18-霧中に響く哀歌
「くっ、また霧ですか……!!」
神奈備の森を高速で飛ぶ落ち葉船と、どのようにかその前方遠くで浮かんでいるレザースーツの女性――ミラージュ。
その距離が縮まるより前に周囲を包んだ濃い霧に、落ち葉船の操縦者である紅葉は、腕で顔を庇いながらうめく。
前回は目的が撤退だったために空高く逃れることができたが、今回は追跡なのでミラージュの背後を進んでいる護送車を見失う訳にはいかない。
もちろん、霧に包まれればどちらにせよ見失うことになる。
だが、この高さならまっすぐ進んでいれば、追いついた時に視認することが可能だ。
高度を上げる訳にはいかず、かといって前が見えるはずもなく。全速力で護送車を追跡していた落ち葉船は、スピードを落とすことを余儀なくされた。
「上を速くか、中をゆっくりか……ひとまず後者を取りましたが、ご意見ありましたらぜひ」
「いや、上からじゃ森の下なんて見通せない。
どっちかを選ぶなら……まだこっちだったよ」
かなりゆっくりと船を飛ばし始めた紅葉に、しかしクロウは否定的な意見を言わない。スピードが落ちたことで環が吹き飛ばされる心配もなくなり、剣を抜きながら立ち上がっていた。
「霧を消す方法も、多分ないかなぁ。
これね、実物じゃないよ。ただの幻」
「幻?」
「うん、多分ね。彼女が霧の神秘でこれが本物の霧ならさ、雷を受けると何かしら反応があるはずでしょ?
完全に気化するとか、吹き飛ぶとか……僕らが感電するとか」
「おい」
八咫国の将軍である雷閃は、名前通り雷の神秘だ。
どうやらいつの間にか力を使ったらしく、ほのぼのと笑いながら危ないことを言う彼に、クロウは堪らず口を挟む。
しかし、流石に力加減はしていたのだろう。最後に付け足したのは冗談だったのか、彼は居合いの体勢をしている海音に目を向けながら、あははと笑って言葉を続けた。
「まぁ、とにかくこれは霧じゃない。ただし、湿度が違うところ自体はあったんだ。気圧とかもね。つまりこれは、霧でも幻でもなく蜃気楼。当然、神秘による蜃気楼だから、拡大解釈で幻と変わらない虚像だね。本物じゃないから、海音はさっきから目を閉じたまま動かない。ということは……」
「さっき泣きながら落ちていった商人も、本物じゃない……」
「邪魔も能力看破も、だめだからッ……!!」
「……!?」
ニコニコと雷閃が解説する話を受けたクロウが、ミラージュの結論に辿り着いたその瞬間。周囲には、さっき地上に落ちていったはずの商人のヒステリックな声が響き渡る。
彼らが慌てて見回してみても、霧に包まれた状況ではもちろんその姿を見つけることはできない。
ただ、落ち葉船に向かってくる弾丸だけが、彼らの目に飛び込んできた。
「……これも多分ほとんどが幻だよ。だけど、僕らにはどれが本物なのかはわからない。結局、偽物だとわかってたとしても僕らは全部避けないといけない。海音がいなければね」
"我流-霧雨"
全方向から雨のように浴びせられる幻の弾丸に、クロウ達が逃げ惑っている中。雷閃と同じく動じずに構えていた海音は、きらりとかすかに手元を煌めかせる。
瞬間、放たれたのは全方位への細かな水刃の嵐だ。
仲間たちには一切当てることなく、的確に実体のある本物の弾丸のみを弾いていた。
といっても、彼女は相変わらず目を閉じたままであり、雷閃の言葉で視線が集中した瞬間に手元が煌めいたこと以外は、構えも変わっていない。
斬る前と斬った後の変化は皆無だった。
置物のようなその姿にクロウ達は首を傾げ、雷閃は楽しそうに笑いかける。
「あはは、今回は本物があったんだね」
「は……? 今回は?」
「うん。さっきは海音が動かないって言ったけど、実は彼女はずっと動いてた。見極めるだなんて器用な真似する訳ないでしょ? 全部斬って、斬れなかったのが偽物だよー」
「くっそ脳筋!! でもありがとう!」
ほんわかと明かされる事実に、クロウはクワッとツッコミを入れる。最初から海音の脳筋はわかっていたことだが、今回はいつものように山を斬るなどという馬鹿げた行為ではないため、流石に虚をつかれているようだ。
反応する余裕のない彼女にも勢いのままお礼を言い、前を向く。気にする必要はないと理解した紅葉が銃弾に構わず落ち葉船を操作している中、彼は剣を下ろしながら思考を巡らせ始めた。
「とりあえず、脅威にはならなそうか。じゃあ気にするべきは霧と護送車の位置、その他は里についた後のことかな」
銃弾は変わらず降り注いでいるが、海音が常に斬り落としているので彼らは構わず相談を続ける。
可能なのは気にすることくらいで、実際にできることは少ないながらも、守られている彼らに可能なのは思考だけだ。
「正直、彼女達を追えているかはわかりません。
真っ直ぐ進んでいるのは確かですが、いつの間にかあちらの方向が切り替えられている可能性も……」
「こっちは雷閃も無理だよな?」
「無理だねぇ。僕は纏う雷が主軸だから」
「少しくらい運良くても、そもそも正しい方を向けてなきゃ意味ねぇしな……どうするか」
「おやおやおやぁ? 襲撃を受けている最中だというのに、呑気にご相談ですかぁ? ふぅーむ、僕も舐められたものだねぇ。これだけ隙だらけだと、トリック仕込み放題じゃん。
なーんたって、私は稀代の奇術師なのだからっ!
