9-透き通る氷像
「はぁ……!! 精神疲労、やっばい……」
なぜかアトラに連れて行かれた星見の塔で、彼女とテレス・シュテルヴァーテとのカオスなやり取りを見せられてから、一時間弱。
マキナの3人弟子の2人目に会えたこともあり、陽葵は逃げるように研究塔を訪れていた。
躊躇した前回と同じく、もちろん目的はマキナに会うこと。
しかし前回と違って、この塔の管理者達――ニコライやアレクとの面識、その協力で検査などの約束もあるため、彼女はあまり臆することなくそこに足を踏み入れた。
「アレクさーん、ニコさーん、いませんかー?」
研究塔に入った陽葵は、知り合いの名前を呼びながら塔内を闊歩する。上に伸びていく塔であるため、中は家がいくつも収まるほどに広いが、1階でも部屋はあるので見通せるのは一部分だけ。
その一部分ですら、部屋から溢れ出した機械類や箱が立ち並んでいるので、声が響きすぎることはない。
彼女は無人の受け付けの前で、辺りを見回しながら声を響かせ続けた。
すると……
「おーす、白雪陽葵!! ニコライさんとアレクさんをお呼びかい? 俺も、一応研究塔の人間なんだけどなぁ?」
奥のエレベーターから、白衣を羽織った赤い髪の男が元気よく手を振りながら現れた。
口ぶりからすると、どうやら陽葵が来ていたことや口に出していた内容は知られていたようだ。
セドリックのことはすっかり頭から抜けていた様子の陽葵は、ドアが開くと同時に轟いた声に飛び上がってしまう。
「わぁ、セドリックさん!? あはは……たしかにそうだね。
でも、あの2人は上層部って感じじゃない?」
「俺は下っ端ってか!? おう、その通りだぜ!!」
前回会った時は白衣を着ていなかったため、研究塔に所属している人だと結びつかなかったセドリックだが、特に仲が悪いとか関係性が薄いという訳では無い。
出くわしてすぐに軽口を言い合う彼女達は、長年の友かのように笑い合っていた。
「それで、あの2人に何の用だ? 今忙しいかとかは把握してねぇけど、気にせず案内するぜ!」
「えぇ……いいの、それ?」
「いいっていいって。お前らは人間とは少し違う、別の枠組みなんだ。同族として、お前を優先するだろうさ」
「あはは、じゃあお願い」
「任せな!!」
ひとしきり笑い終わると、暇であるらしいセドリックは軽い調子で案内を買って出る。会いに行く相手の都合を無視しているため、若干尻込みする陽葵だったが、彼の言い草に納得してエレベーターに向かっていった。
~~~~~~~~~~
「最近、また巨人が活発になってきていまして……」
「鉱山は……まともに……機能せず、か……」
「はい。それと、雪による破損も悪化してますよ。
この国の氷を溶かす以前の問題で……おや?」
セドリックに案内された陽葵が通されたのは、神経質なほどにきっちり機械類が並べられた部屋。
いくつかの検査機器の前で、見知らぬ科学者と話しているニコライのもとだった。
書類に目を落としている彼らは、難しい顔で色々な問題について相談していたようだが、セドリックに連れられた陽葵に気がつくと顔を上げる。
すぐに笑顔を浮かべる彼は、見るからに忙しそうだったが、セドリックが言っていたように彼女の方を優先するつもりのようだ。
見知らぬ科学者の前に立って視界を遮りながら、にこやかに挨拶をする。
「やぁ、陽葵くん。どうかしたのかな?」
「こんにちは、ニコさん。えっと、さっきアトラに星見の塔へ連れて行かれてたんですけど、耐えられなくて……
それよりは、検査とか受けた方が有意義かなって」
「なるほど……テレスとアトラか。あれはどちらもなかなかの曲者だからな。仕方がないだろう。……ふむ。テレスに会ったということは、マキナ様に会う覚悟もできたのかな?」
陽葵の要件を聞いたニコライは、彼女が巻き込まれたという天文学者の師弟のことを思い浮かべたのか、渋い顔をする。
アトラはサンドイッチに拒否反応を示していたが、ニコライはニコライで彼女に嫌な思いをしているらしい。
耐えられないとの言葉に深くうなずいてから、先日話したマキナ・サベタルの3人の弟子……そのうち会える2名に会ってから来ていること、躊躇わず来たことから覚悟を問う。
「そう、ですね……私は、彼が作ったという街のものをたくさん見ました。ニコライさんとテレスさんっていう、その方に最も近い方にも会いました。心の準備はできたと思います」
「よろしい、ならば紹介しよう。この方が、ガルズェンスの国王にして科学の灯を絶やさなかった偉大なお方。
マキナ・リー・サベタル様だ」
陽葵がその問いかけに頷くと、ニコライはまたたく間に身を翻して背後の科学者を前に出す。
どうやら、わざとらしく彼を隠していたのは陽葵に配慮してのことだったようだ。
「……マキナ……サベタル……科学者だ……
