変わっていくこと
ちょうど良いタイミングだ、と言って始業式が終わったあと席替えが行われた。そもそも1学期の間、どの生徒からも不満が出ず一度も席替えが行われなかった方が珍しい。余っているプリントを適当な形に刻み、簡単なくじが作られた。黒板に書かれた番号とくじに記されている番号を照らし合わせる。
「美都どこ?」
「えっと……真ん中の前から2番目」
そう問いかけてきた春香は同じ列の3つ後ろだった。春香の横が四季、その後ろが水唯となんとなく固まっている。和真に至ってはちゃっかり窓際の一番後ろの席を確保していた。
「席変わろっか?」
「ううん、平気。集中出来なくなったら嫌だもん」
「……美都って意外と四季に対して厳しいよね」
「え? そう?」
きょとんと目を丸くして春香の呟きに答える。同じクラスというだけでも十分だと思っている。春香は自分と四季が同居していることを知らないので、彼との共有時間のことを気にかけてくれているのかも知れない。だが隣にしろ、そうでないにしろ、授業に集中出来なければ本末転倒だ。春香の申し出は有り難かったが自分としては不満のない席であった。
「あ。月代、この後時間ある?」
「? はい、大丈夫です」
「オッケー。じゃあ落ち着いたら職員室来てくれる?」
席替えの興奮でまだ賑わっている教室の前方で、羽鳥が美都に声を掛けた。何だろう、と首を傾げるが特に急な予定も無いため彼女の依頼に応じる。
しばし級友たちと会話をした後、「また明日ね」と伝え美都は教室を後にした。
(一応凛に伝えておこうかな)
そう考えたのは、不意に4月のことを思い出したからだ。桜舞う始業式の日。初めて学校で宿り魔に遭遇したのだ。まだ守護者として覚醒する前だった美都は、無我夢中でその化け物に向かって行った。武器も無く良くやったものだと今なら思う。足は竦み声は震えていた。それでも見過ごすことは出来なかった。四季には無茶だと怒鳴られたものだが。
「…………」
美都は自分の手のひらを見つめグッと握りしめる。そう考えると成長したものだ。相変わらず宿り魔は不気味だが、剣さえあれば退魔は出来る。初音の邪魔さえ入らなければ、最近は滞りなく戦えているのだ。
(初音……)
キツネ面を被り、長い髪を靡かせてクスクスと笑う宿り魔が憑いた少女。同じ学年の女子生徒、というところまで調べはついている。だが何となく、その正体を知るのが恐ろしい。宿り魔が憑いているとは言え、恐らく彼女の意志ははっきりしている。
同い年の少女が、ただ鍵のために誰か一人の人間を犠牲にしようとしているのだ。自分で考えたことに顔を顰める。
犠牲という言葉をあまり使いたく無い。だが鍵が封じられていると言われている心のカケラは、人間を動かす核のようなものだと聞いた。心臓と似て非なる働きをし、それを具現化することは相応の苦痛を対象者に与える。心のカケラを抜き取られたものは仮死状態に陥るのだ。
────もし、心のカケラがその人に戻らなかったら?
