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狼狽



朝だ。美都はマンションから出るとその陽射しに目を細めた。昨日の出来事がまるで嘘のように空は晴れ渡っている。

結局昨晩は、あの後家に戻り状況を整理することとなった。激しい動揺で食事を摂る気分にもなれなかったので、前の夜に作り置いてくれた物を消化した。四季は呆ける自分を心配してしきりに声をかけてくれた。彼も少なからず困惑していたに違いない。誕生日であることなどもはやどうでも良かった。

何かが起こってからではまずいと考え、事の顛末を弥生たちにも伝えた。突然の来訪に嬉しそうにする那茅とは真逆に弥生の顔が引きつっていたことを思い出す。伝えられた事の事実を噛み砕けずに声を詰まらせていた。

『──……おかあさん?』

不思議そうに弥生を見上げる那茅の声にようやく正気を取り戻している姿が見て取れた。ひとまず瑛久にもこの事を伝えてくれるように頼むと彼女は「次に宿り魔の気配がしたらわたしも向かうわ」と狼狽えながらも力強い言葉をかけてくれた。

一晩経ってようやく事実が飲み込めてきた。初音の狙いは紛れもなく自分だったのだと。自分を狙ってくるということは、少なからず自分が所有者だという可能性があるということだ。だがそんなことはあり得ないと弥生は言っていた。所有者は戦う術を持たない。だから守護者がいるのだと以前説明されたのだ。守護者がもし鍵を所有しているとしたら、それは諸刃の剣になってしまうから、と。

彼女の説明に納得してその場を去ったものの、自分に関することなのでやはりどうにも心が落ち着かない。それでも一日は待ってくれない。今日もいつも通り授業があるのだ。だからこうして制服を纏い、学校へ向かっている。

そうだ。いつも通りにしなければとマンションの下で立ち止まり目を閉じて深呼吸をした。そして軽く両頬を叩く。良し、とキッと目を見開いて気合を入れた。

「大丈夫か?」

「うん、平気。いつも通りにしなきゃね」

昨日からずっと四季は自分のことを気にかけてくれている。いつも通りにしなければ彼にも申し訳ない。そう思って頭を撫でる彼に微笑みかけた。

いつも通り、は得意だ。ずっとそうしてきたのだから。二人は学校へと歩を進め始める。その際に左手首に着けたブレスレットが合服の袖から覗いた。昨日あんなことが起こる前に四季からもらった誕生日のプレゼントだ。その時の嬉しかった気持ちを思い出す。ここに想いがあるだけで十分だ。

いつになく少ない会話で学校へ向かっていると、凛と合流する交差点まで辿り着いた。既に彼女は着いており自分の姿を見ると嬉しそうに駆け寄って名前を呼んだ。

「おはよー、凛」

彼女に応じるように朝の挨拶を返すと、ふと凛がきょとんとした表情で動きを止める。一度口を噤んだ後、苦い顔をして静かに美都に問いかけた。

「……何か、あった?」

その問いに驚いて目を見開く。至っていつも通りのはずだった。なのになぜ彼女はそんなことを言うのかと。なぜ分かったのかと。ただ単純に驚いたのだ。

だが凛に概要を話すべきか迷ってしまう。彼女は関係ないのだ。余計な情報を知れば、もしかすると彼女にも危害が及ぶかも知れない。そう考えいつも通りの答えを返そうと思った矢先。

「誤魔化さないで。私、美都のことはなんでもわかるわ。ねぇ何かあったんでしょう?」

そう言われてしまえばはぐらかすことも出来ない。美都は言葉に詰まりながら四季を横目で見た。彼は難しい表情を浮かべた後、息を吐いて小さく「任せる」と呟く。恐らく自分たちの関係を慮ってのことだろう。辺りを見回して周囲に人がいないことを確認する。そして昨日の出来事を凛に話し始めた。