リーの名は……捨てている……ただの……マキナ・サベタルだ……
ニコライ……呼ぶのは……やめなさい……」
マキナ・リー・サベタルと紹介された男性は、ちらりと陽葵を見ると、生気のない顔でぼんやりとしたままポツポツと自己紹介を始める。
覇気のない話し方は元からなのだろう。
しかしそれを踏まえても、ニコライに紹介されたため、嫌々ながら名乗っているという感じだ。
とはいえ、その老いたような話し方が見た目にも反映されているかといえば、そうではなかった。
他の科学者と同じく白衣を羽織った彼は、腰が曲がっているということもなければシワだらけの顔ということもない。
目は虚ろであるが、それ以外の部分では、科学文明の時代から生きてきたとは思えないほどに若々しかった。
「王として紹介するのであれば、やはりリーという名はあった方がいいでしょう? いくら決別しているとしても、王に変わりはないのですから。それに、彼女も神秘ですからね」
「……リー?」
挨拶を終えたマキナは、すぐに書類に視線を落とす。
もう私は関係ない、もう関わりたくないといった雰囲気だ。
しかし、陽葵が会いたがっていた理由は話したいからであり、これでマキナへの用が終わった訳では無い。
それを知っているニコライは、捨てたと叱られたリーについて深堀することで、その意識を再び自分達に戻した。
ニコライの申し立てを聞かされ、陽葵の不思議そうな目に晒されたマキナは、虚ろどころか死んだ目になって呼びかけに応じることになる。
「リー……は、リー……私にとっての……意味ではない……」
「すまないね、陽葵くん。私も以前エリュシオンからの使者に聞いたことがあるだけで、詳しい意味は知らないんだ。
しかし、これは紛れもなくこの方が王として認められている証。現人神に認知されている証だよ」
「なるほど……すごい方なんですね」
「もう……いいかね……?」
リーという名についてはニコライが話したことで、マキナは書類をまとめてこの場から去ろうとし始める。
だが、彼がまとめ終わる前に陽葵が声を足したことで、親切にもまた彼女に向き合うこととなった。
死んだ目で見つめられる陽葵は、流石に少し怯えながらも、聞きたかったことについてを大切に紡いでいく。
「あっ……えっと、科学文明に何があったかとか、私の知り合いがどうなったか聞けないかなって思うんですけど……」
「……何が……白雪陽葵の、関係者……」
マキナは不安そうに口を開く陽葵を見つめると、それらの単語をポツポツとオウム返しする。
面倒くさそうにしながらも、ある程度は彼女を慮っているのかもしれない。
「地球は……間違えたのだ……人の生むエネルギーが……星に敵う訳がないというのに……それ故、天からの光に……地球は洗われた……君の、関係者については……私が、知る由もない……
現代まで生きている者には……恐らく、いない……
であれば……あの時代に、洗い流されたことだろう……」
しかし、実際に口に出された言葉は冷たかった。
辛うじて彼が伝えられることなのかもしれないが、彼女が願っていた可能性を真っ向から否定した。
彼の言葉を聞いた陽葵は、かすかな希望が潰えたことで辛そうにしながらも、気丈に笑う。
「……これから、どうするんだい?」
無言で去っていくマキナを見送った後、陽葵の傍らに悲痛な面持ちで佇むニコライは、気遣うように問いかける。
過去には戻れない。現代に友が生きている希望もない。
未来は考えるまでもない。そんな陽葵に、寄り添うように。
だが、神秘に成ってしばらく経ったこともあるのか、どこか吹っ切れた様子の陽葵は痛々しい笑顔で笑う。
「とりあえず、ニコさんの検査を受けますよ。
……明日は、ソンさんを誘って狩りに行こうかな。
巨人と氷煌結晶、任せてください」
「そうか……すまないな。感謝する。……そういえば、確か君は魔人だったな? 記憶の蓋ができていたりするだろうか?」
「記憶の、蓋……?」
「つまりは、自分に起こったことを覚えているかい?」
「私は……あの時代になぜか凍りついて、偶然溶けたところをアトラに拾われた……? 運が、よかったんですかね……」
「……そうか。では、検査を始めよう」
念の為ニコライが確認すると、陽葵は覚えている限りのことを彼に伝える。その内容は、科学文明と現代にわたるものであるためか概ね正しい。
しかし、父親にコールドスリープ状態にされたという原因については忘れてしまっているようだった。
その答えを聞いたニコライは、難しい顔をしながら彼女を促し、検査を開始する。
血液検査、毛髪や皮膚の採集などを行い、最終的に四角い箱に入って行われる神秘の計測なのだが……
「……えっと、何これ?」
「観光本のようなものだね」
「そ、そう……」
なぜか観光ガイドを渡された陽葵は、戸惑いながらも箱の中に入っていった。




