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結目束は拘束したい。  作者: ナナ山ナナ夫
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第四話『結目束の生態』


 翌日、義明は両手に大きめのビニール袋を引っさげて束宅を訪れた。


 ずしりと重量のある袋を店から運ぶのは骨が折れたが、これもすべては彼女のため。中身はスーパーでかき集めた食材が詰め込まれている。調味料に関しては『引越しの際に揃えたもののほとんど使わずじまい』だと束から今朝方のうちに連絡を受けていた。その上で、義明はひとまず自分が作れる料理の食材をあらかた買い込んだ。おかげで相当な重量になってしまい、ビニールの持ち手が伸びに伸び悲鳴を上げはじめたので駆け足で来るはめになったが。


 なにはともあれ、無事に到着。よく晴れた青空の広がる良好な天気も、記念すべき初出勤を祝っているようだった。


 インターホンを押してしばらく、ぱたぱたと小走る足音と共に「はーい」と可愛らしい声で、水色のパーカーにスウェット姿のラフな格好をした束が出迎える。


「おはようございます、各務さん。今日からよろしくお願いしますね。ささ、どうぞ中に」

「おう」


 靴を脱いで中へと上がる。室内を一瞥したが、流石に一晩明けた程度ではゴミが散乱している訳もなくひと安心。どっさりと買い込んだ食材がはみ出る買い物袋を一度冷蔵庫の前に置いてから、台所でお湯を沸かし始める束に声をかけた。


「色々と買ってきたけど、全部冷蔵庫に入れちまってもいいか?」

「はい、中に入ってるものは自由に使っちゃって構いませんから」

「さんきゅー。んじゃ、遠慮なくあとで使わせてもら――」


 ぱか、と無警戒で冷蔵庫を開けた刹那、眼前に映し出される凄惨な光景にたたらを踏む。あまりの凄まじさに義明は思考が一時停止し呆然と立ち尽くす。ツンとした刺激臭が内部から漂い、鼻腔を突き刺した。


 ――腐敗しきった食材だったであろうブツと、栄養ドリンクの山が冷蔵庫内部を侵食している。まさしく冒涜――食べ物に対する等しい冒涜をまざまざと見せつけられ、常軌を逸した非人道的な行いに恐怖すら覚えた。崩れた黒い球体はおそらく林檎であり、三つに連なる黒い棒状のものはバナナだったのだろう。この様子だと、冷凍庫や野菜室も悲惨な末路を辿っているに違いない。


 戦慄し、硬直する義明は、もはや原型を留めていない成れの果ての最奥で、パックに入ったナニカを見やる。なにやらドロドロとした液体が入っているようだが、それがなんなのかは瞬時に判別ができなかった。だが、パッケージにはしっかりと『野菜サラダの詰め合わせ』の文字が打ち込まれていて――、


 それは、液状化したサラダであった。


「なん……だと……?」

「どうかしましたか?」


 茶葉を選んでいる束が半身振り返って訊ねてくる。わなわなと怒りやら恐怖やらに打ち震えながら、義明は冷蔵庫の惨状を指差して家主に吠えた。


「『どうかしましたか?』じゃねぇよ! お前んちの冷蔵庫どうなってんだよ!? 栄養ドリンクと腐ったもんしか入ってねぇじゃねぇか!? 液状化したサラダとか初めて見たわ!」

「わわわっ、ごごごめんなさいぃ! い、忙しくてつい食べるのを忘れてて……最近はほとんどコンビニ弁当かカップ麺でしたし……」


 あたふたと身振り手振りで弁明する彼女に、義明は深々と嘆息する。


「お前なぁ、冗談抜きに栄養失調でぶっ倒れるぞ。……ちなみになんだが、昨日あの後なに食べた?」


 ぎくっ、と擬音が聞こえてきそうなくらいに驚いて、それからバツが悪そうな面持ちで縄結は視線をそらす。問いかけから数秒の間を空け、逡巡した様子をみせたものの言い逃れはできないと観念したのか、束はおずおずと白状した。