今まで考えることを避けてきた問題に身震いする。度々口にされてきた言葉があった。「仮死状態とは言え、心のカケラが長く戻らなければ身体に負荷がかかる」と。現に今まで対象者となった少女たちの表情は、土気色だったり蒼白だったりとおおよそ生気が感じられない顔色になっていた。心臓という機能が働いている限りは問題無い。だがもしそれが止まれば? それはつまり──。
「美都ちゃん?」
「!」
不意に名前を呼ばれ、驚いて肩を竦めた。いつの間にか4組の前まで歩いてきていたようだ。周囲はまだ喧騒に包まれている。それさえ気にならないほど、自分の思考に没入していたらしい。顔を上げると、衣奈が不思議そうに首を傾げていた。
「どうしたの? なんだか少し顔色が良くないみたいだけど……」
「な、何でもないの! それよりどうかした? 衣奈ちゃん」
衣奈に心配させるほどの顔色をしていたらしい。気をつけねばと反省した後はぐらかすように両手を横に振った。そして彼女が声を掛けてきた用向きを伺う。
「美都ちゃん、今日お誕生日なんでしょ?」
「え? あ、うん。どうしてそれを?」
「今朝あれだけ賑やかだったし、もちろん耳に入るよ」
今朝の出来事を思い出すように衣奈がクスクスと笑った。思い当たる節があり過ぎてどれのことか考えながら、恥ずかしさに目を逸らす。やはり意図せず目立つ形になってしまったようだ。眉間にしわを寄せ反省していると衣奈が言葉を続けた。
「それでね、私も何か無いかなーと思って。でも急だったしこんなものしかなかったんだけど……美都ちゃん良かったら貰ってくれないかな?」
言いながら彼女がそっと手を差し出す。そこには衣奈が普段使用しているシャープペンシルが握られていた。
「これ……! いいの?」
「うん。同じ物2本持ってるし。私のお下がりになっちゃうんだけど……」
「全然! ありがとう!」
予想外のプレゼントにパッと表情を明るくし口元を綻ばせた。同じように衣奈もニコリと微笑む。せっかくなのでそのまま胸ポケットに入れることにした。
「嬉しい……大切にするね」
先程4月のことを考えていたせいか、彼女と初めて会話した時のことをつい思い出した。凛とすれ違いになっていたあの日。衣奈が声を掛けてきてくれたのだ。その後再び話す機会があり、共に勉強もした。今思えばきっかけとは些細なものだ。だがそのおかげで彼女とここまで話せる仲となっている。その事がただ嬉しかった。加えて誕生日のプレゼントまで貰ってしまった。
「衣奈ちゃんの誕生日はいつ?」
「2月だよ。早生まれなの」
「じゃあその時にまたお返しするね」
すっかり自分のことばかりになってしまったが貰った分だけ衣奈に返さなければと思い至って彼女の誕生日を訊く。彼女の返答を頭に記憶させた。2月であればまだ当分先だ。十分に彼女へのプレゼントを選べるなと思うと楽しみになってくる。「あっ」と思い出した事があったのでついでに彼女に問いかけた。
「そう言えば、勉強のお礼もまだだった。何か決まった?」
「まだ悩んでるの。もうちょっと待ってくれる?」
「もちろん! 有効期限とかないしゆっくりでいいよ」
あははと笑いながら、困ったように笑みを浮かべる衣奈に応じた。自分が出来る事があれば良いのだが、と少し気にもなるがそれは衣奈が決める事だ。
「あ、ごめんね引き止めちゃって。凛ちゃん呼んでくるね」
さすがに用件を見越していたようだ。衣奈はそれだけ言うと踵を返し教室内へ戻っていった。すると間も無くして凛が向かってくる様が見える。良かった今度はすれ違わずに済みそうだと苦笑しながら、彼女に理由を伝えるため口を開いた。
◇
「失礼します」
職員室に入退室するときは必ず挨拶がいる。それは目上の人がいる部屋に入るためだからだろうか。いつも不思議だなと思いながらも儀礼なので美都もそう言って室内に入った。横切る教師に挨拶を交わしながら羽鳥の元へ向かう。彼女の席へ到着する直前に、高階の姿が確認出来た。彼もこちらに気付いたようで互いに笑みを交わし会釈をする。どうやら席が変わったのか、今高階の机は羽鳥の向かい側らしい。
「わざわざ悪いな、月代」
「いえ。何かありましたか?」
特に呼び出される理由が思い当たらなかったため、首を傾げながら羽鳥に問い掛ける。すると彼女は少し渋い顔で切り返した。
「まぁね。確認しておきたくて。──そろそろ三者面談出来たりする?」