「昨日、宿り魔が現れたの」

凛は一心に耳を傾けている。彼女は自分たちが守護者であることを知っている唯一の友人だ。だからここまでならば不思議ではない。問題はこの後説明することだった。

「狙いは、──わたしだった」

瞬間、彼女の碧い瞳が大きく見開く。自分でもまだその事実が嘘ではないかと思うところもある。凛が驚くのも無理はない。

「だ……大丈夫、だったの……?」

「うん。昨日は事が起きる前に四季が退魔してくれて。でも──……」

戸惑いながら問いかけられる言葉に平然と返す。しかし内実平然ではない。今でも昨日のことを思い出すと心臓が早くなりそうだった。だが凛に悟られるわけにはいかないのだ。それにやはり彼女を巻き込むべきではない。

「たぶん──また近々同じことが起こると思う。もしかしたら今日かも知れない」

初音はあの時「また次の機会に」と言っていた。だが以前話をした時に、もはや猶予はないとも漏らしていたのだ。だとすればそう間は開けないはずだ。それにそう考えていないと油断が生じてしまう。

凛は顔を強張らせながら美都の話す内容を必死に落とし込んでいた。彼女のこんな顔は見たくないものだな、と思う。だからこそこれ以上干渉して欲しくない。

「凛、お願い。この数日間なるべくわたしに近付かないで」

「⁉︎ どうして⁉︎ だって狙われてるのは美都なんでしょう⁉︎」

「だからだよ」

自分より焦っている人間がいると、逆に冷静になれるのだなと感じた。彼女から目を逸らし納得させるための説明文を紡ぐ。

「敵はわたしたちの正体を知ってて仕掛けてきたの。もしかしたら今度は手段を選ばないかもしれない。万が一凛を巻き込むことになったら嫌なの」

「でも! そしたら美都が一人になった時はどうするの⁉︎ そんなの絶対に敵の思うツボじゃない!」

美都は凛の返しに眉間にしわを寄せた。彼女の言う通りなのだ。恐らく初音はその機会を窺っている。一人になるのは得策ではないと弁えてはいる。しかしだからと言って彼女を側に居させる事は出来ない。

するとそれまで静観していた四季が凛に言葉をかけた。

「俺が絶対に目を離さない」

「……っ!」

声を詰まらせながら凛は押し黙った。四季は守護者として当然のことをしているだけなのだ。その任を背負っているため敵と対峙しても戦う事が出来る。そこが大きな違いだった。それでも納得できないのか凛は唇を噛み締めて俯いている。

「大丈夫だよ、凛。ここ数日間だけなんだし」

彼女を宥めるための言葉をかける。そう数日間だけだ。その間に決着をつける。初音と直接戦うのだ。尚も凛が心配そうにしながら瞳を彷徨わせる。

「本当に……美都に危険はないの?」

思わず面食らって目を見開いた。だがすぐに持ち直し困ったように微笑む。

「危険は──守護者になったときからずっとあるよ」

得体の知れない怪物──宿り魔と初めて遭遇した時から。守護者を任ぜられた時から。現に四季も一度怪我をした事がある。守護者の務めは決して易しいものではない。常に危険をはらんでいるのだ。今までは極端にそれが少なかっただけだった。

「……私に、何か出来ることはない?」

「──……」

恐らくこれが凛の最後の食い下がりだろう。彼女は渋面を浮かべながら、先ほど自分が提示した案を飲み込もうとしているのだ。

凛の申し出は正直有り難かった。初音がどのようなことを仕掛けてくるかわからない以上、現状の対策では心許ないと言うのが事実だ。目を逸らして何が得策かを考える。本来ならば恐らく守護者内だけで完結させなければいけない話だ。力を持たないものを巻き込むべきではない。だからこれは最終手段だ。

「──もし、何か異変に気付いたら……弥生ちゃんに知らせて欲しい」

「弥生さんに……?」

「うん。昨日のことは伝えてあるの。弥生ちゃんにはまだ少しだけ守護者の力があるみたいだから」

だが彼女の力をあてにするわけにはいかないのも事実だ。彼女は現場を離れて長い。それに那茅もいる。宿り魔が現れたとしてすぐに駆けつける事は困難だろう。最後の砦だと思っていた方が良い。

