を消す。子ども連れも多かったため、グロいと聞いては留まれなかったのだろう。
残ったのは、陽葵やセドリックも含めた数人のみだ。
もう去る人がいないことを確認したソンは、やはりなんとも思っていなそうな顔でゆったりと巨人たちを見上げる。
そして、片手にハープボウだけを持つと、おもむろに彼らへ近づいていった。
「弓なのに、接近……?」
「あれはかーなり独特だぜ。グロ大丈夫か?」
「うーん……神秘に成ったからか、あまり何も感じなそう
好き好んで見たいとは思わないけど……」
「ならよし! 目ぇかっぴらいてよく見てな!」
陽葵達が話している内に、ソンは巨人の足元に。
腕を振り上げている彼らを前に、棒立ちのソンは今にも叩き潰されてしまいそうだ。だが、それでも彼は動かなかった。
巨人の槍は、持ち主が持ち主なだけあって家の柱程に太い。
もし直撃したら、全身を余すところなく砕かれるだろう。
そんな一撃が迫り、彼の頭に当たろうとした、その瞬間……
「っ……!?」
彼女達の目の前から、彼はかき消えた。
あまりの速さに、他に残っていた人達はもちろん、陽葵ですら見失ってしまう。
「上だ。槍を辿って、巨人の頭上に飛んでる」
いきなりのことで陽葵が瞬きを繰り返していると、唯一見失わずにいたセドリックがソンの現在地を教える。
すぐに彼女が目を向ければ、果たしてそこには、ハープボウを構えて微笑むソンがいた。
しかも、それだけではない。
地上から空を見上げているため、巨人の槍とソンを繋ぐように伸びる線も見えていた。
「あれは……糸?」
「そうだ。あいつは弓兵ではあるが、弓使いというよりは弓の弦使い。糸状のものを張って動きを封じる、切る、あらゆる方向から矢を放つ。言うなればトラップマスターだ」
セドリック達がソンの戦闘スタイルについて話していると、彼らに遅れてそのことに気がついた巨人が、糸の巻き付いた槍を考えなしに反射で振るう。
すると、糸の張りで運動方向を調整したソンは、その動きを操って巨人たちの周囲を回るように宙を舞った。
と言っても、もちろんただ振るわれるままに動いている訳では無い。
ここは森の中、木々が密集する空間だ。
自らも木々を足場に動き、気がついたら最初の巨人は、槍をピクリとも動かせなくなっていた。
いや、動かせないのは槍だけではない。
もはや彼は、腕や足も動かせはしなかった。
そして最初の巨人が動けないということは、未だに宙を舞うソンが握る糸は、すでに別の糸になっているということである。
木々に、槍に、巨人自身の手足に。
糸はみるみる絡みついて、身動きを完璧に封じていく。
10人以上いた巨人たちは、一度もソンを捉えることはなく、完全に動けなくなっていた。
「す、すごい……」
「あー……グロいのはここからだ。しかも、今回は雑魚だからか特に簡単でエグいやつ。心の準備をしときな」
「え……? う、うん……」
身動きのできない巨人たちを眼下に、木の枝に立つソンは、もはやただの弓となったハープボウを奏でる。
いくつかは罠と繋がっているらしく残っているが、ほとんど一本としか言えないのに、幻想的に。
「響き渡れ、フェイルノート」
いや、むしろハープボウと繋がっている罠が森中で振動しているため、普通に弾くよりも響き渡っているようだ。
彼はポロロン……と周囲に音色を響かせると、ハープボウを木に張り付けて地面に飛ぶ。
そして、最初からある一点に集まるように仕掛けられていた弦を引っ張ると、その圧で巨人たちをまとめて切り刻んでしまった。
"ティアーァパート・フェイルノート"
「うっ……たしかにこれは、グロいね……」
「ははっ、よく最後まで見られたな。ま、すげぇだろ?」
「あはは……」
弦に切り刻まれた巨人たちは、赤い血と一緒にブロック肉として空から降り注ぐ。地上で糸を握ったままのソンは、その緑のマントを血の雨で濡らしていた。
木に張り付けたハープボウ――フェイルノートも、糸で引っ張って回収できるようにしていたのか、すでに彼の手の中だ。
「お疲れ様です、ソンさん」
「ああ……」
「どうかしましたか?」
巨人を狩り終えたソンが戻ってくるのを見て、陽葵が彼をねぎらうも、彼はどこかぼんやりと返事をする。
いつもそうではあるが、今はいつにも増して心ここにあらずといった様子だ。
「仮想空間というのは、狩った肉を食べられるのだろうか? あと、君は怯えないのだな」
「一応食べられはしますよ。あまり現実に影響はありませんけど。あと、私は魔人なので割と平気です」
「……そうか」
「そうです」
陽葵は少し心配そうにしていたが、いつも通りの返答を聞くとすぐに笑みを見せた。
なんでこの人、本編では登場すらしてないのにガチ戦闘してんだろう……?