2-新世界にて少女は凍る
「んく……あ、あれ……? ここは……?」
泣き疲れて眠ってしまっていた陽葵が目を覚ますと、そこは清潔なベッドの上だった。
機能性だけを重視しているのか、柄などはなく白一色。
しかし雲のように軽く、湯船の中のように心地よい空間だ。
ベッドだけではなく、部屋もそれに習ったかのように白い。
テーブルなどは木を使っているものもあるが、どちらにせよやはり派手なものではなかった。
(この素材、なんだろう……? 透き通っていてつるつる……
だけど大理石とかって、磨けばこうなるっけ……?
つるつるはともかく、透き通る……?)
体を起こした陽葵は、軽く頭を押さえながら部屋を見回す。
現在地は不明。安全な場所かも不明。
無臭の空気を吸い込む彼女に、油断はなかった。
「あらー、起きたのー?」
「っ……!?」
するとしばらくしてから、キョロキョロと部屋を観察していた陽葵に、少しくぐもった声がかけられた。
ビクリと体を震わせた彼女は、この部屋には他にも誰かいたのかと声の主を探し始める。
しかし、直前まで部屋を観察していた時に気が付かなかった通り、部屋中を見回してみても人影はない。
テーブル上の本の影、ちょっとした部屋のような箱の影、小さく変な筒が出す蒸気の向こう側。
どこを見ても人がいた痕跡すらなかった。
「……?」
(少し聞こえにくかったし、あの箱の中……?
それとも、音質の悪いスピーカーとかから……?)
一通り見回した彼女は、聞こえた声の感じから予想し、箱をちらりと見たあとスピーカーのようなものがないか探し始めた。
しかし、探し始めて数秒後には否応なしに声の主探しを中断させられることとなる。
「!?」
陽葵がスピーカーのような物がないか壁を見ていると、突然彼女の座るベッドのコンフォーターが盛り上がる。
ギョッとした陽葵は、反射的にコンフォーターから足を抜くと、サッとベッドから降りた。
その反動でベッドは少し揺れるが、中のものが動じることはない。ベッドに潜り込んでいた何かは、変わらずもぞもそ動いている。
しばらくして中から顔を出したのは……
「この国の未来からのお客さんー♪ この星の過去からのお客さんー♪ あなたの好きな食べ物はなぁに?
私は何でも好きだから何でも食べるよー!
え、誰が雑食ですってぇー!?」
眠そうながらも元気に話しかけてくる、袖余りになった白衣を纏った女性――アトラ・アステールだった。
どうやら彼女は、陽葵が眠っている間、ベッドに潜り込んでずっと一緒に寝ていたようだ。
眠ってしまう前のことを少し思い出した陽葵は、わずかに警戒を解きながらも戸惑いを隠せずに口を開く。
「……えっと、アステールさん?
私は特に何も言ってないんですけど……」
「長く眠っていたから起きたらご飯!
さぁ、星でも見に行きましょうかー!」
「ご飯って言いませんでした……!?」
「え……?」
「え……!?」
アトラのちぐはぐな言葉を聞いた陽葵は、彼女の言っていることがわからず混乱する。
だが、アトラは不思議そうに陽葵を見つめるだけだ。
混乱している陽葵と不思議そうにしているアトラは、お互いにあなたは何を言っているの? といった感じで見つめ合う。
「おはよー、陽葵ちゃん! とりあえず塔から出ましょー」
「え? え?」
しかし、それもつかの間。にへら〜っと相好を崩したアトラは、今までのやり取りがなかったかのように目覚めの挨拶をするとベッドから飛び出す。
そして、そのすぐそばで身をすくませていた陽葵の手を取ると、戸惑う彼女を無理やり部屋の外へと連れ出していった。
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科学の国、人の国、雪が降り続ける国……ガルズェンス。
この国には基本的に毎日雪が降る。
陽葵が目覚めてから若干降雪量が増えたこともあり、機械と人々の行き交う道を早足で歩く彼女達の上にも、やはりちらちらと雪が舞って太陽に煌めいていた。
「あ、あの……アステールさん……?」
「アトラって呼んでねー! あ、ママでもいいよー?
