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ユウキの目の前に現れた老人――そしてシズクから聞いていたオレゴンの領主“だった人物――イサクが剣を構えてドラゴンに立ち向かっていた。ユウキの目線から見てもとうに60は超えてそうな老人であったが、その腕や体つきは明らかに鍛えられたものだった。
「くたばったと思ったが、しぶといなぁトスキ!」
ドラゴンの上からイサクがトスキに対し叫ぶ。その表情は薄く軽蔑したような笑みを浮かべており、対するトスキは歯噛みしてイサクを見上げた。
「貴様に奪われたものを取り返すまで、私は死ぬわけにはいかないのでな……!」
「そうか……」
イサクはにたりと笑いスマートフォンを取り出す。
「じゃあその“大切なもの”をどこまで守り切れるか見ものだなぁ……。なぁ“ラルダイン”」
イサクがその名を呼ぶと、イサクが跨っていたドラゴンが大きく咆哮する。ユウキはその騒音で耳が痛くなっていたが、耳を抑える気力がもうなかった。トスキも耳を抑えていなかったが、それは気力を失ったユウキとは違い、むしろ闘気にあふれた目でドラゴンを見ていた。
「“ラン”……。私は……俺は君を……!」
ドラゴンは尻尾を振り回しトスキ達に攻撃をしかける。イサクは剣でその攻撃を防ごうとするが、ドラゴンの上にいたイサクが魔法を放ち、トスキの剣を弾く。
「ははは! よそ見をしていいのかい!」
トスキは防御することを諦め、尻尾の射程外に離れるために後ろへ下がる。その際にユウキの首袖を掴んで引っ張り、尻尾の射程外へユウキも逃がす。
「ぐえっ!?」
突如首を引っ張られる形になったユウキはトスキに文句を言おうとするが、その文句を言う前にトスキはユウキを引っ張りながら離れていった。
「な……爺さんあんた!」
勝手に自分を連れて逃げ出すトスキにユウキは文句を言おうとするが、顔に何か生暖かいものが流れ、言葉が途中で止まる。
「な……なんだこれ……」
ユウキがその温かいものに触れると、それは血だった。その血はユウキを掴んでいるトスキの腕から流れており、よく見るとトスキの顔色は悪く、息も上がっていた。
「じ……爺さん! もう大丈夫だ! 立ち上がるから!」
ユウキは何とか立ち上がり、引っ張られていた喉を抑える。そしてトスキに尋ねた。
「なんなんだよあんたらは! 急に襲われて、アオイが操られて、挙句の果てにドラゴンに襲われて! 何が起きてるんだ!」
「……あとで説明する。それより少年は異邦人だとは思われるが、何が目的でここまで来たんだ……?」
「……あんたに会うためだ」
「私に?」
「鈴木先輩が、あんたが話の分かる異邦人だからってことで案内されたんだ。……さっき第二世代とかなんとか言ってたけど、俺は全く異邦人の事情についてわかんねーんだよ!」
「鈴木……もしやシズクのことか」
逃げながら話していた二人ではあったが、二人を追いかけてドラゴンが向かってくる。
「このまま逃がすと思ったか! 老いぼれと異邦人狩り、ここで止めを刺せば“報酬”は私のモノだ!」
「くっ!」
イサクが血気盛んに向かってくるが、ユウキもトスキも今は戦うことも――アオイを救い出すことももはや諦めていた。今はこのドラゴンからどうやって逃げるかだけが彼らの最重要の問題だった。
「ダメだ……体中が痛い……」
ユウキはドラゴンに立ち向かおうとするが、身体の痛みに耐えきれずに弱気になってしまう。しかしトスキはユウキの腕を掴んでユウキに尋ねた。
「少年! 君には仲間がいるのか!?」
「……え?」
「ここまで来るのに仲間がいるのかと聞いている!」
ユウキはコクコクと頷く。
「よし……!」
トスキはドラゴンに対し手を構える。
「一か八かだ……! “プロミネンス”!」
トスキが手の先に魔力を集中させた瞬間、爆発が目の前で起こり、辺りが黒煙で包まれる。――そしてしばらくして黒煙を抜け出してきたのは、ユウキとユウキに支えられているトスキだった。
「あっぶねえな爺さん! 目の前であんな爆発……!」
文句を言うユウキだったが、トスキは弱弱しい声でユウキに返答する。
「仕方ないだろう……こうするしか、ランの足を止められなかったのだから……」
ユウキはその声の弱さに不安を感じた。見た目が老人で、よく見るとところどころ怪我をしており、そして今の多大な威力の魔法。明らかに無理をしていることを感じさせた。
「……今の爆発で、おそらくコニールさんやシーラもこっちの異常事態に気づいたはずだ。……あと少し辛抱してくれ」
