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ベイツ――“米津雄介”。もしこの名前をエンドウやアオイたちが聞いていたら、心当たりのある名前だと言うだろう。4年前に日本に住んでいたなら間違いなく耳にする名前だったからだ。
関東圏無差別連続殺人事件。この事件は5年にわたり一人の殺人犯が30名以上の殺人を行った過去類を見ない凶悪性でセンセーショナルなニュースとなった。この殺人事件の特異性は、被害者に一切の共通点がなく、どれだけ米津が有利に殺人を行えるか、その1点のみであった。
米津――ベイツは警察に捕まり聴取を受ける中で、動機をこう口にしていた。“この世界にいることに違和感があった”と。少年のころから自分がなぜここにいるのか“違和感”を感じ続け、その代償行為として殺人に及んだと。
その意味不明な自分勝手な動機に、当時の世間は非常に盛り上がった。ニュースや新聞でベイツのこれまでの人生について大きく取り上げられた。しかし半年も経てば報道は沈静化していき、死刑判決が決まった2年後にはもはや普通のニュースとしてしか取り上げられなかった。
――そして、4か月前。死刑が執行されたときも、特に大きな報道はされなかった。
× × ×
コニールはベイツの行動を読んでいた。避難所にいる人間が動き出せば必ず襲撃を行ってくること。そして外では無くこの避難所から襲ってくることもわかっていた。避難の列を尾をつつくことで、後ろから前へ突き上げるパニックを起こし、魔物が跋扈する外で制御不能の状態を作ろうとしたのだろうと。
その読みは正しかった。そしてコニールが避難所で戦うことを選んだ理由はもう一つあった。コニールは近くの机に立てかけてあった“あるもの”を手に取る。
「くら……え!!」
コニールは弓を構えると、天井に立っているベイツに向かって矢を射る。ベイツはそれを避けるが、コニールは二の矢三の矢を準備してベイツを狙い続ける。
「お前が重力を操って動こうが、この距離なら矢は重力に負けずに進み続けるぞ!」
騎士の訓練の一環で、コニールは弓の使い方をある程度は習得していた。本職には及ばないが、それでも戦闘に使えるほどの実力はあった。弓は避難所に元々置いてあったものを使用していた。魔法学校ではあるが、教材で魔物を使うことがあるためか、万が一の時の武器が学校に用意されていたのであった。
「くっ……!」
対してベイツは歯ぎしりをしながらコニールに狙いをつけさせないために天井や壁を動き回る。コニールがここで待ち構えていたもう一つの理由について、ようやく理解していた。高さ5mほどのこの間取りでは、仮にコニールを上に落としても致命傷にはならない。横に落としても机や壁など、手に取って体勢を立て直すための障害物が多くある。コニールはベイツの能力を完璧に理解した上で対策をとっていた。
「これが……能力がバレるということか……!」
ベイツは自分の能力を知っている相手と戦ったことがない。重力を操る能力はまだ手に入れて1日も経っておらず、動きを止める能力は使うときは相手を殺す時であり、そもそも今まで“趣味”でしか使ったことがなく、戦闘で使ったことはなかったからだ。
「だから言ったろう素人だってな! お前は絶対的に戦闘の経験値が足りないんだよ!」
コニールは更にベイツに向かって矢を射っていく。ベイツはとうとう避けるのも困難になり、ナイフを取り出すと、自分に向かってきた矢を切り落とす。それを見てコニールは息を飲んだ。
「さらっと超人的な動きをして……! 普通人間じゃ無理だからなそんなこと……!」
異邦人のでたらめな身体能力はコニールも理解している。コニールはここまで対策を積んでおきながらも、自分が有利だとは全く思っていなかった。――いや、ここまでやって尚、自分が圧倒的に不利だとわかっていた。
そしてベイツの表情が一変したのが、矢を切り落とした直後だった。しばらく呆気にとられた表情をしていたが、何かに気づいたのか唇が上に吊り上がっていく。その顔を見てコニールは冷や汗が流れた。
「気づかれた……!」
ベイツは壁を歩き始めると、観察するようにコニールの周りをグルグルと回る。コニールももう矢を射ることはなかった。残りの矢の数があと5本ほどで、無駄遣いができないから――ではない。もう矢を射ることが無駄だとわかったからだ。
「そうか……そうかそうかそうか……そういうことか……!」
ベイツの楽しそうな声を聴いて、コニールは舌打ちする。そういうことだよ。お前は私より圧倒的に強いんだ。コニールはベイツを素人と判断した。それは間違いではない。ベイツは本当の意味で今まで戦ったことはなかった。この世界に来てからも何度か殺人を犯したが、どれも戦いと呼べるものではなかったからだ。
そして異邦人としての力を使っても、容易に制圧しきれない相手と当たり、そしてその上でベイツは自分がどれだけの力を持っているか、その“ものさし”を測ることができた。――そして理解した。自分は強いのだと。ベイツはコニールに頭を下げながら言った。
「……礼を言おう。私が今まで会ってきた者たちの中で、お前……いや貴女が一番強かった。まさか異邦人でもないただの人間に、ここまで手こずるなんて思ってもみなかった」
「はっ……。なんだそれ? カッコつけてるつもりか?」
急にかしこまったベイツにコニールは心底呆れたように返した。
