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「はい?……い、いや~聞こえなかったな。姉さん、なんて言いましたかね今」
シーラは震えた声でアオイに尋ねる。コニールも同様に表情が固まっており、愛想笑いが顔に張り付いていた。しかしアオイの方も真剣そのものであり、先ほど決した決意のまま、言葉をつづけた。
「だから! ……その生理的現象というか! 絶対あるでしょ二人だって! その……そういう時がさぁ!」
シーラとコニールは互いに凍り付いており、風呂に浸かっているにも関わらず冷たいものが背筋を這う感覚を味わっていた。
「いや……そのだいたいのことには答えると言ったけども……許容できるだいたいと遥かに越えて行っているというか……」
コニールはゴニョゴニョ言いながら顔を湯の中に沈めていく。シーラも殆ど同様であり、他二人に目線を合わせないようにそっぽを向いていた。
「というか姉さん……男だってその……どうやってシ……うん……処理してるか言いあったりしないでしょう……」
「いや……よく何々をオカズにしたとか、どんなことやったとか言ってるのは聞いたことあるけど……。ってそうじゃなくて! 私の場合は色々特殊なんだよ! 元々男だったせいで、正直どうすりゃいいのかわからんのよ!」
アオイは逆ギレ気味に返答する。シーラとコニールも気持ちはわからなくないので邪険にはできないが、かといって答え方にも困り、言葉を失っていた。そしてコニールが黙っているうちにシーラが先手を取って発言する。
「ま……まぁほら、ここは私たちよりよっぽど大人なコニール先生に任せましょうか」
「はぁ!? ……あ! こいつ……!」
先手を打って自分にすべてを擦り付けてきたシーラに、コニールはしかめ面を浮かべながら睨む。しかしアオイの悩みも切実なものであり、コニールに助けを求めるまっすぐな視線が向けられ、コニールは退路が塞がれてしまった。
「くっ……うぐっ……!」
確かに答えられる。答えられるが――どう答えても変態の誹りを免れ得ない気がしてならない。しかし――。
「わ……わかった! わかったよもう!」
コニールはお湯から上がると、椅子に座っているアオイに近づいていく。
「た……ただ、私のこと変な目で見ないように! わかった!?」
コニールに凄まれ、アオイは冷や汗を流しながら頷いた。
「は……はい……」
「じゃあ……その……」
コニールはアオイの身体に手を伸ばす。急な刺激にアオイは声を漏らしてしまう。
「あっ! ……おわっ……! え!? コニールさん……ちょ……!」
「いや……知りたいって言ったのは君だろう……? なら手を抜かずに……いや抜くのか……」
「そういうギャグは求めてな……んっ!?」
「求めてるのか求めてないのかどっちなんだい……?」
コニールの講義が始まる中、シーラは大人しく風呂から上がってさっさと退散するつもりだった。しかし目の前で繰り広げられる修羅場に、シーラは目を離すことができず、動くことができなくなっていた。
「嘘……!? ちょっと待って……!? いや……やばいっしょこれは……!?」
シーラにそっちの趣味はなかったが、15歳のシーラに刺激が強すぎる映像が目の前で流れていた。気が付くとシーラも無意識にコニール達の方へ近づいており、間近でガン見していた。
「うわっ……えっ……そんなんありなの……」
そしてアオイはふとシーラの手を掴んでしまう。シーラはビクッとして離れようとするが、もう腰が立たなくなってしまっていた。
「シ……シーラ……」
「ね……姉さん……?」
顔を真っ赤にして身体を寄せるシーラにコニールは優しく声をかける。
「……シーラも一緒に来る?」
――本来ならさっさと立ち上がらなくてはいけない。そう思うシーラだったが、もはや身体と脳の支配体系は崩れてしまっていた。
「は……はい……」
そしてシーラも本能に溺れてしまった。
× × ×
――そして30分後に三人は風呂から上がってきた。とっくに上がっていたユウキは浴衣に着替えて風呂の入り口前で3人を待っており、安楽椅子に座りながら氷で冷やしたサイダーを飲んでいた。3人を見かけたユウキは手を振って呼ぶ。
「おーい! なんか随分遅かったな……。俺も結構長湯したはずなんだけど…………待った、お前ら一体どうしたんだ?」
アオイ達は何故か顔を真っ赤にし、しかも何故か妙に距離感が近くなっていた。しかもユウキと同じく浴衣を着てはいたものの、何故か着崩れており、アオイとコニールだけならまだしも、シーラすらもそこにいることにユウキは非常に違和感を感じていた。
「いや、仲悪いとか言うつもり全くないけどさ。……おま……いや、あなたたちそんな仲良かったです?」
たった1時間の間に妙な関係性になった3人に対しユウキは尋ねるが、それぞれが明確な答えを避け、モジモジしているだけだった。
「いや……その……うん」
アオイはまるで男であった過去が一切なかったかのように、女の子のような身体の揺すり方をして、コニールの手を掴む。
「だ……大丈夫……なんともなかったから」
コニールはユウキの顔をまっすぐ見ることができず、赤面しながら顔をそらす。
「うん……コニール“先生”は……何にもしてないよ」
シーラもコニールの手を握りながら普段のぶっきらぼうな態度を全く感じさせない面持ちで言った。流石にユウキもシーラの態度を見て、思いっきりツッコんだ。
「先生!? ……お前ら一体風呂で何やってたの!?」
× × ×