「! あ……えっ、と──」
思わず目を逸らし口籠もってしまった。三者面談、という響きに身を竦める。
「というのも、あんただけでね三者面談してないの。2学期の終わりにもあるけど、その前に一度くらいはね」
本来であれば三年生は4月に一度行うことになっている。美都はその際、引っ越したことを理由に免除してもらったのだ。羽鳥の考えはわかる。5ヶ月も経てばもう状況も落ち着いているだろうと察知して声を掛けたのだろう。
「やっぱり──……必要、ですよね?」
視線を落としながら、念押しのように羽鳥に訊ねる。明らかに覇気が無くなった美都を見て、彼女も一旦口を噤んだ。
「まぁ──月代んとこの事情も解るけど、こればっかりはね。一応義務みたいなものなの」
「……そうですよね」
羽鳥を困らせるわけにはいかない。彼女にも仕事があるのだ。教師という名の下、担当生徒を見守る義務がある。自分一人が秩序を乱すわけにはいかないのだ。これまでも羽鳥は度々自分のことを考慮してくれた。しかし恐らく外部から指摘があったのだろう。彼女も珍しく難しい顔をしているのはそのせいだと察せられる。
「ちょっと外に出て話そうか」
「あ、……はい」
彼女が指をさしたのは職員室のベランダだった。外通路の階段と繋がっているところだ。教師の憩いの場ともなっている。美都は羽鳥の言葉に頷くと、そのまま席を立つ彼女の後に続いて外に出た。
「うわ。まだあっついなー」
職員室を一歩出た瞬間、むわっとした外気に包まれる。気象予報では残暑が長引くと予定だと言っていた。夏はまだまだ終わらなさそうな気候だ。美都もその蒸し暑さに顔を顰める。
「大丈夫? やっぱ戻るか?」
「いえ、大丈夫です。外の方が人がいないので……」
というのも、職員室の中は独特な雰囲気があり、普段美都たちが生活する教室よりも賑やかさがない。会話が聞かれてしまうことを懸念していたため羽鳥の申し出はありがたかった。
陽射しが照り付けるベランダで羽鳥と肩を並べた。どう話そうか、何を話そうか決めあぐねていたところ、彼女が先に口を開いた。
「今日呼んだのはね──さっきの件もそうだけど、月代とはちゃんと話しておかなきゃと思って」
「わたしと?」
「そ。進路とか生活のこととか。まぁあんまり構えなくていいから」
そう言いながら羽鳥はズボンのポケットに片手を入れる。そして何かを取り出そうとした際にハッとして手を止めた。苦い顔を見せて何も掴まずポケットから手を出す。美都はその所作を見てもしかして、と察知したことがあった。
「吸っても大丈夫ですよ?」
「──鋭いね。大丈夫、生徒の前では吸わないよ」
眉を下げてやれやれと肩を落とす。まだ部活動でグラウンドを走り回っていたとき、ここで教師達が煙草を吸っている姿を度々見かけていた。その中に羽鳥もいたことを思い出したのだ。煙草の箱に触れるまで気付かなかったということは半ば無意識だったのだろう。
「で、なんでそんなに三者面談やりたくないの? 今やらなくても期末には絶対だよ」
「それはわかってるんですけど──……でもわたしまだ……」
「進路について悩んでる、と?」
自分が言いたかったことを代弁してくれた羽鳥に、頷きで返した。以前、彼女からは「やりたいことはこれからいくらでも見つけられるんだから今は勉強しておくべきだ」と諭されたことがある。勉強する、ということは進学するということだ。
進学する意志は固まった。今度の問題は志望校だった。周囲の生徒は既に行きたい高校に向けて勉強を始めている者もいる。だから焦ってしまう。自分の気持ちが決まらないことに。
「行きたい高校がない? 調べてはいるの?」
「公立高校のどこか、……とは考えています」
美都の返答に短く「なるほど」と呟いた。さすがに気付いたのか羽鳥は少し苦い表情を浮かべている。
「それ、保護者の人とは話したの?」
「前に少しだけ……。変な遠慮はしなくていいって言われてるんですけど、そういうわけにも……」
「うーん……」
手を頭の後ろに回して羽鳥が唸った。当然だ。今までの自分の回答は全て曖昧だからそういう反応になるのも理解出来る。彼女は担任だからこそここまで付き合ってくれるのだろう。
「本当はそういう話を三者面談でしたいんだけどね。月代は遠慮しちゃうだろうけど、それこそあんたの今後が関わってくるんだから。保護者の人も無関心ってわけじゃないんでしょ?」