ユウキ自身、重傷を負っている身ではあるが、トスキの容態を見た瞬間にその負担は頭から消え去っていた。この老人が無謀をしているのに、甘えていられないという思いが、再びユウキの心の力を取り戻させていた。
× × ×
爆発音が数度に渡って聞こえ、コニールはユウキの身に何か深刻な事態が起こったことを察知し、音の方角へ向かっていた。インジャ達を置いていく形になっていたが、それによって生じるリスクよりも、ユウキの危機の方が重いと判断し、行動していた。こればっかりはユウキとは違う経験の豊富さを伺わせる判断力だった。――そしてその判断のおかげで、ユウキ達が追いつかれる前に、コニールはユウキを見つけることができた。
「ユウキ君!」
森の奥から姿を現したユウキと老人を見かけたコニールは二人に駆け寄っていく。
「その老人は……?」
コニールはユウキに尋ねるが、ユウキもトスキもコニールの質問に答えられるほどの余裕が存在しなかった。
「はぁ……はぁ……コニールさん……! 今はそんなことよりも逃げないと……! すぐに……!」
「すぐにって……アオイ君はどうするんだ!?」
別れる前とは打って変わって逃げることを提案してきたユウキにコニールは驚きながら尋ねるが、ユウキはコニールの肩を突き飛ばすように押して言った。
「いいから早く!」
「早くって……!」
その時、遠くからドラゴンの咆哮が聞こえてくる。周囲の木が音で震え、鳥たちが一斉に飛び立つ。なによりユウキとトスキの怯えた様子から、ただ事ではないことをコニールに実感させた。
「……わかった」
コニールは事態の深刻さを受け止めて頷く。そして駆けだそうとするコニールだったが、ユウキは慌ててコニールの腕を掴み、その動きを止める。
「どうかしたのかい?」
「すいません、あと……」
× × ×
コニールはインジャ達の下へ戻り、ナイフを取り出す。その様子を見てインジャがコニールに皮肉るように言う。
「へ……とうとう殺す気かい?」
「いや……」
コニールは無感情に返答すると、インジャを縛っていたロープをナイフで切る。
「……なんだと?」
コニールの予想外の行動に思わず声が出てしまうインジャだったが、コニールは無視して部下たちのロープも切っていく。そして一緒に置いていたイサクの護衛の女剣士二人のロープも切ってやった。
「……さっさと逃げろ」
イサクの護衛の二人はコニールの行動の意味がわからないまま、無言でその場から離れていく。インジャの部下たちはインジャが動けなくなってしまっているため、合わせてその場から動けないでいた。
「なんで……俺たちを解放したんだ?」
インジャはコニールに尋ねるが、コニールは呆れながら答えた。
「なにって、ユウキ君がお前たちを解放してやってほしいとお願いしてきたからだよ。彼がお前たちを捕まえたも同然だし、捕まえた本人が言うなら、私がどうこう言えるものじゃないからな」
「訳が分からねえ……お前たちからすれば、俺らを解放する旨味がねえだろ!? また俺たちに襲われたらどうするつもりなんだ!?」
インジャの疑問にコニールも肩をすくめながら言った。
「さぁ……どうするつもりなんだろうな。ただ彼はお前たちを死なせたくない、できれば怪我もあまり負わせたくないようだしな。一度撃退したのなら、もう構う必要はないと思ってるだけだろう」
「な……そんな甘っちょろい考えで……!」
「私もそう思う」
コニールは即答してつづけた。
「ただ先ほども言った通り、それが彼の意思なら従うだけさ。……ほら、さっさと逃げたらどうだ。私も直接見たわけじゃないが、ドラゴンがこっちに向かってくるらしいぞ」
突然解放されたインジャとその部下たちは困惑するものの、全員何かしたらの怪我を負っていることや、先ほどコニール一人にやられた事もあり、大人しく従うことを決めた。
「……わかったよ。行くぞ!お前ら!」
「「「へ……へい!」」」
インジャの部下たちは立ち去っていくが、最後にインジャが残って去り際にコニールに言い放った。
「覚えとけよ……! 次はこうはいかねえぞ……!」
「はいはい。さっさ行け」
コニールは手をヒラヒラと振ってインジャを追い払う。インジャ達の姿が見えなくなってから、コニールは大きくため息を吐いた。
「はぁ~…………。本当にあの子の考えてることがわからない……だけど、一つ確信していいことがあるかもな」
コニールはナイフをしまい、背伸びをしながら言う。
「やっぱりあの子は”いい子”だと」