「……カップ焼きそばを」

「朝は?」


 間髪入れずに義明が訊ねる。「うぐっ」と言葉を詰まらせ、口元を固く引き結ぶ束へ、じり、と一歩詰め寄った。顔をそらした彼女には冷や汗が浮かんでいた。


「…………その、残りを」


 先程よりも長い沈黙を保って、非常に言い難そうに細い声音で返答が帰ってくる。予想していた部類でも『最悪』にカテゴライズされるこれ以上ない返答だった。よりによって冷えに冷えたカッチカチのカップ焼きそばである。突き詰めたそれはいっそ清々しいとすら思えた。このレベルなら食べていないほうがまだマシと言えよう。


「よし、今後一切コンビニ弁当とインスタント麺禁止な」


 淡々と禁止令を発令し、女子高生にあるまじき食生活に終止符を打つ。それを聞いた束は驚きに目を見開いて愕然とうなだれた。


「えぇーっ!? そ、そんな……私は何を食べて生きていけば……」

「そんなこの世の終わりみたいな顔されても」


 彼女の事情を考えればやむを得なかったのかもしれないが、いくら手軽とはいえ毎日似たような食事を続けていれば当然栄養バランスは偏る。その上、作家は職業柄不健康になりやすいとも聞く。すでに仕事や学業に追われて無理をしているというのに、食生活までおざなりになってしまっては遠からんうちに倒れてしまう。そうなる前に誰かが支えなくては。


 これも仕事のうちだ、と義明は腹を決めると束を見据えて宣言した。


「昨日言われたとおり、今日から俺がメシを作る」


 誰かが負の連鎖を止めなければ、束はコンビニ弁当とカップ麺をループさせて食べ続けてしまう。結果、酷使した体は栄養不足を伴って悲惨な末路をたどることに――そんなバッドエンドはほかの誰でもなくこの義明が許さない。必ずや彼女を健康優良児に導くべく、決意を新たにする。


「朝食は作り置きしていくからそれ食べろ。平日は弁当の分も合わせて作っておく。あと当たり前だが、余裕があるときは縄結、お前が自炊するんだぞ。いいな?」

「は、はい。もちろんです。で、でもご迷惑じゃありませんか?」


 と、彼女は遠慮がちに上目使いでそう言うが、朔日、自分から頼んでおいて今更迷惑も何もないだろう。義明とて、とっくに織り込み済みである。


「お前に倒れられる方が迷惑だっての。とりあえず、冷蔵庫の中身カタしてからなんか作ってやるよ」


 彼女が栄養失調で倒れでもすれば、義明は自責の念に苛まれて己を恨み続けるだろう。たかが料理と侮るなかれ、人一人の命が掛かっているといってもなんら過言ではないのだ。至極、責任重大である。


 そんな義明の言葉に当の本人は少しだけ顔を赤くして、


「ありがとうございます! ……はぁぁ、今日は久しぶりにまともなご飯が食べられそうで安心しました」


 心底、安堵したとばかりに胸をなでおろした。


 ◆


「……こんなもんか。まさか初日の段階で食べ物だったモノたちの処理をすることになるとはな」


 魔窟となった冷蔵庫との熾烈な戦いを終え、額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。食料はほとんど全滅状態で大半を破棄することになったが、おかげでスペースがスッキリとして買い込んだ食材を余すことなく収納することができた。


 ちなみに、大量の栄養ドリンクは縄結が半泣きですがりついてきたのでそのままである。本人曰く、これがないと〆切直前の最終局面を乗り切れないらしい。


 初っ端から多大な疲労を被りはしたとはいえ、根を上げるほどではない。むしろ、本番はまだまだこれからだ。


 よっこらせ、と年寄りくさい掛け声で重い腰を上げる。ひと息ついてから、おもむろに束へ声をかけた。


「おーい、これから昼飯作るけどなんかリクエストあるかー?」


 返事はなかった。

 彼女はノートパソコンの上で軽やかに指を走らせ続け、やや猫背気味に画面と向かい合ったまま振り返らない。音を立てないよう、慎重に背後に立ってそれを覗き込んでみても、よほど集中しているのか束が気づいた様子はなく、ただ黙々と作業を進めている。


