1-少女の解凍
間話-少女の解凍に加筆したものになっています。
窓から差し込む朝日が、ベッドに眠る少女の顔を照らす。
茶色がかった黒髪を輝かせ、もう起きる時間だとでも言うように、彼女の目を優しく攻撃する。
しかし、そんな攻撃など少女はものともしなかった。
むにゃむにゃと寝言を言っており、まったく起きる様子はない。
すると……
――起きなさーい、朝よー
「うぅ……」
部屋の壁に取り付けられた、小さな金属のようなものが光りだしたかと思うと、彼女の頭に声が響く。
その声は頭に直接なので、流石の少女も不快そうだ。
顔をしかめてもぞもぞと動き始め、枕元にある端末に手を伸ばす。目を閉じたままなのですぐには掴めなかったが、少ししてそれを握りしめると……
片目を開けて、その装置に向かって投げつけた。
投げられた端末は、クルクルと回転しながら飛んでいくと、狙い違わず停止ボタンを角で打ち付ける。
頭に響いていた声は消え、穏やかな表情を浮かべた少女は何事もなかったかのように潜り込む。
音を消し去り、陽の光も遮断し、彼女は快適なベッドの中で夢見心地だ……
「ひーまーりー……」
だが、当然声の主は同じ家の中にいるのだから、通信が遮断されても自分で起こしに行けばいい。
少女が潜り込んで数分もすると、ゆっくりとドアが開き、脅すように低い女性の声が少女の鼓膜を震わせた。
「ひぇっ……!!」
それを聞くと、ウトウトしていた少女もようやく目が覚め、掛け布団を跳ね飛ばして飛び起きる。
寝起きだからか顔は少し青白かったが、目はしっかり開いて入ってきた母親を見ていた。
「お、起きるよ起きる。ちょっとダルかっただけだから」
「……? あんた、顔色悪いわね。熱でもあるの?」
「うーん……むしろ寒いかな。もしかしたら風邪かも」
「まぁ飛び起きられるなら大丈夫よね。
さっさと起きて、何か食べなさい」
「はーい」
女性は少女の顔を見ると、少し心配そうに彼女を見つめる。
しかし、顔色が悪い以外は元気そうだったので、朝食を食べれば顔色も良くなるだろうと、起床を促して部屋を出ていく。
残された少女も、吹き飛ばした掛け布団を拾ってベッドを軽く直すと、制服に着替えてリビングに向かった。
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「ごめん、やっぱり体が重いかも」
朝食を食べ終わった少女だったが、顔色が良くなることはなかった。むしろ悪化すらしているようで、彼女は歯をカタカタ震わせながらそう言う。
「そう? ……なら、連絡はしておくから今日は休みなさい。
後で何か買ってきてあげるから、今はとりあえず、しっかり水分補給してベッドで……ひまり?」
それを聞いた女性は、片付けを続けながらも心配そうだ。
少女が暗に言っていた学校を休むことを了承すると、大人しくしているように促し始める。
だが、女性がその言葉を最後まで言い切ることはなかった。
彼女が仕事の合間にちらりと見ると、少女はテーブルに突っ伏していたため、話を中断して問いかける。
「あぁ、うん。疲れてるのかな? うまく動けなくて……」
『まったく、具合が悪いならこんなところで寝てちゃ‥』
眠そうな声を聞いた女性は手を止めると、呆れたようにつぶやきながらテーブルに近づいていく。
しかし、もうその声は少女の耳にはうまく入ってきてはいなかった。
意識は遠く、彼女はもはや当事者ではない……
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寒い……体が、動かない……
目も、閉じたまま、開けない……
だけど、なんだろう? 遠くから、微かに光を感じる……
温かそうな、優しい、光……
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ニコライ達の前で、機械は大きく不気味な音を発しながら、ゆっくりと口を開ける。
地面を這うように出てきたのは、濃密な白い煙。
中で溶ける氷から発せられた、冷気が漏れ出したものだ。
それは、初めこそすべてを凍らせる程だったが、段々とひんやりと心地よさすら感じるものに変わっていった。
やがてそれが出尽くした頃、中から出てきたのは……
「ここ……どこ?」
1人の少女だった。
どこかの高校の制服姿で、その髪は黒い。
背も比較的高く、170センチ近くあり凛とした雰囲気だ。
といっても、その口調は幼さを感じさせたが。
ニコライは、彼女を見ると沈痛な面持ちでアトラの前に歩み出る。そして、しばらく少女を見つめると重い口を開いた。
「こんにちは。ここは、科学の国ガルズェンスだ。そして私はニコライ・ジェーニオ。君の名を聞いてもいいかな?」
