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彼女は陽だまりの中にいて



光だ。あの時感じた光に似ている。ふと思い返すのは、初めて彼女を意識した時だった。

2年生の3学期。何も考えず、感じず、ただ巡る日々を過ごしていた。もうずっと一人でいることに慣れてしまっていた。あと1年もすればこの退屈な日々も終わるのだと。そう自分に言い聞かせて学校でも塾でも勉学に励んだ。例え誰も見てくれなくても、それで良いと思っていた。それなのに。

ふと目が惹かれた。惹かれてしまった。自分の横を笑顔で通り過ぎる少女に。ただ不思議だった。特別目立つわけではない、派手なわけでもない、至って普通の同い年の女の子。名前を知ったのだってその後だ。

(────月代、美都……)

綺麗な名前だなと思った。しかし少しだけ違和感も覚えた。彼女に似合うのは月ではなく太陽の方だと。まるで陽だまりの中にいて、光に愛されている。そんな印象だった。

いつからか目で追うようになっていた。目まぐるしく変わる彼女の表情が気になっていた。少しだけ羨ましかった。悩みがなさそうでいいな、と。それでも好奇心はそこで止まった。

1月下旬。模試の結果が出た。いつも通りだ。中学に入って成績を落としたことはない。意地だった。小学校まで付き合いのあった同級生たちに劣りたくは無かった。でも。

(……つまんないな)

満たされることは無かった。どれだけ上位の成績をキープしても、もはや親は関心を示さない。まるでそれが当たり前であるかのように。余程私立に入れなかったことを恨んでいるのだろう。すっかり親の期待に応えることも疲れてしまっていた。そんな折だ。彼に声をかけられたのは。

『君の力が必要だ』

闇に溶け込んでいたため姿ははっきりと憶えていない。しかし瞬間にその闇に心を奪われた。そうか、自分はこちら側にいるのかと。心地良かった。求められたことがただ嬉しかった。こんな自分にもまだ出来ることがある。それならば自分は力を尽くそう。ただ、この人だけの為に。

そこから先はあっという間だった。自分の身に宿った力を駆使しながら、命じられた通り同級生の女子生徒を襲う。心が痛むわけ無かった。ただの同級生だ。それだけしか接点がない。誰が苦しもうとも知ったことでは無かった。

宿り魔を使役することにも慣れてきた春休み。段々と標的を決めるようになっていた。人よりも抜きん出た才能がある子。世界の命運を左右する鍵を持つ子が、普通であるはずがないと考えた。だからその日も、同じ塾に通う、他人よりも頭が切れる少女を狙った。いつもと違ったのはその少女の心のカケラを確認した後だった。

『な──に……?』

対象者と守護者以外入れるはずのないスポットの中に、彼女が侵入した。まるで何が起きているかわからない、と動揺した顔を浮かべながら。あの子だ、と瞬間に思った。結局その日は何をするでもなく、現れた守護者の少年にただ守られるだけに終わった。

偶然、かもしれない。しかし何の力も持たない少女が入れる場所では無かった。だからしばらく見張ることにした。ちょうど3年生に進級するタイミングだ。

始業式を迎えた日。彼女の親友だというクォーターの少女と同じクラスになった。外見が目立つことに加え、彼女を目で追う度に側にいたから良く憶えている。冬に転校してきた少年と親戚だという情報が一気に校内を駆け巡り、その少女とすれ違いを起こしていたのだろう。4組の教室へ探しに来た彼女へ声をかけたのは、半ば無意識だった。

振り向いた彼女がきょとんと目を瞬かせて自分を見た。初めて瞳が合った。遠くから見るよりもはっきりとした紫紺の瞳がとても印象的で。

『あ、うん。どこに行ったか知ってる?』

こんな声をしているんだなと思った。親友の姿が見当たらないと判ると途端に眉を下げて肩を落とした。その姿が少し、可愛らしいと感じたのだ。こういった表情もするのだな、と。ただ漠然と感じていた興味が、関心に変わった。他にどんな面を持っているのか知りたくなった。そして直後に、彼女が守護者としての力を得たのだ。

ちょうど良いな、と思った。特別目立つわけでもないのに彼女の周りには常に人がいる。周りの目を惹く。彼女を見張れば、鍵の所有者はすぐに見つかるかもしれない。何せ、鍵を守る為に存在しているのだから、と。

