10-満ち満ちた未知
年末年始に投稿した方が時間を潰せるかなと思ったので、少しだけ投稿頻度を調整します。
もうすっかりクロウ達が悪夢に囚われてしまっていた頃。
現実にある愛宕の街の屋根の上で、雫とヴィンセントは屋根から屋根へと飛び移っている道化の姿を見ていた。
彼はコロコロと変わる声色や口調を夜闇に響かせ、1人なのに5〜6人はいるんじゃないか、というほど騒がしくしている。
あまりにもふざけた道化師の存在に、彼女達も唖然とするばかりだ。
「えっと……たしかに怪しすぎるくらい怪しいですが、まさかあれが悪夢問題の元凶になっている鬼人ですか?」
「どう、なんでしょうね……? ひとまず、不審者であることは間違いないと思いますけど」
とてもじゃないが信じられない……といった風に雫が問いかけると、ヴィンセントも困惑したように微妙な答えを返す。
2人共、すぐに道化師を元凶だとは結論付けられず、次の行動に迷っているようだった。
もしこの場に他の人間がいれば、あれだけ怪しい人物を前になぜ迷うのだ、と思うこともあるかもしれない。
だが、彼は人里で人間を害するような行為をしているにしては、どう考えても騒がしすぎる。
一応最近は問題として幕府の耳にも届いていたというのに、ここまで堂々と、むしろバレたいのかと思ってしまうような動きを見せているのだ。
あまりにも暗躍などに向いていなさすぎるため、疑いたくなるもの無理はなかった。といっても、このまま放置する訳にもいかないため、彼女達は控えめながらも道化師への対処を考え始める。
「あの、捕まえます……か? 私は幕府の人間じゃありませんけど、雫さんが一緒なら後のことも心配ないですし」
「そうですね……? いまいち悪夢の元凶とは結びつきませんけど、不審者は捕らえる必要があるかと思います。
少なくとも、彼が鬼人なのかどうは確認しなくては」
「では、できるだけ傷つけない方向で」
「はい、お願いします」
道化師が元凶の鬼人とは判断できないながらも、彼女達は彼を捕らえることに決める。一応まだ夜中に騒いでいるだけの不審者だが、決断さえしてしまえば対処を始めるのはすぐだ。
ヴィンセントは聖人としての身体能力を遺憾なく発揮して、屋根から屋根へと飛び移っている道化師を追っていく。
後ろから彼についていく雫も、聖人未満の仙人という存在ながらも必死に追従し、術を使うための御札を構えていた。
「すみません、そこのお方!」
若干雫を置き去りにしているヴィンセントは、同じように前に進んでいる道化師にもあっという間に追いつく。
彼の周囲を回り込むように遠回りをし、声をかけながら進行方向に立ち塞がった。
すると、道化師はすぐさま両手を上げる。
仮面の奥の表情はどうなっているのか謎だが、仮面自体は目と口が三日月のように曲がった笑顔で不気味だ。
しかも、両手を上げたはいいものの、彼は大人しくしているつもりもないらしい。実質降伏宣言をしているくせに、腕は顔の横辺りを保ちながらもチャカチャカ動いていた。
「おっとととー! なぁになぁんなのよあーなた方!
あてくし何かいたしましたかしら夜空事柄?
そう、何かしたかと問われるならば、僕は温厚な夜の散歩人。あなたはきっとお役人。義務で声掛けの必要があったのだと、私は愚考いたしやす。冤罪が怖いよネ☆
しかーし、我を疑う必要などないと、断ッ言ッ、しようッ!!
なぜなら俺は無力だからー。ちょぉーっといい夢を見ようと運動をしていただけの小市民! 既にまことに実にたくさん走ってヘロヘロへー! 膝が笑って立ーてないのよぅ♪」
「えっと……」
逃げ出したりはせず、抵抗したりもせず、彼は延々とまくし立てるように喋り続ける。遠くから見かけた時点で聞こえていたものではあるが、あまりにも異様な光景にヴィンセントは言葉を失って立ち尽くしていた。
もちろん、それは後から落ち着いてきた雫も同様だ。
息を切らしながら道化師を見る彼女も、あからさまに引いたような表情で口を挟めずにいる。
しかし、役人の義務か悪夢を見せている元凶の容疑者として捕らえにきたかの違いはあれど、実際に道化師に声をかけたのは彼らだ。
2人が言葉を失ってただ見つめていると、声掛けだと思っている様子の道化師は、自ら話を進めていく。
「……」
「おやおやおやぁ? もしかしてお二人は私のファーンー!?
これは実に嬉しい誤算だー。後ろのお方は政所次官ではないかとおーもったけど? どうやら何やらどうも、特に用事はないご様子! ならば刮目するが良い!!
我が秘術、夢のような現実を見るための奇術!!