 ふと画面を見やれば、縦書きのエディターで小説の執筆が行われている真っ最中だった。


 下部のタブには『プロット』と『設定』との表記がされたメモ帳が開かれ、時折それらを展開しなにかを確認すると、また本文を打ち込んでいく。彼女の職業からすれば、それは原稿と呼ばれる類のものだろう。書き進められていくナマの原稿を前に、義明は興味津々に盗み見る。


 昨今、ネットサーフィンをしていれば、どこぞのイラストレーターが線画などの工程を動画でアップしたりしているものの、作家がリアルタイムで小説の本文を打ち込んでいるものはあまり見かけない。他人の目があると集中力が乱れて良い文章が書けないのだろうな、と義明は素人ながら思惟する。頭の中でワードを組立て文章化するのだから、当然といえば当然かも知れない。


 そんなある意味で貴重な現場を、物珍しげに眺める。

 今まさに書かれているシーンは『主人公の男がヒロインらしき少女と言い争っている』というものだった。彼らのセリフをよくよく読んでみると、どうも出会い頭にヒロインにひと目ぼれした主人公が白昼堂々彼女を拘束し、赤っ恥を掻かせた件で揉めているようだ。だいぶぶっ飛んだ主人公に義明は感情移入どころではなかった。なにゆえこの狼藉者がのさばっているのか甚だ疑問である。


 しかし、そんな文章を真剣な表情で束は書き上げていく。琥珀色の双眸で画面を見据え、キーボードを叩いて空白の世界の続きに文字を紡ぐ。世界が鮮やかに色付き、住人たちに命が吹き込まれる。


 その様を、義明はただ眺めていた。

 ぎり、と無意識に歯噛みして、ただ眺めていた。


 ――彼女は本気だった。

 ――自分とは、違う。


 眩しい。分かりきっていたことだった。何かを犠牲にしてまで真剣に何かを成す人間がどれだけ眩しい光を放っているのか――義明は、とっくに分かりきっているはずだった。


「立派じゃないか。……俺なんかより、ずっと」


 独りごちる。自分の無力さやら無価値さやらをまざまざと見せつけられ、ほとほと呆れてため息が出た。


 ――束が大きく伸びをしたのはその直後だ。

 ひと区切りがついたらしく、当然、背後から覗き込んでいた義明にも気づいて声を上げる。


「あれ、各務さん? どうかしましたか?」

「……あぁ、冷蔵庫の片付けが済んだから、昼飯を作ろうかとな。なにか食いたいもんあるか?」


 独り言が聞かれてやしないかヒヤヒヤとしながら、淀みなく答える。リクエストを訊ねられて、束は顎に手を当てて少し考え込んだ。


「うーん、そうですね…………あの、とりそぼろって作れますか? 私、あれ好きなんですよ」

「とりそぼろか……まぁ、作れんことはないな」


 意外な要望ではあったが幸いにもレシピは記憶している。男の一人暮らしだから、と実家を出る際に色々勉強しておいたのが役立った。

 とはいえ、これからは束相手に主に振舞うのだから、彼女が好みそうな料理も作れるようにしておくのがいいだろう。ひとまず、好物が『とりそぼろ』なのは把握した。さほど手間もかからない料理なので義明としても大歓迎だった。これからなにかと作る機会も多いだろう。


「ほかにはあるか?」

「えと……出し巻き卵、でしょうか」

「おーけー。すぐ作るから時間潰しといてくれ。腹減ってんだろ?」

「はいっ、お願いしますね」


 期待を寄せる彼女に応えるべく、台所へ戻る。

 なにげなく振り返ってみると、束は背中を丸めて作業に戻っていた。


 ◆

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