そこから、彼女と会話をし出すようになったのはあっという間だった。何の警戒心も無く近付いてくるから。驚くことに彼女には偏見が一切なかった。だから話しやすかったのかもしれない。加えて、やはり彼女はとりわけ普通だった。勉強が苦手なようで度々教えて欲しいと頼まれる程には。なぜこんな普通な子が守護者なのかと思ったのだ。

守護者として交戦していく内に、彼女が己の不甲斐なさに苦しむ姿を目の当たりにするようになった。責任感の強さ。いつもは笑顔でいる少女もこんなに苦しい表情を浮かべるのかと。そんなのは彼女のせいではないのに。だからやめてしまえと言ったのに。

『見過ごすことなんて出来ない! 大切な人を守るために戦うの!』

そう自分に向かって叫んだ姿を憶えている。心が騒ついた。自分とは全く違うその信念に。悔しかった、妬ましかった。その真っ直ぐさが自分を苛立たせた。「正しい」を体現している彼女とは相容れないのだと。それなのに。

『初音! もうやめて!』

度々自分を止めようと声を上げていた。仮につけた名前で呼ぶ姿は可愛らしいとさえ思ったのだ。話し合っても無駄だと言ったのに。

知れば知るほど、彼女が可哀想になっていった。使命のために負わされている責任感がどれほど彼女を苛んでいるのかと。少しだけ同情した。それでもこちらも引き下がることはしなかった。

『衣奈ちゃん』

まるで何物も背負っていないと。普段は一切見せることなく。健気な姿が印象的だった。いつも笑顔でいる少女にも抱えている物があるのかも知れないと思ったのは、「可哀想」だと言葉にした時に見せた反応だった。

『わたしは……っ、可哀想なんかじゃない……!』

単純に驚いた。そう口にしたことに。哀れまれたことが気に障ったのか。普段見せる表情とはまるで違ったから。その表情に背筋がゾクッとした。この少女にも触れられたくない何かがあるのだと。

傍目から見れば至って普通の女の子。守護者の任を背負っていると知っているのは限られた者しかいない。それまで標的にしてこなかったのは「守護者だから」と言う理由もあった。それでも特技も才能もないこの少女が所有者であるはずないと条件から排除していたのだ。だから確かめてみようと思った。例えこの先、彼女との関係が元に戻らなくなっても。

自分にはあの人こそ最優先だ。その為ならば唯一の友人でさえどうでも良いと思った。むしろ「友人」という仲にまで発展したことが自分にとっても意外だった。いつの間に、彼女がそう呼べるようになったのか。ただ利用するためだけに近付いたはずなのに。自分とは真逆の彼女。どう足掻いても自分は彼女にはなれない。彼女がいる場所には行けない。陽だまりの中にいる少女と、陰に潜む自分。

妬ましかった。羨ましかった。

絶対に相容れることはないと、知っていたから。





フッと閉じていた瞼を開く。なぜこんなにも心が軽いのだろうか。まるで憑き物が落ちたような感覚だ。

「──大丈夫……?」

頭上から声が聞こえる。声の主を確認しようと重たい頭をもたげた。

「……──美都……ちゃん……」

「! 良かったぁ……」

少女の腕の中でその名をなぞると、安心したようにホッと胸を撫で下ろしていた。そしてすぐに頭を巡らせる。一体なぜこのような状況になっているのかと。

自分は腰を地面に据えたまま美都の胸に身体を預けているようだ。一つずつ紐解くようにまだぼんやりとする視界で記憶を遡る。

「えっと……憶えてる──?」

「……うん」

それはすぐに思い出すことが出来た。憑き物が落ちたよう、では無く実際に落ちたのだと。そしてそれを祓ったのが目の前の少女なのだということに。

衣奈は頭を抱えながら美都の胸から離れる。空間が明るい。ということは既にスポットではないということだと理解出来た。美都が心配そうに肩を支えて覗き込んで様子を窺っている。

「──……憧れてたの、私」

目が醒める前まで、まるで走馬灯のように彼女を意識し始めた時からの出来事が駆け巡っていた。

明るくて、優しくて、それでいて繊細で。全てを許容するような心を持っている。

「あなたみたいになりたかった」

真っ直ぐで純粋で。だから人はこの少女を放っておかないのだろうと。話していてすぐにわかった。他人のために動こうとする彼女は、見た目が派手で無くてもそのひた向きさに目が惹かれるのだ。他人のことを一番に考えているから、人もこの少女の力になろうとする。彼女は人を動かす才がある。本人がそれに気づいていないだけだ。