だけどもけれどもその行動、不思議とぴったりこの状況!
五里霧中とはよく言ったものねぇ? 諸君は今、目の前の人はおろか、自分の内面にある指針すら見えていない!!
あたしはそれがとてつもなく悲しいっ!! だって笑顔が好きだからー☆ ふっふぅ、我が助言を授けてくれようぞ」
「……!! ナイト、メア……!?」
クロウ達が落ち着いて霧への対処方法を考えてしていると、落ち葉船の上にはいきなり黒い道化服を着た男が現れる。
それも、頭を悩ませる彼の隣に立って、肩を組み始めるというぶっ飛び具合だ。
さっきまではたしかにいなかった暗部の一員に、彼らは表情を凍りつかせて視線を集中させた。
「はぁい、あたくしのファンである皆々様♡ うちのショーをお楽しみいただけているようで何より何より。
だけど、あんまり笑っていないねぇー。悲しいねー。
笑わないのはだめよ? だって俺の前にいるのだからっ!!
仕方ねーからサービスしてやんよ。だって僕はナイトメア。
現実を夢の世界に変える奇術師だからサ☆」
「おい、こいつは本物か……?」
肩を組まれたまま、彼に棒のような扱いをされているクロウは、まとわりつかれてグラグラ揺れながらも落ち着いて雷閃に問いかける。
まるでポールダンスでもしているかのようなナイトメアは、敵陣ど真ん中だというのに、彼を軸にして全身をぐるぐると回転させていた。
これでもし本物だったとしたら、完全に異常者だ。突然現れたことも十分とんでもないことだが、敵対者に囲まれた状態でポールダンスは、狂っている以外に言いようがない。
だが、クロウに問いかけられた雷閃は、しばらくまばたきを繰り返した後、微妙な笑顔を浮かべて恐ろしい事実を口にする。
「えーっと……体揺れてるし、雷当たってるし、本物だよ?」
「はぁ!?」
「あふん♡ ちょっと体がピリッとした♡ うおぉぉぉっ、これはまさしくインスピレーションな訪れだぁぁぁぁ!!
種はここにー、華々しく霧中に目立つ花火を咲かせよーう!
おやおやおやぁ!? 鳩さん鳩さんどこ行くの?
もちろん当然種の元♪ 無論火花よ火事の元♪」
クロウと密着しているため、雷閃が流せた雷は微弱だ。
かすかな衝撃が体に走ったナイトメアは、女声でセクシーに痛みの到来を告げてなぜか目を輝かせる。
同時に、どうやってか彼らの服の中から飛び出してくるのは、数え切れない程の鳩だった。
雷閃達の視界が遮られている中、ヘビのようにぐにゃぐにゃとクロウの体にまとわりつきながら、その体にパチパチっと火花を走らせていく。
「うぇ……!? なんだなんだ……!?」
「雫! 術で水をかけたりするんだ!」
「は、はい。水の相は流れの相。すべてを癒やし、修め‥」
「まーって待ってよーぅ! ピエロのショーは下準備が肝心なんだぜー? それを邪魔しようだなんて……君には人の心というものがないのかいっ!? あたし、信じられないっ!」
為すすべもなくナイトメアに翻弄されているクロウを見ると、雷閃は素早く雫に命令して火を止めさせようとする。
しかし、奇術師は技術があるからこそ奇術師なのだ。
雫が救出のために動こうと決めた時には、彼はクロウの足を縛って転がし、彼女に飛びついていた。
さっきまで揉みくちゃにされていた幸運なはずの少年は無様に倒れ、術を発動しようとしていたただの女性は全身をヘビのような動きの奇術師にまとわりつかれてしまう。
「くっ……!! は、離れてください変態!!」
「あはは、大丈夫よお嬢さん。あたくしプロのピエロをしておりますから、違和感なく胸にも仕込めるのでござい〜。
和服ははだけやすくて、仕込みもかんたーんっ♪ ぬるっとするっとパンパカパーン! あっという間に終了サ☆」
「こうなったら、全力で制御して力尽くで‥っ!?」
「わぁわぁ、将軍様も参加するかーい?