「それは……はい」
無関心どころか度々連絡が来るくらいには気にしてくれている。だからこそ自分のこのどっち付かずな反応に首を傾げているのかもしれない。
こうして悩み相談をしていても中々確定出来ないのは迷いがあるからだ。勉強は嫌いではない。むしろ学校という場所は好きだ。しかし、自分の心が決まっていないままでは単純に志望校を選び切れない。それは援助してもらう円佳にも申し訳ないのだ。
それをどう伝えようか考えていると、同じように口を噤んでいた羽鳥がベランダの手すりに腕をかけた。
「月代はさ、考え方がちょっと大人すぎるね」
「え……そう、ですか?」
おもむろに口を開いた彼女の言葉に、きょとんと目を丸くする。どうしてそういう評価に至ったのだろう。
「あんたの場合は環境のせいもあるだろうけどたまにちょっと心配になるよ。聞き分けが良すぎるところとか、他人に遠慮するところとか」
俯き加減で羽鳥が先程口にした要因を列挙していく。否定したくても出来ない際どい箇所だ。彼女の着眼点に驚く。そんなによく見てくれているのか、というところに。
「中学生なんてまだ子どもでいいんだ。甘えられるところは甘えなきゃさ。あんたは一人で生きてるわけじゃないんだから」
「……!」
羽鳥が言うことに思わず声を詰まらせた。似たようなことを円佳にも言われていたのを思い出したのだ。
確かに、今の自分は支えてくれている人たちの思いを蔑ろにしているのかもしれない。進路が決まっていない焦燥感で、自分のことしか見えていないのだ。まさか誕生日に「一人で生きているわけじゃない」と言う言葉を耳にすることになるとは思わなかった。まさに自分本位だったことに気付かされる。
苦い顔をした後、そんな子どもじみた考えをした自分への呆れで息を吐いた。
「──早く大人になりたいです」
そうすればこんな煩わしい感情に惑わされずに済むのに。早く大人になりたい。周りに迷惑をかけることのないような、自立した大人に。
「あんたね。子どもでいられる時間の方が短いんだから。今を楽しみなさい」
「……はあい」
ポツリと言った美都に、羽鳥が苦笑しながら人生の先輩としての言葉を投げかける。経験者は語ると言うものだ。さすがにこれは返事をせざるを得ない。美都も同じように眉を下げた。
「まぁ進路については焦って決めるもんじゃないから周りの雰囲気に呑まれないようにね。ひとまず保護者の人と話しておくから」
「はい。ありがとうございます」
「それよりもさ」
一旦進路の話に区切りを付け、羽鳥の進言に会釈をした。するとすぐに彼女がまた口を開いた。
「生活の方はどう? もう慣れたの?」
「なんだかんだでもう5ヶ月ですから。ご飯のレパートリーも増えましたよ」
「逞しいねぇ。ま、それなら良かったわ」
羽鳥が感嘆しながら安堵の息を漏らした。彼女は事あるごとに気にかけてくれている。自分の複雑な家庭環境を知っているせいか他の生徒よりも贔屓してもらっている気分だ。もう一つ理由がある。それは。
「向陽とは上手くやってる? ……って訊くのも野暮か」
実は羽鳥には同じ家で暮らしていることを話していない。しかし連絡先を見ているだろうから恐らく察知はしているのだと思う。だから上記の質問はどっちの意味なのか計りかねる。
「先生ってどこまで知ってるんですか?」
ここまで来たら隠す必要もないだろうと思って、素直に疑問をぶつけてみた。するとその質問に目を丸くし、一度考えるようにして顎に手を当てる。
「それは向陽とのことについて?」
「えっと……はい」
「んー……あんたと親戚で、付き合ってるってこと?」
彼女の答えにまぁそうだろうと納得した。つまり羽鳥の質問は今の彼女の説明でいう後者の方だと考えられる。
「特別大きなケンカも無く、って感じです」
「そう。って月代が誰かとケンカするなんて考えられないけど」
そう言われてはたと今度は美都が目を瞬かせた。確かにこれまで誰かと大きなケンカをしたことが無い。当たり障りなく生活しているからかもしれないなと目を宙に泳がせた。
「でもまぁ、実は安心したんだよね。あんたたちが付き合い始めてくれて」
「? なんでですか?」
日陰と言えど生温い風に煽られ苦い顔を浮かべていたところ、羽鳥が口にしたことにきょとんとして首を傾げた。前髪をかきあげて暑さを逃すようにしながら、彼女がその疑問に答えていく。