ぎゅ〜ってしてあげるー!」
「ちょっ、アステールさん……!?」
アトラに手を引かれて、研究塔から無理やり連れ出されることになった陽葵は、戸惑っている間に彼女に抱きしめられ、目を白黒させる。
抱きしめているアトラは陽葵を慈しんでいるようだが、当の陽葵本人は困り果てており、やめてほしいようだ。
反射的にアトラの腕の中から手を抜き、そのまま彼女を引き剥がしにかかった。
拒否されたアトラは残念そうに唇を尖らせているが、陽葵からしたら仕方がないことだろう。
彼女はまだ目的も向かう先も聞いておらず、彼女にとってアトラはまだ知り合いになったばかりの人だ。
そんな状況でいきなり奇行に走られたら、受け入れられる方がおかしいと言える。
とはいえ、アトラ自身も一応理解はしているのか、これ以上陽葵に迫ることはない。
はぐれないようにと手は繋いだままだが、最初のように前を向き、案内を続ける。
「あの、それで結局どこへ……?
さっき誰かに連絡していたようですけど……」
結局何も聞けずに手を引かれる続けることになった陽葵は、少ししてまたアトラに声をかける。塔を出る前に、耳元の装置に話しかけていたことを思い出して。
さっき拒否されたからか、今度はアトラも抱きついたりすることはなく、話が通じていた。
「あ、気づいてたー? えっとね、あなたはこの時代の人じゃないんだろうけど、この先はここで生きることになる。
だったら、人との繋がりは大事でしょう?」
「つまり、会わせたい人がいるってことですか?」
「そー! この先のお店で待ち合わせしてるのよー!
私の師匠の信仰対象で、私の友達ー!」
「し、信仰対象……?」
ようやく目的と向かう先を教えてもらえうことのできた陽葵だったが、今度は会う人物のことで目をパチクリし始める。
人との繋がり。これ自体は納得できることだが、信仰対象とは……? 大人しく手を引かれる彼女の脳内には、いつまでも疑問が渦巻いていた。
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陽葵が連れてこられたのは、研究塔の西側にしばらく歩いた先にあったカフェ。
雪国であるこの国には少し似つかわしくない、青々とした生命が輝く森のような店だった。
柱はなぜ枯れないのかと不思議になるようなツタで飾られているし、根本には鮮やかなキノコが生えている場所もある。
さらには天井からは、色とりどりの花が吊るされていた。
だが、この国の人には馴染みがない光景だからか、客は少なくまばらだ。
陽葵も思わず呆然としてしまうも、アトラは何度か来たことがあるらしく、店員の「いらっしゃいませー」という挨拶を華麗にスルーして奥の席に向かっていく。
「こんばんはー! 星は意外と昼でも輝くわよねー!
氷は街の外では溶けないようにしないとだけどー!」
「こんにちは、アトラ。私にそんなことを言われても困ってしまうわ」
アトラが声をかけたのは、四人がけのテーブルに座っていたドレス姿の美女。隣の席に大きな竪琴を置いて、とろんとしたタレ目を彼女に向ける女性だった。
アトラのチグハグな言葉を受け流した彼女は、星のように様々な色で輝く目で陽葵を見やる。
「会ってほしい子っていうのはその子ね。
はじめまして、私はベガ。普段は竪琴を引いている、星見の塔の……そうね、まぁ居候かしら」
「はじめまして。白雪陽葵です。
さっき起きたばかりであれなんですけど……」
「陽葵ちゃんね、よろしく。神秘はよく長い眠りにつくわ。
みんな同じなのだし、気にしなくて大丈夫よ」
「そうなんですね」
ベガの言葉をスルーしカウンターに行ってしまったアトラを横目に、彼女達は自己紹介を始める。
彼女の友達だというベガはもちろん慣れており、陽葵もある程度わかってきたようで、あまり気にしていない。
むしろ、初対面だとしてもしっかりしてそうなベガの方が話やすいのか、アトラと話していた時よりも表情が柔らかかった。