「わかったわ」

「ありがと。よろしくね」

彼女には面倒ごとを強いることになる。そのことに恐縮し、肩を竦ませて凛に微笑みかけた。

これは憶測でしかないが、初音が仕掛けてくるとしたら授業後だ。彼女もまた第一中の生徒であるならば授業時間中は身動きは取れないはず。今までの傾向から見てもそうだった。そして昨日は四季が近くにいても構わずに宿り魔を出現させた。わざわざ自分一人おびき出すことはしないだろう。

美都たちは留めていた足を動かし、歩を進める。自分が出来る事は何だろうか。宿り魔を退魔する。そして初音を止める。その為にはあの力が必要だ。胸の前でグッと手を握り締める。

校舎へ近付くに連れ、登校する生徒も増えてきた。いつも通りに友人と朝の挨拶を交わす。同じように靴箱で春香とも顔を合わせた。

「おはよ。おや、それは?」

と少しだけ白々しく自分の左手首から覗くブレスレットを見てニヤリと微笑む。なるほど、やはり春香も一枚噛んでいたかと苦笑いを浮かべた。

「もらいました」

「うん。似合ってる似合ってる」

満足そうに頷いて背中を叩かれた。今は彼女の明るさに救われる。そのまま揃って教室へと向かうことにした。

凛と4組の教室前で別れる。心配そうにこちらを見つめていたが、「大丈夫だよ」と小さく伝え袂を別った。

何も変わらない日常。二学期が始まったばかりなので生徒たちも新しい気持ちに溌剌としているのだろう。この空気が好きだ。気分を乗せてくれるから。

教室に入った途端、そういえば席替えをしたのだったということを思い出した。真ん中の前から2列目の席だ。鞄を置いて授業に必要な用具を取り出す。この席は前の扉から入ってくる生徒と話がしやすいのが利点だなと感じるところだ。

間も無く予鈴が鳴る、という手前で静かに水唯が入ってくる姿を確認した。入った途端雰囲気が違うことに気づいていた為、彼も席替えしたことを忘れていたのだろう。

「おはよう、水唯」

「! お、はよう──……」

自分の顔を見るなり驚いたように目を見開いたのち、そのまま目を逸らした。そして自分の席へと歩いていく姿を見送る。

「──?」

やはり顔色が良くないように思える。昨日も確かそうだった。もともと華奢な体型なので心配になってしまう。幸い彼の隣の席は四季だ。何かあれば四季が対応してくれるだろう。それよりも。

この後、本鈴が鳴ると一日が始まる。今日はずっと緊張したままかも知れない、と思うと気疲れしてしまいそうだ。せめて授業中だけはこのことを忘れていられれば良いのだが。

そんなことを考えながら、美都は静かに席に着いた。






休み時間にこんなところに呼び出すという事は、と夏風が頬を過ぎる屋上で水唯は溜め息を吐いた。

8月が終わったばかりだということもあり、気温はまだ夏日だ。湿度も高くジメッとしている。その不快感から顔を顰めた。何もここで無くとも、という気持ちと確かにここならば他の生徒の邪魔が入らないという事実もある。

だが呼び出した張本人の姿が見えない。なるべくなら学校での接触はしたくないのだが、あの件で用があって呼び出したはずだ。そこにも苦い顔を浮かべざるを得ない。

「──……」

今朝の出来事を脳裏に浮かべる。彼女は至って普通だった。何事もなくいつも通り。昨日あったことなどまるで気にしていないかのように自分に話しかけてきた。居た堪れなくなって目を逸らしたのは自分だ。彼女の笑顔が、今はただ苦しかった。

(……──なぜ……)

あんな顔が出来る? 事態を把握していないわけではないはずだ。自分が標的にされて動揺しないなどあり得ない。なのにどうして、ああもいつも通りに振る舞えるのか。不思議でたまらなかった。