きゃーきゃー、将軍様も参加するのー?」
「……ほぇ?」
クロウに続き、雫までもを揉みくちゃにしているナイトメアを見ると、流石の雷閃も巻き込みを考慮せずに敵を倒そうと雷を纏う。
だが、周囲にバチバチっと雷が迸った瞬間。
彼の周りには、現在雫にヘビのようにまとわりついているはずの黒い道化服の男――ナイトメアの集団が現れた。
ナイトメア達は、まさに悪夢のような不気味さで手を頭上で打ち鳴らし、足を舞踊のような滑らかさで動かしている。
雷閃の視界から、雫とナイトメア本体の姿は隠された。
「ぐっ……!?」
しかも、暗部の攻撃はそれだけでは終わらない。
道化師の集団に囲まれ、動きを封じられた雷閃が今唯一動ける年少組に視線を移していると、突然、彼の体は前のめりに倒れていく。
まるで背後から頭を蹴られたかのように、最初からいた者に自然と重心を崩されてしまったように。
ナイトメアが現れてから、すべては悪い方向に進んでいた。
「いるね……? そこに……!!」
"鳴神"
とはいえ、将軍である雷閃がただ倒れることはない。
雫を助けるために素手で動こうとしていた彼は、倒れながらもその拳を背後に打ち付け、雷で虚空を叩く。
凄まじい雷に叩かれた空気は弾け、連鎖していき、誰もいないはずの場所を殴りつける。
「……!!」
相手の姿は見えない。しかし、空気を叩く雷をその身に受けた暗部の鬼人だと思われる何かは、かすかに空気を漏らして吹き飛んでいった。
「ぱっぱらぱー! 我、すべての準備を完了せし!! いざ、的をくっきりかっきり霧中に浮き彫りにしよーうっ!」
姿の見えなかった暗部の者は消えたが、ナイトメアはその間ずっと準備をしていた。倒れかけた雷閃が回転しながら飛び着地した瞬間、彼はショーの開幕を宣言する。
始まってしまえば、もう誰にも止められはしない。
倒れていたクロウと今まさに倒れている雫は、みんなの視線が集中する中で輝き始め、全身の色々な場所から花火が打ち上がっていく。
しかも、花火が上がるのは彼がまとわりついていた2人からのみではなかった。いつの間に仕込んでいたのか、落ち葉船の至る所からも火は花開き、2人以外の調査員――船の操作をしている紅葉などの周囲も重点的に照らし出す。
「うっ、熱い……!! わたくしの紅葉が……!!」
「うにゃあ!? さっきから目がぐるぐるぐるぐる……」
「おちちゃうっ!!」
落ち葉船は神秘の産物で、ただの炎などではそうそう燃えたりはしない。とはいえ、操っているモノノ集中が途切れたのならその限りではないだろう。
揺らいだ木の葉を火の粉は蝕み、視界の悪いこの霧の中で、ことさらに彼女達の姿を浮き彫りにしていた。
「あはっ、あははははっ!! 悲しいっ、悲しいッ……!!」
霧の中で商人の笑い声が響く。
場所はわからず、だが銃弾の雨は的確にクロウ達の体を狙い撃っていた。
「たとえ数が増えても……っ!?」
銃弾の雨は、当然今までと同様海音が斬り落とす。
ナイトメアが現れても、船の中で花火が打ち上がっても。
彼女はそれだけに注力していたのだから、変わらずただそれを斬るだけだ。今回も、それで防げるはずだったのだが……
「……」
ついに目を開けることとなった彼女の前には、ナイトメアと同じくいつの間にか現れたレザースーツの女性――ミラージュがいた。
彼女は相変わらず何も喋らないが、無言のまま海音が居合いの構えをしている刀の柄を押さえて抜刀を防いでいる。
「みなさ‥」
海音が斬れなければ、銃弾の雨は落ち葉船を容易く撃ち抜く。神秘の紅葉で形作られた船は、四方八方から襲い来る弾丸に何度も貫かれ、形を崩していった。




