6-霧の部屋
マキナの部屋から出た後、ニコライ主導で行われた話し合いは、もちろんクリスマスパーティの準備と研究塔の掃除の話だった。
まず、場所の話。
クロウ達が選んだのは屋外だ。
つまり星見の塔とウプサラ神殿の間。
これにより、クリスマスツリーはどんな大きさでも置け、料理なども置き場所に困らない。
もちろん室内でも他の階に置けばいいのだが、その場合上の階か下の階か、どの部屋かなどややこしくなる場合がある。
その点、屋外ならばだだっ広い平面なのであまり考える必要もなかったのだった。
次に準備の話だ。
クリスマスパーティに必要なものは色々あるだろうが、今回用意することになったのは、大雑把に区分するとクリスマスツリーと料理である。
ニコライと分かれた後、クロウ達はこの2つの準備を手分けして行うことになった。
そして最後に、ニコライの依頼なのだが……
ヴィンセント達がニコライ、クロウ達と分かれてやってきたのは、星見の塔にあるとある部屋だった。
彼らの分担は研究塔の片付け、料理、それから……
「えーっと……テレスさん?
ここであってるんですか……?」
やたらと厳重に閉じられた扉の前で、彼は戸惑いながら後ろの人物に問いかける。
視線の先にいるのは、白衣ではなくローブのようなものを身に纏い、一心不乱に星空の写真集を眺めている男性――テレス・シュテルヴァーテだ。
彼は一旦屋上に戻ってリュー達と合流した時、空を見上げて突っ立っていた人物。
クロウについていくと言うアトラ、依頼者のニコライに代わり、この依頼の案内役を任された天文学者である。
しかし、彼はヴィンセントがいくら呼びかけてもまったく反応を示さない。それどころか、同行者のリューが騒いでいることすら気にしていなかった。
「……綺麗だ」
「テレスさーん……?」
「彼らは悠久の存在……私達のような神秘ですら敵わない完璧さを持ったもはや神痛っ」
「…………」
彼がヴィンセントを無視して、星空の写真に夢中になっていると、リューのストッパーになっていたフーが彼を叩いて現実に引き戻す。
どうやら直接的なやり方が効果的だったようだが、それをする彼女が無表情・無言なのがそこはかとない恐怖を引き立てていた。
しかし、テレス本人は邪魔だという以外なんとも思っていないようだ。
ジロリとフーを睨みつけると、不機嫌そうに吐き捨てる。
「星を!! 見ているのだが……邪魔をするな」
「えっと……ここであっているのか教えていただければ、しばらく邪魔はしませんよ」
「あっている。だから早く入って連れ出して案内役を代わって私を解放しろ。星が見たい」
「あ、はい」
ようやく会話が成立し、ヴィンセントはこの部屋が目的地だとの確認が取れた。
再び星空の写真にかじりつき始めたテレスを尻目に、どうにか開けようと四苦八苦し始める。
「さっきニコライに渡されたこの本……
まさかこれを開けるマニュアルだったとは……」
「おいおい、開けるのに時間かかんのかぁ?
俺暇なんだけどー!! 遊びに行っても痛ぇッ!?」
「…………」
彼がマニュアルを見ながら扉のパネルの操作をしていると、リューが騒ぎ始める。
だが、しっかりフーが頭を叩いて大人しくさせてくれたため、ヴィンセントへの被害はゼロだ。
邪魔されることなく操作が終わり、扉は濃密な煙を吐き出しながらゆっくりと開いていく。
中はマキナがいた部屋と同じように暗く、冷たい。
そして、この煙は霧のようだった。
扉は開いてすぐにも関わらず、もう廊下には水滴がついている。
「うわ……」
「うはは!! なんだこれ!? 面白ぇなぁ!! 痛ぇッ!?」
「…………」
ヴィンセントが驚いて固まっていると、リューが笑いながら彼を押しのけて中に入っていこうとする。
しかし、そよ風で飛んだフーに蹴り飛ばされ、ツルツルの廊下についた水滴で滑っていってしまった。
テレスはガン無視だが、ヴィンセントにとっては二重の驚きだ。彼は、ストンと自身の隣に立ったフーとびしょびしょになりながら未だ滑り続けるリューの間で、視線を交互に動かす。
しばらくすると、突き当りの壁に頭をぶつけたことでリューは止まるが、手足を広げて微動度にしない。
実に無残である。
「えっと……行こうか?」
「…………うん」
「彼女は誰よりも優しい輝きを持っている上に光量でも決して負けていない素晴らしいまさに女神……」
「あっはっはっは!! 廊下!! 滑る!!