だが安心もした。彼女が何事もなく話しかけてきたという事は、まだ自分の正体は知られていないのだと。それも時間の問題だろうとは思う。しかしこれ以上の動揺を今はさせたくなかった。おかしな話だ。

そんなことを考えながら入口付近の壁にもたれて陽射しから逃げていたところ、年季の入った鉄製の扉がギィと開く音がした。横目で少女の姿を確認する。あえて向き合うことはしたくなかった。

「お呼び立てしてごめんなさいね」

遅れてきて早々心にもないことを言う、と虫酸が走った。その言葉には応じず彼女の次の言葉を待つ。

「随分苛立ってるのね。せっかく守護者の正体を教えてあげたって言うのに」

「……っ!」

奥歯を噛み締めて口惜しげに少女を睨む。いつもの飄々とした笑みを浮かべている少女を。

そうだ。この少女は元々守護者の正体を知っていた。知っていて尚、自分に「手を出すな」と命じたのだ。この状況を楽しんでいるかのように。

「早めに知れて良かったでしょう? いずれはあなたも戦わなきゃいけないんだから」

この少女の言葉に偽りはない。自分が主命を遂行する限り、いずれは対峙することを免れないだろう。しかしそれでも、あの状況で正体を知ることになったのはどうしてもやるせなかった。

水唯はグッと手を握り締めて己の考えを呟く。

「守護者が所有者を兼ねることはあり得ない。彼女が所有者であるはずはない」

「あら、そうかしら? あり得ないなんて誰が決めたの? 今まではただ前例がなかったに過ぎないわ。それに──」

考察に正論で返され押し黙った。前例がないからあり得ないのだ。そこには必ず理由がある。さらに少女の言葉には続きがあるようで、返答はせずそのまま次を待った。

「あなただって思ってるんじゃない? あの子が一番────」

その鋭い眼と、考えを見透かされたような台詞に思わず声が詰まる。否定できないのはこれ以降の対象者の中に目ぼしい人材がいないからだ。目を逸らして渋面を浮かべる。違うのだと思いたい。だがそれを証明するのにはやはり──。

「悪いけど情けはないわ。元々標的にしていたのは私だもの。あなたには違うところで協力してもらう」

少女は更に続け、作戦内容を口にする。しばらくそれを耳に流した。どう足掻いても、逃れることは出来ない。手を貸すと言う主命に背くことは出来ないのだ。

自分に任された役割を把握する。やはりあくまでも自分はこの少女のサポートに過ぎない。計画実行の首謀者はこの少女だ。

一通り話し終えると、少女は踵を返し再び校舎へ戻ろうとした。思わずこれまでの話で腑に落ちなかった疑問を呈する。

「────もし、彼女が所有者でなかった場合……今後どうするつもりだ」

この少女の計画には穴がある。彼女と直接対決をするということは、今までの学校生活には戻れないのだ。

少女は自分の問いかけに足を留めると、ふっと息を吐いて口角を上げた。

「別にどうもしないわ。あの子がどう思おうが……ね」

それだけ呟くと、少女は校舎の中へ姿を消した。

ダンッと鈍い音が屋上に響く。自分以外誰もいないその場に。握り締めた拳でコンクリートの壁を叩いた音だ。

「……──っ!」

俯いて血が滲むほど唇を噛み締めた。こんな感情を抱えることでさえ、自分には資格がない。わかってはいる。それなのに。

彼女の笑顔が頭から離れない。今まで安らぎに感じていたそれに、今度は責められているようにも感じる。どうしてこんなことになる前に距離を取って置かなかった、と自分を苛んだ。

全ては自業自得だ。ならばこれを受け入れるしかない。

水唯は一度大きく深呼吸を行う。

────心を殺さなければ。

そうでないとこの計画は実行できない。初心に帰るのだ。

そうすればまだ、自分の気も収まるはずなのだから。




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