その言葉を聞くと、少女は警戒するような視線を彼に向ける。
周りにいるのも、白衣の男女ばかりで制服姿の彼女は異質。
怯えない方がおかしかった。
だが彼女は深呼吸をすると、不思議と落ち着いたようにニコライに答える。
「私は白雪陽葵です。ガルズェンスなんて名前、初めて聞くんですけど……ドラマの撮影か何かしてます?」
「ドラマではないよ。ここが君の時代から何千年後かは知らないが、君は未来にいる。
コールドスリープ……というやつかな」
それを聞くと、少女は背後を振り返る。
その視界に入るのは、もちろんニコライ達が発見した機械だ。
彼女を、未来に届けた機械。
それを確認すると、彼女はポツリと呟く。
「お父……さん……? 私で……実験したの……?」
しばらく呆然としていた少女だったが、気持ちを切り替えるように頬を叩くと、ニコライに向き直る。
まだ弱々しい表情だが、それでも現状を知らないといけないから頑張る、といった様子だ。
「数千年後……ですか?」
「そうだ。……同じ科学者として、君に酷な生き方をさせてしまうことを謝罪しよう。申し訳ない」
「日本は……どうなりましたか?」
「私はその国を知らない。少なくとも2000年前以上前に滅んでいるだろう」
質問を重ねるごとに、少女の表情は暗く沈んでいく。
科学文明が滅んだ。
父親はおそらく、少女だけでも救おうとした。
未来に生きる同郷の者は……誰一人として存在しない。
それらの現実が、彼女の目の前に分厚く立ち塞がった。
孤独だ。
孤独だ。
孤独だ。
「何で……私だけ……」
(生かされて……未来に……)
その時、彼女の存在に変化が生まれた。
髪は淡く青色に、全身に強すぎる神秘を纏う。
彼女が包まれ続けた、氷の神秘。
ニコライは、その事実に顔を歪める。
魔人が生まれた。それだけの苦痛を、少女が受けた。
彼は、己の無力さを嘆いた。
しばらく沈黙が続いたが、やがて彼はそれでもできることはまだあるはずだ、と少女に語りかける。
「……同郷の者はいないが、同じ時代に生きていたと思われる方々は数名いる。うち一人はこの国の王だ。
……案内しようか?」
それを聞くと、少女は涙を凍らせニコライを見る。
晴れ晴れとまではいかないが、かすかな期待を込めて。
(帰りたい……寂しい……)
「はい……会ってみます」
(科学の国……タイムマシンとか……作れないのかな……)
(帰りたい……)
「それから……」
心ここにあらずといった様子で歩く少女に、ニコライが控えめに話しかける。
部下達の方向に手招きをすると、やってきたのは白衣を羽織った少女だった。
この国では珍しく小柄で、マスコットのような印象だ。
しかも星のように輝く金髪で、見る人が見れば人形のようだと言うだろう。
そんな……親しみやすい少女。
「アトラ・アステールですー。仲良くしましょうねー」
「こんなことで悲しみが癒えるとは思わないが、そばにこの子を付ける。気のいい子だよ。
私達にも、いつでも頼って来てくれていい」
「ありがとうございます……嬉しいです……」
少女はそう言ったが、表情はむしろ暗くなる。
目は潤み、表情は歪んで体が震え……
「え……」
「無理にそんなことを言わなくても大丈夫だよー。
抱え込んでても、辛いだけだからねー……
私達が温めるから、ゆっくり前を向こうねー……」
すると突然、アトラがその小さな体で陽葵を包み込んだ。
優しく……優しく……
彼女を安心させるように。
そして、陽葵の目からは次々と涙が溢れ出る。
「うん……」
「ありがとうなんて、嬉しいなんて、今言える言葉じゃないよねー‥。受け止めるから、悲しみぶつけてねー‥」
「うん……」
孤独は埋まらないかもそれない。
悲しみは癒えないかもしれない。
それでも少女は、できれば明るく生きていきたいと思った。
「……」
アトラが陽葵を抱きしめている間、ニコライやアレク、セドリックなどは黙ってそれを見守る。
いきなり未来に来たなどと言われて、見ず知らずの男達に囲まれているだなんてストレスでしかないだろう。
そのような配慮から、何かあっても対処できる程度ではあるが、少し離れて。
まったくいない訳ではないが、女性の科学者は元々少ない。
そのせいもあって、この場にはアトラしか女性がいなかったため、彼女に任せるのが一番だった。
彼らがしばらく見守っていると、陽葵は決壊したように声を上げて泣き始める。
自身の能力によって、涙はすぐに凍っていく。
それでも、後から後からずっと涙は出続けていた。
「大丈夫だよ……思いっきり吐き出してねー……」
「うわぁぁ……!!」
「大丈夫……」
離れて見ていたニコライ達が焦り始めるが、アトラは視線だけで彼らを静止する。
彼らは変わらず見守り続け、陽葵はより声を大きくしていった。
それから数時間後。