あっはっはっはっはっは……!!」
「うん、全然平気そうだね。行こう」
2人を置いて行っていいものかと、少し迷いを見せていたヴィンセントだったが、テレスの熱量ある独り言と笑うリューを見てすぐに考えを改める。
全身びしょ濡れでも写真がダメになるほど湿度が高くても、彼らを気にかける必要は全くない。
呆れを通り越して、もはや感心するほどの域だ。
そう確信した彼は、騒いでいる2人を放置して、フーと2人だけで部屋の中に入っていった。
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実際に部屋に入ってみると、天井から床まで部屋中に充満している霧は彼らの予想以上の量だった。
手を伸ばせば手の甲は霧に隠れ、隣を歩くフーの姿も当然はっきり見えることはない。
その上、床は水たまりのようにびしょ濡れだ。
廊下と同じく床はもとから滑りやすい素材であり、その上湿っているので、たとえ周りがよく見えていても気を抜けば転んでしまうだろう。
そのため、少し中に進んだところで彼らは立ち止まり、安全に進むための相談を始める。
「これ……すごく危ないね。フー、俺を運べたりしないかな?
どうやら、この霧を払うのは無理みたいだから」
「…………払わない?」
「うん、未来視でね。無理だった」
「…………使うな」
「あ、うん」
ヴィンセントは霧を払うことは無理だと断言し、フーのそよ風で奥に進むことを提案した。
部屋は霧で見通せないのだが、どうやら能力を使えば未来はある程度見通せるようだ。
もちろんフーがそれに反対することはない。
だが、ヴィンセントは片目を閉じていたため、使ったという未来視の反動がもう既にきているのだと気づいていた。
言葉少なに霧は払えないのだと確認をとった後、同じく一言だけ強く注意する。
そして、ヴィンセントがうなずくと同時に彼らの体は宙を浮く。
「………前?」
「いや、前にはいな……」
「…………!!」
「あ、いや。いないような気が……するよ? ほら、気配。
なんかさ……? えっと、濃さというか……?」
「…………うん」
「よし、じゃあ部屋の隅の辺りに向かって飛んでね。
まずは右側でよろしく」
ぼんやりと奥に行くかを聞いたフーは、ヴィンセントがまた能力を使ったのだと察すると、一気に覇気を込めキッと睨む。
しかし、彼が上手いことごまかしたことで、とりあえずは納得することにしたようだ。
それ以上何も言わずに自分達を右側の隅の方へ運んでいく。
床に足をつけていないため、滑る心配はない。
だが、そもそも霧で周りが見えないのだから、歩いていた時と変わらず慎重だ。
2人分の体重をそよ風で支えながら、心なしかさっきよりはまだ遠くまで見えるかな……という程度に霧をどかして進んでいく。
そうしてしばらく進むと……
「…………いた」
「だね」
彼らの目の前には、簡素な椅子に片膝を立てて座り、膝に顎を乗せて陰鬱な表情をしている女性――ヘーロン・アルベールがいた。
この部屋が霧に満ちているからか、彼女の服装は全身ウェットスーツ。当然いつもの白衣も着ていなかったのだが、その割にはなぜか髪もスーツもあまり濡れていなかった。
そして彼女の周りにあるのは、座っている椅子を除けば金属製のテーブルのみである。
白衣を着ていない以前に、明らかに研究などをしている様子はない。
だというのに、彼女は近くにいるヴィンセント達にまったく気づくことなく、この暗闇でただぼんやりとしているのだ。
これにはヴィンセントも戸惑いを隠せず、彼女に話しかけられたのは数分後のことだった。
「ヘーロンさん……?」
「……ヴィンセントさんですか。……お久しぶりです」
ヴィンセントが声をかけると、ヘーロンは生気のない視線だけをゆっくりと彼らに向ける。
この部屋に引きこもっているらしい彼女は、当然ヴィンセント達がこの国に帰ってきていることを知らない。
しかし、そのことに何も心が動かされていないようで、驚きがないばかりか興味もまったくないというような反応だった。
ヴィンセントがニコライに聞いたのは、ヘーロンがこの部屋から出てこられないということ。
そして、そんな彼女から片付ける場所の指示を受けることだけだ。
まさか死んだような状態になっているとは夢にも思っておらず、先程同様、戸惑いながら会話を続ける。
「お久しぶり……です。えっと、どうしたんですか?