そう、これこそが私という存在の真髄サ☆」
「……!!」
何をどう思ったのか、彼はヴィンセントと雫の2人かに静止されている中で何かをしようとし始める。
上げていたて手もすっかり下ろし、一言一言ふざけたポーズを取りながら思わせぶりな態度を見せていく。
いまいち掴めないながらも、彼が本当に悪夢を見せている人物で、その力を使って抵抗されたら洒落にならない。
ヴィンセントは剣を抜き、雫も御札を構え、完全に臨戦態勢だ。
「なぁんて申し上げたもーのの、あたくしはほんっとーうに無力だから☆ 何一つでっきませーん♪」
「……はぁ」
だが、その予想は当たり前のように裏切られる。
彼は一瞬で思わせぶりな態度をやめると、手からポンッと鳩を出すだけでその他には一切何もしなかった。
武器を向けられたことも気にしていないのか、無反応。
謎の緊張感から開放された2人は、一気に脱力していた。
道化師はあくまでも道化師であり、雫達はひとまず彼からの抵抗はなさそうだと気を抜いて……
「だけど、ワタシが捕まる訳にもいかなくてねへへへ〜?」
「……!?」
道化師から2人の視線が外れた瞬間。
彼女達はいきなり何かに吹き飛ばされる。
鳩を手に止まらせている道化師は、ただ立っているだけだ。
周囲には他に誰もおらず、誰も何もしていないというのに、彼女達の体は空に打ち上げられていく。
まるで、巨大な棍棒か何かに薙ぎ払われたかのように、体格のいい男に殴り飛ばされているかのように。
異変に気がついて胴体を庇ったヴィンセントも、気づかずに吹き飛ばされてキリキリと舞っている雫も、両者ともに痛みを堪えて体勢を整えようとしていた。
「一体、何が……!?」
「見えないけど、これは打撃……!?」
"主君の道筋"
屋根の上に落下していく雫が、どうにか受け身を取って倒れ込んでいる中。しっかりと両足で着地したヴィンセントは、仲間に使用を制限されている自身の能力を使う。
狐のお面の下に隠れている瞳を輝かせることで、今よりも少しだけ未来を見る。未来視……あまりにも使いすぎると目から流血し、場合によっては自然治癒が不可能なレベルの損傷を受けるその力は、彼の辿るはずだった道筋を映し出した。
「くっ……!!」
未来視によって自分が攻撃を受けるタイミングを察知した彼は、その攻撃が来る場所に剣を構えて身を守る。
事前に防御態勢を整えていたことで、今回は吹き飛ばされることなく屋根を少し滑るように後退するだけで済んでいた。
「攻撃をされている。敵がいる。だけど、どこに?
何がどうやって? 受けても見えない、敵は……何だ?」
攻撃の圧力がなくなってから剣を突き立てて勢いを殺す彼は、止まるとすぐに周囲を見回しつぶやいた。
予見した通りに攻撃は来るが、来るとわかっていて見ても、何がどうやって攻撃してきたのかは当然見えない。
彼が見た未来は、攻撃を受けるという事実のみ。
今彼が見ている光景も、攻撃を受けたという事実のみだ。
少なくとも、ナイトメアが動いていないことだけは断言できるものの、総じて言えば何も異変がないのに攻撃だけがたしかに遅い来るという状況である。
「雫さんっ、左後ろから攻撃が来ます!」
「っ……!?」
もちろん、たとえ攻撃が見えなくとも、その未来さえ見れば受けないことは可能だ。
見られない雫も、ヴィンセントが警告することで飛び退いて攻撃を避ける。彼自身も剣を構えることで攻撃を防ぐ。
だが、何度それを繰り返しても攻撃自体は見えず、未来でも今でも逃げ惑うばかりだった。
それを繰り返しているうちに、ヴィンセントの目には負担がかかって仮面の下からは血が流れ始める。
目からの流血を見た雫は、堪らず彼に声をかけていた。
「ヴィンセントくん! 今すぐ能力の使用をやめなさい!
今この場にそれを治せる術師はいないわ!!」
「やめる……っ!! 御所に戻れば治せるんでしょう……?
使わずにやられるなら、少しでもその時は遅らせる……!!」
「だけど、完全に潰れたら数日は治せないわよ!?
せめて程々で留めておいて!!」
「いいえ……いいえ!! これは必要なことなんです!!
取り返しがつかない損失は、あっちゃいけない……!!」
雫の必死な訴えに、しかしヴィンセントは頑として首を縦に振らない。ごぽごぽと目から血を吹き出しながらも、決して折れない意志で未来を見続ける。
叫ぶ彼女にも、目から流血しながら剣を振るう彼にも、もはやナイトメアを気にする余裕などなかった。
彼女にとって最優先は、友人が大切に思っている弟分のような子をこれ以上傷つけないこと。
彼にとって最優先は、見えない暗殺者に取り返しの付かない一手を打たせないこと……
「俺は、見てるよ……!! 勝負だアンノウン!!
君に彼女は殺させない。君の足止めをやめた未来には、希望なんて無いんだから……!!」
叫ぶヴィンセントは狐のお面を外すと、静止しようとする雫や逃げていくナイトメアを尻目に、その身に宿る神秘の力を迸らせる。
未知の敵は、依然として姿を現さない。
それでも、未知は未来を見続けるヴィンセントに攻撃を加え続け、彼らは持久戦を開始した。