手持ち無沙汰なニコライ達が、シートを引いてくつろいでいると、ようやく泣き声が収まり始める。
彼らがあくびをしながら視線を向けると、陽葵はアトラに全身で寄りかかりながら、肩に顔を乗せて脱力していた。
泣きつかれて声も枯れ、少しウトウトしているようだ
「今は休もっか、ヒマリちゃん。
私達が、ちゃんとベッドまで運んであげるからー」
「だめだよ……迷惑になる……」
「いい子いい子ー……」
陽葵は遠慮して顔を持ち上げるが、アトラが頭に手をおいたことですぐにまたコテンと落ちてしまう。
それと同時に、まぶたも段々と落ちていく。
「よく、知らない人たち……」
「みんな、いい人たちよー……ほら、今も心配そうにあなたを見てる。何かあっても守るから、安心してねー……」
「う……ん……」
彼女は最後まで抗おうとしていたが、背中や頭を優しく撫でられ続け、ついに意識を手放した。
涙の跡は凍りついて消え、何事もなかったかのような穏やかな寝顔だ。
しかし、それとは対照的にアトラの顔は苦痛に歪む。
陽葵が眠ると同時に、アトラには彼女の全体重がかかったのだ。
さっきまでも抱きかかえてはいたが、起きているのと寝ているなどではわけが違う。
小柄なアトラには、1人で彼女を支えることなどできなかった。
顔を真っ赤に染めながら懸命に支え、焦りながら仲間に助けを求める。
「う、う、助けてー」
「はいはい、そのまま倒れ込んでいいっすよ」
「感謝ぁ〜」
真っ先にその声に応じたのは、ニコライに紅茶とサンドイッチを出していた青年、アレクだ。
彼は、サンドイッチなどを乗せていた機械とは別の機械を瞬時に飛ばすと、倒れ込む2人を受け止める。
本体は硬い機械ではあるが、移動と同時に改造もしていたため、ふわふわのクッションが優しく包み込む。
硬さよりむしろ、跳ね飛ばしてしまうのではないか……? と心配してしまう程だ。
「じゃあ地上へ戻ろうか。片付けは……」
「もちろん僕が全部やるっすよ」
陽葵が眠り、出発できるようになったことを確認したニコライは、カップや皿などを置いて呟いた。
すると、アレクがすぐさまそう言って機械を操作し始める。
2人を受け止めたのとは別で、手のように操るもの、広げていた備品すべてを収納するものなど、多くの仕事を手や目線だけで片付けていく。
「いつもすまないね」
「あはは、お安い御用っす。ニコライ様に喜んでもらえるのなら、吹雪の中にだって入るっすよ」
「うん、頼りすぎないように注意するとしよう。
……覚えていられる限り、だが」
少し申し訳無さそうにしていたニコライだったが、アレクは気にしていないどころか、満面の笑みを浮かべていた。
それを見たニコライは、一瞬だけ真剣な表情になって考え込む。
しかし、付け足した言葉の通り、すぐに忘れたように他の指示も飛ばしながら立ち上がる。
残りの科学者達も立ち上がり、出発準備は完了だ。
機械を操るアレクは、機械に乗せている2人に揺れるかもしれないとの予告をするが……
「すぅ〜……すぅ〜……」
最初から泣き疲れて寝ていた陽葵はおいておくとして、彼女を抱きしめるアトラまでもが穏やかな寝息を立てていた。
それを見た彼らは、困ったように顔を見合わせる。
元から手伝う必要はあったとはいえ、彼女をベッドまで運ぶと約束したのは、アトラ自身じゃなかったのか……? と。
だとしたら、陽葵の仮宿舎はアトラの家、もしくはアトラの研究所の私室となる訳で……つまり、鍵がない。
「寝ているね」
「寝てんなぁ」
「寝てるっすね」
「……ふむ。揺れは心地いい程度に抑えられるかな?」
しばらく周りに立って黙り込んでいた彼らだが、いつまでも帰還しない訳にはいかないため、出発の話を再開する。
他はほぼ終わっているため、内容は寝ている2人をどのようにどこへ運ぶかだ。
「もちろんっす」
「場所は……どうしようか」
「どうせマキナさんに会うんなら、研究塔の部屋を借りりゃあいいんじゃねぇかな。変人は多いが、無法者はいねぇし」
「空いている場所を探さないといけないね……」
「あ、僕がやるっすよ」
「いや、君は2人を見ていてくれ。彼女は……
うん、私達が責任を持って見ておかないといけない。
セドリックはマキナ様に診てもらう方がいいだろうし、私が探すよ。一番早いだろうしね」
新しい仕事ができると、いつも通りすぐにアレクが名乗り出る。しかし、今回は珍しくニコライが自分で片付けるつもりのようだ。
2人には、それぞれ別の指示を出している。
そうして方針を決めた彼らは、ニコライを先頭にして遺跡から出るべく速やかに歩き始めた。
まずは一章「支配の国」から。
白雪陽葵 (グレース・フレムニル)のキャラストーリーです。氷蝕の権化、望郷の狂人としての話なので、目覚める前のことを書くとしたら別の章で書きます。