美都は目を瞬かせて頬を少し赤くしている。

「わ、わたし普通だって……! 衣奈ちゃんの方がよっぽどすごいよ──!」

目尻に残った涙を拭いながら、彼女のフォローにクスリと肩を竦める。謙遜では無く本当に己の性格を把握していないのだろう。

「でも意外と頑固なのね」

先ほどスポット内で重ねた会話を示唆する。一向に譲らず頑なにこちらの言うことに動じなかった。

今度はその評価にうっ、と声を詰まらせ苦い表情を浮かべている。そちらは自覚しているようだ。

「わたしも……衣奈ちゃんがあんなに意地っ張りだなんて知らなかったよ。凛ともあんな言い合いしたことないのに」

「あら。じゃあ凛ちゃんに勝っちゃったわね」

美都が眉を下げて笑みを零した。意外なところで彼女の親友に勝ってしまったなと口にすると、視界に映っていないところから「そんなことないわ!」と言う甲高い少女の声が耳に届いた。そう言えばスポットに入る前に彼女もいたのだったと思い出す。続けて困ったようにも呆れるようにも取れる「あって欲しいの……?」と返す美都とその少女の会話を聞きながらクスクスと小さく笑った。

「……ありがとう」

美都に礼を伝える。こんなに心が軽いと思ったのはいつぶりだろう。正真正銘、目の前の少女に救われたのだ。言葉を返すように彼女が優しく微笑む。

すると少年が座っている彼女の元へ近付き、腕を支えて立ち上がらせた。礼を伝えた後、今度はこちらに向き直り少女から手が差し出される。その小さい手を取り、力を込めて地面から腰を浮かせた。

「はい、これ」

そう言って美都から差し出されたものは憑代に使用したシャープペンシルだった。2本あるうちの1本は彼女の元へ渡っている。そうするように仕向けたのだ。

「──まだ持ってるの?」

手渡されたそれを受け取りながら、不意に訊ねる。美都には誕生日のプレゼントという名目だった。一度憑代として使われた物をどうしているのか単純に興味があった。

「もちろん。衣奈ちゃんがくれたものだもん。お揃いだしね」

制服の胸ポケットにあるシャープペンシルを指差しながら美都がにこりと微笑む。彼女の袖からは同じように憑代に使ったブレスレットが覗き見えた。愚問だったなと感じざるを得ない。苦笑いを浮かべていると、少女が少しだけ固い声で自分の名を呼んだ。

「聞きたいことがあるの」

「でしょうね。でも……」

逆説の接続詞を用いた後、眉間にしわを寄せて一度息を吐く。

「残念だけど、美都ちゃんが望んでる答えは得られないと思うわ」

その理由を口に出していく。まるで脳内に霧が立ち込めているように、思い出そうとすると何かがそれを阻む。今までどのようにあの空間に行っていたのかさえも思い出せない。それどころか、本当に彼のことが大切だったのかも。

一通り説明を聞くと美都は肩を落とした。彼女にとっては唯一の手がかりだから当たり前か。それでもまだ聞きたいことがあったのか諦められないといった感じで声を発した。

「衣奈ちゃんはなんで闇の鍵だって知ってたの?」

問いかけられた内容に思わず目を見開く。そして瞬時に記憶を手繰った。

「そう……言われたから──」

「でも見たことがあるわけじゃなかったんでしょう?」

美都の言う通りだ。闇の鍵を見たのは正真正銘昨日が初めてだ。目を逸らして頭を抱える。なぜ。確かにその問いにもなる。光か闇かの判断がなぜついたのか。あの人は何か言っていなかったか。

「……だめ。思い出せない」

「そっか……」

素直にそう答えると、また彼女はシュンとして眉を下げた。救われた分、なんとか彼女の力になれればと思っているがこれは恐らく宿り魔が祓われたことでその間に起こったこと、衣奈と初音の記憶の齟齬が生じているのかもしれない、と考えた。否、齟齬ではない。恐らく不都合な記憶を残さないようにされているのだろう。思い出そうとしても出てこないのはそれが原因のはずだ。

「ごめんなさい、役に立てなくて」

「ううん! わたしの方こそ、急にごめんね。今さっき戻ったばかりなのに無理させちゃって」

慌てるように己の対応を詫びる姿を見ると、やはり自分に対して情けなさを感じてしまう。何か彼女に有益な情報を渡せないだろうかと頭を巡らせた。何かあるはずだ。どこかしらに綻びがあるはずだと。目を閉じてしばらく考えると心配そうに自分の名をなぞる美都の声が耳に届いた。