「陽葵ちゃん陽葵ちゃーん!」
しかし、彼女達が本格的に話し始める前に、テーブルにはアトラが舞い戻ってくる。手には先程と同じく何も持っておらず、袖余りがひらひらとはためくだけだ。
ただ1つ違うのは、後ろに一人の男性を連れていること。
その男性は、この店に擬態するかのような緑のコートに長い茶色のマフラーを巻いており、その気になればすぐに見失ってしまいそうだが、大人しくアトラについてきていた。
彼女はテーブルの前に立つと、袖をパタパタと振りながらその男性の紹介をし始める。
「陽葵ちゃん、これはソン・ストリンガー。
この店のオーナーなんだけど、滅多に現れないから今日会えたのは奇跡的ねー! 数百年来ない時もあるんだ〜」
「え……!? あ、はい。
白雪陽葵です、よろしくお願いします」
やはり唐突なアトラに、陽葵は少し呼吸を整えてから返事をする。すぐに返せたところを見るに、彼女のマイペースさにも随分と慣れてきたようだ。
だが、ソンと呼ばれた男性は陽葵の挨拶に反応を示さない。
ジッとアトラを見つめて黙り込んでいた。
「……あれぇ、聞いてたー?」
「……これ。私は、物ではないと記憶している。
それとも、人間にとって獣は物なのか?
私は、ソン・ストリンガー。一応、人として生きている」
少ししてアトラが急かすと、彼は仏頂面のまま口を開く。
低くゆったりとした語り口は心地よいが、どこかズレたテンポ感だ。
「はい、ソン・ストリンガーでしたー! じゃあねー!」
「……森は、君のような物を決して許さないだろう。
放置された倒木のように、惨めに腐り果てるといい。
今度、死の森に遊びに来ないか? 歓迎する。森が」
穏やかな抗議を無視して追い払おうとするアトラに、ソンは淡々と呪いの言葉を投げかける。
声の調子はまったく変わらず、微塵も揺れ動かないが、本気で色々と実行してしまいそうな雰囲気だ。
アトラも言葉の端々から感じ取ったのか、どこか面白そうに目を細めると、腰に手を当て応戦を始めた。
「もしかして、森で罠に掛けるって言ってるー?
だけど、星は決して地上には降りないのよー。
悠久を輝き、あなたが堕ちる日を待っているわー!」
「星は、寒空に一人。なるほど。君は、森に光を届けてくれるつもりなのか。いい心がけだ。私は死ぬことがないし、もうしばらく待ってやってもいい。せいぜい派手に散ってくれ。ただし、有害物質は撒き散らすな」
「あらー? 死ぬことがない、は言い過ぎじゃなーい?
小鳥はいくら必死に飛んでも‥」
「陽葵ちゃん、席を変えましょうか」
「そ、そうですね……お客さん、少ないですし」
しばらく2人のやり取りを傍観していたベガと陽葵だったが、いつまで経っても終わらないことを察すると、2人を放置して席を移動し始める。
アトラはカウンターに行っていたのだから、オーナーであるソンに何か注文していた可能性はあるが、どちらも手ぶらだ。
客が少ないため席は空いているし、他の雇われ店員も暇そうにしているのでどうにでもなるだろう。
呆れ顔の彼女達は、速やかに席を変えてホッと息をつく。
「はぁ……あの子に好かれて大変ね、あなた。
多分、あの子に面倒を見てもらうことになるんでしょう?」
「特に聞いてないですけど、そうなんですかね。
アトラさん、大変ですか……?」
「うーん……いい子ではあるのだけどね。自由すぎる言動で人を振り回しがちというか……」
「わかります。なんか、さっきいきなり星を見るなんて言い出したんですよ。ご飯だーって言った直後に」
「うふふ。でも、あの子の師匠はもっと大変かも」
「そうなんですか……!? どの人だろう……」
彼女達が話をしている間に、ベガが注文していたものやアトラが注文したものがテーブルに運ばれてくる。
さっきまで陽葵達がいたテーブルには、何も来ていない。
紅茶や軽食を目の前にした陽葵達は、未だに言い合っているアトラ達を横目に談笑を続けた。