「月代はさ、見ていてちょっと危なっかしいのよ。だから向陽が側にいてくれるようになってくれて良かったなって」
淡々と語っていく羽鳥に対して、美都は彼女の前半の言葉に苦い笑みを浮かべた。まさか羽鳥からもそんな評価だったとは、と反省せざるを得ない。ここ最近自分に関してのそういう話をよく耳にする。なぜ周りからそう見られているのか自分では全くわからないが、以前春香に言われた「順応性が高すぎる」ということに関係しているのかもしれない。
「わたしってそんなに危なっかしく見えるんですか?」
「んー……よく言えば真っ直ぐなんだけどそれが余計にね。たまに心配になるよ。人を信じて疑わないところとかさ」
再び無意識からか羽鳥はポケットへ手を伸ばした。吸わずとも箱に触れていると安心でもするのだろうか。彼女は少し目を細めて息を小さく吐く。
「もちろんそれは悪いことじゃ無い。人を疑って生きるよりもね。でも稀に、ひどく裏切られるときもある。月代は他人に寄り添うことが得意だから、もしそうなったときに人一倍傷付くんじゃないか……ってね」
いつに無く真面目に語る彼女に、少しだけ胸が詰まった。羽鳥は鋭い。だが少しだけ違う。
自分は他人に寄り添えてなんかいない。いつだって自分のことしか考えていないのだから。自分が傷付かないようにしているのだ。だからもし裏切られたとしても、相応のダメージは負うはずがない。そうやって日々過ごしている。
受け入れているように見えて、ちゃんと己の領域を守りながら生きている。それは自分が一番よく分かっているのだ。だから他人からそう見られていることに少し安心もする。自分はちゃんとそう出来ているのだと。
「────大丈夫ですよ、先生」
ニコリと羽鳥に微笑みを向ける。心配してもらうようなことではない。だが彼女にそう言われて改めて認識することが出来た。確かに最近、他人の領域に足を踏み入れすぎている気はしている。今一度、距離感を考えなければいけない。
そう応じた美都に対して、羽鳥は一度目を見開いたのち深く息を吐いた。頭を掻いて渋面を浮かべる。
「……そういうところなんだけどね」
心配になるのは。普段は年相応に見えるはずなのに、この少女はたまにすごく大人びた表情をする時がある。これは恐らく彼女なりの合図だ。これ以上は踏み込むな、という無意識の信号。
「え?」
「なんでもない。とにかくあんたと向陽は相乗効果あるから良い傾向だと思うって話だよ」
「相乗効果……?」
あるだろうか、とうーんと唸りながら顎に手を当てる。そもそも単語の意味をよく知らないため後で調べてみなければと自分の中に落とし込んだ。
「あと、星名のことなんだけどさ」
「はい?」
突然水唯の名前が出てきたためなんだろうかと訊ね返す。
「家、隣なんだろ? 悪いけど少し気にしといてくれないか。向陽が嫉妬しない程度でいいからさ」
「それはもちろんいいですけど……どうかしたんですか?」
「いや。まぁ星名も別の意味で危なっかしく見えるからさ。転校生だし誰か心許した人間が側にいてくれた方が安心するのよ」
彼女の言うことになるほど、と納得して頷いた。確かに水唯の動向は自分としても気になっている。だから彼女の申し出を無しにしても出来る限りサポートするつもりでいた。それに嫉妬ならばもう既にされている、と思う。だがそれに関しては四季の方が大人なので我慢してもらうしかない。
話が一段落したのか、羽鳥はふぅと息を吐いた。やはりこの季節はまだ外で長く話すには暑すぎる。現に互いの額には汗が滲み始めていた。
「長々と悪かったね。戻ろうか」
「はい」
「あ、そうだ」
羽鳥が中へ戻ろうと促した所作に応じ、美都も後に続こうと身体の向きを変えた。瞬間、前にいる羽鳥が何か思い出したようにくるりと美都と再び向き合う。
「誕生日、おめでとう」
改めてそう言われ、きょとっと目を丸くする。もちろん忘れていたわけではないが、まさか担任から祝いの言葉をもらえるとは思わなかった。今朝あれだけ賑やかだと彼女の耳にも届くか、と苦笑する。
「ありがとうございます」
面映い気持ちになりながらも礼を伝える。こうして祝ってもらえることは幸せなことだ。
誕生日とはそう言う日なのだから。
そして二人は今度こそ涼しい職員室へと踵を返した。