「──あの子があなたを狙いにくるわ」

不意に口からその言葉が出る。記憶の綻びを探しながら、その隙間から垣間見える光景。あの人が自分を切った時。

「あの子って……?」

「男の子よ──元々はあの子が命じられてたから……」

薄眼を開けて思い出したことを呟く。この行動には体力を消費するようだ。しかし今思い出せなければ今後記憶は薄れていく一方だろう。はぁ、と息を少し荒く吐く。

するとそれまで静観していた少年が何かに気づいたようにハッと息を呑んだ。

「もう一方のキツネ面の奴か」

「! 四季が戦ったって言ってた子?」

「あぁ。まぁ普通に考えれば確かにそうなるか」

衣奈の作戦が崩れた以上、次の新たな刺客が来る。四季が戦ったと言う少年。以前より姿を見せず水を使役して妨害してきた影の正体だ。

「そいつについては何か憶えてないのか?」

「──同級生、ということだけね。何かきっかけがあれば思い出せるのかもしれないけれど……」

隣にいたはずなのに、あの少年の顔でさえ朧げだ。屋上で会話をした記憶はある。作戦に一役買ってもらったのだ。と言うことは少なくとも第一中の生徒なはず。しかし肝心の顔は思い出すに至らなかった。

「何かわかったらすぐに知らせるわ」

「ありがとう。助かるよ」

強力な仲間を得たなと感じながら美都は衣奈に微笑んだ。そしてようやく一段落したことにふぅ、と息を吐く。

「一件落着、だね」

もちろんまだ全てが終わったわけではない。むしろ本当に序章が終わったに過ぎないと言っても良いだろう。今回の事が上手く進んだのが奇跡だとも思えるくらいには。それでも、と手に力を込める。

指輪が──守護者の力をようやく武器では無い形で使う事が出来た。これは大きい。今後もし宿り魔に憑かれた人間にも切っ先を向けることなく退魔が出来ると言うことだ。新たな希望が見えた。

美都の働きを労うように、四季が彼女の肩に手を置いた。その手に応じるため身体を捻り笑みを交わす。

思い返せばここ数日まともに休息を取っていない。誕生日が随分前のことのように感じる。いつの間にか15歳になって、少しずつ季節が変わっていく。横を過ぎる風も、その内秋風へと変わるだろう。体育大会が開かれる頃にはまた何かが変わっているのかもしれない。開けた空を仰いだ。夕焼けの赤がだんだんと濃い紫に溶け込んでいく。

「薄明ね」

「薄明? 黄昏じゃないの?」

「意味は同じよ。一番星が見える頃の明るさのことだから」

耳馴染みのない単語にきょとんと目を瞬かせると、呟いた衣奈が解説を付け加える。なるほど、と自分の中に落とし込みながら再び空を見上げた。

「……綺麗だね」

移りゆく色に目を奪われそうだ。間も無く夜が訪れる。

「──帰ろっか」

言いながら周りにいる三人と目を合わせる。

それぞれ頷くと誰からともなく歩き始めた。





はぁ、と重い息を吐く。今朝から頭がずっと重たかったが現状を目の当たりにしてそれが加速したようだ。

────やはり、失敗したか。

無論、期待はしていなかった。しかしもしかしたら、という一縷の望みもあった。そんな望みも当たり前のように意味を為さなかったが。

今、この気持ちを形容し難い。彼女の身が無事であったことに安堵し、しかし同時に今度は己が敵として彼女の前に立ちはだかるということだ。その事実に目を逸らしたい気分でいっぱいだった。口の中の苦虫を噛み潰す。

いくら仮定の話をしても仕方のないことだ。もし彼女でなかったら、もし自分でなかったら、などと。事実は覆らない。ならば腹を括るしかないだろう。そもそももっと早くこんなこと終わらせるつもりだったはずだ。

薄暗い部屋で一人、ただただ後悔ばかりが押し寄せる。やはり誰とも深く関わるべきではなかったのだ。自業自得だ。彼女の無邪気さを受け入れてしまった。

「……──っ……」

強く、奥歯を噛み締める。こんなことではダメだ。それでも容赦なく、明日からはまた普通の生活を送らなければならなくなる。

彼女からの干渉に、自分の良心が耐えられるか。すぐに行動に移すべきかどうか。迷いが生じる。しかし長引かせることはよくないと弁えている。長く見積もってもひと月以内。その間に決着をつける。

そう考え、水唯は己に言い聞かせるようにグッと手を握り締めた。




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