ニコライさんには、ここにあなたを迎えにいけとしか言われなかったんですけど……」
「……はぁ。あなたも神秘に成ったんですね」
困ったように問いかけるヴィンセントだったが、ヘーロンはそれをスルーすると、深いため息をつきながら悲しげにつぶやく。
彼女の言う"神秘"が質問の答えなのか、そうじゃないのか。
少なくとも、今すぐに直接答えるつもりはないらしい。
するとヴィンセントは、今回はちゃんと未来視を控えていたらしく、その言葉に驚いて息を呑んだ。
「……!! よく、わかりましたね」
「この霧、今のあなたなら簡単にわかるのでは?」
「……ええ。神秘……ですね」
「霧が濃すぎて、その中にいる私の神秘を捉えられなかったのでしょう。ですが、私はこの霧の発生源なのであなたの神秘がわかります」
「なるほど……」
どうやら、クロウがルルイエの海底神殿クリティアスで、レヴィに気が付かなかったのと同じようなことが起こっていたらしい。
ヘーロンの説明は簡単なものだったが、ヴィンセントはすぐに納得した。そして同時に、彼女がなぜここに引きこもっているのかにも思い当たったようだ。
彼は少し迷う素振りを見せながらも、最終的にはまっすぐ彼女の顔を見て確認する。
「この霧……厳重な扉……つまりヘーロンさん、あなたは呪いのコントロールが全くできていないんですね?」
彼の言葉を聞いて、ヘーロンは視線を下げる。
そして、さらに表情を暗くし、無意識に部屋の霧の密度を増やしてぽつりぽつりと語りだす。
「……私はね、ヴィンセントさん。神秘に成るには心が弱すぎたのよ。ブライスという友達を、私は思い出せない。
それなのに、どうしょうもない悲しみが私を満たしている。
もう、世界が滅んでしまってもいいんじゃないかと……そう思ってしまう程に」
今の彼女を蝕んでいるのは、神秘に成る原因となった感情。
そして、魔人であることから生じた記憶の蓋だ。
これは彼女自身の問題であり、ニコライのような同僚ですら解決できないので、ヴィンセントにはどうしょうもない。
だが、彼は呼吸が荒くなって頭を押さえたかと思うと、ふらつく足でその場に踏みとどまりながら笑いかける。
「大丈夫ですよ。未来のあなたは、ちゃんと笑ってます」
「……あなたこそ大丈夫? 具合が悪いようだけど」
「…………!!」
「痛っ……!! だ、大丈夫だって少し使うくらい。
だから殴らないでフー」
「…………!!」
「や、やめ……!!」
ヘーロンがそんな彼を心配そうに見つめると、さっきと同じようにフーは彼を非難しボカボカ殴り始めた。
ヴィンセントが能力を使うのはもう3回目であるため、流石に今回はフーも我慢ならなかったらしい。
彼がやめるように言っても、それがどれだけ良くないことかを思い知らせるように叩き続ける。
それを見つめるヘーロンは困り顔だ。
「えっと……私がここにいる理由はそういうことです。
あなた方は何をしに?」
「はぁ……はぁ……俺達は研究塔を片付ける依頼を受けて‥」
「あぁ、その指示をしろということですね」
「はい。頼めますか?」
ヘーロンが話を促すと、ようやく殴られなくなったヴィンセントが息も絶え絶えに用件を伝える。
部外者である彼らは、何をどこに置けばいいかわからない。
だが、ニコライは依頼者だからと監督を拒否し、アトラは片付けられずに寝ていたという実績持ち。
この部屋まで案内してきたアリストテレスは見ての通りだ。
引きこもっているとはいえ、唯一逃げずにしっかり監督できる人物としては、ヘーロンが最適なのだった。
「私はここから……」
しかし、当のヘーロンはそれに否定的だ。
片付けの監督をすることというよりは、この部屋から出ることに対してではあるが、ともかく彼女は困り顔で言い淀む。
すると、それを見たヴィンセントはにっこり笑ってパーティの予定を話し始めた。
「……俺達、どうせならホワイトクリスマスがいいなと思って、この国に戻ってきたんです」
「はぁ……」
「あの戦いの後、この国の降雪量は減ってますよね。
だけど、この部屋の蒸気が空に溜まれば‥」
「雪が降ってより楽しめるって?」
「はい。それにフーやリューなら、街に影響出さずに空へ飛ばせますから。……外に出て気晴らしをすれば、見えてくるものも変わりますよ」
彼らの予定するパーティ……もとい理想のパーティの話を聞いたヘーロンは、徐々に表情を和らげでいく。
害にしかならなかった自身の霧が、ヴィンセント達にとっては有益になるというのだ。
彼女が外に出ることで起こるはずだった街への影響も、彼らがいることで無くなるというのなら、断る理由はない。
ヘーロンは多少晴れやかな表情になって、彼らの頼みを受け入れた。
「ふふふ……えぇ、わかったわ。引き受けましょう。
この霧が暴走し始めてから、飲まず食わずでここにいた。
そろそろ……制御できるように向き合わないとね」
「その意気です」
彼女の答えを聞き、ヴィンセントも嬉しそうに微笑む。
この間にすでにヘーロンも立ち上がっているため、掃除の話歩きながらだ。
「だけど、私とあなた達だけで片付けるのは大変ね……」
「そうですか?」
「……あなた、実は頭がおかしいのかしら? ……まぁいいわ。
塔にはまともな人間が少ないけれど……」
ケロっとしているヴィンセントに呆れるヘーロンは、呼べる助っ人を思い浮かべながら、数週間ぶりの外へと踏み出した。
なんだこの人……(困惑)
オタクと言っていいのか、とりあえずまだ本編に出てなくて今回も出番が少ないくせに、テレスさんが濃すぎる




