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授業が終わると、クラスメイトの大半がアオイの周囲に寄っていく。アオイが控えめに言って美少女であること、そしてなにより“ロマンディの姓を名乗っていることが生徒たちには興味の的だった。
「ねーねーロマンディってあのロマンディなの!?」
アオイの横にいた女の子が尋ねると、アオイは照れながら答える。
「うん……。でも血が繋がってるとかじゃなくて、養子なんだよね。いまこの学校で教授として勤めてるセシリー・ロマンディさんの」
「ほんと!? あのセシリー先生と!?」
アオイの言葉に周囲のどよめきは更に大きくなった。セシリーの名はこの学校では当然有名であった。ロマンディの名に恥じぬ聡明ぶりであり、何より教え方が非常に上手であり生徒からの評判も良かったからだ。――そしてシーラの母親でもあった。
「ごめんね。まだこっちに来たばかりで手続きとか色々あるから……いったん出るね」
アオイは席から立ちあがると、クラスメイトに手を振って教室から出ていく。そしてその様子を見ていたケンイチは大きく身体をのけ反って背を伸ばした。
「うーん……まさかの転校生だったか……。結構この学校転校生多いから珍しいことでもないけどさ。同じクラスとはね」
「そうね」
ミクは相変わらず不機嫌そうであった。ケンイチはその理由がわからずに、ただただ困惑するだけであった。
× × ×
教室を出たアオイは、教授が常に詰めている研究棟にやってきていた。そしてそこの4階にある部屋の扉をノックする。そしてノックしてすぐに扉の奥から返事が聞こえてきた。
「は~い」
扉越しでもわかるおっとりとした声だった。そして扉があけられると、そこにはその声からそのまま想像できるような優しい笑みを浮かべた女性が立っていた。
「あら~! アオイちゃんじゃない~! 入って入って! すぐにお茶の用意もするから~」
「え……ええ。ありがとうございます」
アオイはたじろぎながら返事をする。いつ見てもその見た目には慣れなかった。栗毛の長い髪にどこかで見たことあるような顔付き――しかしその表情はアオイの記憶では全く見たことも無いような穏やかな表情を浮かべていた。その表情や“シーラ”よりも遥かに豊かな身体付きを除けば、目の前に立つシーラの母親であるセシリーとシーラは雰囲気がよく似ていたからだ。
「どうだった~今日1日の学校は」
セシリーはお茶の準備をしながらアオイに話しかける。アオイは席に座りながら、なるべく当たり障りのない言葉を選んで答えた。
「ええ。色々と案内とかなんだとかあって、授業を出たのは一つだけでしたけど……」
「そうなの~じゃあ明日からが本番てわけね」
「は……ははは。そうですね」
アオイはぎこちなく答えた。やはりセシリーを見ていると、どうしてもシーラが頭に浮かぶからだ。セシリーはお茶の準備を終えると、アオイの正面の席へ座り、お茶を出す。
「……“お祖母ちゃん”から聞いたわ。あなたが今噂の異邦人だって」
「……ええ」
セシリーは自分の祖母――ディアナのことについて言及した。アオイがこうしてセシリーと会えていることや、ロマンディの姓を名乗っていることはディアナの紹介があったからであった。
「ディアナさんにはこちらの世界に来た時にお世話になりました。そしてわざわざセシリーさんへの紹介状も書いていただいて……助けていただいて本当にありがたいです」
「私もお祖母ちゃんから手紙が来た時はびっくりしたわよ~。あなたが困っているから助けてあげてほしいって。もう隠居して久しいから、そんなお願いをしてくるなんて、よほどあなた達が心配なのね」
「ええ。ディアナさんにここまでの旅の資金を出していただいたり、魔法の基礎を教えていただいたりしましたし、本当に親切にしていただきました」
アオイはシーラの名前を一切出さなかった。それはシーラから頼まれていたことでもあった。
「そうね~。初めてあなたの魔法を見させてもらった時も、学んで1か月も経っていないとは思えないほど、しっかりとした魔力が練れていたからびっくりしたわ。流石にこの学校で1番とはいかないけど、それでも同学年の子たちと比べても、あなたより魔力を練れる子は少ないんじゃないかしら」
「あ……ありがとうございます」
アオイはこそばゆい感覚が背中を流れていた。結城葵のころから、運動も勉強もできたためしがないので、こんなに褒められたことはなかったからだ。つくづくエルミナ・ルナに来てよかったと思う反面、そういう考えが脳裏をよぎることに心が冷えていた。――ただの貰い物の力で、得意げになるなと心の奥底のもう一人の自分が囁くのだった。
「今日はこれからどうするの?」
セシリーはアオイに尋ねる。
「そうですね。まだ寮の部屋が片付け終わってないので、お弁当をもらったら部屋の片づけに集中しちゃおうかと。明日も授業ですしね」
「そう~。明日は私の授業もあるから、その時にまたお話しましょうか」
「はい。今日のうちに部屋も片付けちゃいますから、明日は時間をとれるようにします」
「じゃあよろしくね~」
「わかりました。お茶、ごちそうさまでした」
× × ×
アオイは研究棟を出て寮へと向かう。学園都市エルメンドの中でも一際大きいこのストローズ魔法学校は、その敷地も広大であった。校舎がまず4万平方メートルとおおよそ東京ドーム1つ分の大きさであり、学校の敷地をすべて含めるとおおよそ12万平方メートルもあった。