落ち着いた3人は冷たいジュースを飲んで頭を冷やすと(そのころにはアオイ達の距離感は戻っていた)、宿の中をしばらく歩き回る。まだ食事まで1時間ほどあり、部屋で食事の準備を進めるとのことだったので、邪魔にならないように時間をつぶす必要があった。
そして歩いている中、アオイがあるものを見つけ指をさす。
「あ! 見てよユウキ!」
「あん? どうした……ってオイオイオイ! まじか!」
アオイとユウキがあるものを見つけ駆け出していく。急に走り出した二人を呼び止めようとコニールが声をかける。
「おい! 急に走り出してどうしたんだ!?」
二人ともそんなに長い距離は走らず、ある“台”の前で足を止める。その台の中央にはネットが張ってあり、横には“ラケット”と“ボール”が置いてあった。
「コニールさん! これ“卓球”ですよ! 私たちの故郷にあったスポーツです!」
興奮しながらラケットを握るアオイにコニールは疑問符を浮かべて尋ねる。
「たっ……きゅう?」
「うわーっ! 懐かしいー! ラケットは……ペン型しかないのか! 確かこの宿を作ったのって80年前の異邦人だろ? ……ってことは1940年くらいの人間だよな? そんな昔から卓球ってあったんだ……」
ユウキも興奮しながらラケットを握って素振りをしていた。アオイはボールを取り出すと、珍しそうに眺める。
「へーっ……ボールはコルクで作ってるんだ……。プラスチックもないからか……。ラケットもラバーは布を張ってるのね……。こっちの世界で用意できる素材で作ってるわけか……」
「兄さんと姉さんはその卓球ってやつをやってたんです?」
シーラも置いてあったラケットを持って、物珍し気に見ながら尋ねる。
「ああ、地元に安い銭湯があってさ。そこで風呂入った後に卓球できるスペースがあったんだよ。ガキの頃によく行って遊んでたなー……こっちの世界で卓球を見るなんて思わなかった……」
ユウキは答えると、ラケットを持っているシーラの手を持つ。
「ペン型のラケットは文字通りペンを持つように握るんだ。こうやって親指と人差し指で」
ユウキはシーラの指を取り、ラケットの握り方を教えてやる。それと同時にアオイもコニールにラケットを渡すと、同じように手を取ってラケットの握り方を教えた。
「ちょっと一回やってみます?」
アオイは卓球台の片側に立つと、ボールとラケットを持って手を振った。それに応じてシーラがもう片方に立ってラケットを構える。
「わかりましたよ。ただ私初めてなんですから手加減お願いしますよ?」
「わかってるって。まずルールは簡単で……」
アオイがシーラにルールを説明する中、ユウキは近くの椅子に座ってその様子を眺めていた。一旦手持ち無沙汰になったコニールはラケットを握ったまま、ユウキの隣に座る。
「アオイ君も随分元気になったな。……結構あれでもしばらく落ち込んでたからな」
「……ええ。そうですね」
ユウキはコニールの言葉に相槌を打った。イサクを倒したことはアオイも結構思うことがあったらしい。――異邦人を倒すことは、殺すことと変わりないのではないか。シズクとの戦いの時のその疑問を解決しないまま状況が進展してしまい、結果イサクとトスキの2名の異邦人が倒れた。
アオイはイサクの素性を触りだけでも聞いていたらしい。イサクは元々高校生ではあったが、どうも周囲と上手く折り合いが合わず、特に女性に軽蔑されていた事があったと。そしてどうやら進路の選択が上手くいっていない事も仄めかしていた。
相手も同じ人間であるということを、ユウキ達は否が応にも実感させられていた。しかしそれよりもユウキの重傷具合の方が深刻であり、アオイもそれを周囲に感じさせないように無理に明るく振舞っている傾向があったのだった。
「ところで君はやらないのか? アオイ君があんだけ楽しんでいるということは、君もやりたいんだろう?」
コニールはユウキに尋ねるが、ユウキは乾いた笑いを浮かべていった。
「やりたいのはやまやまなんですがね。……多分俺がやると怪我人が出ますから」
「ああ……」
ユウキが自分の力を上手く手加減できないのは、コニール自身が身をもって実感していた。植物を操る異邦人との戦いの際、ユウキが自分を庇うために非常に慎重に行動していた時のことを思い出していた。
「……別に大丈夫ですよ。アオイが楽しければ、それは俺が楽しいんですから」
複雑そうな表情浮かべるコニールを慮るように、ユウキはおどけるように言う。――コニールはここで直感していた。やっぱりアオイとユウキが同一人物であることを。彼らは本当に苦しい時に無理に明るく振舞おうとする。その姿勢にコニールは悲しさを感じていた。
甲高い音が鳴り響き、卓球のボールがアオイの横をを通り過ぎる。顔が固まるアオイをよそにシーラは小躍りしながら喜んでいた。
「姉さん弱すぎっすよ~!これで3連勝ってやつですよね!」
「嘘……シーラ飲み込み早すぎ……」
浴衣がはだけ立ちすくんでいるアオイを見て、コニールがラケットを握りなおして立ち上がった。
「よし!今度は私の番かな!アオイ君、ルールもう一回教えてくれ」
「は……はい……」
自信がすっかり消失したアオイは意気消沈しながらコニールにルールを説明する。汗をかいたシーラは横にあったポットからコップにお茶を注いで飲んでいた。
楽しそうに遊ぶ3人を見て、ユウキは誰にも聞こえないように小さく呟く。
「……いいもんだな」
ユウキのその言葉にはいろんな感情が込められていた。今この時をユウキは絶対に忘れないと、胸に固く誓っていた。