「言っておくと確かに私は強いが、お前が今まで苦戦したことないのは単に弱い者しか狙って相手にしていないからだろ。それをなんだ?なんかいい感じに私が強かったとか賞賛する雰囲気を出して、自分が苦戦したのはさも当然であったとかで理由付けでもしたのか?」
図星を突かれ、ベイツの顔が凍り付く。そして今度は歪んだ笑みに変わった。
「そうか……そんなに死にたいか!」
次の瞬間、机や椅子がコニールに向かって“落ちて”きた。コニールはそれを避けるが、そのコニールの避けた先にベイツは能力の準備をしていた。落ちてきた机に対しての回避行動をとっていたコニールは、ベイツの重量操作を避けることはできなかった。
「さぁ……落ちていけえ!!!」
コニールは足の接地感が無くなり、そしてすぐに自分が落ちていく方向を確かめる。天井かもしくは奥行きがある踊り場の方へか。しかしそれらの予想を裏切り、コニールが落ちていったのは、さほど距離がない窓側の方だった。
「これなら……減速しながら着地すれば充分に安全が確保できる……」
確かに天井に落としても踊り場に落としても、コニールはどちらも対策を施しており効果は薄かった。しかし窓側に落としてもコニールはそちらでも対策を行っていた。事前にガラスの強度については確認をとっており、勢いをつけすぎなければ乗っても割れないくらいの強度があることはわかっていた。
コニールは落ちながらも地面に固定されている机に手を駆けながら減速していく。そして窓に着地する――はずだった。
「……はっ!?」
――着地地点がない。コニールはそのまま窓を突き抜けて学校の外へと落ちていく。落ちながらコニールは自分がすり抜けた窓を見上げて気づいた。
「あれは……あの異邦人が侵入したときに蹴破った窓……!」
コニールは植えられている木に身体をぶつけながらひたすらに落ちていく。速度がつきすぎてもはや受け身を取ることすらできず、全身を強打していく。そしてようやく木の枝に引っ掛かって止まったころには、腕と足が折れており、更に身体の何か所を強く打ち付けて全く身動きが取れなくなってしまっていた。
「……どうだ?お前の言う“素人”の割には、だいぶ考えられているだろう?」
追いついてきたベイツが勝ち誇った顔を浮かべながら枝に引っ掛かっているコニールを見上げていた。そしてベイツが指を鳴らすと、コニールの重力異常が解かれ、コニールは地面に落ちていく。その際にも全身を強打したが、コニールはすでに痛みに反応できるほどの体力もなかった。
「ガホッ……! 確かに……考えたな……。完全に盲点だったよ……斜めにも落ちるなんて……
」
コニールは今の自分の位置と、突き破っていった窓の位置関係を見ていた。窓から垂直ではなく、斜め方向に落ちて行っており、割と研究棟の外れの方まで来ていた。コニールが足場について誤解したのはこれが原因だった。避難所の落ちる方向について縦横4方向しか考えておらず、斜めに落ちていったことで着地点を見誤っていたのだった。
ベイツは息も絶え絶えのコニールを見下ろした。――正直ここまで美しい人間に出会ったことがない。この世界は日本と比べて整った容姿の人間が多い印象であったが、それを加味してもコニールの容姿は今まで見たことがないほどの印象を与えた。
「……たまらないな」
ベイツのその呟きと目線を見て、コニールは最悪の予感が背すじを流れた。動こうにももはや全身に痛み以外の感覚はなく、手も足も折れているため立ち上がるのは不可能だった。
「がっ……! こいつ……!」
「ははは……これは……!」
ベイツはコニールの衣服に手をかけ、強引に破こうとする。コニールは抵抗はするが、動くことができずじたばたすらもできない。しかしベイツはその反応すら鬱陶しがって、コニールの顔面に殴打を入れる。
「少しおとなしくしてろよ! 用が済んだらちゃんと殺してやるからよ……!」
「ぐ……!」
元騎士ということもあってここで叫び声を上げることはなかった。しかし恐怖は抑えられるものではなく、目に涙が浮かび表情はできるだけ変えないようにしながらもただ空を見るしかなかった。――そして何かがコニールの視線に入った。
「……なんだ?」
その異様な“何か”を見た違和感が、恐怖よりも勝りコニールの反応が止まった。そのコニールの突然の変化を見て、ベイツもコニールの視線の先を見る。
「一体何が……?」
ベイツもコニールが視線に捉えたその“何か”を見つけた。学校を囲う光の壁に照らされた夜空に、何か黒い影が映っているのが見えた。影は何か大きなものが一つ、そしてそこから小さい影が3つ飛び出してきていた。――そのうちの一つがベイツたちの真上に速度をつけてやってきていた。
「うおおおおおおお!!!」
その影から何か叫び声が聞こえ、コニールはその声を聴いて安堵の呟きを漏らした。
「まさか……ユウキ君!?」
もはや視認できるまでにその影が近づいてくると、ベイツはその影が何なのか判別がついた。黒いマントを羽織った少年が、申し訳程度のパラシュートを背負い、すごい速度で迫ってきていたのだった。
「コニールさん!!!」
そのマントを羽織った少年――ユウキはその速度のまま地面に着地し、衝撃で周囲に土埃が舞いあがり、木から木の葉が舞い散る。そしてユウキの右手から大鎌が出現すると、それらを切り払って視界が開けた。そこから現れたユウキの表情は怒りに染まっており、ベイツに大鎌を向けながら啖呵を切った。
「この野郎……!ぶっ潰す!」