そしてアオイはまだこの学校に来てから1日しか経っていなかった。校舎から研究棟に向かう分には導線が敷かれていたため何とかなったが、ここから寮に向かう導線は用意されておらず、そして案の定道に迷ってしまっていた。
「しまった……ここどこだ……」
いつの間にか校舎裏の方に来てしまっていたのか、辺りは薄暗く、そして人の気配も消えていた。ここから単純に校舎に入れればいいのだが、その校舎の入り口も付近には見当たらなかった。
「無駄に広いからなんだか不気味だな……。さっさと戻らないと日が暮れちゃう……」
「おい」
アオイは後ろから声をかけられ、ビクッと震えながらも振り向いた。そこには複数人の男子生徒がおり、学年を示すバッジはそれぞれバラバラであったが、見たところ6学年から5学年の生徒の割合が多かった。アオイは若干嫌な予感を感じながらも、それを感じさせないように努めて明るく話しかける。
「よかった~。道に迷っちゃって……。寮に戻るにはどうしたらいいですかね?」
しかし男子生徒たちはアオイの質問には答えずニヤニヤと笑うばかりであった。そのうち生徒の一人がアオイに声をかける。
「なぁお前名前はなんていうんだ?」
その知性を全く感じさせない声を聞いてアオイは後ろに目を配る。しかしいつの間にか残りの男子生徒たちがアオイの退路を塞いでおり、気づけば周りを囲まれていた。
「……アオイって言います。6学年で、今日転校してきたばっかです」
「へえ~……アオイちゃんて言うのか。すっごい可愛いじゃん」
男子生徒の一人がアオイに馴れ馴れしく手を伸ばそうするが、アオイはその手をはたいた。そして手をはたかれた生徒はあからさまに切れてアオイを睨みつける。
「ああん!?なんだよおい!俺はただ手を伸ばしただけだろ!?」
「はは……。全くあのデブ……イサク……様で一度経験しといてよかったというか……。こっちの世界に来て早々こんな目にあってたらパニクってたな……」
「なにごちゃごちゃ言ってんだよああん!」
男子生徒たちはアオイを取り囲み、そしてその円が徐々に小さくなっていく。アオイはこの学校に来る前はエリート校とは聞いてはいたが1000人以上も生徒がいるなら、この手の不良も当然の如くいるのだろうと、今更思い返していた。
「……ま、この程度じゃ動じなくなってる自分が、ちょっと怖いけどね」
人気のない校舎裏で、ざっと8人くらいの男子生徒に囲まれたこの状況、自分が仮に“男”だとしても、かなりの恐怖を感じていただろう。そして今は“女”であるなら尚更だった。――しかし、アオイは至極冷静だった。
「……ひとつ」
「は?何言ってんだお前」
ボソボソと呟くアオイに男子生徒たちはアオイを舐めくさりながら尋ねる。対するアオイは得意げな表情を浮かべながら男子生徒たちに言った。
「ひとつ、先に言わせてもらうわ。……ちょっと重い怪我をしても、自己責任だからね!」
アオイは突如背後を振り向くと、後ろにいた男子生徒一人に右手を向けた。
「ドナール!」
アオイは雷魔法を唱えると、右手から雷が飛び出し、男子生徒の一人に直撃する。防御することもできずに雷魔法をくらった男子生徒は、身体を痙攣させた後、力を失って倒れた。急にアオイから攻撃魔法が飛んでくると思わなかった男子生徒たちは、ビビッて身体を硬直させてしまう。そして今のアオイならその隙を見逃すことはなかった。
「じゃあね!」
できた隙間をアオイは駆け出して逃げていく。男子生徒たちはアオイが動き出してしばらくしてようやく我に返り、逃げ出したアオイを追っていく。
「待ちやがれ!」
「ああ……追ってくるのね……」
アオイは次に取るべき行動を考えた。魔法で撃退するか、瞬間移動の能力を使うか。しかしこの学校の中ではギフト能力を“使用しない”ようにすると、事前の話し合いで決めていた。アオイがこの学校に来た“目的”を阻害しないために。
「じゃあ……魔法で倒すしかないか……!」
アオイは足を止めると、次の魔法を出す準備を行う。先ほど目の前で仲間がやられたこともあり、男子生徒たちはビビッて足を止める。そしてそれを見計らってアオイが次の魔法の準備をしようとしたその瞬間――二つの影がアオイの目の前に現れた。
「おっとそこまでだ不良共!」
「あんまり気乗りしないけど、女の子を囲むのはもっと気に食わないからね」
「あなたたちは……?」
アオイは目の前に現れた2つの影に動揺しながら声をかける。その2つの影はアオイの方へ振り向くと、人数差をまるで感じさせない笑みで言った。
「さっきのクラスで一緒だったケンイチだけど、君は俺の事覚えてるかなアオイさん」
「たまたま校舎裏に来たらこんな事になってたからね。……あとは私たちが何とかしてあげるから」
ケンイチとミクの二人はアオイを庇うように男子生徒たちの前に立ちふさがっていた。男子生徒たちもアオイからの急襲による衝撃から立ち直ってきたのか、それぞれが杖を出して魔法を使う臨戦態勢を整えていた。
「ふざけんじゃねえぞてめえら! なんだか知らねえけどよお!」
8対3の状況にも関わらず、ケンイチとミクは一切不安がる様子も見せず、逆に相手を気圧すように言い放った。
「さて……怪我はさせないように気をつけないとな」




